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海を見てきた午前
2015年のおヴァカンスも終わって一週間後、久しぶりに海を見て参りました。
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もちろん鼻歌は世界のどこであろうと自然に、
海は広いな、おっき~なあ、月は昇るし、陽は沈む。
海にお船を浮かばせて 行って見たいな よその国
と、わたくしはよその国にこうしているのですがねぇ。 
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悪魔さんと一緒に海を眺めたワタクシ


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写真のココは仏蘭西の西の最果てブルタアニュ Bretagne の、プルマナック Ploumanac'h という土地です。仏蘭西通の貴兄貴女にはすぐわかりますとおり、このプルマナックは今年のおヴァカンス直前に、2015年度の仏蘭西びとに最も好まれている村の第一位に選ばれました。
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結婚を希望する女性が聖像の鼻の頭を触れば一年以内に結婚できるという伝説がある祠(聖ギレックの祈祷所 Oratoire de Saint-Guirec)も、潮が引いた時に訪問したのでそばで拝むことができました。
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↑ どれだけの結婚希望の女性に鼻を触られたのか。既に聖ギレックのお鼻はぺっしゃんこ ↑

この祠、潮が満ちると海に浮かぶ祠になってしまいます。

兎にも角にも今週に入ってからのココんちあたりは連日の風雨で、報道では秋が訪れたことも宣言されました。先週と今週では気温差が10度以上あるように思えます。旅の緊張が緩んだのか、ま・ここっつぁんは風邪を発症。目ぇしょぼしょぼ、お鼻がびがびの火曜日を迎えました。とほほほほ。

le 15 septembre 2015, Dolorès

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by ma_cocotte | 2015-09-15 17:24 | 『旅』 Rien de special | Comments(0)
こんな田舎にサアカスがやって来た。
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旧市街の小高い丘の上にある古い建物の中庭が会場。

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キャンセル待ちが70人。
私は最後の三枚のうちの二枚を獲得・・・ラッキィでありました。
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オープニングはテントの外!
夜8時半でこの明るさは夏であればこそ。
テント内は撮影禁止で、演目は幻想的なオトナの世界。
美しく、楽しかったです。

一時間ちょっとのショーを楽しんで、テントを出たら、真っ暗。
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臨時のバアが暗闇に浮かび、そこに集い、行き交うひとびと。

こういう幻想的な雰囲気、大好きです。


le 15 août 2015, Assunta

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by ma_cocotte | 2015-08-15 04:49 | Promenons-nous! | Comments(0)
またも、金曜日
2015年6月26日 金曜日。

午前中に、仏蘭西の南東部の化学工場で自爆未遂テロ事件発生。
犯人は少なくとも2男性で、車にガスボンベを乗せていたとのこと。犯人が捕らえられた後、工場主 犯人の勤務先の社長の斬首された遺体が発見されました。

午後一番で飛び込んで来たニュウスはチュニジアの海岸線にある2ホテルで同時テロ。
海岸でくつろぐ外国人客だけをターゲットに発砲、射殺。少なくとも28名の生命が絶たれました。(追記:27日朝の時点で38名)

そして、午後半ばにして、なんとアラビア半島のクウェート国のシーア派モスク内で自爆テロ事件。14名死亡。
イスラム国(IS)が犯行声明。同じイスラム教なのになぜ?と思いきや、ISはスンニ派でシーア派を異端としている故うんぬん。ところが、このクウェート国はスンニ派の首長一族が統治しており、国民の8割がイスラム教徒で、そのうちスンニ派が7割、シーア派が3割というスンニ派マヂョリティー国なのです。同じイスラム教徒なのに、たった3割の異なる宗派を信じるひとびとさえISは滅したかったのでしょうか。仏教にも、キリスト教にも、いずれの宗教にもいくつもの宗派があるものですが、どうにも今のISの言動は「心身に余裕がないゆえの過激さ」としか見えません。

先週の木曜日からイスラーム世界ではラマダーンに入っており、世界中のイスラーム信徒が日中の断食を行っています。欧州では夏至の三日前からラマダーンとなるので、日照時間が長い今、断食が例年に比べ厳しいことは言うまでもありません。たとえ真冬のラマダーンであっても、断食を始めたばかりのひとびとが日中、イライラしたり、喧嘩っ早くなることも周知です。
きょう金曜日の連続テロ事件の分析でも、ラマダーンに入ったことでイライラが募り、こういう行いに出てしまったのではないか、という(日本人にしてみればちょっと理解できないほどの安直な)推論も飛び交い始めています。けれど、ラマダーン中の老若男女のイライラを知っているヒトには「かもね」と相槌を打つ点でもあります。

そもそもラマダーンは貧者を思い、貧困をよくよく知るためにイスラームの暦で年に一度、日中の断食を厳しく守る信心行のひとつです。日没後から夜明けまで腹持ちの良い料理をたらふくいただいて、日中を乗り切ることになっています。そして、金曜日はイスラームの祈祷日です。たいてい祈祷を終えたテロリストがほうぼうに散らばってテロを実行するのが通例です。

イスラームの外の、異邦人の私には理解できないことですが、なぜ週に一度の祈祷日を穏やかに過ごさず、ヨソの環境に騒ぎを齎さねばならないのでしょう。
イスラームから見れば、同祖とは言え、ユダヤ教、キリスト教は発展途上の未熟な「生活宗教」です。いくら「この世で完熟成熟の完璧宗教であるイスラーム」への改宗を勧めても、それを拒むユダヤ教徒、キリスト教徒に憐れみを持つのが筋道ではないかと員数外の私は思うわけです。改宗を拒まれたら殺してしまえ、という考え方に未来はつながらないし、恐怖を見せ付けたところでこの世に平和を築けるなんてことはありません。

余計なお世話でしょうが、彼らの改心を祈ります。


le 27 juin 2015, Cyrille


偶然というか(あの世においては必然なのでしょうけれど)、昨日、きょうとカトリックの聖書第一朗読の箇所が、創世記16・1-12、15-16(25日)と創世記17・1、9-10、15-22(26日)だったのです。つまり、アブラハムとハガルの間に長子イシュマイルが誕生し、その後、アブラハムとサラの間にイサクが誕生する話です。このハガルとイシュマイルの子孫がムハンマドにもつながる血筋であり、イサクはユダヤ人の先祖となります。

なんかダブっているので、私にとっていろいろ深く考えさせられる金曜日となりました。
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by ma_cocotte | 2015-06-27 01:53 | 『?』なミュぢゅるマン | Comments(0)
「黒い足」がまたひとり、旅に出た。
今日の朝7時半にココんちの電話が鳴りました。
一時間ほど前にココんちのモンココの祖母が息を引き取ったという報せでした。92歳。
彼女についてフランス共和国の国籍者と冠せばそれで済むけふこの頃ですけれど、彼女の名前はアントワネット Antoinette であっても、生まれと育ちは現在のアルヂェリアのオランという地中海に面した漁村であり、何世代も前にアルヂェリアに移住したカタルウニャ人の家庭の出でした。だから、彼女はフランス国籍だけを持っているガイジンのようなものだったのです。事実、子供の頃はカタルウニャ語が日常会話だったし、家庭の味はカタルウニャ料理でした。

彼女の運命で、結婚してまもなくアルジェリアの政情が限りなく不安定となり、フランスに戻ることを決めました。こういう北アフリカからフランス本土への帰還民をフランスでは人種が何であってもピエ・ノワール Pied-noir 、=黒い足というレッテルが貼られます。

生まれ育った土地からフランスに戻る時、ニンゲンひとりにつき許された荷物はかばんひとつだったので、誰もが家、家財道具、犬猫も手放して船に乗ったそうです。しかも、乗った船がボルドーに行くのか、マルセイユに行くのかも定かではなかったらしい。

こういう目に遭うのも、かつての帝国主義の報復のせいだ、と脳みそを洗いにかかる方々もいるけれど、そういうことを言うひとびとが北アフリカに入り込むまで、現地ではベルベル族のムスリムも、ユダヤ教徒も、キリスト教徒も仲良く平和に共存していたのに、共産主義者が入り込んでから互いを疑い、憎みあい、互いを追い出そうと懸命になったというのがココんちのマミィ(=おばあちゃん)が常に繰り返していたことでした。

だから、きょうの朝、アルヂェリア生まれのカタルーニャ人であるフランス国籍者のピエノワールである一証人がまたひとり、人生最期の一人旅に出たのでした。今頃、あちらで愛おしい夫君と再会していることでしょうけれど、こちらは元気でかわいらしいマミィが遠くなり、とても寂しくなりました。


le 10 mars 2015, Vivien

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by ma_cocotte | 2015-03-10 17:35 | 『?』なメディテらねぇ | Comments(1)
ついうつかり怒りを覚えた。
昨夕、犬の散歩から戻り、一時間後に夕食。
夕食前、家人との祈りの時、家人から出された祈りの意向が「デンマアクはコペンハアゲンでのテロ事件の犠牲者のために」というもので、「エェエエエエ!? 私、それ、知らない!」と思わず。すかさず家人から「一時間くらい前だったらしいよ」と返事。

お祈りを終えてテレビに火ぃ入れ、ニュウス専門チャンネルに合わせたら、コペンハアゲンからの生中継中でした。なんでもあのラアス・ヴィルクス Lars Vilks が参加しての「イスラム教と言論の自由に関する討論会」の開催中に、カラシニコフを持った男性が侵入、突然、乱射を始めたとのこと。この現実は翌朝からテレビで会場の外から撮影されたビデオが繰り返し流されています。ビデオを見ると、女性の口上の途中で容疑者が入り、乱射開始。それとほぼ同時に出席者が椅子をひいて机の下に隠れたと思われる音声が続いていました。

仏蘭西共和国ではこの時点で既にIS(イスラム国)支持者によるテロで、武器はカラシニコフだと説明がありました。よその国デンマアクとは言え、テエマがテエマですし、(おそらく)登壇者のひとりが在デンマアクの仏共和国大使。おまけにココ一連の諷刺画を鍵語にしたテロ事件の素であるラアス・ヴィルクスが堂々と参加していたのですから、ISやらアルカイダ支持者にタゲられるのは「当たり前だのクラッカー」と言えるかもしれません。

きょうの朝からニュウス番組で紹介されている、アルカイーダから発せられたシャリアー該当者一覧の写真。
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この右の、9人の写真の真ん中がラアス・ヴィルクス氏です。
そもそも2007年だったか、彼がムハンマドさまの諷刺画を新聞紙上で発表したことで、世界中のムスリムの怒りを買い、直後、仏蘭西のシャルリ・エブド社がラアス・ヴィルクス氏擁護の立場を同様の諷刺画を自誌に掲載することで表明。これをきっかけにシャルリ・エブド社の編集長もシャリアー対象者となりました。で、2011年秋にパリのシャルリ・エブド社が放火され、2015年1月7日にあのテロ事件発生。シャリアー対象者だった編集長は銃殺されてしまいました。それから一か月と7日目に国は違えど、デンマアクでラアス・ヴィルクス氏が公に登場したことになります。周りまわってココまで来て、こうなっちゃったということですわね。

昨日は夕刻にこの事件があり、深夜近くに同じコペンハアゲン市内のシナゴオグ(ユダヤ教の祈祷所)でテロ事件。容疑者の前で「私はユダヤ教徒、ユダヤ人です。」と告白した男性が、告白と同時に射殺されました。これ、先月9日金曜日ののお昼にパリであったユダヤ食品店でのテロ事件と同じです。あの日、犯人は人質ひとりひとりに宗旨出自を告白させ、ユダヤ教徒男性とわかると同時にオートマチックに拳銃の引き金をひき、4人のユダヤ教徒の男性の魂を奪いました。

恐ろしいです。これでは今から70年前のナチスの思想と同じではありませんか。
時が逆行しているのか、時が止まってしまっているのか。
現実で今は2015年、日々前進する時の流れに乗って生きている者にとって、こういう時の流れに乗っていない出来事は気持ち悪さを覚えます。

日曜のお昼になり、昨晩、「私はユダヤ人、ユダヤ教徒です」と告白した男性が即座に生命を奪われたことについて、もし(ありえないことですが)欧州からユダヤ人がひとっこひとりいなくなったら、彼らイスラム原理教条主義過激派の次のタアゲットはキリスト教徒であり、われわれが「私はキリスト教徒です」と告白したら即座に生命を奪われる日が来てしまうのかもしれないね、という話題になりました。笑える話題ではありませんよ、本当に。他人事でもありません。


いくらイスラームが包括宗教とは言え、世界やら地球をイスラームに包括する手段が明らかに間違っています。
他者を脅し、恐怖に陥れて改宗させたところで平和なんか来やしません。

毎度のことだけれど、キリスト教徒にとって日曜日は主日、聖日であり、デンマアクにだってキリスト教信者がいるでしょうに、こんな戒厳令状態では市井のひとびとが礼拝にも行けないではありませんか(それが彼らの狙いであり、喜びでもあるのでしょうけれどね)
せっかくの主日に、ついうっかり怒りを覚えてしまう話題が次から次に飛び込んで来て泣けてきます。

le 15 février 2015, Claude La Colombière
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by ma_cocotte | 2015-02-15 21:08 | 『?』なオイロッパ | Comments(2)
独善思考による省略
「イスラム国」は「ISIL」に…自民申し合わせ

産経新聞 1月26日(月)18時35分配信

 自民党は26日の役員会で、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」の呼称について、原則として「ISIL(アイシル)(イラク・レバントのイスラム国)」か「いわゆるイスラム国」という表現を使うことを申し合わせた。

 党内から「日本がイスラム国を独立国家として承認しているかのような印象を与えかねない」などという懸念が挙がっていたためだ。「 ISIL 」は「the Islamic State in Iraq and the Levant」の略称。




先日26日に以上の提案があったためか、ココ数日、電脳世界日本語領域において「イスラム国」がほぼ消え失せ、「IS」という略称が飛び交うようになりました。
ですが、おそらくガイジンさんから眺めると
「IS」という略称は何の名称の略ですか?
となり、私が先ず
「The Islamic State の略です」
と返答したところで、もし更にガイジンさんから「それを和訳すると?」と質問が出たら、
イスラム国(家)】です
と返答することになると私は思うのですが・・・。

このやりとりに間違いはあるまい。
まっこと、日本國は地球上における真のドメスティック国家だ・・・。
思考回路が欧米各国と根本的に異なるので、件についてこういう現状が今に至っているのだろう、と想像できなくもありません。兎にも角にも、日本政府は交渉経過について世間に公開しすぎ、瞬時にダダ漏れしているだろうに。

仏蘭西では現在も L' État islamique レタ・イスラミック、和訳すると【イスラム国(家)】を使っています。

支援者以外、世界中の誰も独立国家として「イスラム国」を承認しているなんて普通、想像もしませんよ。
日本国内でISだとかISIL(音に乗せるとアイシル)と呼ぶようにしても、「イスラム国」の組織とまったく同じですよね。変なの。


le 29 janvier 2015, Gildas

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by ma_cocotte | 2015-01-29 17:00 | 『?』な日本國 | Comments(2)
クリスマスまで、と、クリスマスから。
2014年-2015年。
ひとクリスマスツリーで二度楽しむことにしました。
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↑ クリスマスまで ↑


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↑ クリスマスから ↑


いつもどおり「なんとなく」なのですけれど、今年のクリスマスは青色と銀色にしたかったので一枚目の写真の飾り付けになり、待降節と聖夜聖誕を共に過ごしました。そして、26日に二枚目の写真のようにツリーを金色と銀色で装ってみました。お正月ですから、なんとなく、金銀。

待降節から飾られているクリスマスツリーとプレセピオ、ろうそくなどは今年の場合、2015年1月11日(カトリック典礼暦では「主の洗礼」)まで飾り、片付けることになっています。

さーてと、大晦日と新年の準備をせねヴぁ。
ふぅ、めんど。


le 30 décembre 2014, Roger

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by ma_cocotte | 2014-12-30 17:16 | 『冬』 Rien de special | Comments(2)
くりすます、おめでとうございました。
忘れてた、ご挨拶。
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空っぽだった飼い葉桶にベイビーヂィザス人形を置きましたよ。
羊飼いさんも現れましたよ。

言い訳ですけれど、24日、25日って本当に忙しくて、慌しくて。
25日夜に食い倒れて、やっと時間を見つけました。

・・・・って、これから一週間後のメニュウを考えたり、準備をしなけれヴぁならないのだなあ。

めんどくさ。

le 26 décembre 2014, Etienne

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by ma_cocotte | 2014-12-26 03:33 | 『冬』 Rien de special | Comments(2)
葡萄牙について知らないことばかり
だったので、知る喜びがいっぱいの旅になりました。
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例えば、首都リスボンで遠くにかすんで見える橋。
その名は「4月25日橋 Ponte 25 de Abril」、欧州で最も長い橋なのだそうです。知らなかった。

とある三食付き昼寝皆無の団体旅行に参加し、リスボンからポルト、国境を越えてスペインのサンチアゴまでのバスツアー。不幸にも連日の豪雨でバスの窓の外の景色も大して楽しめず、ただただ耳に入ってくるガイドさんの説明をかぢっておりましたが、自分、ポルトガルについて何も知らないことを知りました。

現在のポルトガルの第二外国語は英語だけれど、以前の第二外国語はフランス語だった。

国民男子の義務教育化が1940年代、国民女子の義務教育化が1950年代なので、現在も多くの高齢者が文盲であること。(例えば1910年代のファティマの聖母出現で知られる3人の子供たちは学校に通っていませんでした)
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大昔、ポルトガルがアラビア・イスラーム世界に支配されていた時代が長かったので、現代ポルトガル語のうち約1000単語がアラビア語由来であること。たいていはアル al で始まるそうです。が、例えば地名のファティマ、ナザレなどはアラビア語そのものだそうです。そう言われてみると、ファティマはイスラーム婦女子の典型名だし、ナザレはイエスさまが育った土地で、現在はパレスチナ自治区内です。なあるほど。

16世紀頃は日本との交易がさかんで、当時の日本の文化がポルトガルに多く持ち込まれ、生活文化に大きく影響していること。例えばポルトガル語でお茶を「チャ」と呼ぶのも日本からお茶の文化が届いたからだそうです。知らなかった。これについては当時の日本がポルトガルからたくさんの生活文化を受け入れ、今に至っているのだとばかり。ところが、ポルトガルでは「お互いに文化交換をしていた」と捉えてくださっているようで、親日家が多いです。ありがたい。

ポルトガルでの最低給与設定が月額500ユーロ(フランスの三分の一弱)で、500ユーロで定年を迎えた場合、その後の年金が月額270ユーロであること。←フランスぢゃ生きていけないかも・・・。コレゆえ、高学歴者や手に職を持つポルトガル人が欧州各国、海外(主にブラジルまたはアフリカ内の旧ポルトガル植民地各国)に移住してしまうという現実。この話題は少なからずショックでしたね。一方で大学での就学費用が何から何まで高額なので、大学に通える学生の出自が限られてしまっているという矛盾。なんだかなあ。ポルトで、バスの中から偶然にも何度か黒づくめの伝統的な装いの美しい大学生たちを見ましたけれど、教育制度が欧州の他国よりかなーり遅れているし、問題があると察しました。

と、ポルトガル国民の生活はとても厳しいのに、ポルトガルの町の様子はフランスやスペインの町々より洗練されていて美しいという不思議。もちろん町のそこここに壮麗な歴史建造物だけでなく朽ちた廃墟や疲れた建造物が点在してはいるのですが、どういうわけか街全体がかもし出す雰囲気はフランスよりかなり垢抜けているように思えました。私が日本人なのでポルトガル人の生活感覚とどこかツボが合致しているせいでしょうか?
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首都リスボンも、商業大都市ポルトも、ファティマやナザレも都市計画整備実施または完了直後に訪問したのも運が良かったのかも。空港もリスボン、ポルト(↓)とも近未来空間でしたよ。
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と、以上、まとまりのない文章のまま、とりあえず今日はココまで。

le 18 novembre 2014, Philippine



もうひとつ「知った喜び」を思い出しました。
現在のポルトガル国内事情がフランスと異なる点。
それは、最近の世界を騒がさせている物騒な諸問題にもつながりますが、今は貧しいポルトガルもかつては他の欧州国と同じくアフリカにいくつかの植民地を持っていましたが(ポルトガルにとって最後に手放した植民地は中国のマカオ)、アフリカのいずれの旧植民地国もキリスト教国であり、イスラームがマイノリティである点が英仏の事情とまったく異なる点で、ゆえに現在もアフリカの元植民地からポルトガル本国にひとびとが移住してきても英仏が悩んでいる問題がポルトガルでは起こらないのだそうです。これはちょっと目ぇ覚まされた話題でした。

と、この写真はナザレの町で偶然出会ったアフリカはアンゴラからの巡礼者さんたちです。カトリックさんたちですね。
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ロオマ、ルルド、ファティマなど必ずアフリカからの巡礼者さんたちがいらして、彼らの美しいプリント布の民族衣装に私の目が釘付けになってしまうのですが、アンゴラの布地も鮮やかで美しい。ほれぼれ。
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by ma_cocotte | 2014-11-18 04:23 | 『旅』 Rien de special | Comments(0)
大航海
ポルトガルはリスボンの街灯。
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大海原に出て行く大帆船


ああ、ポルトガルと聞けば「大航海」という文字がまず思いついたりするものね。
そして、「ポルトガルの大航海」と聞けば、発見のモニュメントを思い出すのが日本人。
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ポルトガル人にとっては発見のモニュメントはそんなに「ぜひ、絶対見物しなければならないもの」ではないようで、むしろ並んで聳え立つ「ベレンの塔」に必ず寄って見てほしいようです。
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そして、ポルトガルの大航海と言えば、バスコダガマ。
正確にはヴァスコ・ダ・ガマ Vasco da Gama。おまじないではなく、15世紀から16世紀にかけて生きていたポルトガルの冒険家。彼のお墓なるものがベレンの塔に近いジェロニモス修道院内聖堂にございました。
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どぉおおん!
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どっ、どぉおおおん!

ジェロニモス修道院についてはあまりのデカさ、美しさに腰が抜けてしまいましたけれど、ジェロニモスについてはまた今度。そして、バスコ・ダ・ガマのお墓と同じタイプの棺を何十も拝見したポルトガルの旅でもありました。パリ近郊のサンドニ聖堂に行けば似たような棺がゴロゴロあることも知ってはおりますが、ポルトガルのそれに比べるとフランスのそれは地味に思えたりもします。この話もそのうちに。

さて、話戻って、発見のモニュメントとベレンの塔の間に、飛行機。
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船の時代から飛行機の時代へ。

ポルトガルくらい「平家物語」の冒頭の文がしっくりと似合う国はないと思います。

もう少しポルトガルについて勉強すればよかった・・・これについては大後悔。


le 13 novembre 2014, Brice

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by ma_cocotte | 2014-11-13 02:20 | 『旅』 Rien de special | Comments(0)