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旅慣れない民への「飴」と「鞭」
もうかなり前になりますが、EU諸国内で最も海外旅行をしない国民はフランスびとだと見聞したことがあります。当時、数名のフランスびとに確認がてらその話題を出したら「そりゃ、そうさ。フランスほど美しい国はこの世にないから外を見るよりフランスの美を知ればいい」なんて返事をもらったこともありました。旧市街の旅行会社のウィンドウを眺めても、一見海外でも実は元はフランスの植民地だった国へのいざないが多かったりします。そんなドメスティックな庶民を大量に抱え込んでしまった神聖賢愚帝サルコぢ一世が共和国大統領なんかに身を窶してまもなく地中海クルーズやらエイメリカなど家族と一緒の海外旅行をすることで臣民に見本を示したつもりだったようだけれど、あたいら庶民にはあーたのような旅行費用丸ごと出してくれるユダヤん人脈なんてないのよ。深読みすれば、フランス国内の主な海外旅行会社のオーナーってサルコぢ一族のお友達ぢゃないの。私たちが一生懸命働いて貯めたお金はなぜかサルのお友達の懐に入っていく~~ンだな。Bof。

この春、私は初めてフランスの旅行会社が関わる団体旅行でフランス国外に出ることになりました。「出る」と言っても隣国イタリアはローマですけれど。私にとっては夢だったローマ訪問がかなうことになります。一生のうちに行けるかと想定するくらい「近くて遠いローマ」でしたが、どうせ一生に一度のローマなら史跡と教会建築や美術をツーリスティックにひやかせたら、と願っていました。ああ、そして何よりも我等が ラ ッ チ ン ガ ア をこの目でお見上げ申し上げたいのです。(隣のゲオルグだろ?という突っ込みはどーかなー。だったらベルトーネのタルちゃんにぜひぜひ)。そんな私の夢を数年前、南仏にお住まいのイタリア、いや、ローマ人シスターにおしゃべりしたら、私のこの目的には教区主催の巡礼団に参加すると安くてお徳だと勧められました。
その勧めをいただいてからできるだけチェックはしていましたが、ココんちが南仏から中西部に引越したこともあり、教区の教勢やら内情の違いから巡礼がお手軽お気楽でないこともわかって来ました。こんなことだったら南仏時代にローマ巡礼に参加すれば良かったなあ。だって、ニースからフェリーに乗ってローマ入りですぜい?それってちょっとした 地中海クルーズ ぢゃないのよっっ!? 後悔のみざますね。

さて、今年たまたまココんち地元の教区がローマ巡礼を企画したので、ココんちの♂♀が参加することにしました。
マ・スールの嘘つき。参加費用がデラデラに高い。しかも、応募当初に金額フィックスではなく、参加者数によっては更に費用が上がるとまで予告されていました。一緒にいらっしゃる司教さまの旅費分の分担金の問題でしょうね。1月の終わりに残金振込みの手紙が届き、当初の料金で済み、内心ちょっとホ。それでも1300+αユーロで、数日後に地元のスーパーの企画でインドネシア・バリ島旅行が1000ユーロちょいと知り、ドけち魂が抜ける思いをしました。

2月の半ば、このローマ旅行に参加する人への説明会があり、ココんちの♂♀が出席して参りました。6泊7日の旅程の説明がなされ、そこでの重大発表というか、ま・ここっつぁん号泣のお知らせが。なんと、その週の水曜日に限って 
教皇さまの 一般謁見ショーが にゃいっっ!!!
ミーのメインエヴェントがにゃいンでありまっす。ウワァァーーーー。゜(゜´Д`゜)゜。ーーーーン!!!
こんな話ってあるぅ?こんな運命ってあるぅ?こんなことで大当たりぃ!てか?
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びょーびょーと泣く私にココんちの仏蘭西びと♂が「また行きゃいいぢゃーん」と、ボソ。何事も「せ・ら・ヴぃ。おんヴぇは。C'est la vie, on verra 」の国のヒトですもんねー。あたしゃ「死ぬのは未練たらたら、一寸先は闇よ」の国のヒトだからさ、この運命、恨むよぉおお。(T□T) 
もうこんなハズレの巡礼旅行なんてどーでもいいやと延々と続く旅行説明会も上の空で、今宵の夕食をどうしようかと西日が入る窓の外を眺めていたりしましたが、説明会の最後になんだか添乗員のマダムが入口近くに積み上げられたダンボール箱からごそごそと取り出し、参加者全員に配布し始めたのでした。それが次から次に私の膝に積み上げられましたが、こんなもの ↓ 。
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お揃いのデイパックに、スーツケースにつけるネームとシール。そして、ローマ市内の教会説明書(15ユーロもする!)、3月全日分の典礼が掲載された本(3.90ユーロ)に、巡礼日程中に利用する聖歌集です。い、い、い、
いらんわ、こんなもーん ヽ(`Д´)ノ
しかも、我が耳に入ってきたのはローマ滞在中はお揃いの黄色いスカーフを着用のこと。ずぇ、ずぇ、ずぇったいやだあああ ウワァァーーーー。゜(゜´Д`゜)゜。ーーーーン!!!
死んだ母がそんなもんを着用する子に育てた覚えはないって泣くぅうううう。・・・と妄想したいくらい、そーゆーのが苦手な私だったりします。だっさー。黄色で何か特注だよなあ。横ではポケット一杯の新品デイパックに大喜びのココんちの♂やら嬉しそうにいただいた物品をデイパックに要領よくしまうぢっつぁま、ばっつぁまの様子が我が目にゴロゴロ入ってきました。デイパックに刺繍されたロゴをよく見れば、しっかり十字架があしらわれており(それも2つも)、これではきょうび耶蘇小学校低学年用ランドセルではないか・・・・_| ̄|○ 勘弁シテクレイ。

何せ海外旅行に慣れない仏蘭西びとの中でも、今回の参加者は仏蘭西観光ガイドにも掲載されていないほどのクソど田舎地方の土に返る人々の集まりだからして、6泊7日の参加費用は高いと言えど、集合直後から解散までお財布を開かなくて済むようになっています。全食事つき、自由時間なんてほとんどありません。流石、お仏蘭西。Club Med スタイルが愛される国だべ。参加者は同じラベルを貼ったブロイラーのようです。
ふっふっふ、久しぶりに風紀違反を楽しめる予感がしてきましたねー。ワクワク。
で、この旅行説明会の最後の最後にとどめの一発がありました。そ、れ、は、
旅行初日の集合時間が 午前3時30分

ヴぁ、ヴぁ、ヴぁっきゃろーっっ!にゃろめーっっ!尋常でないわいっ、ヴったぎってやるぅうう! ヽ(`Д´)ノ


と、瞬時に怒髪天を突いたのはどうやらソコに集う唯一のガイジンの私だけだったのでした。くそド田舎の農耕民族やらパピィ・マミィ(祖父母)どころかペペ・メメ(曾祖父母)年齢のぢっつぁま、ヴぁっつぁまにとっては午前3時半なんてありがたい時間なんだべなあ・・・・。しかも、会合が閉会したら次々とぢっつぁま、ばっつぁまがあたすら♂♀の前に現れて「あんたら一番若いから、巡礼中は大活躍だねぇ」という予告編。会合中に巡礼旅程中のミサにおける聖書朗読や先唱のお手伝いが募られた時は皺がハレーションするほどの輝いた子供のような顔で挙手していた連中がだよ。それ以外の大活躍って何よ?....ま・ここっつぁんの脳裏にはかつて参加した教区主催ルルド巡礼であのシャリオ(重病者を運ぶ荷台)を80歳を過ぎたマダムと引くお手伝いをし、結局、心臓病を持つマダムを庇うあまりま・ここっつぁんが一人であのシャリオを引いて丘を上り下りした記憶がフラッシュしたのでありますた。
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↑ ルルドの商店街の路地で JPII にばったり ↑

さてさて、どうなりますことやら。ヂャウ・ハランバン夫人、まもなくローマに参ります。

le 6 mars 2009, Colette
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by ma_cocotte | 2009-03-06 16:42 | 『巡礼』 Rien de special | Comments(10)
ヂャウ・ハランバン夫人、またもつかまされちゃったの巻
2週間ほど前、まい・こんぴーたがトロイさんの来襲によってぶっ壊れ、突然昇天してしまい、相当量の写真を失いました。諸行無常の響きあり。んなわけで、以下のことをボヤくのを忘れるところでした。

この秋の復路は前回同様、午前7時過ぎに実家を出、9時半頃に成田空港着、諸手続きを済ませ、免税店を冷やかして11時過ぎに搭乗、お昼前に離陸して同日16時半頃にパリ着。空港内を電動豆電車で移動し、空港内の国鉄駅で待つこと2時間ちょい。19時過ぎのTGV(超高速鉄道)に乗り、乗換駅に21時半頃着。約15分後にココんち地元駅に止まる特急列車に乗り、22時半にココんち地元の国鉄駅に到着という旅程でした。当時、日本との時差は7時間でしたから、日本時間の翌日午前6時頃にココんちの玄関の敷居を跨いだことになりますでしょうか。

ココ新天地に引っ越して2年ちょい。いろいろあって半年のうちに二度もこのド田舎と日本の間を往復したことになりますが、前回、初めて花の都パリまで国鉄を利用する経験をし、21世紀に入って8年になるのにまだ仏蘭西の国際空港には荷物を預ければ地方都市に宅配してくれるシステムがないことを知りました。シャールル・ド・ゴール空港の案内のおねいさんに質問したら、「あーた、ここは成田ぢゃないんだから。ほーっほっほっ」と高笑いされたことで、今回の一人旅では機内にも持ち込めるサイズのスーツケースを使うことにしました。そうしないとね、国鉄駅構内や車内での移動が大変なことになるのです。
そのスーツケースも往路の13kgちょいに比べれば軽かったとは思いますが、やはり列車の荷台にひとりで乗せるにはビヤ樽なヂャウ・ハランバン夫人でも「んはっっ」と無意識のうちに気合の声を上げたり、あげようとして樽がよろけたりしてしまいました。情けないことに荷台に乗せる時も、荷台からおろす時も臨席のメッシュウが手伝ってくださいました(荷台に乗せる時とおろす時は別のムッシュウだったのです)。まあ、この状況を見ぬふりしたところで、万が一、頭上にわたすのスーツケースが落下して来たら大変なことになります(往路で既にヂャウハランバン夫人はそれを未遂しています)。兎にも角にも別れ際に「Au revoir いつかまたお目にかかりましょう」と互いに言い合ったところで会う確率はほぼ0に等しいにも関わらず、おぢさま方の心遣いに感謝なのでありました。

さて、時空を超える旅の間は機内でビヤ樽がブロイラー状態なわけですが、着陸一時間前に恒例の食事をいただいたものの、仏蘭西に着いた16時半からココんちに着くであろう23時まで何も口にしないわけには参りませんので、空港内国鉄駅構内にある某店でサンドウヰッチと飲み物のセットを買いました。確か6ユーロなんとかサンチームだったと思います。夫人の財布の中にはユーロ札とサンチーム銭(←いわゆるpièce jauneですな)が入っていたので、10ユーロ札と小銭を添えてお店のおねいさんに渡しました。レジがチン!と開いて、おねいさんが夫人の掌に扇のように2ユーロコイン一枚と1ユーロコインを二枚置きました。仏蘭西の国鉄駅というところは過去も今もいつも世々に至るまで物騒なところですし、右手にサンドイッチセットを持ち、背中にリュック、足元にスーツケースという現状ではもらったおつりをさっと握り締めて、パッパッパと機敏に動かなければ餌食になってしまいます。ヂャウ・ハランバン夫人も他人から見ればとろかったかもしれませんがそれなりに動いて駅構内のテーブル付のベンチに戻り、十数分後でしょうか、小腹が空いたところでサンドウヰッチをつまみ始めました。飲み物はミネラルヲーターを選んだので、これはその場で飲み切らずに列車内でもちびちび飲むことにしました。ふと夫人が目を遠くに移すと珈琲の自動販売機がありました。仏蘭西での自動販売機の珈琲はあなどれないと言うか、必ずしもインスタントではなく挽いた豆から抽出した珈琲だったりして美味です。時差もあってトドなビヤ樽にも眠気が襲っていたので、気付け薬代わりに濃い珈琲を飲むことにし、財布の中から一ユーロコインを取り出して自動販売機に食べさせました。が、コインを自動販売機の口に入れて飲ませたところで、すぐに下からチャリーンと吐き出してしまうのです。これを夫人は二度繰り返したでしょうか。自動販売機から銀色に金色の縁取りがなされたコインを取り出し、凝視してみると、なんと中米の某国のコインでした。まるで1ユーロコインなのに実は1ユーロではありません。久しぶりにやられました・・・・。さっきの今、今のさっきですから、サンドウヰッチを買ったお店に戻り、私に応対したおねいさんに抗議しました。最初、うすらとぼけられましたが、こういう状況に陥った時にはお仏蘭西ではよそさまの店員にも客人にも聞こえるように「でも、あなたが私に渡したコインだっぺ」と言い返さねばなりません。こう言ったところで、聞こえた方々は次は我が身かと眉あたりがひくーんと動きます。店員のおねいさんは別の店員さんがレジを開けた時に改めて別のコインを取り出し、私の手に乗せました。私はおねいさんに1ユーロコインが中米コインであることで交換することを求めたのに、私の掌に乗せられたのは50サンチームコインが二枚です。他人さまを疑ってはなりませんが、偽1ユーロコインが本物1ユーロコインで戻っては来ずに50サンチームが二枚となって戻ってくるという感覚。怪しすぎです。

まあ、ヂャウ・ハランバン夫人におかれましてはこれが初めての釣銭トラブルではございません。かつて南仏に住んでいた時、某巨大スーパーのレジのつり銭に偽1ユーロコインが混じっていたことがありました。南アジアの某国のコインでした。もしかして偽コインをつかまされた店員の方もワケあって、自分がつかまされたコインを自分の釣銭箱から追い出したいので手段を選ばないのでしょうか?
私がつかまされたコインですがEU内の1ユーロコインと外見も大きさも厚さもそっくりの偽1ユーロコインではありますが、欧州では偽1ユーロコインであっても中米の某国や南アジアの某国では正式な通貨なのですよ。この2国の通貨単位は国際通貨ではありません。そのせいでこれらの国々では1ユーロに瓜二つの通貨を造れるのでしょうか。こんなことほおっておいてよいものなのでしょうか。わがウズラな良心の声を聞くならばそんな「なんちゃってコイン」など造っちゃいかんと思いますし、こういう悪行を見過ごすのも国際的視野で良いことには思えません。いや、そっくりの通貨を造っている諸国は悪行をしているつもりなんてありませんよね。多分、maybe, perhaps, probably...。んで、いつもの J'uis innocent と口にしてばっくれるんかいっっ。ざっけんなー。

ほほほ、失礼いたちました。
みんなたちもお気をつけあそばせ。小額とは言え、お金で泣くことはよろしくありませんことよ。

le 28 novembre 2008, Catherine Labouré
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by ma_cocotte | 2008-11-28 05:10 | 『旅』 Rien de special | Comments(14)
おっおーっ、ターカラっ
ヅカぁ、T A K A R A Z U K A 060.gif070.gif060.gif071.gif060.gif
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開かずの押入れから出て参りました。
そして、開いてヴぃっくり。
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毬谷友子さまに、一路万輝さまですぞ。

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入団まもなくでありましょうか。イチロマさまは「真輝」に改名する前でおぢゃる。

こちら↓、ツレちゃんはいらっしゃいませんが、お懐かしや。



このビデオの5分過ぎから「おお、宝塚」が流れますが、この中の TAKARAZUKA をアルファベットで読み唄うところ、難しいと思いませんか?それにしても、
小さな湯の町 タカラヅッカ に行きたいわあ。
le 9 octobre 2008, Denis
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by ma_cocotte | 2008-10-09 19:23 | 『いいね。』 Chouette! | Comments(14)
ヂャウ・ハランバン夫人、フランスを出て、日本に行く前にフランスに戻るの巻
TGVの空港駅で偶然出会ったエストニアからのローマンカラーズさまに 旅まるごとを祝別していただいた ヂャウ・ハランバン夫人は、そこから空港内の目的地に連絡電動豆電車に乗って移動することになりました。その車内に、数時間前の乗換駅から空港駅までヂャウ・ハランバン夫人の隣席にいたマドモワゼルがおりました。ヂャウ・ハランバン夫人が乗換駅でTGVに乗り、着席する前にトランクを棚に乗せようとしてよろけたところにさっと手を差し伸べてくれたのがこのマドモワゼルでもありました。もちろんフランス語で彼女は夫人に温かい声をかけてもくれましたが、彼女の見た目の第一印象がフランスびとというよりアイルランドびとっぽかったことがヂャウ・ハランバン夫人にとっては新鮮でもありました。数時間の隣人ではありましたが、その時の流れの間にこのマドモワゼルがオーストラリアのパスポートを持っていたり、英文の本を読んでいることがわかりました。こうして同じ豆電車で再会したのも何かの縁かもしれません。TGVの中で助けていただいたことのお礼を述べつつ、フランス語も英語も流暢なんですね?とヂャウ・ハランバン夫人はマドモワゼルに話してみました。すると、マドモワゼルがご自分の父上が仏蘭西びとで、母上がオーストラリアびとであること、更に現在父上は仕事でイスラエルに在住し、母上はパースに住み、ご自分はこれからシドニーの大学寮に戻るところなのだと説明してくれたのでした。その説明を一分未満で聞いたにも関わらず、ヂャウ・ハランバン夫人は地球を一周した気分になってしまったのでした。そして、一つ屋根の下で作られた一家族なのにこのようにグローバルな感覚があることも、決して自分の物差しでは計りきれるものではないことを改めて実感したのでありました。

本当に再会できるのかは神のみぞ知ることですが、互いに「オ・ルヴォワァ Au revoir」と挨拶し、シンガポール航空でシドニーに戻るマドモワゼルとヂャウ・ハランバン夫人は別れ、自分が乗る航空会社のカウンターに行き、手続きを済ませました。その時、先程TGVの中でヂャウ・ハランバン夫人が「人間おきあがりこぼし」と化す原因となったトランクを秤に乗せると、どうも規定より数グラムほどオーヴァーしているようで、受付のおねいさんが機内持込はできないことを告げて来ました。そこをなんとかゴリゴリして、ヂャウ・ハランバン夫人はトランクをひっぱりつつ、出国手続きをし、免税店を冷やかし、ながーい動く廊下を過ぎて、機内持込手荷物検査となりました。この検査を済ませれば、搭乗時刻を待つのみになるのです。

と、こ、ろ、が、荷物、あのトランクにクレームがついてしまい、蓋を開けての検査になってしまいました。検査官さんたちが問題と指摘したのはコレ(↓)でした。
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日本風に言うと「栗餡」の缶詰、フランス風に言うと「黒粒粒ヴァニラ入り栗ペースト」の缶詰です。これがヂャウ・ハランバン夫人のトランクに2缶入っていました。未開封の缶詰であっても、中身は液体扱いになるので機内持込は禁止。もしヂャウ・ハランバン夫人がこの場でこの2缶を諦めれば隣の待合に行けますが、もしこの缶詰を諦めたくないならば
はじめの一歩からやり直せ
と、言ってきやがりました。この場合、「はじめの一歩」は航空会社の受付カウンターになります。あそこでこのトランクを預ければ、缶詰も日本に持っていけるよ、とおっしゃるのです。ただし、はじめの一歩に戻るまでにあるいくつかの警察やら関税審査官との交渉は自分ひとりでやれ、と。この機内持込手荷物検査に至るまでの長い道程や、退屈な行列待ちや、面倒臭さを振り返ってしまうと、ええいっ!こんな缶詰諦めてやるっ!とも思いましたが、こういう困難に向かわず楽を安易に選ぶのはそそのかしのようにも思えたし、搭乗時間までかなりの時間的余裕もあったので、ヂャウ・ハランバン夫人ははじめの一歩からやり直すことにしました。思い起こせば、数グラム超過しているという事実に素直に従えば、こんな思いをせずに済んだのです。この事実は天罰か、はたまた世の中がそんなに甘くないことを天が我に教えてくらしゃったのかもしれません。

はじめの一歩に戻るまで警官やらに説明するのは気が重くもありましたが、はじめの一歩まで戻ってトランクを預け、数十分前に既に通ったルートと、同じ関門を潜り抜ける作業を繰り返すことになりました。最後の関門はもちろん手荷物審査でしたが、今度は荷物には問題なく、ヂャウ・ハランバン夫人そのものに びーっ とブザーが鳴ってしまいました。奥から体格の良いサツのおねいさんが現れ、ボデータッチが開始されました。ゲンナリです。確かにヂャウ・ハランバン夫人の旅はローマンカラーの神父さまに祝福されたはずなのに、フランスを出国して日本に行く前にフランスに戻るという不思議体験をすることになってしまいました。

でもね、これを繰り返したことで、ヂャウ・ハランバン夫人は偶然にもン十年来の友人の妹に出会い、その後、成田まで彼女と二人、時を忘れるほど楽しい旅を続けることができたのでした。

こうして、栗餡缶詰のせいで不思議体験したにも関わらず、栗餡缶詰のおかげで懐かしい友と再会できたヂャウ・ハランバン夫人でした。・・・変なの。

le 7 octobre 2008, Auguste
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by ma_cocotte | 2008-10-07 17:28 | 『旅』 Rien de special | Comments(15)
初秋の、そぼふる雨の中、
と或る駅で降り、
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この乗り物に乗り換えて、某所に参りました。

時間を追うごとに雨足が強まっているのに、ヒト、人、ひと。
しかも、月曜日なのに子供がうぢゃうぢゃうぢゃ。これには、ビビデバビデブゥでした。

オバさんのド根性で、雨ニモマケズ、風ニモマケズ、夢の世界を転がり続けましたが、しばらくするとどうも靴が重たくなってきました。天気予報で雨と予報されているのに、革底の靴を選んだ自分にようやく気づき、飛び込んで買ったのがコレ。
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ちょぉおおお、かわゆぅううううううい。


その場で靴を履き替えて身を軽くして、秋雨に濡れて参って、コレを食べたのでした。
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・・・・う、うまっっ。

いろいろな事情でしばらく販売されていなかったらしいこの食べ物が再開していたのでした。夕方には胡麻チュロスも食べました。抑えるところは抑えた、ぞっ、と。

夢の国の時の流れは遅いのか早いのかわかりませんが、我が身を例えるならば「不思議の国のアリス」のうさぎさんであります。
Mon Dieu, mon Dieu, je n'ai pas de temps!
ああ、時間がないっっ!
腕時計をはめていたのに、時間を忘れ、気づけば滞在12時間。
「せっかくの日に雨降りで残念だなあ」とボヤいてくれた留守番の父に、おみやげはコレ。
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おブラックおペッパー味の パップコーン だす。

これは、うまま щ(゚Д゚)щ  お酒飲みには麗しの美味つまみざますよ。

こうして、非日常は半日ではありましたが、ヂャウ・ハランバン夫人は幸せでした、まる

le 30 septembre 2008, Jérôme
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by ma_cocotte | 2008-09-30 09:25 | 『旅』 Rien de special | Comments(4)
おいしうございました、なのだ。
これは、それは、おいしうございました。 げふ
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もそっと、ちこう寄ってみませう。
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想定外のご馳走でございました。

先の日曜日、母の納骨が、母の生前の性格とそっくりな気まぐれ天気の下で滞りなく行われ、その日の夜からかつて母が元気だった頃のように、就寝時には全室の電気をきちんと消灯するようになりました。母が実家からいなくなって、ひとつ屋根の下のけぢめがついたものの、父の心のうちではまだけじめがついておらず、彼岸のうちに仲人夫妻の墓前に母についての一連のことを無事済ませたことを報告することで夫としてのけぢめがつくと決めていたようでした。母の帰天後、残された父を案じてか、かつての会社の仲間からの誘いにも「妻の納骨が済むまでは控える」と返事していたようで、繰上げで一周忌も済ませたこともあり、この彼岸明けから父は少しずつ老人なりに社会復帰するつもりなのだそうです。

幼少期を親から離れて山奥の豪雪地帯の疎開先で過ごした父は、どうも思いつきでぶらりとどこかに寄ったりするのが苦手なようでしたが、こうして愚娘が戻ってきていることですし、仲人の墓参帰りに寄ったのが東京都内の某デパートで開催中の「秋の大北海道展」でした。その会場で見つけたのがこのお弁当です。

ここに寄ったことで、当初寄るつもりだった線路向こうのデパートに寄るのを止めた父。愚娘がその理由を聞いたら、ライバル店舗の紙袋を見たら気を悪くするだろうと思ったのだそうです。夕食の席で、「うまい、うまい」とこのお弁当をほおばりながら、「ああ、良かった。これで一安心だ」ばかりを父は繰り返しました。母の納骨の日の前日、父は熟睡できないほどだったので、こうして仲人への墓参も済ませて、ある種の達成感みたいなものを感じているのかもしれません。ビールもひさしぶりに美味しく飲めたかもしれません。

一夜明け、きょうはま・ここっつぁんが持ち帰った半生パンにハムとチーズを乗せて焼き、「美味しい、美味しい、おいしかった」と、塩っぱくて重い、かりかりもっちりのパンをほおばった父でありました。もちろん巨人×阪神戦を見ながら、です。父にとって、
巨人軍は永遠です。
なのです。長島さん、命。巨人のみなさん、頑張ってくださーい。

le 27 septembre 2008, Vincent
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by ma_cocotte | 2008-09-27 20:51 | 『旅』 Rien de special | Comments(4)
ヂャウ・ハランバン夫人の「眼々が福々」の巻
さわやかな青空が広がった9月24日、
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ヂャウ・ハランバン夫人は生まれて初めて大相撲なるものを観戦したのでありました。
国技館に入館するため列に並びますと、ブースの中には
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ヂェシィ高見山さま

高見山関はヂャウ・ハランバン夫人が子供の頃のスゥパアスタアでありました。お忙しいでしょうに、満面の笑みで、笑いをさそうようなことをおっしゃり、握手までしていただきました。ヂャウ・ハランバン夫人のすぐ前には赤ちゃんを抱っこした方がおりましたが、親方は赤ちゃんのもみぢの手をとって握手。・・・・・・ぶるん、ぶるんと・・・・赤ちゃんの腕があんなに動くとはヂャウ・ハランバン夫人は知りませんでした。

ヂェシィ親方が教えてくださった場所を抜け、
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ムッシュウの後ろに従って参りますと、
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やがて、目の前に広がるこの世界、
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想像していたより土俵が小さく見え、驚いたヂャウ・ハランバン夫人なのでした。

・・・・さてぇ、
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by ma_cocotte | 2008-09-24 23:02 | 『旅』 Rien de special | Comments(8)