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思うことあれど、

超猛烈ウルトラ神経質なあてくしは今日の朝2時半に目が覚め、よろよろとこんぴーた部屋に移動し、上智大学での教皇様のディスクゥルをYouTubeで拝見し、その映像の最後に大、大、大好きな神父様が登場したので、今日一日、私はしゃーわせだわあ、とそのまま横になりもせず、猫さま方に朝のお食事をうやうやしくさしあげまして、まっ、今って感じぃ?

上の、添付の記事の最後にあるとおり、教皇様におかれましては
日本時間26日午前11時43分に離陸。ローマへの到着は、イタリア時間17時05分頃を予定」
しているそうなので、今宵、教皇様はヴァティカンに戻られる前にサンタマリアマッジョ~レに寄られるのだろう、と拝察しております。フランシスコ教皇様の3泊4日のご滞在について、こんなあてくしでも思うこといろいろ上下左右にございますが、少し思い巡らしてみたところ、今はココには書かないという(つもりになっております。今は、ねw)ほんぢゃ。どうぞよい一日を。(こちらはまだ午前7時半過ぎで、外は真っ暗なのでした)ただ、ちょっとひとつだけ。電脳域での国境を取っ払った伝言ゲームのせいなのか存じませんが、教皇様来日中のもろもろについて本当でない情報が日本語で公になっていて驚きました。事実確認してから言の葉にして送信した方がよろしいのでは・・・。余計なお世話だし、他人事ですわね。しーらないっ。

le 26 novembre 2019, Innocent





# by ma_cocotte | 2019-11-26 15:38 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
あばよっっ
久しぶりにかなりアタマに来て、かなり落ち込んでいます。
昨日、カトリック教会の中でかなり酷い目に遭った。
私がこの教会聖堂で主日ミサのための生け花の準備を手伝うようになって一年半が過ぎ、しばらく前からココんちの仏人♂から「あなた、もしかしてあの教会で悪用されてない? 奴隷?」と質問されるようになってもいましたが、あんまり悪いことを考えたり、想像したりしたくなかったし、何より久しぶりにお花に関われるのでありがたく、毎週金曜日に花の準備にその教会に通っていたのですが。

まあ、細かい話はココではしませんが、話のどん詰まりはココんちの仏人♂のおっしゃるとおりで、私はその教会のおフランスびとびとにとって遠いアジアからやってきた哀れなオンナで、召使として扱われていたワケです。もちろんその教会と私の間に一銭たりとも給与が発生していないので、これまたココんちの仏人♂が言った「奴隷」の方が「召使」より合っている気がしないでもありません。

そう感じ取ったら、ガイジンの私は黙ってこの教会から距離を置くのがよろしいので、表題のごとく「あばよっっ」なンであります。

しっかし、なんだかなあ。

この教会は司祭不在。つまり、小教区の司祭館に住む司祭が順番で訪問し、ミサをささげてくださる教会なので、世俗のみで教会が生きています。その世俗にはシスターもブラザーもいらっしゃらず、世俗のみが知恵と希望を出し合って、それを実現しているのです。だから、その司祭不在の世俗だけの運営が数年続いている今、本当ならば平等であるはずの世俗が「命じられる者」と「命令を下せる者」に分かれてしまっており、なぜか命令を他人に下せる方々がご自分の思い通りにならないと癇癪を起し、それがいじめにヘンゲするのです。

ひとつ前だったか「従順」と「服従」は違うとココに私が書きなぐった記憶がありますが、まさにそれで、おいおい、あんたら私に服従を強いていませんか?と質問したくなる状況にあちきが追い込まれたのでした。で、確かそのひとつだか二つ前のエントリーの〆に傲慢に要注意とタイプしたけれど、まぢ、それw 
一年半の間、彼らと関わってきて、明らかにヴァティカンの「ミサの総則」に反することを私に次々と命じてくるようになり、おそらく私ももし知らなかったら彼らの命令に従ったかもしれませんが、既に「ミサの総則」を知り、読んでいる以上、「申し訳ありませんが「ミサの総則」には〇×とあります」と話すと、「そんなの知らない。私の言うことが聞けないの?」と詰め寄ってくる。この繰り返しが何度も続いて、こちとら、ココの教会はカトリックと名乗っていてもヴァティカンとつながらないプロテスタント教会なのかなあ?と思うようになりました。しっか~も、私にとって彼らのものスゴイところは、彼らにとって私は「カトリックでない異教の国から来たくせに、自分たち先祖代々のカトリック、フランス人に向かって何を言う」という根が心の中にあることです。これを傲慢と言わずに何て呼ぼう。

きょうびインターネットなんちゅうものがあっても、そんなもんは横に置いて、イタリアと隣国、しかも地続きなのにカトリックとして迷走しているフランスびと、猛烈に哀れすぎるのですが。どんなに遠くても、何かわからないことがあれば、神父様に伺う、自分で調べたとしてもきちんと神父様と照らし合わせて導いていただくという行いを守っているイタリアから遠く離れた決して金髪碧眼でないひとびとの霊魂の方が天国に近い気がしてなりません。
カトリック教会の敷地の中で「ヴァティカン? ミサの総則、なにそれ? あたしの言うことききなさいよっ」ってよく口から声に出せたものだなあ、と感心。もう、オシマイ。おそろしや、おそろしや。あばよ。あー、すっきりしたw


le 27 octobre 2019, Antoinette

# by ma_cocotte | 2019-10-27 19:22 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
「服従」と「従順」は異なる。
不思議なンですが、電脳域とは言え、この七日未満で複数の場所で、複数の方が仏蘭西語の l'obéissance (英語だと obeidience)を「服従」と和訳して語られており、その話題の共通点には「カトリック(教会)」が絡むので、正直、脳ミソつるつるのまったくインテリではない自分ながら単純に「それ、違うンぢゃない?」と思ったのでした。

と言うのも、l'obéissance という仏語はごミサの式次第やら典礼文に滅多に登場しない(なぜ滅多に、なのかと言うと、叙階式や誓願式にこの語は必ず登場するから)けれども、例えばどこぞの教会の同じ敷地にある聖堂ではなく司祭館やら信徒会館ではかなりの頻度でこの語が聖俗信者の口から飛び出ているからです。でも、それが聖職者の口から出ようが、世俗の口から出ようが「服従」ではなく、あくまでも「従順」です。正直、カトリックの世界に「服従」はあってはならない。もし「服従」がヒトとヒトの間、輪の中に発生すると「教会」は天国とは異なる世界を我々の目の前に表し始めるのです。となると、主祷文で私たちが唱えている「みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。」から遠ざかっていくことになります。

そんぢゃ、「従順」って何よ?となりますが、
従順は、何を言われても盲目的に従うという意味ではありません。軍隊で上官の命令に従うこととは違います。修道会や在俗会をとおして、神の望みを実現するために生活を捧げているのですから、会の中で個人がどのようにその目的に貢献できるかについて、よく識別します。自分がどこでどのように働けばよいかについて、会の中で充分に話し合うことが必要でしょう。長上が決めたことを実行するだけで、自分では何も考えないという意味ではないのです。しかし、意見が異なることもあるでしょう。その場合は、会の仕組みの中で、より大きな責任を持っている人、つまり長上の意見に、自分の考えを合わせることを基本とするのです。


です。服従は「何を言われても盲目的に従う」に近く、仏蘭西語だと soumission (à l'autorité) の方が服従の意味に近いでしょう。でも、残念ながら、日本国内で手に入る和仏辞書、仏和辞書でも「服従」と引けば、第一番に obéissance が紹介されています。その原因は「カトリック用語辞典」ではないからでしょうし、もしかしたら数多ある和仏または仏和辞書には最後まで見れば「カトリック用語」として「従順」を照会しているかもしれません。
この単語が何らかの形でカトリック世界に絡んでいるのであれば、カテキズムで引いていけば「従順」に導かれるわけで。服従という概念は天にも地にもあってはならんもの(というか、天には「ない」)。その証拠に、「カトリック教会のカテキズム」のコンペンディウム(=要約)の日本語版の索引で「ふ」を見ても、「服従」は存在せず、「不従順」は見つけられます。その「不従順」については「従順」をおさらいするように導かれています。
日本語は欧米諸言語とはまったく根が異なる言語なので、全く正しい和訳はまず存在しないでありましょうが、まったく概念にない単語をあててしまうことはいかがなものなのでしょう。(話ズレますが、「離婚」もカトリックの概念になかったのに、教会の外から持ち込まれてしまった、と説くひとは決してひとりではありませぬ)いずれにせよ、カトリック教会の内と外では異なる和訳もあるわけで。

まあ、以上、私が知る限りですし、この「服従と従順の違い」も逆メガホンで覗いて重箱の隅をつっついたようなものなので、地球上すべての知識ある方々から失笑されても毎度のことなンでありますが、そんな私にとっての
obéissance はカトリック教会の外だろうが中だろうが、上にあげた説明文を照らし合わせるならば【(ひとつの案について)よく識別し、充分に話し合って、実行する】です。これは私が息を引き取る瞬間まで意識していたい大切なことでもあります。ただ、気を付けなくてはいけないことは地球上のどこであろうと、「従順」はいとも簡単に「服従」に化けるということ。傲慢が原因で化けるのです。識別→話し合い→実行について面倒くさくても、「安楽」を選ばないこと、です。

兎にも角にも、傲慢には気を付けましょう。(これもまた、息を引き取る時まで私が何よりも意識し、心身に言い聞かせなければなりません)


le 21 octobre 2019, Céline



# by ma_cocotte | 2019-10-21 15:54 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
十月十日
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から二夜明けて、こんにち10月12日。
昭和に生まれ育った私には「10月10日」と見聞すれば、脳がオートマチックに「体育の日」と表します。いつからこの「体育の日」が10月10日という固定祝祭日ではなく、毎年10月第二月曜日と変更されたのかも知らないし、調べる気にも今はなりません。が、今年はその体育の日目前の第二週末にとてつもなく恐ろしいであろう台風が日本国の本州を襲うだろうと予報が流れました。昨日だったか来日するであろう台風に関連する詳細記事を拾い読みしていたら、私がこの世の日本に生まれてから一度も体験していないほど恐ろしい台風であろうことがわかりました。昭和33年に神奈川県に上陸した狩野川台風と同じくらいの恐ろしさと予想されているそう。私が子供だった当時、10月の二週目と言えば、9月の台風シーズンが過ぎ、毎日が秋晴れで、ほうぼうで運動会が催されていました。それが今、その10月10日あたりにこれほど恐ろしい台風が日本を襲うということは地球そのものが大きく変化したのでしょう。子供の頃にこういう様相の台風は亜熱帯で発生すると学んだ記憶があるので、今の日本が四季ある土地から亜熱帯に替わりつつあるのか、それとも既に変わってしまったのか。

私のような脳みそツルツル婆には想像のつけようがないと、想像が過ぎて、不安ばかり先に立ちます。そんな自分が情けなくなりますが、日本の私の実家には上皇陛下と同い年の実父が一人暮らししており、その家屋は昭和時代に建てられており、加えて我が父の性格も少しはわかっている自分としてはいっそう不安も募り、身も震えそうになりますが、今はココから台風が少しでも弱まること、誰もが無事に台風を見送れるようにと祈ることしかできず、申し訳なく思います。恨まれても謝るしかないべ。

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こういう非常時にヘラヘラしているひとを目の当たりにするのは正直、辛いし、むっとなりますが、彼らにとっては他人事だから仕方ありません。そう自らに言い聞かせられるようになったのも2011年を過ぎてから、という愚かな自分がむしろ嘆かわしいです。窓の外、そろそろと夜が明けて来ました。って、昨日は朝、西の窓の雨戸シャッターを開けようとしたらかすかに変な音がして、シャッターをあげるための何やらが空回り。午後一番で修理のムッシュウが確認したところ、すでに一度、応急処置していたこともあり、もうこれ以上の応急処置は不可能なのでシャッターすべてを新調するしかありません、と来たもんだ。っくぅううううっっ、痛い出費でありまする。でも、ココ新天地に引っ越して既に10年過ぎたのだから、家のあちらこちらにガタが来るのは当然です。雨戸シャッターなんて貧しいお宅だから・・・はい、そのとおりでありまっす。


le 12 octobre 2019, Edwin






# by ma_cocotte | 2019-10-12 15:41 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
Requiescat in pace
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le 30 septembre 2019, Jérôme



ぶりぢっと・まくろんのつけまつげ


# by ma_cocotte | 2019-09-30 19:32 | actualite 現時点の現場から | Comments(0)