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朕は5年で再建してみせる。


アホちゃいまんねん、パアでんねん(断言 とついうっかりつぶやいてしまったのはミーだけでスカイ?
同時に新約聖書の「荒れ野の四十日」での悪魔によるイエスさまへのそそのかしやら、旧約聖書でモーセがシナイ山頂に滞在している間に山の麓のひとびとが張りぼての金牛をこさえて「神々(←複数ね)」を礼拝してしまったことなど思い出しました(よく働いてくれた我が脳みそに感謝w) ゴーマン、恐るべし。

800年以上前に建築が始まり、増築、改築を繰り返して先の月曜夕方6時半過ぎまでの外見だったノートルダム・ド・おパリ。木組骨のほとんどを消失したあの大きな聖堂をたった5年で再建、しかも今まで以上に美麗に建て直すと断言されたマクロン共和国大統領閣下。たった一日でそう公言できるだけの根拠を集められたのですよねぇ。

で、マスコ¨ミはこの発言 (↑ 昨日午後8時過ぎからのナマ中継)直後から「本当に5年で再建できるのか?」と大騒ぎを開始。きょうの朝もその話題を未だ引きずっておりまする。

「金があれば何でもできる」という魂胆なのか、驚くことに火災発生から24時間後の昨晩には再建寄付金額が約700 millionユーロ、今朝夜が明ける前には既に約800 million ユーロとなり、おFrance 2なんぞは今週土曜午後9時からノートルダム再建のための寄付を募る歌謡ショーをナマ放送するンですと。・・・って、カトリックさんたちはその時間、地元の教会で開祭される復活徹夜祭にあずかってるよね。

きょうの朝は情報番組に歴史建造物を専門とする建築家が登場し、再建には少なくとも15年かかるだろう、という証言やら、CGを使って火災を再現し、支柱の内、少なくとも3点が損傷し、他の一見無事と目に見える柱や壁も約800度の熱に数時間さらされたとすると見えない部分がやられている可能性が高いという説明もありました。・・・だよねぇ。彼らはマクロンのように天下を取ってはいませんが、説明に信ぴょう性があるよなあ。いくら国家元首であるマクロン大統領閣下が「荘厳に」5年でこれまで以上に美麗なノートルダムを再建、実現するって宣言したってさ・・・そもそも美麗という表現が外見、つまりヒトの目に見える次元だから。浅はかっちゅうか。

昨晩は或るニュウス専門チャンネルのナマ討論番組にお若いカトリック司祭が登場し、「教会はイキモノですから」と発言していました。コレ、わかる奴にはわかればいい、深い意味あるひと言で、おそらくカトリック信者さんの中にはこうしてノートルダムが火災に遭ったのも天においては必然だったと悟って、それぞれの心身の歩を前に進めるンだろうなあ。いっくら火災当日の午後11時にマイクをむけられたマクロンがいきなり「私はカトリックです」と名乗っても、翌日にはたった五年で今まで以上に美麗な建造を再現してみせる、って、おいおいおい、となる。こんな発言で喜ぶのはノートルダムの存在でお稼ぎあそばしている方々でしょ。そもそも5年後ってパリ夏季五輪開催年ぢゃんね・・・Bof

昨晩はカトリックの司祭が何かちょこっと言うと、その数万倍の勢いと時間をかけて反論するおぢ(い)ちゃんニュウス解説者が同席していて、ひっさしぶりにモノホンのアテ(=無神というか非神かつ不可知を礼賛するヒト)を目の当たりにしてドン引きしたミーでした。おぢ(い)ちゃんの外見からして物心つくまではカトちゃんだったと想像したけど、あの根本どころか抜本的に要理アジャパーな諸発言と盲目的にヴィクトル・ユーゴーを出して神をギャフンと言わせると信じているあたり、真性のアテではないかと疑った。そんなキミでも息を引き取る瞬間まで回心の機会があるンだよ、まる



le 17 avril 2019, Kateri

# by ma_cocotte | 2019-04-17 16:10 | Comments(0)
Bof
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朝からチャンネルまわしても、フェイスブックをスクロオルしても、パリの司教座聖堂(ノートルダム)の火事の話題だけ。サ・スフィであります。

le 16 avril 2019, Benoît-Joseph

# by ma_cocotte | 2019-04-16 19:48 | actualite 現時点の現場から | Comments(0)
カトリック教¨会分裂の予兆でせうか。
昨晩から次々と飛び込んで来るこの話題。


ヌゥヴェル・アキテエヌ地方にはボルドー大司教区、ポワティエ大司教区という二つの大司教さまがおわします教区がありますが、ヌゥヴェル・アキテエヌ地方の北部に位置するポワティエ大司教区の長上様がこのたび、カトリック司祭の妻帯について賛成であると表明したのだそうです。

うへぇ。

あくまでもカトリック傍観者である私の冷ややかな眺めでは、ヒトが決めた国境を取っ払ったカトリックヲールドに生きるエラいお坊さんはもちろん、そういうエラい身分にはなることがないひとびとの中には相当数、「司祭の妻帯について《絶対》反対」と智を持って叫ぶ方々がいるので、どこぞの大司教様がフランス語だかなんだか知りませんけれども、兎にも角にも「司祭の妻帯について賛成」と公言したことはスキャンダアルになる可能性大かもしれません。

しっかし、カトリック2千年と数年の歴史において、教会分裂を連想される事件はアヴィニヨンと言い、ルフェエヴリストと言い、仏語圏で生じる率が高過ぎではないでしょうか。そうだからこそ、「カトリックの長女」と綽名されるのかもしれません。こんにち廃れつつありますが、長女=大姫さんの発言はどんなにとんちんかんでも絶対だったりしますものね。

・・・とはいえ、なんだかな。

ヴァティカン、どーなっちゃうンでしょー。


le 12 mars 2019, Justine

# by ma_cocotte | 2019-03-12 00:01 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
神の名をみだりに唱えることなかれ。
こんにちは木曜日。
3月第一週の後半に入りました。
先日、ココに書き散らかしましたとおり、今週前半はカトリックヲールドでの修道女が鍵語のスキャンダルでおフランスでは大騒ぎとなり、そして、こんにちは朝一番のニュウスからトップはリヨン大司教であるバルバラン枢機卿に判決がまもなく下る、というもの。そして、お昼手前にはフェイスブックの私のヲールには次々とバルバラン枢機卿におかれましては司祭による性暴行について報告を怠った罪で、執行猶予ありとは言え有罪と知らせが届きました。

午後になって、バルバラン枢機卿がヴァティカンにおわします教皇に辞任願いを届けたとかなんとか。

んで、今週の前半の「司祭による修道女への性被害」と今日から騒ぎになっているバルバラン枢機卿への有罪判決で、共通していることは司祭が青少年、修道女にやたら神の名を出して命令を繰り返しながら行為に至ること。さらに、映画にもなったリヨン大司教区でのペドフィルスキャンダルでは高位聖職者に事を訴えた家族、知人に対してもやはり「神(の恩寵)において」とかなんとか先ず口から出して、目の前で涙にくれる世俗を弱らせ、追い払う。

なんなんだよ、これ?

と、ついうっかりボヤいてしまう私がおり、そのつぶやきと同時に十戒の「汝、紙の名をみだりに唱えることなかれ」の一文が脳のどこかからよみがえったのでした。確か小学4年の時に生まれて初めて暗記しました。だから、「~なかれ」と当時の文のまんま、脳から出てきた。この十戒なるものはモーセが神からいただいた啓示で、ユダヤ教、キリスト教、イスラームで信じられ、大切にされているものです。キリスト教だけぢゃないのだよ。

で、話戻って、カトリックスキャンダールs。
どうにも聖職者がやたら「神」の単語を口から出すことに引っ掛かりを覚えます。「神」の名を出して、行為を「強いる」「命じる」の繰り返しって洗脳の方法のひとつではないかしら?と。でも、そーいや、私が耶蘇女学校に在籍していた当時はシスターがやたら「マリアさまが」と先ずおっしゃってから、あれこれせよ、それが善行よ~♪みたいな流れが慢性していたかも・・・。
もうひとつは今世紀のはじめだったか、南仏でユダヤんやミュジュルマんの方々と交流あったので、彼らが「カトリックはやたら神の名を口にする」と批判しながら、改宗に誘っていたことも思い出しました。今になって彼らの意見に「だよねぇ」と相槌打てる私がいます。ユダヤんも、ミュヂュルマンもその点に気を使っているひとびとは安心で、やたら「アッラーアクバル (神は偉大なり)」とか「エンッシャッラー (神に感謝)」をお口から出すミュジュルマンさんに警戒すること、多いものね。この二つのフレーズ、特に「アッラーアクバル」はイスラーム原理教条主義過激派のお決まり文句だもん。

兎にも角にも、次々と明らかになるカトリックスキャンダルを見聞しながら、正直、胸糞悪い、吐き気をもよおす感覚に襲われている私です。同時に次のスキャンダルの波はいつ、どんな内容なのだろう?と、早けりゃ来週はじめには新しいスキャンダルが明らかになりますね。今年のペースだと。

バルバラン枢機卿の件ですが、以前、どこかにも書き殴ったかもしれませんが、リヨン大司教区の上長として、俗世っぽく言えば部下の性癖を見聞したら、その部下を異動もせず、現職のままと放置したのは明らかにマズいことだと傍観している私の感想です。被害者の家族や知人または小教区のおエラいさんから話があったとして、それをすぐ公言せずとも、加害者と被害者の間に距離を置き、一生会わずに済むような人事も長上さまならできたでしょうに・・・と思うのですが、はい。バルバラン枢機卿の場合は聞いたところでなーんもしない、動かなかったそうで。そりゃ、ゆるされないよ、でしょ。

以上、尻切れトンボに閉めます。


le 8 mars 2019, Jean de Dieu

# by ma_cocotte | 2019-03-08 00:44 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
弥生の長雨 « giboulées de mars »
先週半ばまで連日午後には20度近くまで気温が上がり、それは「五月の陽気」だったそうで、ピレネー地方など最高気温が23度と予想された日もありました。が、2月に「5月の陽気」って、そりゃあ、冬を耐え忍んで春をひたすら待つひとびとにとってはうれしいもので、ココんちも連日、軽装で犬の散歩にウキウキ出てもいました。

でも、やっぱりそれは二月の異常気象であり、弥生三月に入ってまもなく天候は冬に逆戻りし、先の週末などココんちあたりはテンペスト、冬の大嵐でした。一度、その冬の大嵐が静まったものの、この週明け4日の夕方から今にも雷がゴロゴロと鳴りそうな空模様と空気の流れになり、以降、毎日、雨、雨、雨に風。ただでさえ、空き巣被害以降、気持が沈んだままなのに、ココ数日の風雨でいっそうどよ~んです。

今朝、耳にしたのは « giboulées de mars » です。ジブゥレ・ド・マアス、三月の長雨とでも訳しましょうか。
いつだったか、どこかで私がこのジブゥレについて長雨を意味する、とコメントしたら、ジブゥレは氷雨で間違いないと意見をいただいたことがありました。私が初めてこのジブゥレという単語を知ったのは、今の土地、ヌゥヴェル・アキテエヌ地方に引っ越してからで、南仏では聞いたことがありませんでした。なぜ現在の土地で「ジブゥレ」を知ったのか。それはたまたま数か月籍を置いた移民向けの語学校で11月を迎え、連日雨が続いたのです。その時、ポワティエからいらした先生がこの長雨をジブゥレと呼ぶと教えてくださったのでした。そして、今、こうして3月に入り、連日の雨。これをジブゥレと呼ぶのではなく、「de mars 三月の」をジブゥレの後に付けるそうです。


調べてみたら、giboulées de mars に対し、11月の長雨は giboulées en novembre と表すそうです。メモメモメモ

で、今年。
先週にはほうぼうのお庭のアーモンドやアンズ、さくらんぼなどの木が花を咲かせてしまいました。おそらく5月並みの気温が数日続いたことで幹が勘違いしてしまったのでしょう。こういう年の果実はおいしく実るのかしら?

ココんちのサクランボの木は朽ちてしまいましたが、二月の終わりから先ずスイセン、続いてクリスマス・ローズ、ヒヤシンス、ムスカリと次々に大地から顔を出し、花を咲かせています。長雨のせいでうつむきがちになりますが、こういう時は讃美歌の「主にまかせよ」の歌詞を思い出して自ら励まし、春を待つ。ん、そだねー。

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le 7 mars 2019, Félicité



# by ma_cocotte | 2019-03-07 01:33 | 『春』 Rien de special | Comments(0)