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+Da propitius pacem in diebus nostris+ 仏蘭西はプロヴァンスのはずれから西へ800km。ヌゥヴェルアキテエヌの北端の田舎に引っ越して十年になりました。相も変わらずその日暮らしです。


by ま・ここっと
私の大学生時代、なぜか私の周囲にはマルティン・ルーサー・キングの演説文やケネディ大統領の就任演説を英語で丸暗記し、独り言のように繰り返し諳んじているひとびとがいました。そういう方々に礼拝当番が周り、感話となればまたキング牧師、ケネディ大統領の演説文を用いての感話になります。まあ、こうゆう環境は北米宣教師が絡む新教校で散見されることなのだと察しています。

まあ、感話で彼らの演説を持ち出せるのは、その文中に「神」がちりばめられているからです。

その神って誰?となりますが、キング牧師だったらおそらく新教で信じられている神様で、ケネディ大統領だったらたぶん旧教で信じられている神様でしょうし、この拙ブログで十年ひと昔以上前にエイメリカ在住のユダヤ教徒日本人女性がアメリカ最高裁の建物の外壁は旧約の偉人の石像だけで囲まれているのだ、というコメントを頂戴した記憶もあります。旧約聖書はユダヤ教だけでなく、キリスト教、イスラームでも啓典だから、無神論者でなければかなりの率で「我らが共通の神」(だけれど、ユダヤ教では「神」は声に発してはならぬほどの高みに置かれております)が米国合衆国最高裁を守っているのでした。村の鎮守ぢゃなくて、合衆国の鎮守ね。

私個人は今でもアメリカ合衆国の独立宣言文(1776年)で神(正確には創造主)にふれた冒頭の一文に感動を覚えたままでいます。
これ ↓
人類の歴史において、ある国民が他の国民とを結び付けてきた政治的なきずなを断ち切り、世界の諸国家の間で、自然の法と自然神の法によって与えられる独立平等の地位を占めることが必要となったとき、全世界の人々の意見を真摯に尊重するならば、その国の人々は自分たちが分離せざるを得なくなった理由について公に明言すべきであろう。
われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ。こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づい て正当な権力を得る。
When in the Course of human events, it becomes necessary for one people to dissolve the political bands which have connected them with another, and to assume among the powers of the earth, the separate and equal station to which the Laws of Nature and of Nature’s God entitle them, a decent respect to the opinions of mankind requires that they should declare the causes which impel them to the separation.
We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happiness. -- That to secure these rights, Governments are instituted among Men, deriving their just powers from the consent of the governed

初めてこの文を知った時、やっぱアメリカって格好いいなあ、と拙く、単純に思いました。
そして、なぜ独立宣言文で「やっぱり」なのかと言えば、それを知るより前に耶蘇女学校の生徒だった時、ケネディ一家についての本を読み漁ったことがあり、ケネディ大統領の就任演説文も我がツルツル脳の片隅に今でも残っているからです。
コレ ↓ がその冒頭。

今日われわれは、政党の勝利を祝っているのではなく、自由の祝典を執り行っている。これは、始まりと同時に終わりを象徴するものであり、変化とともに再生を意味するものである。なぜなら、私は1世紀と4分の3世紀近く前にわれわれの先達たちが定めたものと同じ荘厳な誓いの言葉を、皆さんと全能の神の前で誓ったからである。
We observe today not a victory of party but a celebration of freedom--symbolizing an end as well as a beginning--signifying renewal as well as change. For I have sworn before you and Almighty God the same solemn oath our forbears prescribed nearly a century and three-quarters ago.

ケネディ家というのは世界に散らばるローマ・カトリックびとにとってスーパーファミリーだったから、信者でなくても耶蘇学校なんぞに通学しているとケネディ家について知りたくもなるのです。ケネディ家の長男(正確には次男)坊の就任演説の冒頭だけでぐぐっと引き込まれますが、この演説の〆もまたカトリック精神を体得したもんには超たまらん一文で、それはごミサの最後の派遣やら、大げさにも聖霊降臨直後に四方八方に散らばったひとびとの気持を連想できる・・・と私個人は捉えたのでした。
それが、コチラ ↓

最後に、あなたが米国民であれ、世界の市民であれ、今ここにいるわれわれに対して、われわれがあなたに求めるのと同じ力と犠牲の高い基準を求めてほしい。善良な良心を唯一の確かな報奨として、歴史をわれわれの行為に対する最後の審判として、神の祝福と助けを求めながらも、この地球上における神の御業を真にわがものとしなければならないことを知りつつ、われわれの愛するこの土地を導いていこうではないか。
Finally, whether you are citizens of America or citizens of the world, ask of us here the same high standards of strength and sacrifice which we ask of you. With a good conscience our only sure reward, with history the final judge of our deeds, let us go forth to lead the land we love, asking His blessing and His help, but knowing that here on earth God’s work must truly be our own.

惚れるわあ。
女学校時代のケネディ追っかけが原因で、我が学生時代はブルックスブラザースに身を包んでいたっけねぇ。そんな点しか真似しない私って当時で既に終わってたのでした。後になって、女学校時代のビールの泡ほどのカトリックについての知識だけでなく、新教に関わって牧師先生から聖書を教えられたり、礼拝に導かれたりもしたので、今となってはケネディのこの就任演説文を読むと、一見なんらキリスト教とは関係なさそうで、実は教えの根幹に招かれる鍵語がちりばめられているとあらためて見えてきたりもします。「始まりと終わり」はもちろんですが、ケネディ自ら「米国民であれ、世界の市民であれ、」と呼び掛けています。これもまた「ヒトが決めた国境を取っ払って」のキリスト教の宣教精神を連想できます。「善良な良心」はもちろんイコール「神」、これはひと昔前のカトリック要理本を見ればわかります。そして、「地球上で神のみわざをわがものにする」ってぇのは「主祷文」そのもので、「み旨が天に行わるるごとく地にも行われますように」ざます。ケネディのこの就任演説文のブレーンにはカトリック司祭や新教の牧師先生もいらしたのでしょうね。

代々、米国大統領閣下は短い歴史と欧州人に笑われながらも、必ず歴史を遡り、欧州諸国から独立した時に心を留め、今に生かします。だから、独立宣言文に神やら創造主が表れているので、こんな神なんぞ見つけることの方が難しい今でも合衆国では「神の名を出す」ことはタブーではないし、それがよく働いているのか「神の名をみだりに出すなかれ」の十戒のひとつも生きているように見えたりします。やたら「神」の名を出しつつ敵をこさえて国内統一を目論んでいるひとびとをいぶかれる良心がまだ生きているのかもしれません。いいなあ、エイメリカ。

あ、米国史上、おひとりだけ「神」の語を避けた大統領閣下がいらっしゃいまして、その名はエイブラハム・リンカアンです。
「神」にまったく頼らず、我々ニンゲンのチカラによる一致など、ゲティスバーグ演説から読み取れたりします。深く読んでみると、リンカアンさんは神を否定していると読めなくもありません。いひひ。

エイメリカの大統領就任式を見るたびに、なんだろうなあ、遠い昔の旧教やら新教の教育環境にどっぷり浸っていた当時を懐かしく思い出し、帰りたくなります。









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# by ma_cocotte | 2021-02-01 16:14 | 『?』なエイメリカ | Comments(0)


ががちゃんの胸にはオリーヴの枝を咥えた鳩。
これって、この4年間、私たちはノアの箱舟の中に閉じこもっていたのですよ、今、こうしてオリーヴの枝が希望と共に私たちのもとに届いたのです、さあ、解き放たれた私たちは四方八方にこの善き知らせを告げ知らせましょう、ということなのかもしれない・・・と私は今日の朝からこう妄想して、聖母が訪問した時のエリザベスの心中もきっとこういう喜びが躍っていたのだろうな、とさらに妄想にふけるのでした、まる

いやあ、めでたい。祝着至極。





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# by ma_cocotte | 2021-01-21 19:24 | 『?』なエイメリカ | Comments(2)

聖夜はココんちで。

2020年12月26日。ココんちあたりでは夜明けたところでそこいら中が凍てついた朝となりました。薄氷を滑って家に入る風も肌に痛いです。昨日の夕方は前日までの悪天候が止んだので、ココんちの邪横柄王くろヴぃす犬と農道を散歩。その時点で北風のせいもあって空気が冷たく、雪も予感しましたが、雪は降らず。せわしない年末の只中なのでちょっと安心しつつ、朝一番で犬と一緒に「きょうもお散歩できますように」と願いをかけてみました。

今年2020年、早く過ぎ去ったように思うのも、12か月のうち3か月近く「ほぼ自宅軟禁状態」だったせいでしょうか。今年は12か月でなく9か月という体内感覚なのかしらね。予定していたことも実行できないことがほとんどで、来年のことも余儀なく変更やら諦め、失効ばかりで心身によろしくないとつくづく実感しています。日本国内の自動車運転免許証の更新も諦めたので失効でござるし、同じフランス共和国内でも今週初めに突然SNCF(フランス国鉄)からメールがあり、来年3月に私が予約購入した新幹線の便が完全廃止されたので私の切符がもし交換不能とあってもSNCFは返金します、と書いてありました。ふへぇ。メールには往路についてしか書いていなかったのに、復路についても調べたら、そちらも既に廃番欠航。日も暮れて、地元の国鉄駅に飛んで行けば、窓口は既に閉店。翌朝、再び訪問したら、今度は電気系統故障で閉店。午後の訪問でようやく窓口で交渉することができました。ココは首都ぢゃないからねー。これが現実です。私のように県庁所在地のはずれに住んでいるだけでも国鉄駅まで2㎞ほどなので幸運と思うのが大切なことであります。

で、おクリスマス。
こちらもまた我が身の回りはそこはかとなく波乱万丈でした。
開催不可能だと信じていた地元のクリスマス市が期間短縮で営業開催になったことは運が良かったです。訪問してみると、一方通行厳守なので、屋外とは言え、日本のお化け屋敷のスタイルを思い出しました。次から次にお店訪問することでお化け屋敷とはツボちがいのワクワク感も楽しめました。万が一開催しなかった場合を想定して早くから例年のクリスマス市でのお買い物について代わりのお店も探していましたが、クリスマス市には私がいつも買い物するお店も出ていました。そのうち一店舗はバスク地方の農場からの出張店舗なのでもし出店しなかったら代替店探しが難しく「諦める」を覚悟でしたが・・・ただ、そのお店で買いたかった鴨肉のソシソンが今年はありませんでした。お店の若旦那の話だとこれもコロナのせいで今年は持ってこれなかったそうです。ううう、あの柔らかさも味も今年は我慢となりました。

そして、クリスマスを迎える日。
つまり、24日午後の日没以降。カトリックではこの日没から12月25日となります。ユダヤの暦と同じで日没から日付が変わるのねん。だから、「夜半のミサ」「朝のミサ」「日中のミサ」という表現になるンです。
ま、そんなことは横に置いて、ココんちあたりのカトリック教会(10か所ほご)と点在する聖堂(註:修道院や学校、病院など施設付ということ)では24日夕刻以降のごミサについて完全予約制で参列可能でした。小教区のホームページにミサの時刻表が掲載されており、条件に「予約」とあるのに予約方法が明記されておらず、それはつまり小教区に籍があれば日常で責任者もわかっているだろうからそちらに予約せい、ということなのですわ。ココんちのヒト二人は地元小教区に籍がないので、24日夕刻からのミサにあずかることができませんでした。その代わりなのか、なぜか25日のミサはいずれの教会聖堂も「予約なし」で参列できるとホームページで明記されていたので、ココんちの仏蘭西びと♂が午前11時からの日中のごミサにあずかりました。例年、12月25日日中のごミサは先立っての夜半のミサに比べると参列者はかなり少ないので「予約無し」となったのでしょうね。それでも、ココんちの仏びと♂は最後列の席を選びました。最後列だったら背後のひとの息が首にあたる可能性が低くなるからです(最後列だから背後にヒトはいないw)。

2021年はどうなるのでしょうね。
一年前の12月26日の私は2020年がこういう不自由な年になるなんて微塵も予想していませんでした。年明けて2月には3年ぶりに日本に里帰りすることが決まっていたので、そちらの計画でアタマん中一杯でしたが、結局、里帰り後、計画実現はコロナのせいで5割ほど。で、今に至る・・・。
今のあたしはあまり「不自由」と捉えず、いつか以前のように、と希望も持たず、この次元の中で新しい生き方を見出して良しとしよう、と思うようになりました。

2021年、善い年となりますように。

le 26 décembre 2020, Etienne




# by ma_cocotte | 2020-12-26 18:20 | 『?』なたわ言 | Comments(0)

参ったなあ、もう。

先週の火曜日の20時だったか、ジュピタアの生まれ変わりであらせられるマクロン閣下がテレビ演説をし、十月最週末に始まったロックダウンについて今後の方針を明らかにされました。その二日後の木曜午前にはカステックス首相を筆頭としてCovid19と社会に関係する複数の大臣がマスコミ記者を招いてのテレビ説明を実施。ココでは細かいことを書きませんが、ロックダウン解除については三段階方式で、条件付きであっても11月最終土曜日から商店の開店も認められました。
まあ、伝統においてはこの11月最後の日曜(正確には前日土曜の日没)から待降節第一主日を迎えることもあり、ひと昔前まではこの日曜前日からクリスマス商戦開始だったのでした。ですから、21世紀から19年過ぎているとは言え、共和国政府がこの日を商店再開解禁日にあてたのはわからなくもありません。条件は必ずマスクを着用すること、一店舗につき8平方メートルにひとりの割合でのみ店内に客を招くことができること、ただし、親子や祖父母&孫については複数のアタマであっても「ひとり」扱いという摩訶不思議で、ちょっと脳を振ってみれば「ああ、客の第一条件としてお財布ひとつが必須」だとわかります。感染予防ぢゃないわなわな。

そして、大統領さんからも首相さんからも「礼拝については30人まで」と発表がありました。これはカトリックだけでなく、新教諸派でも、ユダヤ教でも、イスラームでも、新旧関係なく仏教でも同じ条件です。聞いてすぐ、私はその直前に知った「8平方メートルにひとり」という条件をこの礼拝についての条件にもあてはめたし、ココんち周辺のいくつもの教会聖堂の広さも思い浮かべ、8平方メートルにひとりを照らし合わせると、ほとんどの教会では30名の収容は「できません」。そもそもどこかで私が書き散らかした記憶もうっすらありますが、今年に入ってCovid19の感染対策が施行されて以降、ココんちあたりの超ウルトラスーパーど田舎のそれはそれはシャビーな聖堂の世俗席の椅子にもひとつ置きに「座ってはいけません」と意味しているであろう大きな赤い×マークや、列においては一つ置きに通せんぼのテープが貼ってあっても、ココいら辺のひとびとはその✖マークの上にどっかり座るし、通せんぼのテープもまるで徒競走のゴールのごとく破って座ります。家族だったら乳幼児を抱っこしたり、愛する二人はべったりくっついて座ります。そんな現実ですし、ココいらの金髪碧眼のひとびとはマスク着用義務があっても鼻丸出しですし、自分の視界に他人が見えたらマスクをかけ、その他人とすれ違い終えたらマスクを外すなんてことは旧市街の外では常識です。で、その歩行に家族がいればしっかり手をつないで並んで歩いています。で、話戻って、教会聖堂の中。マスクをかけていれば大声で聖歌を唄うことがおフランスでは可能です。そして、すぐ上に書いた現実、自分の後の他人との距離感が必ずしも守られていないことを忘れないでいると、自分が聖堂の最後列に着席しない限り、ごミサの最中に誰かが自分の真後ろに席を決め、鼻丸出しのマスク着用で聖歌を斉唱したり、典礼文を唱えたりするのです。・・・自分の首の後ろ、襟足あたりにもなんとかジェルを塗った方がいいのでしょうかね? まじめに素朴な疑問です。

先週火曜、木曜の大統領さんと首相さんの演説もあり、先週土曜夕方、ココんち地元の教会聖堂では公開の主日ミサがささげられました。もちろん翌日日曜も、です。今回のロックダウン前まで、ココんち近くの旧市街では土曜夕に一か所、日曜午前に平均5か所ほどの聖堂で主日ミサがありました。ところが、です。先の土日は何しろ国父さまやらから「礼拝の参加者上限は30名」と条件がありましたので、土曜夕方には二つの聖堂でそれぞれ17時と18時半の二度、主日ミサがささげられました。野球に例えると「ダブルヘッダー」ですね。で、30かける4で120人。ココんちの仏人♂はミサ再開と知り、ココんちから最も近い聖堂の17時のミサにあずかりました。ざっと数えて24名の世俗がいたとのこと。そして、来週、同じミサにあずかりたいなら電話で事前予約をするように、とお達しがあったそうです。インターネットのミサ情報ネットで翌日曜のココんちあたりのミサについて調べたら、午前中、観想修道会の聖堂含めて11か所でごミサ、そして、驚いたことに午後も二聖堂で前日同じく17時と18時半のダブルヘッダーでごミサとありました。見ると同時に感動しましたねー。Covid19のおかげで主日に20回ほどのミサがささげられるンですぜ? 驚いた。

ところが、同じ週末におフランスのカトリック司教団が政府との約束と発表が違うので月曜午後遅くに会合がもたれるらしい、とほうぼうの新聞で騒ぎ始めました。結果、なんでもこの「礼拝の参加者マックス30名」の条件がなくなり、上に書いた着席やらマスク着用条件のみだか優先になるそうです。換気もミサが始まったら、扉を閉めるだろうから(偶然にもこの日曜から気温が急激に下がった)、換気なんて人が集っている間は「しません」です。

ったくねぇ。
「8平方メートルにひとり」の条件を礼拝にもあてて、ひとは必ずその8平方メートル四方の中心にいなければいけない、を最上優先条件にしていただきたかったです。でなけりゃ、大声で唄うひとのなんちゃらが首やら肩に見えないフケのごとくたかるぢゃろうが(と、ココいらへんで極道主夫、もとい極主夫道口調でどうかひとつw)

しっかし、デラ怖くて行けねーな。
恐ろしすぎる。
これで、同じ場所で誰かが感染したら、肌が黄色くて顔が平たいあたしが同席していた、って吹聴されるンだぜ?
違うだろ。マスクをかけたら鼻隠せよ。



# by ma_cocotte | 2020-12-01 18:04 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
ヒトがこさえた国境、身分を取っ払ってCovid19なるウヰルスが地球全体を覆っていると思われ、そのコーティングの下に位置する日本国では水際対策なるものを実行し、私のような日本国籍者であっても外国から日本に入国したら14日間隔離生活が義務付けられ、公共交通の使用の禁止も今なお続いています。というか、これから冬に入るのでいっそう厳しくガイジンを取り締まるのだろうな。私個人は来年はじめに運転免許証書き換えの義務がありますが、この水際対策もあり、日本への入国かなわず免許は失効、ほぼ決定となりました。悲しい。ずっとゴールドだったのに・・・しくしくしく。

偶然にも今年は二月から3月を跨いで4週間、日本国内におり、外出以外は自室にこもってテレビ見まくらちよこだったので、豪華客船やら市井でのコロナ関連あれこれを見聞し、おフランスに入国したらコロナなんてフランスには関係ない!の環境だったのでブルブルしていたら、数日後に政府がロックダウンを発表したのでした。今となると今年は4月まるごと、11月もほぼ丸ごと自宅軟禁状態だったので今年は12か月ではなく10か月なので一年早く感じているのかなあ・・・というか、どうにも季節感にズレを感じてならないのです。
おフランス国内のcovid19事情についてはあまりココで書き散らかしたくありません。それが今のところの我が心情。

何度も繰り返しますが、ココでいろいろつぶやけないあれこれが外野でできあがってしまった感があるのです。
ですから、こうも亀より遅いなんちゃらですが、実は亀は走ると早いのよね。

Covid19あって、いろいろとイラ、ムカっとなることも増える日々、ココんところで興味深かったのはエイメリカ次期大統領選挙でした。
私は共和党員でもなく民主党員でもないし、ガイジンだから投票もできないし、いや、抜本的に世界のどこへ行ってもあたしゃノンポリなので、今回のエイメリカ大統領選挙は単純に「トランプ以外。No more Trump」でした。政治の世界でなくても、ヒトは第一印象が大事と私は信じているので人相が悪いひとが苦手なのです。この点でトランプはアウトだったし、この4年間でトランプが外国に仮想敵をこさえて合衆国内の民衆をひとつにするというやり方は古いとしか部外者として見て捉えるしかできませんでした。トランプがもしエイメリカ国内の移民難民に不満があるならば、大金持ちのトランプが先祖の国に移住すりゃあいい、とまで思っていました。まあ、そう思っている時に、ココんちの地元の80歳目前の婆さんからエイメリカは欧州白人が創立した国で、それ以前にアメリカには「歴史がなかった」と断言され、吐き気を催したことがありました。なんと申しましょうか、金髪碧眼の本音というかヘドロを目の前で見た。それも汚臭も添えて・・・くらい気持ち悪くなりました。恐ろしいことに、彼女はそれを信じているのです。かんべんしてよー。

で、話を道の真ん中に戻して、合衆国大統領選挙。
毎日、ツイートやら記事を拾い読みしていたので、わかったことは共和党支持者でも「トランプには投票しない」と決めていたひとがかなりいたということ。そりゃ、そうですよね。こんな21世紀に入って19年も経つのに、未だに肌の色や出自で差別区別をあからさまにしたり、メキシコ国境に塀を造ったり、いつの時代までさかのぼるのか恐ろしくなりました。そう、エイメリカの外から「トランプ!恐ろしい子!」と思っている私と、合衆国内に住んでいることでトランプ政権4年を振り返ると「当選前に震えていたほど自分の生活は脅かされたわけではなく、今回の選挙でトランプなんかこわくないと思った(けど彼には投票しない)」という意見のひともいたことを知りました。
で、選挙結果は現在のところ、民主党候補のヂャウ・バイデン氏(正確にはジョゼフ・バイデン・ジュニアさん)が当選、次期大統領はカレ。なんとワシントン初代大統領以降、二人目のローマ・カトリック信者さんなンですと。ふぅううん。家族構成をざっと見たら、再婚の奥様がいらっさる。カトリックで再婚?とあら捜しを始めたら、最初の奥様とは死別だからこの再婚は重婚に非ずでござんすね。で、今の奥様はジル Jill さんとおっしゃる。こちらも実は再婚。しかも、初婚のお相手は今もこの世に生きていらっさる。っちゅうことは、ジル夫人は重婚ぢゃあござあませんか? ・・・ま、ここいらへんで気づけることはジル夫人はバイデン氏との結婚をきっかけにカトリックに改宗したンでしょ、ということ。よくある話です。調べてみたら、年末大当たりで、ジル夫人は幼少時からプレスビテリアン(米国内だと清教徒が運んで来たキリスト教新教の宗派)で、16歳の時に洗礼を受け、信仰宣言したそうだ。なーるほどね。(もしかしたら信仰宣言して洗礼の順番かもしれない)。

更にいろいろ目に入ったのはバイデンさんとジル夫人の間に生まれた一人娘さんはユダヤ系医師と結婚したらしく、なんだこりゃ、トランプさんちやクリントンさんちと大して変わらん家族構成だなあ、とあらためて。でも、医師だし、バイデン氏はトランプさんほど家族以外を病的に信頼できないタチではないとお見受けするので、お嬢さんの婿殿がイスラエル方面で裏暗躍なんてことはトランプさんちほどなかろうよ、と思う(イマ、とりあえずココ)

お後よろしいやふで。

おいらのロックダウンも来週30日まででがんす・・・
犬の散歩にでも行くとするか。で、一日オシマイ。あーあ。

今はいつ東京オリンピック中止決定が公言されるのかひたすら待っているあっしでござんす。
もし東京オリンピックが開催されるならば、日本は水際対策も解除しないと何もかもスマートに準備できないでしょ。開催するならば、それに乗じておいらは日本に戻り、運転免許更新をしたいのであった。まあ、夢のまた夢ぢゃな・・・しくしくしく
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# by ma_cocotte | 2020-11-25 22:37 | actualite 現時点の現場から | Comments(0)