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こんなところに隠れていたとは。
先日、Poitiers ポワチエという町に初めて行きました。
地図も持たず、観光案内所にも寄らないままブラブラ路地を歩いておりましたら、若くてきれいなおねいさんが二人、大きな青銅色の扉を開けて中に入って行きました。私もそのきれいなおねいさん方に続いて中に入ってみました。青銅色の扉の向こうに更に重厚な扉があり、それを開けると、
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こ、これはいったい・・・・・・!?

この写真一枚でキーワードを見抜けますか? (難易度5)

自然光がたっぷり入る広いスペースは展示物の準備のためか雑然としていましたが、突き当たりにはこのようなブツが。教会美術好きにはたまらん。思わず走り寄ってしまいました。

近寄りますと、
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♪♪\(^ω^\) ひょえーっっ
 で、うっほうほ ( /^ω^)/♪♪

この写真でキーワードが見抜けますか? (難易度3)

天井なんて、あーた、
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きゃーーーーーーーーっっ!ヾ(T▽T)ノ゙

この写真でキーワードが見抜けますか? (難易度2)

絵画も彫像も教会装飾品も何もかもがすんばらすぃ・・・丸ごとすっこ抜いて持ち帰りたくなりました。持ち帰ったところで置く場所がありませんが。それにしても祭壇手前に柵もございますしね、今すぐカッキンコッキンの旧ミサが行えちゃいますね。
視野狭窄に陥りそうなところで視野を広角に戻すと、この美しい祭壇の右手前には
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聖母マリアのための小聖堂でしょうか?
そしてこの祭壇の対面には祭壇はなく、
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こんなもん。( ̄ー ̄) ニヤリ

この写真でキーワードが見抜けますか? (難易度1)

あてくしの瞬発興奮のヨダレだらだらが若くてきれいなおねいさんに伝わったのでしょうか。おねいさんが美しい笑顔で、
よろしかったら香部屋をご覧になりませんか?
と声をかけてくださった。
わんっ!
いえ、まさしくパブロフの犬のごとく香部屋に向かいました。最初の写真において、左の肖像画の下が香部屋につながる扉です。
こころはウキウキ、まるでガンモのような歩き方で聖域に入ってしまいました。肖像画の下を過ぎ、左に折れるとそこには、
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っざっけんなよーっっ!


ヾ(T▽T)ノ゙  すんばらしすぎー ヾ(T▽T)ノ゙


あまりに広い香部屋でカメラに収め切れなかったのが残念無念。
おねいさんが説明を始めました。
ここは17世紀に開校された学校でした。
勇気を出して、《ぢぇ、ぢぇずぃっと?》と声に出してみました。おねいさんがにっこり笑って「そうですよ」とおっしゃりながら「どうぞ右をご覧ください」と。午後の光が入る窓の間には2枚の大きな絵が飾られていました。

このヒトと、
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このヒト。
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さて、このヒトとこのヒトは誰でせう? (難易度0.5)

おねいさんの説明は更に続きます。
このお二人はこの学校にとって大切な人物です。
もう口が痒くて痒くて、おねいさんに
もすかすて左がロヨラで、右がザビエルでわ・・・・
と、聞こえるようにつぶやいてみると、ビンゴ(^_^)
ここ、現在はChapelle Henri IV シャペル・アンリ・カァトゥル、=アンリ4世聖堂と呼ばれていますが、元々は1654年、イエズス会が創立した中等学校でした。イエズス会は1762年、フランスにおいてイエズス会追放令が出るまでこのポワチエにいましたが、この112年間に反改革派思想とカトリック改革思想の布教伝道に重要な役割を果たしたそうです。(・・・なのに、追放されちゃったんだけれどね)。
追放されたイエズス会が再びポワチエのこの場に戻ってきたのは1814年。教育事業は1857年、Collège Saint Joseph 聖ヨゼフ中学校という名での再出発だったそう。(この香部屋の天井と壁にはめられた数多くの絵画のうち3枚は19世紀に描かれたものだそうです。)が、第三共和制(1870–1940)に入りまもなくこの学校は公立に譲られ、1905年の徹底政教分離やらなんたらかんたらで、聖堂は祭壇のみの保存で市立のイヴェント会場と化してしまったのでした。(T_T)

なんか複雑な思いも過ぎりますが、早いうちに聖堂ではなくなったことで古い祭壇がこのような美しい形で残されているのも運が良いと言えるかもしれません。貴重な教会美術や衣装束などは教会ではなくこのように市の施設となったことで状態を良質に維持したまま保存されていることがフランスでは多いです。一か月ほどまえにココ新天地の公文書館を訪問しましたが、そこの一角にはカトリックの旧典礼で着る祭服が最良の光、湿温度で防火壁に囲まれて保存されていました。物騒な世の中、公文書館保管の方が安全です。

偶然とは言え、若くてきれいなおねいさんのあとをくっついて行ったら素晴らしい教会美術を拝見することができました。ガイドブックにも載っていないポイントなのに、ああ、うれしい。こんなところにお宝が隠れていたとは。

なんて思いながら、外に出ようと玄関に向かうと、やっぱり頭上に

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IHS (^_^)

そう、キーワードは、 IHS なのでした。


le 6 août 2007, Octavien
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by ma_cocotte | 2007-08-06 02:44 | 『巡礼』 Rien de special | Comments(10)
Commented by あぐねす at 2007-08-06 21:45 x
ma_cocotteさま、うわー、すごーい、ポワティエといえば、あのまつぼッ
くり教会しか知らんですわー。私も覗いてみたーい、ここは秘密のお宝場所なんですか?普段公開してるんですか?

さすがイエズス会ですねえ。イエズス会といえば、ポール・ロワイヤル・デ・シャンを弾圧しちゃって、私の中ではあんまり印象良くないけど(あくまでもルイ14世の時代だけど)、さすがイエズス会、すんばらしいー聖堂!でも、ロヨラがぎょろ目じゃないですねえ、すごい美化、笑えるー。

リュスティジェ枢機卿が帰天しましたね、ユダヤ人でお母さんをアウシュ
ヴィッツでなくしていたのは知らんかったです。
Commented by ma_cocotte at 2007-08-07 00:28
>あぐねすさま、まつぼったくり教会というのはNotre Dame でせうか?
内部にイエズスの埋葬の聖像がある?・・・感動したあるよ。

私はフランス宗教史に疎いんですが、上の学校もアンリ4世から太陽王
の時代にこの地で思想的に大きな役割を果たしたそうです。
ロヨラとザビーの絵はおそらく19世紀にイエズス会がここに戻ってきて
から描かれたものではないかなあ、と妄想したのですが、なんかお二人とも
妙に美しく、流線も女性的だと思いませんか?(^_^)

この聖堂ですが、いちおうChapelle Henri IV という名で、フランスの
観光地によくある表示看板も出てはいますが、内部の様子から良くて
Garderie (ガキ預かり所)という感じ。悪く言えば倉庫みたい。(T_T)
場所は市役所のそば、Collège Henri IV(公立)を目指してください。

リュスティジェ師の帰天、ショック。
もうしばらく考えてエントリーしようかと考えています。しばし。
Commented by Leonie at 2007-08-07 08:07 x
私もリュスティジェ枢機卿さまの帰天はショックでした。私がおフランスにいたころ、アルジェリアだったけ、モロッコだったっけ、トラピストの修道士さんたちが殺された事件のとき、ずっとテレビをみていたのですが、悲しそうな顔でトラピスト会士の数だけともしたろうそくをN.D de Paris聖堂内でふっと消すシーンがいまだに忘れられません。ma_cocotteさんのエントリーをお待ちしております。

IHSガッコと教会はご近所さんでした。夏の(準)制服はポロシャツでIHSのロゴがついてありました。

これほし~!っておもったのは私だけでしょうか!

これ息子にきてほし~っておもったのは私だけ?(笑)
Commented by ma_cocotte at 2007-08-08 01:37
> Leonie さま、リュスティジェ師についてのエントリーを載せました。
ご笑覧ください。
アルジェリアの事件ですね。クリスチアン・ドゥ・シャルジェ院長の遺言が
有名ですよね。確かフランス司教団が列福運動を行っているはずです。
あの遺言状は涙なしには読めん。

IHSのガッコと近所って・・・・もすかすて六中ですか?(^_^)
夏の制服がポロシャツぅ????? 
そんなにおされになっつぁっていいのか、おい?
体操着に風呂敷でいいのだよ、彼らは。ヾ(`◇´)
Commented by Leonie at 2007-08-09 01:23 x
ma_cocotteさま、
IHSのガッコは一昔前は一休さんみたいに丸刈り坊主ちゃんだったのにね(笑)すこしはあか抜けたかしら?

アルジェリアの事件、院長様の遺言をParis Missionの神父様が訳して教会報に載せてくださったのですが、涙涙でした。
原文はどこかのサイトにあるかご存知ですか?もう一度じっくり、原文を読んであの殉教に向き合いたいです。
もう一人のParis Missionの神父様はあの7人の内の1人と神学校の同級生だったそうです。(涙)
Commented by ma_cocotte at 2007-08-09 02:20
> Leonie さま

Christian de Chergé 師の遺言はこちらです。

http://www.inxl6.org/article2306.php

私の地元のすぐ近くにはあの7人の殉教者のひとりであるブルノ修道士が
いらした教会があります。地味な慰霊碑が置かれています。
この事件はやるせないですね。わけわからん。

某IHSガッコの夏服がポロシャツなんておしゃれすぎですわよ。
なんか軟弱だなあ。(爆笑
Commented by すちーぶ at 2008-06-04 17:33 x
あのな???

名古屋司教区・主税町
長崎司教区・中町
****司教区・****

日本でも、ほとんど同じデザインの教会を
見つけるけれども、

第二バチカン以前に、建立された、
簡素なデザインの、名古屋司教区・多治見 
ぶどう 城   シャトルワインで ざーます。

★ ここの 赤は おフランスには、負けないよ。
けど、ま・いいってか。
Commented by ma_cocotte at 2008-06-04 18:10
☆ すちーぶ さま、

上の写真は教会(L'eglise)ではなく聖堂(La chapelle)です。
教会建築には以前、決まりごとがありました。
その決まりごとに甘い設計やら内部装飾ができるようになって50年も
経っていません。

お疲れさまです。
Commented by miko at 2015-05-05 06:46 x
はじめまして!突然すみません。
私も今度ポワティエに行こうと思っていまして、
この聖堂を拝見しまして釘付けになり
行けたら行こうと思っています。
貴重な情報をどうもありがとうございました!
Commented by ma_cocotte at 2015-05-07 15:43
+ mikoさま、はじめまして。
この聖堂、ポワティエ市役所の裏手、左翼側に位置しています。
現在も公開であれば良いのですが・・・もしかすると
ホテルなどに変身しているかもしれません。
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