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ハマ王の帰天。
今朝、こんぴーたに火を入れてまもなく知ったのは濱尾文郎師の帰天でした。
ステファノ濱尾文郎枢機卿 帰天
日本人では5人目の枢機卿、前教皇庁移住・移動者司牧評議会議長として活躍

前教皇庁移住・移動者司牧評議会議長のステファノ濱尾文郎(はまお・ふみお)枢機卿が11月8日(木)午後6時57分、入院先の東京・癌研有明病院で肺癌のため帰天した。享年77歳だった。同枢機卿は今年12月21日に司祭叙階50周年の慶事を迎える予定だった。

cf. http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/news/index.htm#hamao
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2006年9月7日、濱尾師@大船教会

.....しょっく。
私の人生において「ひとつのピリオドが打たれた」というような気分のままです。いつかはこの日を迎えるのはわかってはいたのですが「次は私の番か」と思ってしまうほどショックでした。

私が初めて濱尾師を拝見したのは、母校を運営する修道女会が日本で活動を始めて50周年に配布した記念写真集でした。その本のはじめはもちろん教皇さまからのメッセージで、続いて日本国内でこの修道女会がお世話になっている各教区の教区長のご尊影が掲載されていました。その中のおひとりが当時の横浜教区長であった濱尾文郎司教さまでした。見るからにご高齢の司教さま方のご尊影の中で、当時の濱尾司教さまはひとりお若く、お肌もてかてか、ご体格も妙に立派で、そのお写真の中で何が目立ったって濱尾司教さまの大きな手の太い指にはまっていた金のカマボコ指輪でした。子供の私には武器のように見えました。(^_^)
そんな立派なご尊影を拝しながら、濱尾司教さまがユーミンが唄う「山手のドルフィン」の近所の教会の偉い方なんだ、とか、オフコースが唄う「あれがあなたの好きな場所」の丘の頂上にそびえる教会の長上さまなんだ、と思うと、きっと濱尾司教さまはおしゃれで垢抜けた神父さまなのだろう・・・・と妄想したものでした。その数年後、石川町駅横の石段を登って山手の丘の長上まで行き、あのクラシックな山手教会の中に入って荘厳な内装を拝見した時に濱尾司教さまが醸し出す風格と一致するような重さを感じたものです。まもなく濱尾司教さまはローマにいらっしゃり、枢機卿となられましたが、私にとっては「濱尾枢機卿さま」という呼び方より、どこか親しみを込めて「濱尾司教さま」と呼び続けたい愛らしさのようなものが濱尾師は備えていたようにも思います。

決して悪口ではないのだけれど、耶蘇女学校に通う女子というものはどこか口が悪く、そのブラックユーモアな話題も暗黙の限界線があってそれを踏まずに軽口を叩くとでも申しましょうか。濱尾師についても私は友人からある時こんな話を聞きました。
或る冬の晩、都内某ホテルの車寄せでオーちゃん(=濱尾師)を発見。突然、突風が吹き始め、オーちゃんのキッパが風に飛んでしまった。と、同時にオーちゃんの頭のてっぺんから白い湯気が立ち上った。
...と。目撃者も笑いをこらえながらの説明でしたが、聞いた一同、爆笑でした。濱尾司教さまはその立派なご体格から「ハンプティダンプティみたい」と当時流行していたマザーグースの登場人物になぞらえて私達の雑談に登場していたこともありました。
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やっぱ、お似まし。ヾ(`◇´)
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身勝手ではありますが、そんな甘酸っぱい少女時代の思い出に登場した「偉い神父さま」が突然帰天されてしまったことは本当に寂しいです。心にポカンと穴が空いたよう。
濱尾司教さまはローマにいらっしゃってから枢機卿となられ、教皇庁移住・移動者司牧評議会議長として国際的に大活躍をなさり、とてもぢゃないけど女子高生の「お笑いネタ」にそう簡単に登場しない方になってしまわれましたが、前教皇JPII の帰天後、濱尾師の言動がほうぼうで取り沙汰され、濱尾師が現教皇さまにコンクラーベで投票しなかったという話についてはおフランス・カトでもちょっと暗い話題になったりもしました(なぜ濱尾師が投じた票の先を公言したのか理解に苦しむというもの)。なーんでこんなことが公表されたんでしょっっ。cf. おフランスのカトリック系全国紙 La Croix に掲載された濱尾枢機卿の帰天報告 Décès du cardinal japonais Fumio Hamao 

横浜教区内(神奈川県、静岡県、山梨県、長野県)の耶蘇校に通われた30~40代の方々ならば信者であろうと未信者であろうと、あの妙に堂々と格好良かった濱尾司教さまとの思い出やら目撃談がたくさんあると拝察いたします。某所で濱尾司教さまと交流あった方々の思い出など拝読しますと、濱尾司教さまのお人柄に感涙。私は横浜教区に関わらない婦女子なのでミーハーな薄っぺらたい自己中な思い出しかありませんが、それでも私において濱尾司教さまは永遠に若く、颯爽と、堂々とした格好いい高位聖職者なのであります。ああ、私の人生におけるスタアがまたひとり帰天です。
濱尾司教さまの真の永遠の休息のため、お祈りいたします。( ̄人 ̄)

葬儀・告別式は12日(月)正午から、梅村昌弘・横浜司教の司式のもと、神奈川県横浜市の横浜雙葉学園講堂にて。喪主は梅村司教。東京都文京区カトリック関口教会に変更となりました。司式者は白柳誠一枢機卿(前東京教区大司教)、喪主は梅村昌弘師(横浜教区司教)


le 9 novembre 2007, Théodore

【参 考】
*司教の日記 : 濱尾枢機卿葬儀
*司教の日記 : 12年前の濱尾枢機卿
 ふわ~、やっぱり濱尾司教さまの「頭」のお話ぐぁあ ヾ(`◇´) 
*司教の日記 : 濱尾枢機卿帰天
*みちあき神父のふぉと日記 : 濱尾枢機卿ご帰天
*La Croix : CITE DU VATICAN, 9 nov 2007 (AFP) - Décès du cardinal japonais Stephen Fumio Hamao, condoléances du pape

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by ma_cocotte | 2007-11-09 21:41 | 『?』なKTOりっくん | Comments(34)
Commented by miki3lotus at 2007-11-10 02:09
ma_cocotte様
お久しぶりでございます。忙しさに負けておりました。
そしてまた今もツアー中で、なかなか。

それにいたしましても、この濱尾司教様のお写真とハンプディダンプディ、本当にそっくり。。。愛らしいですよね。

ご冥福をお祈りいたしております。
Commented by ma_cocotte at 2007-11-10 03:37
> mikiさま、おひさしぶりでございます。
ご活躍、拝読いたしております。ツアーのご成功お祈りしております。

濱尾司教さまですがお若い頃、もっとまん丸でした。
ハンプティダンプティが醸し出す独特な雰囲気と何かつながる雰囲気が
濱尾司教さまからも感じられました。

まさに生涯現役だった濱尾司教さまだったので今ようやく休息されて
らっしゃることでしょう。私も改めて手を合わせます。
Commented by 伊望 at 2007-11-10 13:43 x
新聞報道をみて知りました。
今は昔の高校時代、故座下がヴァティカン詰前『滞日外国人と連帯する会』の会合のスピーカーとしていらしたことを今でも覚えています。
Commented by ma_cocotte at 2007-11-10 16:51
> 伊望さま、そのようなことをご覧になってらっしゃいましたか!

なんだかなあ・・・・・・

1980年中頃を境に濱尾司教さまも政治家っぽくなられたように
思ったりもするんですが、それは日本カトリックという組織全体だったり
もしますね。今に至るまで引き摺ってる問題点だと私個人は思ったり。
Commented by 伊望 at 2007-11-10 20:54 x
ええ、講演会行きました。

ところで浜尾座下といえば前教皇とのアド・リミナ時のツーショット写真がカトリック横浜教区報に載っていたのですが、角度のせいか「どっちが教皇!?」(笑)というのがありました。さすが高貴な生まれだけあると、感心しました。
Commented by あぐねす at 2007-11-10 21:13 x
びっくりしました、肺が悪かったのですね。
つるつるで、恰幅が良すぎて、バチカンでも存在感たっぷりでしたのに。
コンクラーベの時、TVで浜尾枢機卿がバチカンの様子なんかを紹介していたのを見て、動くのも苦しそうで、心臓でも悪くないのだろうか、とちょっと心配していたのですが。

今日、毎年恒例の、カテドラルでのラテン語ミサで、白柳枢機卿が、浜尾枢機卿の帰天を発表しました、悲しそうでした、年も近いし...
Commented by ma_cocotte at 2007-11-10 22:20
> 伊望さま、1980年頃だったかと思いますが、濱尾司教さまはかなり
アブラギッシュでありました。(爆笑) 実際はラテン語のセンセでもありますが、
雰囲気はそこはかとなくラグビーマンとでも申しましょうか。表現が失礼に
あたるかもしれませんが「花のある神父さま」だったと思います。
濱尾師を「バロン」と呼ばれる世俗も多かったようですよ。東宮侍従だった
兄上は世俗での模範信者さんでした。濱尾司教さまが一年足らずで
お兄さまの後に続いてしまった・・・ドラマチコでする(T_T)。
Commented by ma_cocotte at 2007-11-10 22:28
> あぐねすさま、突然でヴぃっくりですよね、まったく。
あの枢機卿のお召し物が似合う、負けないご体格とお顔立ちでした。
真冬にあのツルツルの天辺から湯気がもわ~・・・・想像するだけで
ヾ(o゚ω゚o)ノ゙ ヾ(o゚ω゚o)ノ゙ ですけれど、ご病気だとしても肺以外の
病気を想像しちゃいますよね(痛い風とか、ディアベットとか・・・もにょにょ)

お、あぐねすさまもいらしたのですね。
某所でポル・シス典礼の全文ラテン語と拝見したばかり。
「私達の司教ペトロ白柳誠一」がローマにいらして後の日本で光輝いた
方といえば私は濱尾司教さまを第一に挙げますわ。

Forêt?¢( ・_・) ハテ? ←わっかるかなー
あぐねすさんならわかるでしょう。( ̄ー ̄) ニヤリ 
Commented by ヴぇろにか at 2007-11-11 01:26 x
 はじめて書き込みいたします。
横浜教区にて生まれ育った、私の通う小さな教会におみえになったときのお姿を、「大福餅のような司教さまだなあ」と不謹慎にも感じた小学生の私でした。隣の教会のとある一家のやんちゃな末娘は「司教さま、そのお帽子はどこで買うんですか?」と質問してのけて、善男善女びっくり仰天、しかし司教さま笑顔で優しくお答えくださったそうです。小さなパーティの席で、見事なカンツォーネを披露してくださったこともありました。今はなかなか教会に足の向かない不信心者ですが「私たちの教皇ヨハネパウロ2世、私たちの司教ステファノ浜尾文郎」のフレーズは呪文のように染みついております。

 およそ四半世紀前(!)の堅信式は浜尾師の司式でした。「自分のまわりの他者のために自分の力を使いなさい」というお言葉を思い出します。いつかヴァチカンを訪問してお会いするのが夢でしたが。。。本当に夢になってしまいました。
心より永遠の安らぎをお祈りいたします。

Commented by ma_cocotte at 2007-11-11 05:37
> ヴぇろにかさま、はじめまして。
貴重なお話をありがとうございます。お子たちと神父さまの会話はまるで
一休さんと和尚さんとのとんち合戦のようで傍聴しているとクスクス笑って
しまうことが多いですよね。濱尾司教さまは本当にまん丸で福福しかった!
司教さまの黒字に赤紫のステッチとボタンとサッシュのスータンも濱尾
司教さまはよく似合ってらっしゃいました。(遠い目)その濱尾司教さまの
カンツォーネというのは・・・・私も拝聴したかった!やっぱり神父さまは
「声」ですね(笑。

>>「自分のまわりの他者のために自分の力を使いなさい」

これは昔の堅信では「神さまの兵士になる」という例えを思い出しました。
まさに信仰の騎士ですね。

濱尾司教さまのご帰天、わかっちゃいるけれど寂しいです。( ̄人 ̄)
Commented by yuna at 2007-11-11 18:04 x
ご無沙汰しています。
浜尾枢機卿様のご帰天・・・のニュースを知ったとき、本当にショックでした・・・。
永遠の安息を・・・(-人-)
Commented by ma_cocotte at 2007-11-11 20:59
> yunaさま、
私には子供の頃の思い出につながる方がまたひとり帰天し、心にぽっかり
穴が空いたようです。寂しいですね。ご入院されるまで現役でご活躍
された司教さまが今は本当の永遠の休息の中にいらっしゃるのだと
思います。
Commented at 2007-11-12 02:39 x
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Commented at 2007-11-12 02:47 x
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Commented by ma_cocotte at 2007-11-12 17:06
> 02H39-47@12/11/07 鍵さま、
うぇーん、今回も鍵ですか。
1984年頃の濱尾司教さまはまさにブイブイの頃です。
ご高齢の司教さま方の中で若手ホープの先頭のような教区司祭でした。

菊池司教さまのブログ日記で濱尾司教さまがフランス語も流暢であった
と拝読しました。濱尾師というと「ラテン語」なんですが、フランス語も
ぺらぺーらだったのか・・・・と、私の脳内フロッピーと質量共に比べ物
にならんのだ、と改めて知り、頭を垂れた次第です。

>一九八三年十月三十一日の夕方、諸聖人の大祝日の前夜の晩の祈りに
>出られたときのこと、翌日の諸聖人の大祝日の十一時のミサについて、
  >>「共同司式で私もともにミサをささげることができたのは、忘れえぬ喜び
  >>であり、前の晩からの心に深く刻まれた沈黙の深みは、いまも
  >>忘れられない体験であった。」

当時、濱尾司教さまがパリにいらしたのでしょうか。
エルサレム会は新しいのに古いというか、古めかしいのに新しいというか、
一時期、若い方々がテゼに流れたけれど、エルサレム会がその流れを
止めたような気がしてなりません。
Commented by イケズリック at 2007-11-12 17:40 x
>決して悪口ではないのだけれど、耶蘇女学校に通う女子というものは
>どこか口が悪く、そのブラックユーモアな話題も暗黙の限界線があっ
>てそれを踏まずに軽口を叩くとでも申しましょうか。


禿同ありゃしゃるんや。 (^ ^)
カトリックってけっこう性格悪いかも知れへんねw
おはんなりにみえてお腹黒い?京ことばにも似てるよな 。 。
Commented by ma_cocotte at 2007-11-12 17:50
>イケズリックさま、はじめまして。
レスペクトの境界線が文章となって目に見えるわけではありませんが、
有刺鉄線のごとく「笑って済むこちら側」と「笑えないあちら側」が
あると思います。腹は黒くありません。そうではなくて、Innocenceが
絡むと思います。腹の白さが大切なのです。
Commented at 2007-11-13 00:05 x
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Commented at 2007-11-13 00:07 x
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Commented by ma_cocotte at 2007-11-13 02:34
> 00H05-07@13/11/07 鍵さま、承知しました。
が、教区や修道会批判というのはどこの会に対してもあると思います。
万民に愛される会というか、それぞれ会憲やミッシオンが異なるので
人それぞれに好き嫌いがあるのも人間だからこそでしょう。
修道生活についても奉献生活になるのでいろいろあるかと思うけれど、
しかも召命が絡むし・・・・いずれにせよ、ご本人が喜びのうちに奉献
できないのなら、さて、どーする?ではないでしょうか。

おフランスではオプス・デイから離れたマダムの暴露本が話題みたい
です。先週、生番組に著者が登場していましたわ。
Commented by rice_shower at 2007-11-14 00:44 x
クリスチャンでない私には、濱尾司教様の人となりや、存在の重さなどはとんと分からず、“兄上が東宮侍従であった”という一点に食いつきました。 
第二次大戦末期、昭和天皇が独自のチャンネルを通じ、ヴァチカンに早期の戦争終結(連合国との和解)の工作を試みていた、というのはあまりにも有名な話。
明治天皇の時代から、キリスト教が皇室に小さからぬ影響を与えていたことは明らかですが(小生、それ以前は承知せず)、これは国策たる“入欧”に付随した、自然な現象だった。 八百万の神のひとつとして受容し、好ましきエッセンスを吸収し、皇(すめろぎ)の血肉に取り込んだ、ということでしょう。 貞明皇后の救癩への積極的な取り組みにも、キリスト教の影響が指摘されます。

(続く)
Commented by rice_shower at 2007-11-14 00:55 x
戦後の宮中におけるクリスチャンの多さには、アメリカの意図が反映されていたと考えるのが自然。 これを陰謀と捉える向きも有るが、私は実家がクリスチャンである現皇后の、「皇室は祈りでありたい」という美しい言葉を耳にしたとき、この祈りの感覚は東洋と西洋の融合のプラットホームになり得るものだ、と感じたのでした。  そして、それを暖かく、優しく包容する今上天皇のまなざしに、“日本”を感じるのでした。

一昨年前、サイパンのバンザイクリフで深く頭を垂れ、その後、「韓国平和記念塔」に立ち寄って黙礼した両陛下の姿に、聖なる領域に棲むものとしての覚悟を感じたのでした。
Commented by ma_cocotte at 2007-11-14 22:44
>rice_showerさま、
戦後の宮中のクリスチャンを更に新教と旧教の比率に分けられるところまで
垣間見れると良いのですが。
昭和天皇が第二次大戦末期にヴァチカンに和解工作を求めていた、と
すればそれは新教を経由していないでありましょう。ちなみに濱尾司教
さまは戦後の受洗みたいです。兄上は東宮侍従職を辞してから三光町
の耶蘇女学校の教員でありました。
信仰と祭祀継承の関係について考えるのも面白いと思います。
Commented by rice_shower at 2007-11-15 10:14 x
>信仰と祭祀継承の関係について考えるのも~
ここの部分の意味がイマイチ良く分からんのですが。
邪道でしょうが、少し前にantonianさんも書評をupされていた佐藤優という異才を知り、キリスト教をチト深く知りたいとの思いの湧く、今日この頃です。
Commented by ma_cocotte at 2007-11-15 17:13
> rice_shower さま、
信仰と祭祀継承の関係をクリアにするのは面白いと思いますよ。
面積を広げるだけだと知識でしか頭に入らないけれど、深く掘り下げると
信仰の神秘に至るかもしれません。( ̄ー ̄) ニヤリ
はじめの一歩はこの両者の関係が必要十分条件なのかどうか?あたり。
もしかしたら皇后さまもかつて同じことを考えられたかもしれません。
Commented at 2007-11-15 18:18 x
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Commented by ma_cocotte at 2007-11-15 19:55
> ひょえ~っ! 18H18@15/11/07さま、

パリ市役所に勤務しながらあの鐘の音を聞いているうちに召命!?
すっごーい話だ。驚いた。
こちらの神父さまから聞いた話ではおフランスの若い者がカトリック教会の
異次元、異空間、非現実っぽいヴィジュアルにまず興味を持ってくるのだ
そうです。ミッテラン自身はカトリックプラチカントでしたが、共和国民の
方はミッテラン政権を経て「新しい家族」創りに目覚めたことで幼児洗礼
がガクンと減りましたが、ここ数年、成人洗礼者と堅信者が増加傾向
です。最早おフランスはエヴァンジェリ国ではなくミッションを求める国と
化しておりますが、さてさてどのように若手パワーが動き始めるか!?ですね。
Commented at 2007-11-15 21:12 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ma_cocotte at 2007-11-15 22:30
> 21H12@15/11/07 鍵さま
ジェルザレム会のサイトを改めて拝見すると、この会は観想修道会、
活動修道会、世俗会の三種を抱えた会みたいですね。
観光地と化したモン・サン・ミッシェルがこの会の観想会に委託された
のは私としては良かったことだと判断しています。
フランス国内は歴史ある修道会のOuvrir 化が進んでいるのが問題点
だったりします。一方で新参と揶揄されちゃいそうな新しい修道院の
保守化がなぜか新鮮になるという不思議ですね。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2007-11-15 22:30
> なんというかミッテランの時代やサルトル&ド・ボーヴォワルの出現で
それが「新しい何か」と感じ取って右倣えした共和国民が多かったのは
事実だと思います。カトリック教会の中でもその思想に右倣えしたヒトが
聖俗共に多いです。ヴァチカンが近年その行き過ぎた改革を修正しようと
していることで戸惑っている聖職者って結構いらっしゃいます。なんというか
従順が絡んでいるので振り回されているように見えなくもないのですが、
根幹は何?と傍観しつつ考えさせられたりもします。

ベルナデット・シラクさんは一日一度はロザリオのお祈りをなさってる
そうで、ロザリオを持ち歩いてらっしゃると漏れ伺っておりまするよ。
Commented at 2007-11-16 04:33 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ma_cocotte at 2007-11-16 16:42
> 04H33@16/11/07さま、

私は今、KTOでジェルザレム会の朝祷を拝見中です。

http://www.ktotv.com/video.php3?numero=2

朝なのに眠くなってきた・・・(^_^)
モンサンミシェルですが、車道がないので大変だと思います。
モンサンミシェルが一般に公開している部分でも坂に近い階段だったり
しますから、聖域の方がどういうコンディションなのかちょっと気になりますね。
防災面では現在の基準に適応したものだと思うのでその辺は安心。
ヴェズレイもジェルザレム会に委託されましたか。
なるほどね。___φ( ̄^ ̄ )
Commented by hiro at 2007-11-17 18:02 x
はじめまして。
浜尾司教様の事を検索していたらたどり着きました。

山手教会で侍者をしていたとき、帰国された司教様とミサを何度かご一緒したことがありました。
祭服の下に襟元を覆うアミクトゥスというものを着けます。
ふんどしのような形で、首の後ろにかけて紐を前で交差させ体の後ろに回し、前で結ぶのですが、浜尾師のものはものすごく紐が長かったのを覚えています。あの体ですから通常のものでは足りないのです。
祭服もずいぶん丈が長かったですが、着るとちょうどいい具合になっていました。香部屋に入って床に届くほど長いアミクトゥスの紐を見ると「ああ、司教様帰ってきてるんだ」と思ったものです。

最近ずっと教会には行っていませんでしたが、今日山手に行きました。
司教様のことを思い出して涙が出てきました。
「神さまは私たちが思うよりもたいそうお優しい」と説教でおっしゃったことをなぜかよく思い出します。

Commented by ma_cocotte at 2007-11-17 19:22
>hiroさま、はじめまして。
山手教会で侍者をおつとめでらしたのですか?
なんとまあ・・・・羨ましいと申しましょうか。
侍者の方々には祭壇上だけではなく香部屋での司祭方との交流の思い出が
たくさんあるかと拝察いたします。私は司祭方が侍者のお子たちに指導
する時の時には優しく、時には厳しい表情を遠くから拝見するのが好き
でした。
最近はアミクトゥスも省略される神父さまがいらっしゃったりしますよね。
装束の進化なのかもしれませんが、私には退化に見えたりもします。
どうか維持していただきたい。継承され続けていただきたいです。

 >>「神さまは私たちが思うよりもたいそうお優しい」

教えてくださったこと、hiroさんに感謝いたします。
今日はこの言葉を繰り返し噛み締めます。どうぞ良い週末を。
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