カテゴリ:『?』なたわ言( 142 )
日に日に落ち込んで行くばかり、
ずるずるずる。

空き巣に遭ってから一か月と五日。
当初は月日が経てば忘れるだろうと軽く捉えていましたが、どっこい、その逆で日が経てば経つほど、表現しようのない深みに落ちていく自らがあります。このまま、あたしゃ、どうなっちゃうンでしょうねぇ。

まあ、なるようになるさ。

le 25 février 2019, Nestor

by ma_cocotte | 2019-02-25 23:20 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
「バレなきゃいい」

もう14年もココで私はないこと、ないこと、書きなぐっているそうなので、今回のタイトルもおそらく過去に何回か掲げたかもしれません。何せ、わたくし、デキの悪い鶏アタマなので三歩歩けば忘れるどころの身体ではありません。タイトルが重なっているかどうか調べる気もまるでありませんし。

でぇ、既に十日を過ぎたと思われるおカルロス・ゴーン氏のあれこれそれ、どれ?でござる。
私事でココんちの次男猫が不治の病を宣告されたこともあり日常でない予定がいくつかカレンダアに書き込まれてはいるものの、日々、日仏英語の主だった記事の大見出しと小見出しには目を通すようにしています。この習慣は中学一年生の時、担任のシスターから教え込まれたことで、老体になった私でも未だに日課となっています。今週に入り、勢いがかなり納まった(仏蘭西側はね。日本側では今もかなりのゴーン関連報道量ですな)とは言え、読み、いえ、眺め続けていると、こんな私でもいろいろ照合したり、考えたり、ちっぽけな自分であっても内省したりといろいろ心中に何かが駆け巡り、本当ならばその「何か」をすぐにココに書き殴れば楽だろうに、貯めこんでしまっている量のせいで面倒くさくなり記録できないという悪循環。思えば、14年前にココで何かを投稿していた当時は一日に3つ、4つエントリーしていたこともありましたっけ。

アルカイーダ、=三角形の底辺に凄むちっぽけな私の過去などどうでもよい。話は世界的な天上びとであるおカルロス・ゴーンサマについてであります。こうして、今も昼食を終えた後、懲りずに、飽きずにゴーンサマのネタ拾い。私個人のバイアスに引っ掛かりまくっていることはどうにも、前から書いているとおり、事のあれこれについて過去の歴史に似通ったことがあったとド素人のパーなりに重ねて連想できてしまうことです。私の希望では過去にまったく例を見ない新生の事件であって欲しいのです。これまでにつぶやいたとおり、どうにもご維新前後の欧米列強と後進国とレッテル貼られている日本との不平等、日本に不利を擦り付けるやり方とか、ルノーの筆頭株主が仏蘭西政府であることでエラい大臣の意見がこれまたウソもつき続ければいつかは真実に大化けするような話ばかりで呆れるけれど、そういう過去があるのだから、オチもある程度予想つくわけで。ゴーン氏と副社長のケリー(アイルランド系の米人だろ?)はいずれ互いに罪を擦り付け合うだろうとか、その副シャチョさんは元弁護士だから当然、勝訴見越しての無罪主張のために何でも口から言葉を飛び出させるだろうとか容易に想像できます。しかも、先週末あたりからお仏蘭西大使やらレバノン大使がゴーン氏は無罪であるとおっしゃってるそうで、これもまた既に想定内な発言であります。あたしゃ、いずれゴーン氏は無罪主張のまま、仏蘭西またはレバノン大使が彼を公邸に引き取り(公邸は治外法権ですからに)、そのまま仏蘭西またはレバノンに移動し、二度と日本には入国しない、という結末ではないかと妄想してもいます。兎にも角にもレバノン国内に住むアラブ・クリスチャンは現在もヘズボラはじめとするイスラム教徒側から迫害を受けており、カルロス・ゴーンの実家もアラブ・クリスチャンですからレバノンからブラジルに移住したのも当たり前だのクラッカー。現在もレバノンを離れるアラブ・クリスチャン家庭は世界に散らばっており、現在のところ、移住先はカナダまたはオーストラリアが人気というか、それらの国側も富裕層で高学歴のアラブ・クリスチャンを欲しいので相思相愛の花いちもんめなわけです。ゴーン氏の生家はアラブ・クリスチャン家庭の海外移住の先駆けなのかもしれません。が、移住先のブラジルが大問題だったのだろうなあ、と。何せ南米一の中華思想国で、傲慢が蔓延というか、国民は自らの傲慢にまったく気づかないまま、またブラジルから世界に飛び出てもいるわけで。そういうブラジル人が欧州一の中華思想国であるお仏蘭西に移住して地位を極めたらどーしよーもない生き物になりますよね。

ここ数日、お仏蘭西とレバノンの大使閣下方がゴーン氏の無実を主張していると知り、私の脳内からは「こんなん出ましたあ」とかつてのお仏蘭西とマグレブ(=北アフリカ)の旧仏領の関係がひょっこり出てきました。ココんちの仏人♂の母方の家族はアルジェリア戦争をきっかけに仏蘭西本国に帰還した欧州人で、共和国内ではピエ・ノワール(黒い足)と綽名されるひとびとですが、こうして今は仏蘭西に安住していてもかつての植民地で「仏蘭西人はよいことをした。(野蛮で後進の)現地人の職、生活なにもかも改善し、救ったのだ」と先ず口にするのです。救ったのだから、何をしてもいい、悪さをしても免れる、という思い込みはどうにも今につながっているのではありませんかね? と、「ゴーンは日本を救った、日産を救った」と聞こえてくるたびに「だから、何?」とぼそぼそ言い返している私なのでした。そもそも「バレなきゃいい」と思い込んで悪さをしているのは既にクリスチャンではありません。悪魔にそそのかされちゃったンだろうなあ。聖水、ぶっかけたら緑色の何かを吐くのではないかしら、ね?




by ma_cocotte | 2018-11-29 21:15 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
ミッションスクールのお嬢様カルチャー
って、何だろう?
ミッションスクールお嬢様カルチャー」について、その「カルチャー」の中身、内容を具体的に知りたく思うのですが、ググっても見つかりません。

「ミッションスクールのお嬢様」までは私個人はそういうレッテルを貼られている複数の日本女性を就労を経験したことで見たことがあるのでわからなくもありませんが(「ミッションスクール育ちのお坊ちゃま」「国公立育ちのお嬢様、お坊ちゃま」も私は就労先で見たことがあるよ)、それに続く「カルチャー」って文化のことでしょう? どんな文化なのでしょう? ちなみに「文化」ですけれど、ググったら、こんなん出まひた。

ぶんか
文化
  1. 1.
    世の中が開けて生活水準が高まっている状態。文明開化。
     「―生活」
  2. 2.
    人類の理想を実現して行く、精神の活動。技術を通して自然を人間の生活目的に役立てて行く過程で形作られた、生活様式およびそれに関する表現。



Le 25 novembre 2018, Béatrix

by ma_cocotte | 2018-11-25 20:42 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
depuis le 22 novembre 2004
こんにちで丸14年ということね?
このブログの創刊日は2004年11月22日ですって。

あの頃、私は若かった。
by ma_cocotte | 2018-11-22 22:39 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
寄る年波に身を任せ
久しぶりにこのブログにログインしました。

こんにちは10月最後の日、31日です。早いもので2018年も残りふたつきであり、平成の御代も残り半年と知りました。もう昭和生まれなんて、わたすがガキの頃の「明治生まれ」の方々とそう大して変わらンのでは。いやあ、昭和に生きる明治生まれの方の場合、明治と昭和の間の大正時代は14年と数か月ですものね。おいら昭和生まれなんざ、平成時代が30年ですぜぃ。

ま、それについては横に置いて、昭和生まれの私。
今年の夏のはじめに左肩が動かなくなりました。腕を前方には目の高さくらいまで持ち上げられますが、ダ・ヴィンチの人体図のように腕を広げると、左は時計の長針4時と5時あたりでもう痛みがひどくてあげられません。そして、以前は背中の後ろで両手で握手できたのに、左腕は腰のあたりまで持っていけたら良い方。ですから、パンツの上げ下げやら、長袖に左腕を通すのが難しい。和装の時代だったら、あたす、帯も結べませんわね。

そんなわけで今年は9月はじめからリハビリに通っています。9月下旬から週二回、ウォーターベッドに横たわりながら、水圧で患部をマッサージするっちゅう治療を受け、これがあまりにも気持ちよすぎでずーっと続けられたら、と心底願っていたのに、既におしまい。今はリハビリの先生の指導でそこはかとなくヨガのような体操を週一回。左腕は前方上に少しずつあがるようになりました。一回リハビリに行くごとに5~10㎝は高くあげられる(と思い込んでいる自分)。ところが、ダヴィンチの人体図のまねだけはまったく改善無し。いったい私の身体、どうなっちゃってンだろう・・・って、そりゃ、あんた、加齢でしょ、加齢。

思えば、去年の夏は口腔に問題が生じ、泣きたくなっていましたが、今年は肩で泣きたくなっています。そんぢゃ、来年はどこのなんとやらで泣きたくなるのだろう。やっぱ、アタマの中身だろうな。覚悟、うん。

もう寄る年波に乗ってサーフィンする筋肉もないし、時の過ぎゆくままにこの身を任せさね。


le 31 octobre 2018, Quentin

by ma_cocotte | 2018-10-31 18:36 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
自分の頭の中の仮説と真理は切ない関係
フェイスブックでつながる知人から読書記録としてこの本を教えられました。

その知人は某耶蘇女学校の宗教科教員なので、読後感想で一例として「平和」を授業でお題にしたとして、多くの人たちは自分が考える「平和」はそこに集う他者が思い描く「平和」と同じだと思ってしまいがちだけれど、実はそれぞれの「平和」は皆違う。だから、授業で教師が「平和」を生徒に教えておしまいではなく、或る程度の定義に導いた後、生徒たちにそれぞれが思い描いた「平和」を言葉にしてもらい、互いに分かち合うことで自分と他者の「平和」の共通点と共通しない点を見出すことがよろしい・・・というようなことを述べておりました。

と、この一個人の読後感想についてだって同意するひともいれば、根本どころか抜本から否定するひともいるでしょうね。私個人はそれが自然だと思うというか信じています。

タイトルにした「自分の頭の中の仮説と真理は切ない関係」については冒頭に紹介した本の見出しから造ったに過ぎませんが、真理についてはココで何度か同じ話題を私から出したことがあります。それは例えば「神はいる」についてココんちの仏人がそう言ったとして私が「えええ?本当?」とつぶやいたとします。すると、彼はこう言います。「いいよ、別にボクが神はいないと否定してもそれ(=神はいる)は何ら変わらぬ事実(=la vérité)だから」と。私は未だこの本を読んでいませんから、果たして筆者の学者先生がココんちの発したところで数秒で消える言の葉と同じ導きをしているのかどうかも存じませんけれど、私はタイトル「自分の頭の中の仮説と真理は切ない関係」の前半である自分の頭の中の仮説ってぇのは多分にそれぞれの成育歴や就労歴によって異なると人生折り返した今では確信に至っていたりもします。

今世紀に入って、仏蘭西に住むようになってから、電脳域で日本語の文章を拾っては読むことを日課にはしていますが、物事の思考の導き方だけでなく美意識など必ずしも話題の提供者と共に頷けることもないし、私のようにこうしてブログを楽しんでコメント交換も続けていると、中には私のコメントでの意見に同意してくださったようで実はそうではなかったということも10年以上前にあり、とてもつらい思いを経験したこともありました。まあ、電脳域ではなく現実の三次元世界でも他者との関わりで価値観やら美意識、金銭感覚など諸々のことで自分の脳内意識と他人様のそれらが違うことも身に染みてわかったというか、これは生涯続くのでしょうね。それがこの世に生きているという現実なのだと私は思うようになりました。

ただ、ここ数年思うことは電脳内の日本語領域を通り過ぎ、垣間見ている限り、誰かが誰かの価値観やスタイルを「それは違う、間違っている」と断定し、ココまではわからなくもないけれど、徹底的に、執拗に叩きのめすかのごとく「あなたは違う、間違っている」と繰り返しながら、自分の意見の同調者を増やそうとしている件が増えているように見ています。

今の私が猛烈に反省している点は「うちのような庶民~」というフレーズで、そのフレーズをきっかけに電脳内で「私も庶民なンですぅ」と知り合ったひとと直に対面したら、その方々は私よりはるかに富裕で、彼らが直で見た私はどンだけド貧民なのだろう?と後になって考えることばかり。この例が何度か続いた時に上に挙げた「平和」ではありませんが「庶民」についてもそれぞれの脳内で思い描く基準もろもろは必ずしも同じではないということにこんな私でもちょびっとは気付けたのでした。それ以降、ブログでもSNSでも私から「うちのような庶民」を口でも手でも表すことは止めました。


ヒトが造った国境、身分を取っ払っても、個々にはそれぞれの成育歴があるし、個々それぞれの死の瞬間まで魂は成育し続けるのですから、みんなが違うのは当然ですし、何を基準にするのかも難しい。自分はフランスに住んでいるから、自分は仏語やら仏文学を学んだから、と他人に決まり事を強いるのも何か違うと私は思うし、そういうことを強いることができるのは公文書においての私利滅却の状態くらいではないかなあと。まあ、こういう私見についても「私はあなたに同意する、しない」に分かれて自然なのです。オトナなンだからTPOによって使い方を調節するのも当然でしょうし。ヒトのノビシロやら自由意志は互いに尊重すっことですわね。天主さまは個人の自由意思を何より尊重するンだよねー(って、カテキズムのどっかに書いてあった)。

ほんと、生きるって難しいですね、はい。


le 3 septembre 2018, Grégoire



by ma_cocotte | 2018-09-03 18:38 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
ミギもヒダリもわからんぜよ。
9月に野暮用で花の都お巴里に上京することになりましたが、どうしよう? ← イマ、ココで思考停止ちうw

le 27 août 2018, Monique



ヌゥヴェル・アキテエヌ地方最北部ちょい南にあたるココんちあたりは8月末になり、気温が30度近くになったと思えば、翌日には最高気温が20度くらいと10度近い乱高下(とワザと証券用語を使ってみるw)で、いやー、心は兎も角、身体に悪いです。ああ、早く9月になれヴぁ、うぉおおおおお・・・と気温が安定することを祈るばかりです。そして、8月後半になり、急に夜明けが遅くなりました。天気予報を見ていたら、一日に付き3分、日照時間が短くなっているとのこと。だとすると、一か月で90分ですものね。そして、そして、きょう、週明けの月曜日は久しぶりに恵みの雨の一日となりました。雨音が聞こえるくらい午前中に雨が降りました。この夏の異常気象でどこのおうちの庭の芝生も茶色に変色してしまっているので、本当にありがたい降雨です。ではでは。





by ma_cocotte | 2018-08-27 20:47 | 『?』なたわ言 | Comments(2)
またもや、金曜日。
昨日は理由あって朝からココんちと旧市街の間を数度往復。午前中の野暮用のあと、ココんちに戻り、テレビに火ぃ入れたら、テロがカルカッソンヌ周辺で発生したという報道。
「また、金曜日ですか・・・」
これが、正直な私の最初の一言。いつのまにかテロ慣れしている自分に嫌気がさしますが、毎度、毎度、「イスラム国兵士」と名乗る方々によるテロは金曜日に発生するわけで(と、突然の純くん)。お昼ご飯を慌ただしくかっこんで、再び旧市街のむこうまで外出。午後5時すぎに帰宅し、テレビをつけると、犠牲者は二名から三名に増え、犯人さんは警察により射殺されたとのこと。これまた、毎度のオチですかねぇ。唯一、自爆もせず、射殺もされなかった容疑者さんについて今回の犯人さんは釈放を要求していたのでした。兎にも角にも、善意のひとびとが想定外のできごとで生命を失うということに私は猛烈な怒りやら情けなさを覚えます。うろ覚えですが、イスラームのひとびとにとって金曜日は(聖なる)祈祷日であって、午前中にモスクで礼拝にあずかり、イマム(=イスラームのひとびとを導く立場)の説教を聞き、市井に戻るのです。が、イスラム国兵士さんたちはそーゆー祈祷集会の後、なぜか平和を求めるのではなくヨソの宗教やら生活文化の中に生きるひとびとに攻撃をしかける・・・。こういう面も私のようなヨソ者、部外者には納得いかねー「こころの、思考の進め方」なンですなあ。と、ここまでタイプしたところで思い出してしまった。それは、3週間くらい前でしたか、おフランスの民放テレビ局でシリア国内のイスラム国がシリア政府軍ではなく民間の「民主軍(?だったかな?」に追いつめられていくドキュメンタリー番組を私は見たのでした。正味30分くらい。その民間のグループには銃をスマートに使う女性兵士も多々参加しており、彼女たちは前線で男性に混ざって銃撃戦に参加する一方で、逃亡するイスラム国の男性兵士に見捨てられた女子供のケアにも関わっていました。その「イスラム国兵士」の旦那(←ダンナという表現について私は好きではありませんが、あえてココでは使わせていただきます。)にほっぽらかされた女性たちの多くがシリア人ではなく、北アフリカ(マグレブ諸国ですな)を中心としたアフリカ大陸のイスラム教で育った女性や旧ソヴィエトのチェチェン(ココはイスラム教徒がマジョリティ)、旧ユーゴスラヴィアのコソボ(ココもイスラム教徒が多い)、アルバニアからシリアに「イスラム国兵士の花嫁」としてやって来た・・・表現が悪いですが「出稼ぎさん」なのです。難民キャンプで生活している彼女たちの中には(心の)目が覚めて、母国に戻ることを願っているひともいますが、ココで難問。それは彼女たちの子供なのです。イスラム国は独善解釈の教条原理主義者の集団なので、この国家の女性は働けない、ただただ悪い意味での内助の功をひとつでも多く達成する義務ではなく悪務が押し付けられるので、シリア国内で陥落する前の「イスラム国」内でそれは多くの新しい生命が誕生しました。ですが、その子供たちはシリアの国籍をもらってはいません。はい、現在、幼い子供たちは「無国籍」なのです。だから、母親が母国に戻りたくても子供たちは無国籍ですから母親と一緒にそう簡単には入国できないのです。← ココまで番組で見た自分。目が覚めましたね。ああ、そういう次元をまったく知らずに今日まで来た私、情けないやら恥ずかしいやら。で、無国籍の子供たちの母親にご自分の子供の国籍は?と質問すると彼女たちは口をそろえて「イスラム国です」と返事をします。おそらく、まだ洗脳が心身の方々に残っているので、こんな返答をするのでしょうね。世界規模の、または欧米の主だった慈善団体が彼らの生活や今後の生き方の援助に関わっていますが、そう簡単に取り残された、捨てられたかもしれないオンナコドモを成人女性の母国に戻せない。知れば知るほど多くの問題が山積みになっているのですね。昨日は午前中からカルカッソンヌでテロ事件(犯人さんは三か所移動しながら犯行を繰り返しました)がありましたが、私は旧市街のカトリック教会に寄っても警官ゼロ、憲兵隊ゼロという現実。この町はたいちょぷとでも過信しているンですかねぇ。そして、この週末、土曜の日没からおカトリック教会では枝の主日に始まる聖週間に突入します。明日ではなくその次の日曜日、4月1日が今年の復活祭なンですわ(と、突然の名古屋弁)。連日連夜、いろいろな行事が教会聖堂で行われますが、日一日と心清らかに、おだやかに、より強く平和を求められるひとに私もなれますように。おあとよろしいようで。みんなたち、どうぞよい週末を。よい聖週間をおすごしくださいませ。そんぢゃ。


と、タイプを終えたココで、昨日のテロで人質となった一般市民の身代わりとなった憲兵隊隊員が息を引き取ったとのこと。合掌。


le 24 mars 2018, Oscar Romero





by ma_cocotte | 2018-03-24 15:33 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
ダメな人間ほど誰かを見下したくなる。
それがボクだ。
以上、今日の「越路吹雪物語」より。なんだかなあ。とてもタイムリィな台詞なので耳に入ると同時にドキリとしました。こんなことも私には偶然であっても、天においては必然であり、今の私に気づきを与えることを天主さまが許可したのでしょう。

ココ一週間、ヨソ様のブログでの炎上をきっかけに、というか、その炎上より前からうすうす気付いていたことだけれど、或るブログ主さんが発信するエントリー全てから伝わってくるものが異常なほど自己中心、自己賛美であり、一方でその方が他人を文章に乗せると必ず先ずは欠点を紹介し、ご自分との出会いを境に他人様が良く向上したということばかり。「なんだか、このひと、様子がおかしいぞ」と感づいてまもなくの炎上。炎上に気づいてすぐ両者の言い分を見ましたが(読んだ、と言えるかどうかわからない。何せあたしには読解力がない。だから「見た」)、一方はあるコメント交換がきっかけでブログ主さんからブロックされたこととそれについての私見がエントリーされており、私が「様子がおかしいのでは?」と感づいた件の方は昨日まで一日に2~3本のエントリーを繰り返しており、その内容はいずれも一方のエントリーを見たひとが気付く「それについての反論」であり「私は間違っていない、ポワンっ」なのでした。ブロックされちゃった方は半日もしないうちにその事実について触れたエントリーを消去してしまい、いつものエントリー送信に戻っていました。

私のような傍観者かつ員数外には、この ↑ 炎上とそれについての感想を半日掲載後に消去、気持新たにいつもどおりのエントリーに戻った方に安心を覚えますが、延々と自分はなんら間違っていないと相手の言い分の端々に触れてはアグレッシヴにブログ更新している方に不安を覚えます。一般論と言えないかもしれませんが、自分の計画や意向に反する方が現れて「ブロック」の行いに出るのは自分を安心させる手段に過ぎません。ご自分の心身が疲弊している表れです。だから、アグレッシヴな内容をいくら公開しても、傍観者にはブログ主さんの不安定さがどんどん見えてくるわけです。炎上があって後、一方がアグレッシヴになってからのエントリーのひとつひとつのロジックが崩壊するのも特徴なので、読み手は「何が言いたいのかわからない」と距離を置くのも毎度です。なんだかなあ。「一方聞いて沙汰するな」だから勝敗なんぞ傍観者が付けてはならないので「安心」と「不安」で表現してはみたけれど。アグレッシヴさん、気の毒と言うか、あわれと言うか。こちらも下手にRSSリーダーを利用しているのでブログ更新があればチェックするので一週間経っても日に2、3回のブログ更新で「私は正しい」を繰り返すオップレスに降参したところできょうの朝のRSSチェックでようやくそのブログの更新が止まっていたのでホっとしてまもなく、ドラマ「越路吹雪物語」での表題に挙げたこの台詞。・・・実に見事な時系列でありんす。

流石、天主さま、なんでもご存知、全知全能w
ヒトが何より恐れるのは自らが傲慢になることです。
自分の傲慢に気づけないひとほど気の毒で滑稽な存在はありません。
「主よ、あわれみたまえ」でがんす。
ですが、ヒトが傲慢に陥るのはあまりに容易いことも事実。
何より、誰よりも、私、傲慢について気を付けましょう。

さーて、きょうもはれやかに過ごすぞ。
明日の午後、灰をかぶって四旬節に入るだで。

・・・と、こんにち、マルディ・グラ Mardi gras。脂の火曜日です。明日は灰の水曜日、Les Cendres。明日の「灰の水曜日」を境に復活祭(今年は4月1日)まで節制するので、前日の今日は油脂たっぷりの食事をとる習慣が「ありました」。過去形にしておくわね。私もドーナツを買おうかな。鳥のから揚げもいいね。

le 13 février 2018, Mardi gras




by ma_cocotte | 2018-02-13 17:01 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
立つ鳥跡を濁さず、そして黙って巣に帰り、
庭に穴を掘り、「王様の耳はロバの耳ぃ」と叫ぶのであった・・・・。昨日の午後はちょっとツラい経験をしました。事の始まりは先の土曜の夕ミサ。一年半ほど前、席が近くなったことをきっかけにごミサ前にあいさつするようになったマダムからご自宅でのお茶に誘われました。その土曜の夕ミサに集う常連さんの中でもそのマダムは品も話し方も装いもよその方々とは違い、私は勝手に「マダム・ヂェットセット」と綽名していました。彼女から渡されたご自宅の住所はココんちから旧市街を挟んで向こうにある運河沿いの邸宅です。教会聖堂のごミサでの環境だからマダムは日本でも仏蘭西でも「どこの馬の骨?」である私をご自宅にいざなってしまったのでした。もし教会ではなく市井でしたら、たとえ隣席であっても彼女は私を完璧に無視ですのに、聖堂内で知り合ってしまったからこんなことになってしまいました。本当に申し訳ないことです。昨日の午後はあいにくの雨になってしまいましたが、私は事前にお誘いを断る勇気が持てないままマダムのご自宅にお邪魔してしまいました。そこには土曜の夕ミサに必ずあずかってらっしゃるマダムもいらっしゃいました。彼女もまた、装いもお話の仕方も雰囲気もそんぢょそこらから飛びぬけてらっしゃる。お茶の時間はほぼ三時間に及び、その三時間の話題は私にとって別世界のことばかりでよくわかりませんでした。フランス語の聞き取りだけでもハンデなのに、お話の中身もまったくなんら共通点が見つかりません。お開きの頃には小雨がしっかりした雨になりました。お礼の御挨拶はしましたが、私が発する仏蘭西語が彼女たちに通じたかどうか、私にはわかりません。でも、「立つ鳥、後を濁さず」を心して行えた・・・かも、私の常識がそうであっても、彼女たちの常識では「ありえない」かもしれません。私にはわかりません。ただひとつ、三時間の間になんとなくわかったことは彼女たちはココんちあたりで有名な日本人女性と私を間違えたのかな?ということ。私はその日本人女性ではありませんので、共通の話題もまったくなく、本当に申し訳ないことになりました。私としては跡を濁さずに、まとまった雨の降る中、無事帰宅しましたが、いただいた美味しいお茶もお菓子も胃の中で上手におさまってくれたのかどうかもわからないくらい、胃がキリキリとしました。白髪も増えたかもしれません。子供ならまだしも、成人にとって別世界に長居は禁物だし、お互いのために、というかこういう状況で傷つくのは「馬の骨」側が常ですから、自分の心身のために気をつけねばとあらためて思いました。聡明なマダム方ですから、もう私に声をかけることもないでしょう。ほ。昨日の午後のお茶については「いい夢、見たぜ」です。さあてと、台所に行こう。ココんちあたりは昨日から一夜明け、今日は青空が広がりました。観ろよ、青い空、白い雲、そのうちなんとかなるだろう!です。le 1er février 2018, Brigitte de Kildare
by ma_cocotte | 2018-02-01 18:19 | 『?』なたわ言 | Comments(0)