カテゴリ:『?』なたわ言( 134 )
Mes petites nounours -ココんちの『クマさんズ』-
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フランス人はnounours(ヌヌゥス,ぬいぐるみ)が大好きです。町で見かける4,5歳の男の子も女の子もたいていヨレヨレのヌヌゥスを抱えています。なぜか成人2人+猫3匹で構成されるココんちにもヌヌゥスがヨリドリミドリとありまして,こんにちは『ココんちのクマさんズ』を紹介したう存じまする。
青熊♂と桃熊♀はBritish Airways,真ん中のとっくりセーターを着た熊はAir Franceの機内販売で購入したものです。
桃熊さんの膝に乗っている紫首輪の「ごまテディ熊」を知人からもらったことがきっかけで作り始めたのが手前の「ちびクマさんズ」です。材料はフエルト,刺繍糸,ビーズそして綿,私がぎこちない手つきの自己流運針で作りました。現在わたしの手元に残っているのはこれだけですが,同僚に依頼されてパステル熊,セント・パトリックスデイの白×緑クマ,ピカソ熊などなどいくつか作りました。
・・・どうしているかなあ,みんなたち。
私が生まれて初めて飛行機に乗ったのは21歳の春,ゴールデンウィークを利用して金沢にいる友人を訪ねた時のことです。家を出る直前,私の鼻から血がドロっと出たことは一生の思い出です。それくらい緊張しました。
その後,U.S.A.&カナダの周遊とフランスへの数度の旅で飛行機を何度か利用しただけなので,私の飛行歴は大したものではありません。

たしか1998年に Air France を利用した時のことです。約12時間の長い空の旅の最中,退屈のあまり目を通した機内誌で偶然見つけたのが機内販売のテディ・ベアでした。「イイ年齢して熊が欲しいの?」というもう一人の私のささやきが聞こえながらも,この熊の販売による収益金はUNICEFに寄付されるという目的にも惹かれ買ってしまいました。ささやかながら何かに貢献できて,こんなにかわいいテディベアが手に入るなんてうれしい話です。その後,飛行機に乗る度に機内誌を眺めてはテディベアを見つけていますが,一昨年末 British Airways を利用した時に見つけたのが青熊♂&桃熊♀のカップル・ベアです。Air France の熊と同じく,収益金は慈善団体に寄付されると説明が書いてありました。最初はどちらかひとつを買おうと思いましたが,滅多に飛行機を利用することもないので思い切って「ツガイ買い」!!! 

これまで日本のNational Flag航空会社と今年新卒求職者に最も人気があるという民営ナンバー1航空会社,ローマ教皇御用達の航空会社を利用した時もオリジナル・テディベアを探しましたが,残念ながら見つけることができませんでした。おそらく今年の晩秋あたり私は飛行機を利用することになりますが,その時にもかわいいテディベアに出会えるといいのですが♪
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♡広げよう♡クマさんのトラ輪♡
こっぱ家のクマさんズ par 『こっぱ Diary』
未知との遭遇 par 『茶タローくぅぅぅん』

Tsukino-wa-gumaさんにトラバりたくてもIdentity が「クマ」なのだ・・・!?

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by ma_cocotte | 2005-04-17 05:07 | 『?』なたわ言 | Comments(38)
そこに「愛」がないのなら・・・。
b0070127_0304788.jpgI have looked for you.
Now you have come to me.
And I thank you.
》 by John Paul II
「私はあなたがたを探していました。
今,あなたがたは私のもとへ来てくださいました。
私はあなたがたに感謝します。」 
(ヨハネ・パウロⅡ世の帰天前夜の言葉)


繰り返し読んでみると,新約聖書に出てくる「放蕩息子の話」を連想する言葉です。私のように日本から遠く離れて住む者にとっては,旅立った我が子を思う親の言葉にも思えてきます。望郷。

先日もちらりと書きましたが,母校職員室入口に掲げられた肖像画がパウロ6世からヨハネ・パウロ2世に変わってすぐ,私はその肖像を見上げて「今度の教皇さまってカッコイイよね?」とつぶやいてしまうような「カトリック学校にあるまぢき存在」でした。が,その肖像画より更に昔の,若かりし頃のカルロ・ヴォイチワ神父(後のヨハネ・パウロ2世)の写真↑をこうして拝見すると,ポーランド人にしては鼻の小さい美男子ではありませんか。こういう「いわゆるひとつのイイ男さん」に限って俗世間から抜け出してしまうのですね。スータン(クラシックなロングコートの形をした黒い司祭服)姿でローマの町を歩くヴォイチワ神父さまはさぞかし素敵だったでしょう。

というのも,年末になるとフランスでもカレンダーが売り出されますが,毎年人目を引くのは「美青年カレンダー」です。「そこに愛がなければやっぱり美人でしょう?」を標語に美男美女ヲッチングを「わが人生の趣味」とする私としては,年末になると美男子カレンダーが飾られたショーウィンドウ前で口をポカンと開けたままボーっとすることしばしば・・・。
たとえばコチラ。ローマで見かけたセミナリスト(神学生)のカレンダー。
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え?一生独身ですか・・・・?

7月の神学生(↓)・・・・た,タイプです。
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そして9月の神学生(↓) ・・・・うっとり。
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いったい何があったの?あなたに!? 
わ,わたしと一緒に人生をやり直してみませんか?

と勧誘してしまいたくなるほど美しいではありませんか。
なんとこのカレンダー"Calendario Romano 2005" はすでに購入不可能"Sold out" でございます。やっぱりローマに絶対何が何でも行くぞ!!! と心に決めた私です。な,ナマが見たい・・・。
*HPを見たところ"Priest"と。となると,し,神父さま・・・? い,いかんよ,キミ。

そしてもう一枚,フランスで毎年話題になるカレンダーはこちらでございます。
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ラグビー・フランス代表チームのヌードカレンダーです。
一糸まとった写真は一枚も載っておりません。
もちろん体型は逆三角形,お腹は「キ」の字に割れております。
私はFrédéric Michalak選手(写真・助手席)のファンですが,包み隠さない写真ばかりですのでココに載せることは不可能でございます。・・いえね,載せました(↓)。

*この"Naked French Rugby Calendar" はAmazon USA で購入可能!!*http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/B0006HBLBY/002-5907610-3185616?v=glance
・・・・こういうことを書き終えると,今でも「ちょっと職員室にいらっしゃい。またあなたなのね?」というシスターの声がどこからともなく聞こえてくる私なのでありました。一生のトラウマとはこのこと。
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by ma_cocotte | 2005-04-11 00:29 | 『?』なたわ言 | Comments(41)
今日は私の「マイカー爆発記念日」です。
こんにちは3月31日

今日は何の日? フッフゥ♪

今から5年前ココんちの車が爆発した日!

なのですよ,みのさん。
1999年1月26日にフランスに入国した私がその後「私の夫になる前の夫」に遭ってしまいまして2000年2月から彼のアパルトマンに住むことに相成りました。留学生の引越ですから大した荷物ではありませんがそれでもささやかに荷物は増えており,エクサンプロヴァンスと彼の住む町には長距離バスが通っているとは言っても一日数本,料金も高い! てなわけで,いろいろ考えて中古車を買うことに決めました。ディーラーで見つけると高くつく中古車も情報交換誌の個人売買で探すと廉価な車が見つかります。私達が見つけたのはフィアットパンダ,5000フラン(約90000円)でした。広告主に電話をかけ,まず待ち合わせ。待ち合わせ場所にいたのはそれは素敵なマダムで,売車のある彼女の自宅に行くとなんとエクスからVauvenargues(ヴォヴナルグス,ピカソの墓がある小村)に向う途中の大邸宅でした。売車はトゥーロンの大学に通う息子さんのものだそう。ワインレッドのパンダちゃんでした。色は私好みで迷わず購入を決めてしまいました。

こうして手に入れた初めてのマイカーは私の引越に120いや150%以上の大活躍をしてくれました。イタ車ってかわいいのですよ,外見も中身も。うきうき楽しく乗っていたものの,ある日「夫の母」が「この車,油くさいわ」と指摘,考えてみるとガソリン消費量も早い。でも改善する術も知らず乗り続けていた2000年3月31日夕刻,突然走行中のパンダくんのボンネットから煙がもやもやと出てきました。びっくらこいた私達はすぐ停車しエンジンを止めましたが煙は収まりません。私のかわいいパンダちゃんが白い煙を吐いている・・・・もちろん人がたくさん集まってきました。そして


BOMB!!


そしてボンネットから火柱が一本ドーン!と,・・・ああ・・ああ・・ああ,あああぁ・・・。
さ,エッヴリバディ,ご唱和願います。
♪さよなら大好きなひとぉ さよなぁら大好きなヒト まだ 大好きなひと~ぉ♪
♪くやしいよ,とてもぉ  かなしいよ,とてもぉ  もう帰ってこない♪
♪それでも 大好きなヒト~ぉ♪
・・・と言いたいところですが,夫は「二度とイタ車は買わない」ですと。
この決心はどんなにかわいいフィアット車を見ようが,身悶えるほど格好いいアルファロメオを見ようが変わらないそうです。一方,私はかわいい新型フィアットパンダを見るたびに「フィアット,いいよね・・・ね?」と未練たらたらタランてぃ~ノです。

4月1日はご存知「エイプリル・フール」。
フランスではPoison d'avril (ぽわそん・だヴりる)と呼ばれ,他国同様「大嘘をつくビッグイヴェントデー」です。忘れもしない2000年3月31日パンダくんが火柱をあげた直後,天地をひっくり返したような大雨が降り始めました。こうして土砂降りの雨の中,即死したパンダくんと私たちはレッカー車に乗ってドナドナの旅が始まりました。
ドナドナドォナ,ド~ォナァ♪ 
フィアットを乗せてぇ・・・ドナドナドナ 揺られて行くのぉ♪
エイプリルフール前夜祭にしてはあまりにも派手なビッグイヴェントでした。
おそらく「滝のような雨,天にのぼる火柱」なんてプリンセス・テンコー級です。

一生忘れることはないでしょう。
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by ma_cocotte | 2005-03-31 18:01 | 『?』なたわ言 | Comments(8)
水緩む春のおとずれ。
マルセイユはアメリカ合衆国領事館近くのお花屋さんです。
左隣のカフェをはじめまるで花の都おパリのようなおしゃれな雰囲気を醸し出している一角です。
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実は今日300km南西から『夫の素』と『その妻』が北上してまいりました。子供を持たない熟年夫婦の二人は定期的に小旅行を繰り返しており,今回はカルカッソンヌ近郊の自宅からマルセイユ→トゥーロンリヨンの旅を計画。初日は息子夫妻と一緒に午後のひとときを過ごそうと『夫の素』が決めたのです。
夫は昨年のクリスマスに生まれて初めて『夫の素』の妻からお祝いの電話をもらい15年に及ぶ「冷戦時代」を終えました。が,嫁(つまり私)にとってはこれまで一度も『夫の素』の妻に会ったことも,電話でさえ会話をしたこともなく,『夫の素』の息子(=私の夫)と知り合って5年7ヶ月後の今日初めて私は『夫の義母』に会うことになったのです。『夫の素』が指定した待ち合わせ場所は Plan de Campagne。ココんちでなかったのは私にとって何よりの救いでした。

・・・本当に,本当に緊張しました。

今朝は朝食にカフェ・オ・レを飲み,更に午後は『夫の素』夫妻と共に二度も濃い珈琲(ブラックチョコが添えられています)を飲みましたが,それでも今夜はぐっすり熟睡できそうです。
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ココんちのベランダで『春の訪れ』を告げるクリスマスローズが今年も花をつけました。大地に降り積む雪を割ってうつむき加減に咲く美しいこの花は「祈りを捧げる修道女」にたとえられています。

こうして三寒四温を繰り返しながら,もうすぐ花満開の春爛漫を迎えることになるでせう。
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by ma_cocotte | 2005-03-05 04:19 | 『?』なたわ言 | Comments(16)
忘れかけていたことを思い出したので忘れないうちに残して置きませう。
先日「新聞太郎」について書いていたら脳味噌の奥がむずがゆくなったのです。
それも小脳の奥の大脳基底核あたりが痒くなったので,そう簡単に痒みが収まらない。
・・・・はて?
痒みが落ち着いたところでポロっと思い出したのが「私,新聞に載ったことがあるンだわ」ということです。
ほれ,これ。真ん中あたり,長方形の白黒写真(↓)です。
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1999年9月22日Aix-en-Provence(エクサンプロヴァンス)の中心街で「Un jour sans voiture ノーカーデー」が開催された時のことです。Cours Mirabeau(クゥル・ミラボォ)という名のメインストリートに「環境」をテーマにしたいろいろな店が出たので,あるスポーツショップで自転車を借りました。秋を迎える直前のエクスは本当に天気が良い日で,エクスのクラシックな町並みを走り抜けた時のすがすがしさと言ったら。んー,爽快!

翌朝「夫になる前」の夫とカフェに寄った時のこと,彼はいつも通りカフェに置いてある新聞を開くなり
「・・・あ・・・・」
「へ?」
「こ,これ・・・キミとボク・・・?」
んな,馬鹿な!と新聞を覗くと本当に「キミとボク」の私達が新聞に載っていました。二人で「ふっへぇ?」とおったまげているとカフェのムッシュウがやってきて「おっ!お二人さんぢゃないか?持ってけ,泥棒」とその新聞を快くくださったのです。
その日は「夫になる前の夫」の友人宅で昼食,夜は日本人留学生の家でパーティ。このきつねにつままれたような新聞の話をすると,誰もが「いい思い出だから何とかしなさい」と私に言うのです。
というわけで翌日,この新聞 La Provence のエクス支局を見つけ出し訪問しました。受付のおねーさんに新聞を見せ「見てけろ,これ,あたすだ。カメラマンさんに会わせてくだせえ」と頼むと,おねーさんは快く2階のオフィスで働くムッシュウに会わせて下さいました。
おら 「むっすぅ,おらの思い出になるだんべよ。ネガちょ。」
ムッシュウ 「Bien sûr!(もちろん!)」
とおっしゃりながら,ご自分のPCの画面でネガ番号の確認。そしてこの写真がPC画面に現れると
Vous étiez le plus beau couple hier.
「あなた方は昨日一日で最も美しいカップルでしたよ」
とにっこり微笑んでネガをくださいました。
ムッシュウ,照れるぢゃねーか,そんな気障なことを言えるのは仏蘭西男だね?っっくしょーっっ。
・・・ったくドつきたくなるような言葉をよくもまあスラスラと。
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「夫になる前」の夫と私の写真が新聞に掲載された日は
1999年9月23日木曜日
でした。
なんと「夫になる前」の夫の誕生日。

そして2年後の9月22日「夫になる前」の夫と私は結婚しました。
こういうことがあっても「っひゃーっっ,運命!?」なんて思ってはいけません。
単なる『偶然』なのです。
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by ma_cocotte | 2005-02-17 00:07 | 『?』なたわ言 | Comments(69)
私の一生に付きまとうことになりそうな「1999年1月26日」という日付
1999年1月26日は私が生まれて初めて滞在許可証を携えてフランスに入国した日付です。それまで何度かフランスに入りましたが,いつもヴィザ無しで済む3ヶ月未満の滞在でした。1998年末,東京・麻布のフランス領事館で留学に関するヴィザ申請書類を提出し,数週間後私のパスポートに貼られたものは「仮滞在許可証」というもので,フランス入国後すぐ正式の滞在許可証を申請せねばなりませんでした。私が住むことになった南仏エクサンプロヴァンスの町には運良く県庁支所があるのでそこで申請したにもかかわらず,マルセイユ移民局医院での身体検査,移民局への出頭などすべて役所が決めた指定日時を守って動かないとあっという間にすべてが水の泡となって一からやり直しとなる恐ろしい手続きでもありました。

身体検査は氷雨降る夕方に長距離バスに乗ってマルセイユに行きました。誰もが「恐いよ」という町・マルセイユに緊張して道に迷いながらもやっと医院に着いたら,看護婦さんがいきなり紙コップを私に出して「pipi,pipi! おしっこ,おしっこ!」と指先で紙コップを叩きながら怪しく冷たく言ったこと,その時の彼女の気だるく薄笑いを浮かべた顔は今でも思い出せます。その検査が無事に終わって数週間後,今度は移民局への書類検査のための出頭でした。マルセイユに一人で行ったことがなくて,メキシコ人の男の子とドイツ人の女の子が一緒について来てくれました。それでも緊張してメトロに乗り,初めて訪問したマルセイユの移民局で建物の外まで溢れるアラブの人々の頭数を目の当たりにして面食らいました。

更に数ヵ月後,発行された正規学生ヴィザはフランス入国日に遡ってのカウントでの満期設定,その後フランス国籍者と結婚することになり市民婚姻の申請書類も,結婚後の配偶者ヴィザ申請も全てにこの「1999年1月26日」という私の入国年月日が明記されています。

配偶者10年ヴィザが私におりるまで約2年を費やしました。3ヶ月ごとに仮配偶者ヴィザの更新。これも一度でも怠ると一からやり直し,いえ,「偽装結婚」と疑われてしまいます。ココんちから約40kmのIstresという町の県庁支所に何度通ったことか!一度はせっかくIstresまで行ったの突然の県庁職員ストで閉鎖されていたこともありました。地元警察へも2度出頭。ムッシュウがコンピュータにパチパチと打つ私のアイデンティティはこの入国日「1999-1-26」という数字と共にパリのフランス内務省に同時登録されているのだなあ・・・とムッシュウの手元と画面を交互に凝視したこともありました。ですから2012年に満期を迎える配偶者滞在証明書にもこの1999年1月26日という数字がしっかりとタイプされています。

さてこんにちは2005年1月26日。
2005-1999=6・・・ですから今日は私のフランス入国記念日。
丸6年かあ・・・。

短くて1年,長くて1年半のフランス滞在だろうと想定して1999年1月26日早朝フランスはシャルル・ド・ゴール空港に到着。そこでポン!とパスポートに何の感情もなく押印された日付が6年経った今も私のアイデンティティにきつく絡みついているのも不思議に思えます。このまま日本人の私がフランスでの生活を続けるとなると,おそらく私の一生にまとわりつく「1999年1月26日」という日付なのであります。
まさかこんなことになろうとは・・・・。
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昨日,隣町のIKEAで見つけた水差しです。ココんちで増え続ける観葉植物にこれで水をあげようかなあ・・・と衝動買いです。
左のFaux Pooh(フォ・プゥ=偽ぷろすぺえる)は夫の母からいただいたもの。
ドアストッパーにしています。
彼らの下に引いてある足拭きマットもIKEA製。
ココんちの三匹が爪を研いだりもしますがなかなかお気軽便利な一品です。
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by ma_cocotte | 2005-01-26 03:34 | 『?』なたわ言 | Comments(15)
本当に「腐っている」の?「馬鹿にしている」の?
スマトラ沖大震災後,この事項に関してインターネット徘徊することしばしばの私です。昨夕ですが寄付や献金先団体について少々気になる文章に出会いました。
そこにはフランス赤十字・赤三日月社の腐敗について小耳に挟んだことが書かれていました。
更に私はググッていろいろ批判を集めてみましたが,私が気になったのは次の3点です。
1.スマトラ沖に限らず被災者への募金を赤十字社社員が着服していること
2.赤十字社に関わる医師にも相当額のボーナスが払われるらしいこと
3.社員には無償のものがボランティアには有料で配給されること
以上です。
これが腐っているそうです。寄付をした者を馬鹿にした赤十字社の行為だそうです。一方で目標額が達成したことで寄付を断った「国境なき医師団」を礼賛している文も見つけました。
果たして本当にそうなのでしょうか?
世界中の「赤十字社」も「国境なき医師団」も学校のボランティアサークルではありません。どの団体も世界にまたがる大組織である以上,名称は違えど一般企業同様(大きく分ければ活動(営業),総務,経理の三分野)の人材が必要になります。特に寄付を募る団体であれば,監査役や経理部門の専門職を雇うのは必須です。守秘義務がありますからこれらはボランティアに任せられるほど安易な職種ではありません。彼らは「赤十字」や「国境なき医師団」で働く労働者であり,報酬があるのは当然です。例えば日本の赤十字社の傘下には総合病院も看護学校もあります。そこで働く人々(職員,教授,医師,看護婦等)はボランティアではありません。労働者です。月給はもちろん,労働条件によってはボーナスも支給されます。
労働者である職員とボランティアで参加する医師,看護婦,薬剤師,一般人の立場はまったく違います。
ボランティアはそれぞれの「主」となる,ある意味「肩書」となる職業を持っていながらも,団体の主旨に賛同し浄財を捧げたり,または自分の持つ才能を提供しているのです。ボランティア志願の人々に派遣先で目印となる衣料品などの購入を求めるのは,ある意味で「信頼関係の証」でもあります。それさえできない,躊躇う人に多くの無償の労力を求めるのは契約を結ぶ団体側に一方的リスクを課すことになります。

私はかつて契約社員で大企業に派遣されたことがありますが,正社員とは完璧に「区別」されていました。正社員が会社から受ける恩恵は派遣である私にはまったくありませんでした。「赤十字」や「国境なき医師団」で働く人とボランティアの関係も「似て遠からじ」です。ボランティアが社員への待遇を見て「彼らには無償なのにどうして私には同じことをしてくれないの?」と羨む言葉を口にする権利はありません。

本当に団体職員が寄付金を着服しているのでしょうか?単なる給与(労働報酬)なのでは?
彼らにも家庭はもちろん人生があります。労働報酬は当然です。彼らに与えられた金品を着服と公で口にする前にその団体の会計報告を見る必要があるのではないでしょうか?
誰もが礼賛する「国境なき医師団」にだって有給職員がいるはずです。その給与がどこから出ているかは知る術がありません。が,第三者が簡単に「着服」と声にしたり文章にしていいのでしょうか?

各支援団体を「信じる,信じない」「寄付する,寄付しない」も各個人が決めることです。ヒトによってはも決め手になるかもしれません。小難しい話ではなく単純に自分がタニマチとなる団体を「好く,好かない」という相性で決める人もいるでしょう。
が,大きな国際団体を「動かす人材」とその主旨に「賛同するボランティア人材」は同じ団体名の傘下であっても立場は大きく違うことを私達も知る必要があるのではないでしょうか。
現在スマトラ沖震災で活躍している諸団体に対して「腐っている」「馬鹿にしている」というネガティヴな言葉を発する決定打がまだ私にはありません。

自分の頭と手と足を使って確かめようっと♪
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by ma_cocotte | 2005-01-20 00:48 | 『?』なたわ言 | Comments(26)
もし「この世の楽園」が聖域であるならば。
b0070127_18575.jpgココんち(左の地図で右下の湖岸)からArles アルルへ向かうと地中海岸がわにCamargue カマルグという大湿原地帯が広がっています。フランスの自然保護区域に指定されているので,道路も指定される前にあった獣道を改善した素朴な道(左の地図でオレンジの線)以外ありません。この湿原の向こうの地中海沿岸にSaintes Maries de la Mer(サント・マリィ・ド・ラ・メール)という有名な観光地もありますが,観光バスは一度アルルまで行き,サント・マリィに下るという三角形のサインコースを取ることになります。究極の遠回りです。もちろんスペイン・バルセロナまでつながる高速道路も湿原地帯を避けて大きく曲がって建設されています。美しいフラミンゴが飛び交い,野生の牛馬が群れ,良質の米と塩の産地でもある『大自然の宝庫』カマルグ湿地帯はフランス人にとっては聖域でもあります。

さて,昨年末の大震災から2週間が過ぎました。
昨日テレビを見ていたらインドネシア・アチェでの津波到来から駆け抜けるまでの数分間が放映されました。運良くモスクの屋根に非難した人が撮影したものです。遠くに水の襲来が見え,あっという間に目の前の通りをその水が左から右に駆け抜けていきました。高さは二階の屋根に達していましたから3mくらいでしょうか?水の速さを例えると新幹線のよう。ラテンの国々では闘牛の群れを町に放つ祭を催しますが,迫ってくる迫力はまさに闘牛の群れが押し寄せるような感じです。あの水圧に巻き込まれたら瞬時に呼吸ができなくなりますから即死ですね。

今回の大震災ではインド洋上の多くの観光地が被災しました。フランスでは「この世の楽園」として旅行会社が宣伝している島々です。海抜0m地帯で海と自然と我が身が一体になることで自分が天に持ち上がったような気分を味わえながら,一方で「物価が安い」という優越感にも似た満足感が得られるのも欧州人にはたまらない魅力です。そして異文化と異人と異人がもてなす仏教型ホスピタリティも・・・良くも悪くも・・・です。(特に殿方相手)
でもこれだけの惨状を目の辺りにすると,聖書を知る人々は旧約聖書「ノアの箱舟」の話を思い出します。神が創った地上で行う人間の愚行と怠惰が神の逆鱗に触れ一掃される話です。更には新約聖書最後に載っているヨハネ黙示録の「最期の審判-7つの天災」を思い出し,「この世の終わりがとうとう来たのか!」と言う人もいます。
例えば日本でバブル時代から流行し始めた男性のみを対象としたタイ旅行はバブルがはじけまくっても廃ることなく続きました。アジアのにぎにぎしい景観も手伝って「パンドラの箱を開けたような夜」が繰り広げられています。まさしくそれは快楽の都です。
一方,震災から2週間が経ち,婦女子への暴行,子供の誘拐・売買が既に被災地で始まったと耳に入れば,これはやっぱり聖域で愚行を行う人間へ神が下した逆鱗なのでは?と。人間はこの地域の美しさに惚れ,開発し,限度を知らない商売を始めました。現在のタイはアジアで最も世界中の金が飛び交う観光地です。

おそらく震災の再発を予防するために,地震・津波対策のための最先端技術のもろもろが美しい自然の中に点在するようになるのでしょう。人間への安全を最優先にすると被災前の「この世の楽園」としての景観は拝めなくなります。
もしこの世に神が創りたまうた楽園が存在し,もしそれが今回の被災地であるならば,観光地としての復興よりもまず「自然保護区域」として被災地を復興すべきなのでは?と。もちろんそうすることでどれだけの経済的打撃を被災国が受けるか理解しています。でも津波がその土地に残した「痕」と愚かな人間が被災直後に再開し始めた「弱者の売買」という愚行を知れば知るほど考えてしまう妙案でもあります。
目に見えないとはいえ神さんを怒らしちゃいかんよ。


十 『ノアの箱舟』のはなし 十
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by ma_cocotte | 2005-01-11 00:27 | 『?』なたわ言 | Comments(24)
2005年1月3日になりました。
こんにち,フランスの夜明けは午前8時44分。
暦ではフランス共和国の守護聖人のひとりでもある聖女ジュヌヴィエーヴの祝日です。
今年の1月2日は日曜日だったため,こんにち3日が御用始。学校も今日から始業です。
そしてこんにち1月3日は私の誕生日です。

フランスに住んでいるとはいえ,私の『素』である両親が住む日本を思うと私の誕生日はフランス時間の1月2日午後4時から始まりました。
フランスではおやつを「Quatre Heures(キャトゥルーゥ,4時)と呼び,昨日も4時すぎに例の「ガレット・デ・ロワ」の残りをむしゃむしゃ食べたらカッキーン!なんと陶器の人形が出てきました!
「神さまからの誕生日プレゼントだ!めっるし,もんせにょ~る」
b0070127_1494788.jpgなんて心でつぶやいた途端,なぜかミストラルが吹き始めました。天気予報によると風速90だそうです。これも神さまからの「お祝い」でせうか?夜9時も過ぎてテレビをぼーっと眺めていましたがいつのまにかうとうとうと・・・。
夜中に突然夫の声で起こされました。
「Bon Anniversaire!(ボン・アニヴェルセール!お誕生日おめでとう)」
午前0時丁度だそうです。うっすら目を開けたものの「5年前エクサンプロヴァンスのアパートで同じネタをしたよね?」と憎まれ口を言いつつ,あっという間に深い眠りに落ちました。

今朝は目を朧げに覚ましたらプロスペエルが私のそばで添い寝をしていました。珍しい・・・。ぷぅは今日が私の誕生日だということを知っているのでしょう。寝ぼけながらぷぅのしっぽやらお尻を触ったら,私の手を甘噛みしてきました。
「ありがと,ぷぅ」
それをきっかけに我が身を起こし,猫の朝ごはん♪
外はまだ闇夜。時計を見たら午前7時すぎでした。

お正月3が日生まれということもあり,私の誕生日を「誕生日」として祝ったことは数えるばかりです。戦争を経験した両親は複雑な家庭環境でそれぞれ育ったこともあり,自らの誕生日についてはもちろん,私の誕生日についても希薄です。新宿淀橋区生まれの父は第二次大戦開戦後ひとりで疎開。新潟の山奥の他人の家で図体は大きくなりつつ気持は小さくなって生活し,その間空襲で東京新宿の実家は全焼,子供の頃の写真はもちろん全て灰になりました。そして戦争が終わればドサクサで新宿の土地は奪い取られました。母は疎開はしなかったものの,戦時中に次々と生まれた腹違いの弟妹をはじめ複雑な巨大家族(祖父は長男でしたから)の中で育ちました。私の両親は二人とも生まれも育ちも「誕生祝い」どころではなかったわけです。ですからこの両親から製造された私は誕生日プレゼントはおろか「誕生日おめでとう」という言葉をもらったことも「あったかな?」と思ってしまうくらいの気まぐれ度。幼い頃はよそんちの誕生日イヴェント話を聞くとたまに羨ましく思ったりもしました。が,今は両親の育った時代,環境もささやかながら理解できるので,両親への不満が私の口から出ようものなら天罰がタカリマスです。

実家の習慣で新年の親戚周りは2日と3日だったので,私への誕生日プレゼントはイコールお年玉だし,祝詞は「あけましておめでとうございます」が「誕生日おめでとう」より優先でした。正月三が日ですから友人を招いて自宅で誕生会なんて開いたこともありません。子供の誕生会というのも不思議なもので「招いて招かれて」成り立つもので,子供の頃何度か誕生会に呼ばれたもののそのうちよばれなくなりました。そんな時代を過ぎて就職しても御用始は1月4日ですから誰からも「お誕生日だったんですね」という言葉を私はいただくことになりました。

それでも日本では誕生日が正月3が日と言えば「おめでたいわね」と言ってもらえるし,学校でも「早生まれのおちびちゃん」の始まりとして「遅生れのおねえさま」より体力や学力が劣っても大目に見てもらえます。私にとってそれはなんとなくうれしいとずっと思いつつ成長してきました。

ところがフランスで「私の誕生日は1月3日です」と誇らしげに言ったとしても,熱心なカトリック信者から「ジュヌヴィエーヴの祝日と一緒ね」という返事くらい。あくまで仕事も学校も通常どおり「日常の一日」であります。
そしてフランスの学校制度なら1月3日生まれはクラスの中で1月1日,2日生まれがいない限り「一番年上の子供」になります。一クラス20名程度のフランスぢゃ,ほぼ間違いなく私はクラス一の「姐さん」です。

文化風習なんてこんなもん。
日本にいた頃ずっと信じていて,しかも私にとってささやかな自慢だったかもしれないことは,一歩日本から出たら「何の特別でもない」のです。ちぇ。
もしフランスに生まれ育ったなら相当違う幼児体験をしたのではないかしらん?と思うことしばしばです。

昨年末,歯医者さんでかぶせものを作るように指導されました。先生は「ヴァカンス後に予約を入れましょう」と予約ノートを開き,1月3日以降の時間を促しました。私は内心「自分の誕生日に大口開いて歯をいぢくられるのはいやだなあ」と思い,1月4日午後3時に予約をいれました。

2005年1月3日,フランスのマスメディアはインド洋大地震の第一次募金活動キャンペーンの日です。外はあいかわらず窓を振るわせるほどの強い風が吹き荒れています。でも陽光はまばゆいばかり,南仏の春はそこまで来ています。朝8時前には重たいリュックを背負った子供たちが学校に向かう姿が見られました。車が行き交う音も昨日よりはるかに耳に残ります。

フランス人にとって今年のヴァカンスは昨日まで。
こうして私の誕生日1月3日はちびっとムカっとするくらい何もかも普通に,平凡に,静かに過ぎていくのでした。
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「お祝い」知らずの私には「おめでとう!」という言葉もプレゼントも何故かこそばゆく「大の苦手」でもあります。おまけに「おめでとう」と言われると内心にそこはかとなく「罪悪感」に似たような何か変な感情が芽生えます。一種のトラウマですね。おそらく一生抱えるのでしょう。
「三つ子の魂,百まで」とはよく言ったもんだと今更,先人に頭(こうべ)垂れる私なのでありました。ちゃんちゃん♪
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by ma_cocotte | 2005-01-03 23:59 | 『?』なたわ言 | Comments(8)
というわけで『いのしし』を食べてきました。
厄年という言葉をしばしば耳にしますが,私にはどうやら年に数度「厄月」なるものがあるらしく,どうもただでさえ忙しい12月が私にとっては厄月のようです。思い起こせば日本で仕事をしていた時も御用納めの日に知恵熱を出したり具合が悪くなって早退するのが毎年私の恒例行事でした。

数日前からたらいに乗って激流下りをしている私ですが,火曜日午前中はASSEDICと呼ばれる日本のハローワークのような役所へ出頭後,SaturnへT社のADSLキットを交換に行きました。私の前に現れた男性店員は対応もよく,商品登録の段階で私が日本人とわかると「僕はラストサムライのDVDを買って既に10回は見ました」と話し始めました。日本の電化製品に憧れる若者が電化量産店に勤める例はフランスには多いのです。私も気を良くして「あ~らぁそぉ?アレはほぼ日本の文化だけどちょーっと違うわねぇ,ほーっほっほっ」なんて高笑い。すかもあーた,昨日買った月額20ユーロ用キットより交換した性能がはるかに良いキットの方が1ユーロ安い!ディズニーアニメ「美女と野獣」のお金が大好きなおぢさんみたいにコインを握ってニヤリとした私です。

既にお昼を過ぎて以前から気になるレストランに寄りました。高速道路沿いから見えるフランス最大の倉庫街の入口にある普通のお店ですが,いつも車が一杯停まっているのできっとおいしい昼飯屋なんだろうと高速を通るたびに眺めていたお店です。倉庫街で働く青年男女が集う昼食屋だと気軽に大股でへらへら笑ってドアを開けたら・・・やっばー,中は限りなく上品な空気が流れているではあーりませんか。私は飛び散った目や口が瞬時に鼻の頭にきゅーんと寄せられるような緊張感を覚えました。逃げようか・・・と思ったけど逃げられなくて,メニューを見たら「Sanglier(いのしし)」の文字が目に入ってしまった!冬の名物いのししを食べるチャンスです。迷わずDaube de sanglier イノシシの煮込みをメインに選びました。赤ワインとニンニク,ハーブで煮込まれたいのししは美味ぢゃ,美味。やっぱり冬はこれだね,と満腹のお腹をパンパン叩きながらお店を出たらポルシェの4輪駆動車がドドン!「どの客ぢゃー?」と驚きつつも果たして自分がこのお店に入っちゃって良かったのだろうか?と小首なんぞ傾げながら家路に着きました。

家に着いたらしなくちゃならないのはADSLキットのインストールです。電話とPCをつなぐTriwayという代物があるのですが,それと電話口をつなぐ電線が短いのぢゃ・・・PCの場所を移動することになりました。こんがらがった電線を丁寧に抜いて,移動後再び一本一本つなぐ「小さなことからこつこつと」とつぶやきつつも,こめかみあたりでぷっつ~んと音がしましたね。
この作業が終わるとT社に電話せねばなりません。昨晩とは違う電話番号です。やはり電子声による目的選択ボタンを何度も押し5分以上待って出たのは男性の声。しかもパリ訛り。イヤッホー!この男性は気の利く男性で本当なら申込書を郵送しなければならないのに電話上ですべての手続きを手際よく行ってくださった!やっぱり女性には男性ですわねぇ。E-mailで顧客対応調査が届くだろうから「trés tré bien」にしちゃいましょー。でもADSLは約3週間後から使用できるそうです。すぐに使えるわけぢゃないのね,フランスだもの。

そうこうしているうちに4時半。先週金曜日の夜Hariboをかぢったら右奥歯の詰物が欠けたので歯医者に行かねばなりません。予約は4時45分。
詰物が欠けただけなのでちゃっちゃっちゃーで治ると信じていたのに,歯医者さんに「マダム,奥歯二本をかぶせないと二本とも近いうちに失って大変なことになりますよ」と宣告されてしまった・・・・。っちゃーっっ。予算125ユーロだそうだ。

師走は借金取りに追い回される月と揶揄されるけど,借金でないにしても出費が重なる私。お財布は軽くなっていくばかりです。
更に今朝から水っぱなとのどの痛み・・・節々が痛くなりつつある・・・どうもノエルは寝込みそうですわ。あーあ。
12月は私の厄月と書きましたが「そんぢゃラッキーな月は?」と考えてみるとそんな月なんてありませんでした。それが私の人生のようです。
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by ma_cocotte | 2004-12-22 04:07 | 『?』なたわ言 | Comments(10)