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これこそ複数国籍の「功罪」ではないのかしらん?
先の日曜日に大相撲九月場所が終わり、一年ほど前からココんちのSFR(=共和国の大手電話通信会社)のチューナー548番でNHK Worldを選んでは連日の大相撲ダイジェストを楽しんでいたワタクシ。今場所は超ウルトラ久しぶりに3横綱が揃ったせいか、全体が引き締まっているというか、単純に力士の勢いが強烈で、興奮する取り組みばかりでした(が、昨日、貴乃花親方の引退発表があり、ちょいと胸中複雑。場所中の親方、美しかった、花があったもんねぇ)。

まあ、それは横に置い・・・いや、置く前に今場所が盛り上がったのは、3横綱の、唯一の日本人横綱である稀勢の里の復帰、復活も盛り上がりの炎をいっそう高く躍らせたのではないかと個人的に思うところ。で、立ち合いの不成立が少なくとも3力士に対してあった横綱白鵬についても彼の贔屓筋とそうでないひとびとの意見が二分したことなども、もう棺桶に片足突っ込んでいる世代の私なんぞは前世紀の大横綱・大鵬やら力士からプロレスラーに転向した力道山や曙などなどにあった批判や誉め言葉諸々がわが脳内フロッピーからひょんに飛び出ても来ました。

そんな脳状態で数日目を迎えた今朝からおフランスの報道を賑わしているのが、かつてフランス社会党のスタアのひとりだったマニュエル・ヴァルスがフランスを去り、祖国スペインに戻り、スペインの政界にデビュウするというスクープ。


記事の中見出しを読んだところでどっちらけの感情しかわかんわな。
彼、マニュエル・ヴァルスについてはココでもかつて何度か話題にしたことがあります。スペイン人の父親とイタリア人の母親との間に誕生し、高校生になる年頃までスペインで育ちました。(もちろんスペイン語、イタリア語は現在もペッラペラ)この彼が確か高校入学をきっかけだったかフランスに移住し、成人を機にフランス共和国の国籍を取得。以前から没頭していた社会党でぴっちぴちと大活躍し、首相の座まで射止めた。で、大統領選に立候補し、なぜだかそン時、ヴァルスは現在の自分は共和国国籍のみであり、スペインやらイタリアの国籍は捨てた、とウワサを広めました。彼が複数国籍者だと知っていたあたしは「ウソ言っちゃいけねーよ」と苦笑いでしたが、彼の陣営が流すその噂を信じたひとびともそりゃ一定数存在しました。まあ、私は先の大統領選の最初っからマニュエル・ヴァルスにはドン引きだったので、冷ややかな目でこの噂を眺めれば、ヴァルス陣営が極右票の一票でもヴァルスに流すための愚策だったのだろうなあ、と思うわけで。

きょう、ココでは当時の話題はそこまで。っちゅうか、大統領選予備選で落選したマニュエル・ヴァルスがそれと同時に雲隠れしたのでした。彼が再びマスコミの前に姿を現したのが、ほれ、スペイン北東部カタルーニャ地方の独立運動というか騒動が欧州連合を巻き込んでようやく沈静したかなあ???と我々が思おうとしたあたりです。私の記憶が確かならば、マニュエル・ヴァルスが立派な顎髭を蓄えて、バルセロナだったか美術館に現れた・・・という、それはvery 文化人となっての「復活」でした。一方、写真週刊誌ではこんにちまで一定のリズムでマニュエル・ヴァルスが大統領候補だった当時のパートナーと別れて新しい愛人とスペインでねっとり蜜月だということが繰り返されてもいました。そういうどうでもいい話と同時進行で、バルセロナ市長選にマニュエル・ヴァルスが立候補するらしいよ、とも既に流れてはいた・・・

けど、本当に(ほぼ確定で)彼はバルセロナ市長選挙に立候補すると今日の朝、報道が飛び交った・・・

大統領選の時にはさ、フランス共和国が第一、唯一です、と繰り返していたマニュエル・ヴァルスが(そんなに心酔していない我々にとっては)あっさりと「今のボカぁ、スペインしかありまっしぇん。カタルーニャ独立なんてさせまっしぇん」ですからね。二枚舌と断定できなくもない。

私は以前、マルセイユの近郊に住んでいたので、イタリア国境からスペイン国境までフランスの地中海海岸沿いを車で6時間あれば十分ということもよく知っているし、近所はフランスオリジナルの苗字よりイタリア、スペイン、ユダヤん、アラブんの苗字の家庭の方がおマヂョリティだったことも現実だったし、彼らがそれぞれの母国の親戚の家庭とあまりにも気軽に行き来しているのも目の当たりにしていたので、今更、ヴァルスがフランス捨ててスペインに戻るのも「よくあること」ではあっても、彼の場合はさー、なんだろね。そんぢゃ、もし、万が一というレベルだけれど、先の大統領選挙でヴァルスが大統領に選ばれ、今、共和国の首長、長上、国父であり、エリゼ宮殿の殿様だったら、ヴァルスは今日、フランスを捨てて母国スペインに戻るンですかね?(今日の時点で共和国大統領のマクロンくんはエイメリカはニュウヨオクの国連で演説中w)

ったく、マニュエル・ヴァルス個人のとてつもない野心が表面で煮えくり返っていて、あたしゃ、すこぶる気分悪いです。

バルセロナ市民も、市長選で当選するためにあっさり「僕の第一の母国おフランスぅ」を捨てた人物に市の長上の座を任せるンですかね? ヤだわあ。

お相撲の世界で力士が親方になるためには日本国籍取得が義務と幼い頃に知り、単純に「大変だなあ」と思ってはいましたし、オトナになってから日本国籍を取得するためには生まれながらの国籍を破棄せねばならないという厳しさも知りました。だから、私はフランスびとと結婚した今も日本国籍者であり、フランスには仏人配偶者としての長期滞在許可証を10年単位で更新する形です。
最近はテニスの大坂さんが複数国籍者で、おそらく21歳時に国籍選択の義務が課せられ始めるので、それもまた他人事とは言え大変だろうと予想しますが、今日になって複数国籍者であるマニュエル・ヴァルスがあまりにも軽々と母国スペインとフランスの間をふーらふらしているので、二重国籍も考え物だなあ、と思った次第。本人のモティベーション次第で優先順位を替えられることはよくわかりました、まる


le 26 septembre 2018, Côme et Damien



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by ma_cocotte | 2018-09-26 17:45 | 『?』なオイロッパ | Comments(0)
「そういえば」は続くよ、どこまでも。
そういえば、また思い出したことがありました。
たったひとつの、テロ事件がきっかけで脳内フロッピィがしゃかしゃか動き出し、消えかけの事項が表に出てくることってあるものなのですね。驚いた。

私がスペインのサンチアゴ・デ・コンポステッラに行ったのは2014年の10月で、その時はナント(ナントの勅令のナントね)からポルトガルはリスボンに行き、ファティマに寄りつつ北上しながら国境を越え、スペインのサンチアゴ・デ・コンポステッラに入ったのでした。ですから、お世話になったガイドさんはポルトガル人女性で、彼女はサンチアゴ・デ・コンポステッラにも同行してくださいましたが、かのサンチアゴ・デ・コンポステッラでは地元が認めたガイドしか働けないという絶対条件があり、彼女は私たちと一緒に「地元ガイドから教えられる側」にいました。彼女と私は年齢が比較的近かったせいか、いろいろ雑談もしましたが、彼女の話だとスペイン国籍者とポルトガル人は互いの言語を操れるにも関わらず決して相手の言語を使わないのだそうです。ココでスペイン国籍者と書いたのは、正確には今のスペインは国際において「ひとつの王国」なれど、実は今でも自治州制で、それぞれの生活文化を尊重しあっての平らで等しい民主共同体の集まりであるので、だから、かのスペイン国王もカスティージャの長上さんなんだってよ!程度の意識らしいです。しかも、この自治州という制度はひじょーに政治的でもあるそう。まあ、長期滞在しないとガイジンにはよくわからないアレなんだろうな、と思いました。

で、そのポルトガルとスペインを旅した時、このガイドさんがおっしゃっていたポイントをココんところで思い出しました。
それはポルトガルというのはアラビアというかイスラーム文化を色濃く受け継いでおり、それは地名でもよくわかるし(ファティマもナザレもアラビア語由来)、アルファベットのベースもアラビア語の影響が強いそう。ですが、一方で一時のポルトガルはカトリック国として有名でもあり、アフリカにもかつて植民地を持っていました。このあたりはフランスと似ていなくもない。しかも、今のポルトガルにだってよその欧州列強国に比べればかなり貧しいけれど、他国同様、かつての植民地だったアフリカ諸国からの移民を受け入れる義務は残っています。

ココで余談ですが、おフランスにおける移民制度でかつての植民地には私のようなニフォン人とはまったく別の条件があり、それはフランス国籍希望者本人の両祖父母のうちだれかひとりがフランス国籍を持っていたらそれを理由に仏国籍をもらえるよ、というものね。だから、フランスにはマグレブ(=北アフリカ)圏のイスラム生活文化で育ったひとの入国が今も続いているのです。けれど、これもそろそろ下火かな(アルジェリア独立戦争から何年よ?となるわけで)

ココで話戻ってポルトガル。
ポルトガルもフランスのようにかつての植民地から移民を受け入れているけれど、ひとつだけ大きな違いがある。それは、ポルトガルの旧植民地である国々の今はポルトガル本国より熱心なカトリック国であり、移民としてポルトガルに彼らが移住しても欧州各国で頻発しているテロ事件には至らないとのこと。なるほどねぇ。だって、先日のパルセロオナでのテロ事件。容疑者たちの当初の計画はあのサグダラファミリア聖堂の爆破だったものね。サグダラファミリアはいちおうキリスト教カトリック派の祈祷所ですし、観光の名所でもある。ISがトルコではイスタンブールの聖ソフィア近辺でテロを狙うのも聖ソフィア大聖堂がかつてはキリスト教の正教の祈祷所だったからですかね。だとすると、ISが次にスペインで狙うのはそれこそサンチアゴ・デ・コンポステッラかもしれません。なんてったってレコンキスタ。
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この写真はポルトガルなナザレ Nazaré という漁師町の教会訪問の時に出会ったアフリカからの巡礼者。確かアンゴラから。
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・・・・となると、お仏蘭西だとまさか、まさかのポワティエ? まさかねぇ。

ポワティエも今はヌゥヴェルアキテエヌ地方の一都市です。


le 23 août 2017, Rose


でも、私だけかもしれないけれど、サグダラファミリアにしろサンチアゴ・デ・コンポステッラにしろ世界のあちらこちらのカトリックっちゅうか、イスラム国の戦士さんたちにしてみれば異教の建造物や備品を粉々に破壊したところで、それは人造物だから壊れるものだし、ヒトというか神の創造物はすべて塵に帰るってぇのはユダヤ教、キリスト教だけでなくイスラームの教えの根幹であるわけでさ。・・・と戦士さんを論破してみたくなるよな。

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by ma_cocotte | 2017-08-23 17:53 | 『?』なオイロッパ | Comments(0)
BrExit の話。
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この海の向こうは大英帝國


確か昨日6月24日の朝一番で大英帝国のEU、いや、UEからの離脱が国民投票で決定したと見聞したと記憶しています。ま、その「大英帝國の欧州連合からの離脱」をきょうび、BREXIT と呼ぶのでありんす。

そして、この離脱について移民が問題なのだと話題が飛び交い、その移民がアジアやアフリカからの移民をさしているようにも思えますが、これって実は欧州連合内からの移民にも大英帝國民が「もうかんべんしてくれよ」ということを指しているのだと思うのは私だけでしょうか。

だって、うちの近所に大英帝國に出稼ぎしている身内を持つフツーの仏人家庭がゴロゴロあります。何せ、おシャルルドゴオルエトワアル空港から倫敦のヒースロ空港まで飛行機で45分ですもんね。同じシャルルドゴオル空港からマルセイユ空港に行くより近いわけ。しかも、大英帝國の方が給与はいいし、欧州一のオシャレでアタマいい国だから、身内に英国に在住している者がいればお仏蘭西では箔が付くやら、見栄はれるやら・・・と、仏蘭西に限らず大陸側の諸国民にしてみれば西の島国大英帝國とその首都倫敦は「憧れ」なンである。そんな欧州からあらゆるベクトルに抜きん出た優美秀麗な大英帝國が欧州連合のハブ国にもならず、首都ロンドンがハブ都市にもならなかったのは島国だったり、統一通貨に参加しなかったことなどで「欧州の中の特別、特殊」だったからに違いありません。

きょう25日になり、欧州連合側のエラい方々から大英帝國は国民投票の結果に従い「できるだけ速やかに脱退するように」とほぼ命令が出ました。

昨日すでに仏国営放送などで説明されていましたが、今後、大英帝國に留学したり、就労している者は今までのアイデンティティカードに加えて長期滞在許可証を取得、つまり、カードを二枚持つ義務が発生することになるとのこと。そうなると、どんだけの仏蘭西人が帰国することになるのでしょうか?
たぶん・・・ですけれど、大英帝國内の学費も今まではEU連合国の国民とそれ以外の国籍者(米国人や日本人など)の間に差があり、部外者の私から見ればEU連合国民の学費は「信じがたい安さ」だったのに、これももしかして解除になってしまうのでしょうか?もし解除されたら、大英帝國内の大学や職業専門校に入学できる仏人は極限られてしまうことでしょう。

こりゃ、大変なことになりそうだな、と思っていたところに、今度はきょうのお昼の仏国営放送地方局のニュウスで、大英帝國から仏蘭西に移住している英国人が今までのように長期滞在できなくなるので、彼らの中には仏蘭西国籍取得に動き始めている者もいる、という情報が流れました。

そういえば、確かにナントから南下し、ボルドーからトゥールーズまでの三角地帯に移住している大英帝國人の数は相当なのです。大西洋岸から内陸60km、ナントとボルドーの間にあるココんちあたりも大英帝國人だらけだったりします。なぜ彼ら大英帝國人がココんちあたりに引っ越してくるのかというと、気候が大英帝國本土より温暖であり、なにより物価が安いからなのです。もしフェリーを使ったとしても大英帝國本土から半日で来れてしまうのも人気の理由のひとつ。それが、今回のEU脱退によって滞在がビザ無しだと3か月マックスになります。定年後の初老夫妻だと長期滞在ビザ申請も難しくなる可能性が高い。それゆえ、仏蘭西国籍を取ってまえ、と。うぅうううん。

今回のEU離脱賛成派の多くが高齢者と中流以下の国民層という話も出ていますが、もしそうだとするならば三角形の底辺が賛成しているのだから当然の結果になりますよね。そう思うと、今はムナシイというか、「そうなる」しかないのでしょう。これまた、うぅうううううん。数年後、数十年後にこの三角形の構成層に変化が出、底辺がEU加入賛成となるまで待つのが徳川家康ってか。

うぅうううううん。

まあ、この数年でこれまで大英帝國内に長期滞在し就労していた仏人が本国に戻ってくるでしょうから、そうなってからの仏国内事情はどうなっていくのか、ほんのちょっとだけ興味があります。


le 25 juin 2016, Prosper

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by ma_cocotte | 2016-06-25 20:50 | 『?』なオイロッパ | Comments(0)
ついうつかり怒りを覚えた。
昨夕、犬の散歩から戻り、一時間後に夕食。
夕食前、家人との祈りの時、家人から出された祈りの意向が「デンマアクはコペンハアゲンでのテロ事件の犠牲者のために」というもので、「エェエエエエ!? 私、それ、知らない!」と思わず。すかさず家人から「一時間くらい前だったらしいよ」と返事。

お祈りを終えてテレビに火ぃ入れ、ニュウス専門チャンネルに合わせたら、コペンハアゲンからの生中継中でした。なんでもあのラアス・ヴィルクス Lars Vilks が参加しての「イスラム教と言論の自由に関する討論会」の開催中に、カラシニコフを持った男性が侵入、突然、乱射を始めたとのこと。この現実は翌朝からテレビで会場の外から撮影されたビデオが繰り返し流されています。ビデオを見ると、女性の口上の途中で容疑者が入り、乱射開始。それとほぼ同時に出席者が椅子をひいて机の下に隠れたと思われる音声が続いていました。

仏蘭西共和国ではこの時点で既にIS(イスラム国)支持者によるテロで、武器はカラシニコフだと説明がありました。よその国デンマアクとは言え、テエマがテエマですし、(おそらく)登壇者のひとりが在デンマアクの仏共和国大使。おまけにココ一連の諷刺画を鍵語にしたテロ事件の素であるラアス・ヴィルクスが堂々と参加していたのですから、ISやらアルカイダ支持者にタゲられるのは「当たり前だのクラッカー」と言えるかもしれません。

きょうの朝からニュウス番組で紹介されている、アルカイーダから発せられたシャリアー該当者一覧の写真。
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この右の、9人の写真の真ん中がラアス・ヴィルクス氏です。
そもそも2007年だったか、彼がムハンマドさまの諷刺画を新聞紙上で発表したことで、世界中のムスリムの怒りを買い、直後、仏蘭西のシャルリ・エブド社がラアス・ヴィルクス氏擁護の立場を同様の諷刺画を自誌に掲載することで表明。これをきっかけにシャルリ・エブド社の編集長もシャリアー対象者となりました。で、2011年秋にパリのシャルリ・エブド社が放火され、2015年1月7日にあのテロ事件発生。シャリアー対象者だった編集長は銃殺されてしまいました。それから一か月と7日目に国は違えど、デンマアクでラアス・ヴィルクス氏が公に登場したことになります。周りまわってココまで来て、こうなっちゃったということですわね。

昨日は夕刻にこの事件があり、深夜近くに同じコペンハアゲン市内のシナゴオグ(ユダヤ教の祈祷所)でテロ事件。容疑者の前で「私はユダヤ教徒、ユダヤ人です。」と告白した男性が、告白と同時に射殺されました。これ、先月9日金曜日ののお昼にパリであったユダヤ食品店でのテロ事件と同じです。あの日、犯人は人質ひとりひとりに宗旨出自を告白させ、ユダヤ教徒男性とわかると同時にオートマチックに拳銃の引き金をひき、4人のユダヤ教徒の男性の魂を奪いました。

恐ろしいです。これでは今から70年前のナチスの思想と同じではありませんか。
時が逆行しているのか、時が止まってしまっているのか。
現実で今は2015年、日々前進する時の流れに乗って生きている者にとって、こういう時の流れに乗っていない出来事は気持ち悪さを覚えます。

日曜のお昼になり、昨晩、「私はユダヤ人、ユダヤ教徒です」と告白した男性が即座に生命を奪われたことについて、もし(ありえないことですが)欧州からユダヤ人がひとっこひとりいなくなったら、彼らイスラム原理教条主義過激派の次のタアゲットはキリスト教徒であり、われわれが「私はキリスト教徒です」と告白したら即座に生命を奪われる日が来てしまうのかもしれないね、という話題になりました。笑える話題ではありませんよ、本当に。他人事でもありません。


いくらイスラームが包括宗教とは言え、世界やら地球をイスラームに包括する手段が明らかに間違っています。
他者を脅し、恐怖に陥れて改宗させたところで平和なんか来やしません。

毎度のことだけれど、キリスト教徒にとって日曜日は主日、聖日であり、デンマアクにだってキリスト教信者がいるでしょうに、こんな戒厳令状態では市井のひとびとが礼拝にも行けないではありませんか(それが彼らの狙いであり、喜びでもあるのでしょうけれどね)
せっかくの主日に、ついうっかり怒りを覚えてしまう話題が次から次に飛び込んで来て泣けてきます。

le 15 février 2015, Claude La Colombière
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by ma_cocotte | 2015-02-15 21:08 | 『?』なオイロッパ | Comments(2)
本当は「親ロシア」ではないでしょう。
ウクライナの国内情勢をずっと、そこはかとなく気にしながら、2月半ばに欧州内の仏蘭西から、10000kmも離れた東の果ての小さな島国、日本に私は戻ってきました。
ソチ冬季五輪を楽しみつつ、閉会式直前の22日にウクライナのヤヌコビッチ大統領が首都から離れ、逃亡したことでウクライナの最高議会(暫定政権)はヤヌコビッチ氏の職を解任し、27日付でおそらくロシア国内に潜伏していると思われるヤヌコビッチ氏が大統領職解任が違法、不当であると、ロシアの通信社経由で声明を発表。ヤヌコビッチ氏はロシアに自らの安全確保と庇護を求めていることも明らかになりました。

一方、ヤヌコビッチ氏が逃亡したことで空き家となった彼の住まいの内部が公開され、その豪勢さを目の当たりにしてしまうと、こんな極東に住んでいようがある世代より上はかつてのフィリピンやらルーマニアの大統領の豪邸の様子が脳内フロッピーからポン!と出てくる感覚を覚えたと思います。まあ、国家安泰と呼べど、それは今のロシアの大統領閣下のお屋敷でも同様なんだろうなあ、と余計な想像をする自由も私たち各自が備えているわけで。

で、ここ数日の日本国内のウクライナ関係の報道を眺めていると、ウクライナの東南、クリミア半島にはロシア系住民が多くおり、彼らは首都キエフでの内乱と暫定政権を認めず、ロシアへの帰属を強く求め、ウクライナからの分離独立さえ希望しているとのこと。昨日だったか、親ロシア派の過激派がクリミアの政府庁舎を占拠した報道まで飛び交いました。

ふぅうううん。

なんだか、日本国内のこの手の報道について、とても薄っぺらたい感覚を覚えました。この件、ロシアというよりソヴィエト時代からの背景を知らないと、まったく違う解釈で、第三者の立場である日本人が(きょうびお得意の、きょうび流行の)電脳域での自己解釈披露遊びが始まってしまうように私には思えました。

ロシア系住民がなぜクリミアにたくさんいるのか?
これ、ソヴィエト時代の強制移住の名残りですよね。私の知人はウクライナ生まれ(苗字の語尾が〜チェンコ)だけれど、ソヴィエト時代に中央シベリアのオムシュクに強制移住させられたひとりですし、別の私の知人はスラブ系ロシア人だけれど、親の時代にチェチェンに強制移住させられ、あの内戦でフランスに難民移住しました。
昨日のクリミアでの武装派による庁舎占拠も、記事を探すとクリミアの「タタール人」勢力とあります。タタールと見聞したら、現在の50歳前後のひとならばモントリオール五輪でコマネチのライバルだったソヴィエトのネリー・キムという体操選手を思い出すかもしれません。当時、彼女はタタール人と朝鮮族のハーフだとやたら宣伝されていたからです(当時の私たちはソヴィエトと言えば、金髪碧眼のスラブ人ばかりだと思い込んでいたこともあってでしょう)。そのタタール人がなぜクリミア半島に?まあ、これも、ソヴィエト時代の強制移住のせいだかおかげでないかと拝察します。(余談、北方領土に金髪碧眼の家庭だらけっちゅうのもソヴィエト時代の名残ですよね)

現在のクリミアは工業で栄え、ロシア系の住民が多く、黒海沿岸にはウクライナ国内なのにロシアの海軍基地もしっかり存在する。そして、タタール系のクリミア住民過激派が庁舎占拠した同日に、プーチプー大統領がウクライナとの国境地帯を含むロシア西部の大部分を管轄下に置く西部軍管区で緊急軍事演習の実施、および戦闘対応能力の点検を命令しちゃったという、不思議。というか、モスクワの大本営におかれましてはなんら不思議がないので、こんな命令が出せる「ワケ」ですよね。

ロシアにもウクライナにも何にも関係ない私がこうして眺めている限り、クリミアの「親ロシア」住民というのは本当に「親ロシア」としてウクライナ中央に反旗を翻しているのでしょうかねぇ?かぢったに過ぎませんが、仏蘭西という国でロシアやチェチェン、コソボからの難民移民さんと関わり、彼らの話を見聞した私の印象だと、クリミアの「親ロシア」さんたちは本当は「親ロシア」ではなく「親ソヴィエト」ではないかと思うのです。というのは、ソヴィエトが崩壊、ロシアと言う名で民主化した後のロシア国内の貧富の差は異常で、悲しくも「貧しい」環境となった国民はゴミ箱をあさってでも食料を探すほどの貧しさを経験しているし、チェチェンはじめ内戦に身内を出兵させたことで相当深刻な悲しみを体験しており、彼らは口を揃えて「ああ、ソヴィエト時代の方がマシだった」と言うからです。強制移住させられようと、ソヴィエト時代にゴミ箱をあさらねばならないほどの貧しさにおとしめられることはなかったと彼らは言います。内戦もなかったから、家族の中から戦争犠牲者も出なかった、と。

ここ数日、日本語で「クリミアの親ロシア派住人」と冠されたひとびとが「ロシアへの帰属を願っている」と繰り返されていますが、冷ややかな目で現在のロシアという国を眺めるならば、どんどん極右に化けているし、ロマノフ家は復活せずに、新しい帝王と貴族が誕生するのも時間の問題のような国内事情です。「クリミアの親ロシア派住人」の多くが、もし近い将来、ロシアの国民になったとしても、彼らが思い描く目に見える改善はゼロではないでしょうか。私ゃ、どうにも彼ら、「親ロシア」と冠されたひとびとのノスタルジーの先は現在のロシアでも、かつてのロマノフのロシアでもなく、1917年からの「ソヴィエトとCOMECON」時代の生活に思えてなりません。

プーチプー皇帝が、そりゃ、クリミア半島をなんとしても、どんな手段を使っても手に入れたいだろうことも私は想像していますけれど。ええ、どんな手段を使っても、です。

そもそも、昨日27日のロシアの通信社経由で発表されたとされるヤヌコビッチ氏声明文が本当に本人の頭と手によるものかも実はわかっていないそうです。ちゃん、ちゃん。

le 28 février 2014, Romain


それにしても、クリミアと聞くと、ナイチンゲールを思い出してしまう自分。
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by ma_cocotte | 2014-02-28 10:48 | 『?』なオイロッパ | Comments(4)
きょうは朝からずっとコレだった。
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低い国 Pays bas 、いえ、俗に呼ばせていただくならばオランダの王位継承と新国王即位式についてでざます。
国王がいない仏蘭西という国で、なぜか欧州諸国の国王とヴァチカンの法王についてやたら丁寧に騒ぐのは毎度のことですけれど、きょう、興味深かったことは新しい国王(ウヰレム・アレクサンドル Willem Alexandre )の即位式なのになぜか仏蘭西では妃殿下のマキシマ Maxima さんについての話題を繰り返していました。それはマキシマさんがアルゼンチンの出身で旧教徒だから。今年は3月に選ばれたロオマ法王もアルゼンチン出身なので、今はアルゼンチンが旬なのだそうだ。それのどこが仏蘭西までもが大喜びするのだろう?と首を傾げてしまうのも私が欧州から10000kmも離れた国の、顔のっぺりガイジンだからですね。仏蘭西が元はカトリック国教国だったという藁にすがるマスゴミ・・・呆れます。

午前9時半からの生中継でそういう旧教ネタばかり話していた解説者が、午前十時を過ぎて、この写真の場面がテレビ画面に映った途端、「ココからは新教の世界です」とおっさった。噴出してしまいましたよ。
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カトリック教徒のマキシマさんが今日の主人公のひとりとしてしっかりいらっしゃるのにね。おまけに、背後の絵画は宗教画に見えるけれど宗教画ではないのかしら。

日本國で教育を受けたひとならばオランダ(阿蘭陀)と聞けば鎖国後でもオランダが新教国ゆえに日本との交易が許された国として頭に残っていたりしますが、今のオランダに国教は存在しないのだそうです。確か新国王とマキシマさんの婚姻が決まった時に、マキシマさんは改宗しないけれど、生まれてくる子供の教育はオランダ王家の伝統に従うという誓約があったと漏れ聞いた記憶があります。

さて、オランダという国。
本当に日本国内の日本史や世界史で教えているとおり新教国なのでしょうか?
実は、確かにオランダの王家の宗旨は新教ですが、国教は無し。それでは庶民の宗旨は?となると、意外にも昔からオランダの庶民の宗旨は旧教、カトリックが優勢なのです。日本という国は相手国の長上一族が新教だから交易認可したわけで、もっと広い目で眺めたら国民の生き方はカトリックなので、日本が交易を禁じた諸国の平民さんと同じだったのです。なんだかなー。オランダさん、ラッキーでしたね。

とココまで書いたところで、それでもオランダは新教国だ、とおっしゃる方もいらっしゃると思うので、外務省データを転載しますと、
キリスト教(カトリック27%、プロテスタント16.6%)、イスラム教(5.7%)、ヒンズー教(1.3%)、仏教(1%)、無宗教・その他(48.4%)(2011年 オランダ中央統計局)
と、キリスト教徒の比率は明らかにカトリック優勢の「今のオランダ」なのです。21世紀に生きているのに、鎖国時代の欧州宗教分布をそのままで語ったところで、それは過去。勉強になりました。

そんな話で以下の写真。昨晩(4月29日)の晩餐会の様子です。
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天井の左上に目を合わせると、白い修道服をお召しの人物が描かれています。間違いなく旧教の修道士の肖像でしょうけれど、そういう方面の絵をすべてヘラで削り落とすような新教の宗派でなくて良かったです。あ、オランダという国に国教は「無」。それが「今のオランダ」でした。

le 30 avril 2013, Pie V

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by ma_cocotte | 2013-04-30 23:13 | 『?』なオイロッパ | Comments(0)
.fr ではなく .eu
今年の9月14日の午後、私はアルザスはストラスブゥにござる欧州議会 PARLEMENT EUROPÉEN を見学しました。
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円形庁舎の内側はパティオになっており、テレビ中継の準備をしていました。
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見学するにあたり、パスポオトやアイデンティティカードを持参するように言われていましたが、入館するには空港と同様のセキュリティチェックがあり、パスポオトよりも服に潜ませたヂャックナイフの取締りに厳しく、仏蘭西では高齢の殿方の多くがヂャックナイフを常携帯する習慣があるので、建物から出る直前まで危険物は館員に預けなければなりませんでした。

そんなわけで、欧州議会とはカンケーない日本人のワタクシもなぜか入館させていただきまして、おまけに我が地元から選出された欧州議員によります講義まで拝聴させていただきました。
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金髪のマダムが欧州議会議員で、サルコぢ帝が院政をしかれるUMPの所属。

マダムの講義の後、場所を代えて記念撮影。
更にその後は欧州議会の本会議場を見学しました。
これ ↓ は議員座席表と2011年9月14日付の進行録 Ordre du Jour です。
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座席表は上のマダムの講義の写真の図と一致します。政治について「左右翼」の表現を用いることがしばしばあるけれど、欧州議会においても半円の右が極右で左に弧を描けば描くほど極左政党所属議員になります。

議会見学後、お土産をいただきました。
冷蔵庫にぺったんこできるマグネット付メモ、ティッシュペーパー、ボールペン、メジャーとあまりに小さな欧州法の本。
仏蘭西共和国のアルザス地方に欧州議会があれど、.fr ではなく .eu なのです。
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そして、欧州議会の敷地から出たところでシュプレヒコールが飛び交っていました。
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アラビア語の世界だったけれど、中には子供を連れた女性の姿も見つけられました。この日の午後の議題がリビア、シリア、中近東和平だったのでこうして議事堂前で運動が繰り広げられたのだと思います。

抗議運動の場から欧州議会を眺めました。シリア国旗の向こうに欧州議会。印象的です。
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通りすがりの者でも緊張を感じてしまう物々しさではありましたが、ちょっと目をそらすと、河畔を走るトラムウェイ。
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こちらがアルザスの日常なのでありましょう。


日本人の私にとって貴重な見学となりました。




le 30 octobre 2011, Bienvenue

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by ma_cocotte | 2011-10-30 23:03 | 『?』なオイロッパ | Comments(0)
34年後の同じ日に、
昨晩のニュウスで知りましたが、昨日6月19日に北欧スウェエデン王国の次期国王であるヴィクトリア王女のご結婚のご慶事が首都ストックホルムの大聖堂にてござったそうです。
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http://www.rtbf.be/info/

大聖堂内はこのよう ↑ です。
仏蘭西語の報道での文面だとこの大聖堂は la cathédrale Storkyrkan de Stockholm とあり、Storkyrkanとは何ぞや?と調べたところ、聖ニコラ教会の別名だか愛称のようであります。 la cathédrale カテドラルという名称は旧教や正教会、英国国教会ですと司教、主教の椅子が聖堂内に置かれた聖堂になりますが、はて、かのスウェーデン王国の国教は何であっただろう?と調べたら福音ルーテル派でした。となりますと、上の写真は福音ルーテル派の聖堂内になりますが、祭壇の設えも聖職者の装束も興味深いものがあります。福音ルーテル派は今のカトリックより昔のカトリックに近いように見えます。

さて、昨日、2010年6月19日のヴィクトリア王女の婚姻ですが、遡ること34年前1976年の6月19日、同じ大聖堂でヴィクトリア王女のご両親が婚姻されたそうです。

le 20 juin 2010, Silvère
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by ma_cocotte | 2010-06-20 22:51 | 『?』なオイロッパ | Comments(4)
徹底抗戦の第一声から70年目
きょう6月18日は、大英帝國に亡命したシャルル・ド・ゴール(将軍、後の仏蘭西共和国大統領)がラジオを通じてナチスドイツへの徹底抗戦を呼びかけた日から70年目にあたる日だそうです。
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Lepoint.fr

そんなわけで、きょうは午前中から仏蘭西共和国大統領なんかに身を窶している神聖賢愚帝サルコぢ一世と寵妃カル~ラさまが倫敦はチェルシィ王立病院での式典にお出ましあそばしており、ずぅうううっと国営放送France2では特別生中継番組を流し続けているのであります。↓ きょうの朝の彼と、彼女と、チャアルズ皇太子 ↓ AFP
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大英帝國にしてみれば、同年同月同日にかのウィンストン・チャアチル首相が"This was their finest hour"という演説を行った日でもあります。そんなわけで今日のご慶事となりました。

傍観者である私のツルツル脳においては、第二次大戦中、共和国の外から働きかけを続けていたシャルル・ド・ゴールという人物が戦後の流れで大統領となられたものの、戦時中のナチスに占領された共和国内の事情を知ってしまうと本当にシャルル・ド・ゴールが英雄だったのか?と首を傾げてしまうことが多々あります。冷めた発言が許されるなら、彼はもしかしたら挑発者に過ぎず、彼の挑発で動いた庶民が心身に傷をおった真の戦士ではないかと思ってしまったりもします。


今宵は式典会場が倫敦から巴里に移るとのことです。神聖賢愚帝サルコぢ一世の寵妃カル~ラさまが国母陛下としての使命を横において生業であるモデル兼歌手として華やかに振舞われるのでしょうか。指と指の隙間から拝見したい気もいたしますが、私ももしかしたら大英帝國民同様にそんなことよりワールドカップ!なンであります。あれから70年、今宵の戦はイングランド対アルヂェリアの真剣勝負でございますからして。

le 18 juin 2010, Léonce
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by ma_cocotte | 2010-06-18 20:20 | 『?』なオイロッパ | Comments(2)
日本國では光が当たらない面から光を当てて眺めてみる。
光が当たる先は、こちら ↓  photo @ AFP
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19日、欧州連合(EU)初代大統領に選ばれたファンロンパウ氏であります。

それにしても、日本語標記の ファンロンパウ ・・・・_| ̄|○
アルファベット標記では Herman Van Rompuy です。これをどう発音するかがまず問題で、仏蘭西語だと発音したところで「ファンロンパウ」とは読めません。日本國メディアでは「ファンロンパイ」という表記を選んでいる会社もあり、どうやら y を「ウ」または「イ」の二音に分かれるようですね。仏蘭西では「エルマン・ヴァン・ロンプゥイ」が発音に最も近いカタカナ表記かも。

19日の選出から一夜明け、お仏蘭西でもトップ扱いではないにしてももちろんニュウスで触れている話題ではございますが、まずは以下、日本國の全国紙における関連記事ざます。


EUのファンロンパウ大統領は「妥協の産物」

11月20日11時4分配信 読売新聞

 19日の欧州連合(EU)首脳会議で、初代の欧州理事会常任議長(EU大統領)に知名度の低い小国出身者が選出されたのは、加盟27か国間のバランス重視の結果だ。▼国際社会での存在感より内輪の論理を優先した「妥協の産物」の色彩が強い。▼常任議長には、国際社会でのEUの威信向上につながる指導者として英国のブレア前首相への待望論もあったが、多くの中小国が難色を示した。強力な指導者の誕生で、自国の発言力が低下する事態を恐れたと見られる。その点、典型的な調整型指導者のファンロンパウ氏は、どの国にも無難な候補だったと言える。▼一方で、外交安保上級代表(EU外相)が英国出身のアシュトン欧州委員に落ち着いたのは、国際社会で英国が持つ重みが決め手となったのは間違いない。▼現在、EUの官僚機構である欧州委員会トップは南欧ポルトガルの、民選議会である欧州議会議長は東欧ポーランドの出身者が務めている。「大統領」「外相」に西欧の小国と大国の出身者をそれぞれ据えることで、27か国の地域間バランスも整う格好となった。
(ブリュッセル 尾関航也)




俳句が趣味の「ミスター修理人」 初代EU大統領のファンロンパイ氏

11月20日11時17分配信 産経新聞

 外見通り控えめな性格で、国際的な知名度は皆無に近いが、フランス語圏とオランダ語圏が対立していたベルギー国内政局を円滑にまとめている調整能力が評価された。▼1972~75年、ベルギー中央銀行に勤務し、93~99年の予算担当相時代には大胆な歳出削減を進め、財政再建を果たした。忍耐強く地道な仕事ぶりから「ミスター修理人」と呼ばれる。▼欧州連合(EU)内に敵が少ないことが初代EU大統領に選ばれた最大の理由だ。“ブレア大統領”の誕生を阻まれた英メディアは「首相に就任して1年もたっておらず、敵を作ろうにも作りようがなかった」と揶揄(やゆ)した。▼記者会見では調整型の人らしく、「敗者を生む交渉は良い交渉とはいえない」という持論を披露した。趣味はオランダ語で詠む俳句。母語のオランダ語のほか、フランス語、英語、ドイツ語も操る。
(ロンドン 木村正人)



( ̄~ ̄;) ふぅうううううん。
讀賣も産経も中道よりミギでしょうに辛口と言うか、ε= (´∞` ) Bof と言うか。
EU大統領の人選は最終段階でベネルクス三国(ベルギー、オランダ、リュクサンブルグ)、小国とは言え立憲君主制国家に的がしぼられていたと漏れ聞いてはいましたが、ブレア大統領ですかあ。タニィはローマン・カトリックの永久助祭になるため、そんな暇なんてないんぢゃないの?(-。-) ボソッ

さて、欧州連合初代大統領閣下 Herman Van Rompuy 氏。
日本國では「妥協の産物」「無難な人選」「忍耐強い」「地道」「敵がいない」とされ、仏蘭西では「慎み深い」などと冠せられておりますが、20日付の仏蘭西メディアを見聞しますと、ロンプゥイ氏は
Il sait créer le consensus omnium
らしいです。仏蘭西語だけど途中からラテン語。ロンプゥイ氏は満場一致を生み出す方法をご存知で、二文化融合の国でもあるベルギーにおいて国王からの信頼もこの上厚いそうです。

そして、以下、彼についておそらく日本國のマスメディアでは触れない部分。
un homme simple, modeste
  質素で慎み深く謙虚な男性である。
ancien étudiant du Collège jésuite
  イエズス会中高出身である。
-et de l'Université catholique flamande de Louvain
  カトリック大学出身である。
-adepte de Saint Thomas d'Aquin
  聖トマス・アクィナスの信奉者である。
Ce catholique pratiquant, père de quatre enfants (deux fils et deux filles)
  生活宗旨を守るカトリック信者であり、4人(二男二女)の父親である。
。___φ( ̄^ ̄ ) にゃるほど、大統領はイエズス会士が手塩にかけて育てた男子なんぢゃな。この過去あっての権力にも勝る彼の精神的かつ知的な「縁の下の力」が期待されての選出と。うぅううむ、外れてないロジックかも。とは言え、仏蘭西共和国内におけるイエズス会男子校は既に過去で卒業生が全て帰天したら伝説と化すであろうですが、こうして多くの紙面に Jesuites のキーワードが掲載されるとなると欧州全体ではまだこの経歴は「生きる、生かされる」ということですわな。

そして、ニホーンびとにうれしいことは
Il raffole aussi de l'art japonais du haïku
大統領は俳句という日本芸術をたしなむっちゅうことですなーっはっは。

le 20 novembre 2009, Edmond
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by ma_cocotte | 2009-11-20 21:03 | 『?』なオイロッパ | Comments(15)