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だったら、興味がないわ。 "Non, ça m'intéresse pas."
旅行説明会 の後、会場 ↓ 内の回廊で簡単な茶話会が催されました。
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茶会が始まってまもなく、立食とは言えお菓子や飲み物が並ぶテーブルを囲む環の外にいたココんちの♂♀にまるで旧知のごとき顔で突進してきた老夫妻がありました。挨拶の握手をしながらわかったことは、ココんちと同市内(とは言っても旧市街を挟んで向こう側)に住むご夫妻であること。でしたが、なぜ集会中に自己紹介をしたわけでもなく、40人もの参加者がいたのに私たち二人が同じ市内に住む男女に間違いないとお二人は判断したのでしょう?こちらが質問するよりも前にご夫君から、一ヶ月ほど前に届いた参加者名簿から同じ郵便番号であるココんちの♂♀を見つけ、夫人(つまり、私)の名前が異教徒のガイジンであるし、ご自分の息子が養子に迎えたコレアン Coréen、=朝鮮びとの名前と似ているのでアジアびとに間違いないと予想し、会場を見渡せばアジアんがひとりしかいなかったからこうして挨拶できたのだ、とおっしゃる。聞けば養子となった坊やの名前の語尾が「-ko」で終わるだけの共通点でしたが。

その集会の翌週になってココんちの二人の結婚を司式してくださった神父さまにお目にかかったら、私たちがこの集会に行ったことを既にご存知でした。日曜日にこの老夫妻から既に報告があったのだそう。私から「ムッシュウの息子さんがコレアンの坊やを養子にされたそうで?」と神父さまに話したところ、ムッシュウには二人の息子がおり、もうひとりはリギュヂェ Ligugé の僧院の修道士だと教えてくださった。す、すっぐぉおおい。息子さんがベネディクターン!そして更に、マダムは血液の癌であるらしいとのこと。ムッシュウからこの2月11日に夫妻でルルド巡礼に行き、この集会の前日に帰宅したと伺ったことを思い出しました。なんだか後光が差しちゃってるご夫妻だと思いました。

で、思い出したことがありました。
まだ南仏に住んでいた頃、ココんちの仏蘭西びと♂がバス停で突然知らない女性に声をかけられ「あなたといつも一緒にいる女性はどこの出身です?」と質問されたそうです。彼が「日本人です。」と返事をすると、その女性はすかさず「...あ、なら、いいわ。私、日本人には興味がないから」と言ったそうです。なんでも彼女は養子縁組を考えており、できればヴェトナムびとを希望しているので、もし私がヴェトナム人だったら何かのきっかけになると思い、いつもアジア女である私と歩いているココんちの仏蘭西びと♂に私の出自を質問したのだそうです。それを聞いた私は仏蘭西びとにとって養子縁組の感覚とはまるでペットを選ぶ感覚なのかとふと思ってしまいました。
確かに養子を家庭に迎えれば自治体から養育補助金が支給されるし、その制度を悪用しているヒトもいることを私も知ってはいます。そして、もしカトリック教会での婚姻を共和国民が望んだ場合、結婚準備講座の中で子供に恵まれない夫婦には世の中で幸せを知らない子供を引き取ることも召命だと教えられたりもします。日本國のカトリック教会の結婚準備講座にあずかったとして、養子縁組までの指導を果たしてしているかどうか、どうでしょう?ただし、養子を迎えるにしても、女性が閉経を自覚するその日まで子作りに励むこと!とココんちの二人の婚姻準備指導をなさったイタリア、いや、ローマびとシスターは眼光鋭くしておっしゃりもしました。いやはや、それではまるでユダヤん超正統派ではございませんか。

さて、今も今も或るところにヂャニ・アリデ Johnny Hallyday という翁王がおりまして、先週末あたりから再び愛妃 レティシア Laeticia さまとご一緒に 眼鏡のCM でテレビ画面にやたら登場あそばされるようになりやした。少し前にココんちで愛読しているテレポッシュ(Télépoche, =テレビ番組予告雑誌)にレティシア妃のインタヴュウが掲載されており、そこには2009年のうちにもうひとりヴェトナムから子供を引き取りたい、と書いてありました。「もうひとり」と言うのも、既に二人は2004年11月にヴェトナムから生後3か月の女児を養子に迎え、ヂャド Jade と名付けて共に住んでいます。詳細はこちら → この子の運命。
偶然、タイムリィにも、写真雑誌パリ・マッチ Paris Match 3月5日号の表紙にヂャニ・アリデ翁王ご一家のご近影が掲載されました。
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Photo : Paris Match/Gérard Giaume@Paris Match du 5 mars 2009

あれぇ?アジアんな子供が二人いる。
なんとヂャニ・アリデ翁王と同妃のおふたりは昨年12月にヂャド Jade 姫(写真右)と一緒にヴェトナム国内の孤児院におみ足を運び、この女児を引き取られたのだそうです。現在生後7か月で、名前はヂョイ Joy。英語の Joy 、仏蘭西語の joie、日本語ならば「喜び」ちゃんでしょうか。このたび、Paris Match 紙を通してヂョイ姫の初お披露目 となりました。なんだよ、レティシアったら既に引き取ってたんぢゃんか・・・。

共和国内で町をぶらりと歩けば、一目で血のつながりがない親子であるとわかる家族がかなりいます。この子達がどのようなルートで仏蘭西びと家庭の養子になったのかは存じませんが、以前より今は幸せなのでしょうか。アリデさんちのお子たちは物資では恵まれ過ぎていることは誰もが知っているけれど。同じ屋根の下に住まない立場の者が詮索してはならないことですが、養子を引き取った家庭は自分たちが気に入った外見のペットとして甘やかすのではなく、いずれ彼らが独立して自分が家長として良い家庭を築いていけるようひとつの人格として心身を育てていただきたいですね。

仏蘭西共和国内では3月に入ってから、やたら「ろモパランタリテ L’homoparentalité」という単語を見聞するようになりました。同棲する同性二人に親権を法的に許すかどうかという問題のようです。お仏蘭西では両親の離婚後、現状で約30000人の子供が片親と恋愛関係にある同性の成人と共に生活しているそうです。・・・私ゃ、この現状を知りませんでした。共和国内の町をぶらり歩いても同性の両親と一緒の子供という家族形態を見た記憶がございません。これから段階的に同棲する同性二人が養子を迎えることが仏蘭西では問題ない方向に向かうように政府は計画していくらしいです。ホモセクシュアルの婚姻の認可より先に「家族計画」を認めることとなる?この「ろモパランタリテ L’homoparentalité」については今しばらく動向を見守りたい深刻な御題でございまふ。テレビ討論に登場されるホモセクシュアルの方々は養子を引き取ったところで何も深刻ではないとおっさってるけれどね。そうなのかなあ?もんのすごーく深刻だと私は思うよ。私がもし子供だったら両親が同じ性だったら悩むだろうけれど、子供が物心つく前から家族として生活を始めるのだったらそれが当たり前だから「なんら深刻な問題ではない」という考えなのかしらん?うぅうううん。

le 9 mars 2009, Françoise Romaine
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by ma_cocotte | 2009-03-09 16:54 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(2)
飛び入りして後片付けもしないで去れるとは、
こんにち、そのやふなことをあそばしますとは、オソレオオクモカシコクモ(ココで最敬礼)、どちらの親王さま、姫宮さまであらせられますでせう?

ココ数日、ご自分が知っていること
①2008.1.13.のシスティナ礼拝堂でのミサは、「パウロ6世の名で公布されたローマ・ミサ典礼書」が使用されていること
②教皇様の朝ミサも、同じ典礼書が使用されていること
③メアクルパを「集う者全員」で声をそろえて唱えるのは、「パウロ6世のミサ」においてだということ
を拙ブログに自ら持ち込み、エントリーとは話がそれる方向に持っていく大量のコメントを残し、こちらの質問には何ら答えず消えた方がいらっしゃいます。HNが 匿名 とおっしゃる方で、拙ブログスペースを貸してくださっているエキサイトブログ社から提供されているIPアドレス表示を元に調べましたら、他の掲示板等では別の名前で活躍されている方とまったく同じIPアドレスであるということまでわかったことをまず申し上げておきます。ついでに、数日にわたり 心のともしび運動 HPから御文を拙ブログに無断転載を送信し続けている方とは別人です。

さて、匿名さんが拙ブログのコメント欄に初めてコメントを下さいましたのは、2009年2月25日でした。元は鍵コメントでしたが、今回のこのエントリーのポイントになる部分は別の色に反転いたします。匿名さんが引用した私のコメントについてはにします。
Commented by 匿名 at 2009-02-25 23:39 x
at 2009-02-25 21:05の記述
>そして教皇さまが毎朝7時に小聖堂であげている背面ミサも、毎年1月にシスティナで行われる幼児洗礼式での背面ミサも第一ヴァチカン公会議以前の背面ミサで、イタリア語の典礼文です。
ま・ここっとさん、これだけは訂正してください
これは、まぎれもないノヴス・オルド(パウロ6世の新しいミサ)です。
ノヴス・オルドを背面祭壇であげておられるのです。
〝第一ヴァチカン公会議以前の背面ミサ〟??
〝FSSPXが言う聖伝のミサが誕生する以前の典礼〟??
これは、違います。式文を見て、所作を見れば明らかです。
是非、ビデオをご覧ください。イタリア語のノヴス・オルドの典礼文とどこが違いましたか?1990年代に、典礼秘跡省が、ノヴス・オルドを背面祭壇であげる方が良いこともあると、文書で出していることは、ご存じですね。
こうして初舞台を踏まれた匿名さんが9日後の3月6日になって私宛にこんな問いを別の拙エントリーのコメント欄にお書きあそばされました。
Commented by 匿名 at 2009-03-06 04:16 x
15
ま・ここっと様
>匿名さんが1970年以降のパウロ6世ミサ=ローマ典礼と限定してしまうと
★?????どこで、限定したでしょうか?????
(後略)


Commented by 匿名 at 2009-03-06 00:05 x
ま・ここっと様
2009-03-05 16:08の私に対するコメント
>匿名さんは典礼を信じているのですね。
>どうしてもPaul VI ミサを分断されて生み出された典礼と主張したいのでしょ?

??なぜ、そういえるのですか??
??そんなことどこにも書いていませんよ。??

以上、鍵コメントを悪く用いている一例になりますか。今一度、匿名さんご本人が初めて拙ブログにコメントを残された時のコメント ↑ に戻ってみましょう。匿名さんは
まぎれもないノヴス・オルド(パウロ6世の新しいミサ)
これは、違います
これだけは訂正してください
とご自分でタイプしたコメントを送信、2009年2月25日23時39分付でこちらが着信しています。次に、匿名さんが初送信で引用した私のコメントをご覧ください。
>そして教皇さまが毎朝7時に小聖堂であげている背面ミサも、毎年1月にシスティナで行われる幼児洗礼式での背面ミサも第一ヴァチカン公会議以前の背面ミサで イタリア語の典礼文です。
私は「第一ヴァチカン公会議以前の背面ミサ」と「イタリア語の典礼文」の間に句点( 、 )を使っており、教皇さまがイタリア語で典礼文を唱えているところまでしか私は触れていませんし、それ以上の内容について私は何も書いていません。
典礼文の中身について話題を変えたのは明らかに匿名さんです。
その後も匿名さんは私のコメントを読まずに見てキーワードで反応するだけになり、最終的に以下のようなやり取りになりました。
Commented by ma_cocotte at 2009-03-06 05:35 x
★ 匿名さま、何度も同じ文章をおそれいります。
それでもトリエントミサ以前の典礼様式なんですよ。
教皇さまの司式ミサは戻りすぎだったのです。
どうして典礼文にのみばかりこだわりますか?
たとえ典礼文が1970年の改訂版だとしても元は1570年以前のものを
改めたもの
であり、2008年1月13日の典礼様式は1570年以前に
基づくもの
です。
この拙文 ↑ に対し、匿名さんから以下の返答が送信されました。
Commented by 匿名 at 2009-03-06 08:18 x
ま・ここっと様
(繰り返しですが)
>それでもトリエントミサ以前の典礼様式なんですよ。
★「トリエントミサ以前から続いてきた様式」とは、
司祭が背面祭壇の方を向いて=会衆に背を向けて
ミサをささげること、を指しています。
司祭の向き(立つ姿勢、祈る方向)が、
「トリエントミサ以前から続いてきた様式」なのです。
そして、使われているローマ・ミサ典礼書は、
「パウロ6世によって公布されたローマミサ典礼書」なのです。
¢( ・_・) エェエエト?
このエントリーの冒頭に戻ると匿名さんが引き合いに出したあてくしの拙文
>そして教皇さまが毎朝7時に小聖堂であげている背面ミサも、毎年1月にシスティナで行われる幼児洗礼式での背面ミサも第一ヴァチカン公会議以前の背面ミサで、イタリア語の典礼文です。
何か、どこか、間違っていますか?
結果として今回のやり取りを振り返ると9日間にも渡ってインネンつけられたような嫌な気分になります。しかも、匿名さんは最後のコメントで「では、良い四旬節をお過ごしくださいね。」で
あ ば よ っ っ !
これ、電脳界で言うところの釣り?それともヨソのステージで踊り疲れて、イイ汗かいての退散ですか?床に落ちた脂や汗水を拭くのは私の仕事だと? 
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↑ 14世紀に作られた手書によるローマ典礼書  Missel Romain


何度も匿名さんとのコメントのやりとりで「パウロ6世が定めた典礼文」について拘って書き続けられる理由を尋ねましたが、まったく返答がありませんでした。いったい何が匿名さんの目的だったのでしょうか?ご本人が
Commented by 匿名 at 2009-03-06 04:59 x
私の目的は〝事実の確認のみ〟です。
それ以上でも、それ以下でもありません。
とコメントを残してらっさいますが、私は2月26日の段階で匿名さんに、
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 00:36 x
私はL'Osservatore Romano 紙の記事で、その説明を読みましたが
違うのですか。訂正を私が貴殿の指摘のみで勝手にしていいものでしょうか?
と書きましたし、その後も
Commented by ma_cocotte at 2009-03-05 17:20 x
★ 匿名さま、
selon la manière antique attestée universellement dans
tout l’univers chrétien (jusqu’aux prétendues réformes
de Martin Luther qui a voulu célébrer sa cène face au peuple).

・・・・_| ̄|○  まー、いいや。
匿名さんとOR紙で話し合ってください。
等等、私は何度も繰り返しています。が、こんな返答も匿名さんからいただきました。
Commented by 匿名 at 2009-03-06 01:10 x

ま・ここっと様
>匿名さんとOR紙で話し合ってください。
そんな必要はありません。
なんぢゃあ、こりゃあ??確認しないのぉ? 
きょうのきょうまで匿名さんのIPアドレスのみがわかっても、匿名さんの性別もわからなければ、匿名さんがカトリック聖職者なのか、キリスト教神学者なのか、カトリックに関わる修道者なのか、神学生なのか、還俗者なのか、世俗なのか、世俗でも末席なのか、教導資格があるのか、典礼委員長や教会役員に選出されるほどの立場なのか、それともFSSPXのミサに通う方なのか、カトリックとFSSPXの両股かけなのか、私もこの場に集う読者も何も匿名さんについてわからないまま、私がこの電脳上の公衆で
そうですね、
あなたがおっしゃることは正しいです。
と返答できるでしょうか?しかも典礼書の内容、中身については私の独断で正誤判断できるレベルではありませんよ。匿名さんから私に「典礼書の厚さでわかるでしょう?イタリア語の典礼を耳にすればパウロ6世ミサの典礼文だってわかるでしょう?」とまで圧されたけれど、
わかるわけないぢゃん。(*´Д`)=3
おそらく匿名さんは祭壇の向こうに立つことのない私に、祭壇の向こうについての私の知識における正誤を確認して、公衆に知らしめたかっただけだったんだよねぇ。カト的空回りとはこのこと。
言い返せるのなら、舞台の小道具のように分厚い典礼書の中身が真っ白の紙でも祭壇の手前の立場の私には構いません。メアクルパを唱える時に3度胸をたたくのはパウロ6世ミサのみの所作であっても、教皇庁や世間がウヰリアムソン師の件で使用している Mea Culpa という単語の意味はなんら変わりません。辞書で Mea Culpa を引いたとしても「Mea =私の、Culpa=過ち」であって「Mea Culpa : 胸を3回叩く動作」なんて書いてありません。いつ、どこで教皇庁がウヰリアムソン師に典礼所作と典礼文丸暗記という課題を達成すれば無罪放免にするなんて公布し、それを世間の一般全国紙が取り上げて騒いだのでしょう?ご自分の知識を拙ブログで披露することに懸命になり、元の話からご自分の語りたい話題に摩り替えるのもここまで来るといかがなものか・・・つうか、そんなことをしたい匿名さんの目的は何でしょう?
...これで、もし匿名さんが世俗の女性でしたら?
_| ̄|○  なんておそろしい。四旬節だからこんなことがアリエルなのねん。

ここで、各新聞が教皇さまの背面ミサがトリエント典礼ではないことを証明するのに懸命だった理由が何であるか触れてみましょう。

2007年7月7日のモツ・プロプリオについてカトリック新聞紙上で、某カトリック修道会の日本人修道司祭の説明文が掲載された内容を私も友人を通じて拝読することができました。が、その内容は仏蘭西国内の報道で流れた背景とまったく違いました。カトリック新聞の記事には「トリエントのミサが認められるのは『聖ピオ十世会』のような人たちのためです。」(原文のまま)とありましたが、そんな理由は欧州では微塵も流れませんでした。だって、2007年7月7日以前に教区はじめ教区長から認可がおりた複数の修道会聖堂でトリエントミサは絶え間なくあげられていたのですから。
欧州の大地で語られた2007年モツ・プロプリオ発布の経緯は第二次世界大戦終了から63年が過ぎ、背面ミサが目に入っただけで、グレゴリオ聖歌が耳に届いただけでトラウマに苦しむユダヤ人世代の多くがこの世を去ったこと、教皇JPIIが異教の方々に謝罪の行脚を続けられたことの結果としてトリエントのミサをおこなう条件を緩やかにできると見計らったこその実現であるということでした。この裏事情説明が報道で流れたのは2007年はじめで、モツ・プロプリオ公布の半年近く前です。終戦後まもなく欧州各国に帰還したユダヤ系の方々がいろいろと訴訟を起こす際に、トリエントミサなどを絡めて賠償を求めることも続いていたのです。「ちらりと見聞するだけで意識を失う」等。つまり典礼文の内容なんて異教徒には関係ないのです。背面ミサの様子を目にしただけで発症する心身の苦しみをカトリック教徒はわかっているのか?ということが社会問題だったのです。だから、教皇さまが2008年1月13日にシスティナ礼拝堂で背面のミサをあげた時に欧州の一般全国紙が丁寧に説明したのは、教皇さまがあげた背面ミサはトリエントミサではないということなのです。一方で1970年以降に生まれた人々には対面でなく背面のミサなのにトリエントミサではないとなると「そのミサは何というミサ?」となるし、FSSPXとこの団体の支持者が背面ミサであっても典礼が「第二ヴァチカン公会議以降に作られたパウロ6世ミサ」だから「伝統でもなければ、聖伝でもない」と噂を飛ばす可能性が高いので「教皇さまがあげた背面ミサがローマ典礼であり、この典礼は1570年以前は背面かつ現地語だったのだ」と各紙が説明しているのです。
ま、ユダヤ租界もなければ、日系ユダヤ人もユダヤ系日本人もいない日本國にはまったく関係ありませんね。はい。
欧州における第二次大戦終結は1944年5月8日、第二ヴァチカン公会議開催は1962年10月11日。嘘か真か、この18年と5か月3日の間、宗教を越えて世界の平和を考えたからこそローマ典礼がパウロ6世ミサという名で400年ぶりに陽の目を見たとも語られていたりします。果たしてパウロ6世ミサの制定は「ユダヤ人のせい」でしょうか?近代史を涼やかに振り返ればカトリックが第二次大戦以前のように自我を張れない事情があるとしか見えないし、報道で流れたように背面ミサを垣間見ただけでスイッチが入ってしまう方々が21世紀に入りほとんどが帰天していること、JPIIが在位中に先頭になって続けられた償いあってこそトリエントミサの認可手順が緩和されたという事情は私個人はわからなくもありません。もし第二次世界大戦なんかなかったらトリエントミサはずっと堂々と続けられていたかもしれません。
今年に入ってからのFSSPX 関連の話で、教皇さまが4司教破門解除は教会一致までの長い道程の中での一基点をひとつ置いたに過ぎないとおっしゃっていること、本当にそうだと思います。起点ではなく基点です。

拙ブログなんかで自己知識の披露に懸命だった匿名さんより、OR紙や一般全国紙の編集者の方がよっぽどカトリック教会にも、異教徒にも、一般社会にも気遣った記事を提供しています。どうやら「自己の平和」と「自己の満足」は必ずしも同じではありません。
自己が不満足になると予想しても、
世の平和のためにできることを個人がする
今回の件で身に沁みてよくわかりました、まる

le 7 mars 2009, Félicité
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by ma_cocotte | 2009-03-07 17:18 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
旅慣れない民への「飴」と「鞭」
もうかなり前になりますが、EU諸国内で最も海外旅行をしない国民はフランスびとだと見聞したことがあります。当時、数名のフランスびとに確認がてらその話題を出したら「そりゃ、そうさ。フランスほど美しい国はこの世にないから外を見るよりフランスの美を知ればいい」なんて返事をもらったこともありました。旧市街の旅行会社のウィンドウを眺めても、一見海外でも実は元はフランスの植民地だった国へのいざないが多かったりします。そんなドメスティックな庶民を大量に抱え込んでしまった神聖賢愚帝サルコぢ一世が共和国大統領なんかに身を窶してまもなく地中海クルーズやらエイメリカなど家族と一緒の海外旅行をすることで臣民に見本を示したつもりだったようだけれど、あたいら庶民にはあーたのような旅行費用丸ごと出してくれるユダヤん人脈なんてないのよ。深読みすれば、フランス国内の主な海外旅行会社のオーナーってサルコぢ一族のお友達ぢゃないの。私たちが一生懸命働いて貯めたお金はなぜかサルのお友達の懐に入っていく~~ンだな。Bof。

この春、私は初めてフランスの旅行会社が関わる団体旅行でフランス国外に出ることになりました。「出る」と言っても隣国イタリアはローマですけれど。私にとっては夢だったローマ訪問がかなうことになります。一生のうちに行けるかと想定するくらい「近くて遠いローマ」でしたが、どうせ一生に一度のローマなら史跡と教会建築や美術をツーリスティックにひやかせたら、と願っていました。ああ、そして何よりも我等が ラ ッ チ ン ガ ア をこの目でお見上げ申し上げたいのです。(隣のゲオルグだろ?という突っ込みはどーかなー。だったらベルトーネのタルちゃんにぜひぜひ)。そんな私の夢を数年前、南仏にお住まいのイタリア、いや、ローマ人シスターにおしゃべりしたら、私のこの目的には教区主催の巡礼団に参加すると安くてお徳だと勧められました。
その勧めをいただいてからできるだけチェックはしていましたが、ココんちが南仏から中西部に引越したこともあり、教区の教勢やら内情の違いから巡礼がお手軽お気楽でないこともわかって来ました。こんなことだったら南仏時代にローマ巡礼に参加すれば良かったなあ。だって、ニースからフェリーに乗ってローマ入りですぜい?それってちょっとした 地中海クルーズ ぢゃないのよっっ!? 後悔のみざますね。

さて、今年たまたまココんち地元の教区がローマ巡礼を企画したので、ココんちの♂♀が参加することにしました。
マ・スールの嘘つき。参加費用がデラデラに高い。しかも、応募当初に金額フィックスではなく、参加者数によっては更に費用が上がるとまで予告されていました。一緒にいらっしゃる司教さまの旅費分の分担金の問題でしょうね。1月の終わりに残金振込みの手紙が届き、当初の料金で済み、内心ちょっとホ。それでも1300+αユーロで、数日後に地元のスーパーの企画でインドネシア・バリ島旅行が1000ユーロちょいと知り、ドけち魂が抜ける思いをしました。

2月の半ば、このローマ旅行に参加する人への説明会があり、ココんちの♂♀が出席して参りました。6泊7日の旅程の説明がなされ、そこでの重大発表というか、ま・ここっつぁん号泣のお知らせが。なんと、その週の水曜日に限って 
教皇さまの 一般謁見ショーが にゃいっっ!!!
ミーのメインエヴェントがにゃいンでありまっす。ウワァァーーーー。゜(゜´Д`゜)゜。ーーーーン!!!
こんな話ってあるぅ?こんな運命ってあるぅ?こんなことで大当たりぃ!てか?
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びょーびょーと泣く私にココんちの仏蘭西びと♂が「また行きゃいいぢゃーん」と、ボソ。何事も「せ・ら・ヴぃ。おんヴぇは。C'est la vie, on verra 」の国のヒトですもんねー。あたしゃ「死ぬのは未練たらたら、一寸先は闇よ」の国のヒトだからさ、この運命、恨むよぉおお。(T□T) 
もうこんなハズレの巡礼旅行なんてどーでもいいやと延々と続く旅行説明会も上の空で、今宵の夕食をどうしようかと西日が入る窓の外を眺めていたりしましたが、説明会の最後になんだか添乗員のマダムが入口近くに積み上げられたダンボール箱からごそごそと取り出し、参加者全員に配布し始めたのでした。それが次から次に私の膝に積み上げられましたが、こんなもの ↓ 。
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お揃いのデイパックに、スーツケースにつけるネームとシール。そして、ローマ市内の教会説明書(15ユーロもする!)、3月全日分の典礼が掲載された本(3.90ユーロ)に、巡礼日程中に利用する聖歌集です。い、い、い、
いらんわ、こんなもーん ヽ(`Д´)ノ
しかも、我が耳に入ってきたのはローマ滞在中はお揃いの黄色いスカーフを着用のこと。ずぇ、ずぇ、ずぇったいやだあああ ウワァァーーーー。゜(゜´Д`゜)゜。ーーーーン!!!
死んだ母がそんなもんを着用する子に育てた覚えはないって泣くぅうううう。・・・と妄想したいくらい、そーゆーのが苦手な私だったりします。だっさー。黄色で何か特注だよなあ。横ではポケット一杯の新品デイパックに大喜びのココんちの♂やら嬉しそうにいただいた物品をデイパックに要領よくしまうぢっつぁま、ばっつぁまの様子が我が目にゴロゴロ入ってきました。デイパックに刺繍されたロゴをよく見れば、しっかり十字架があしらわれており(それも2つも)、これではきょうび耶蘇小学校低学年用ランドセルではないか・・・・_| ̄|○ 勘弁シテクレイ。

何せ海外旅行に慣れない仏蘭西びとの中でも、今回の参加者は仏蘭西観光ガイドにも掲載されていないほどのクソど田舎地方の土に返る人々の集まりだからして、6泊7日の参加費用は高いと言えど、集合直後から解散までお財布を開かなくて済むようになっています。全食事つき、自由時間なんてほとんどありません。流石、お仏蘭西。Club Med スタイルが愛される国だべ。参加者は同じラベルを貼ったブロイラーのようです。
ふっふっふ、久しぶりに風紀違反を楽しめる予感がしてきましたねー。ワクワク。
で、この旅行説明会の最後の最後にとどめの一発がありました。そ、れ、は、
旅行初日の集合時間が 午前3時30分

ヴぁ、ヴぁ、ヴぁっきゃろーっっ!にゃろめーっっ!尋常でないわいっ、ヴったぎってやるぅうう! ヽ(`Д´)ノ


と、瞬時に怒髪天を突いたのはどうやらソコに集う唯一のガイジンの私だけだったのでした。くそド田舎の農耕民族やらパピィ・マミィ(祖父母)どころかペペ・メメ(曾祖父母)年齢のぢっつぁま、ヴぁっつぁまにとっては午前3時半なんてありがたい時間なんだべなあ・・・・。しかも、会合が閉会したら次々とぢっつぁま、ばっつぁまがあたすら♂♀の前に現れて「あんたら一番若いから、巡礼中は大活躍だねぇ」という予告編。会合中に巡礼旅程中のミサにおける聖書朗読や先唱のお手伝いが募られた時は皺がハレーションするほどの輝いた子供のような顔で挙手していた連中がだよ。それ以外の大活躍って何よ?....ま・ここっつぁんの脳裏にはかつて参加した教区主催ルルド巡礼であのシャリオ(重病者を運ぶ荷台)を80歳を過ぎたマダムと引くお手伝いをし、結局、心臓病を持つマダムを庇うあまりま・ここっつぁんが一人であのシャリオを引いて丘を上り下りした記憶がフラッシュしたのでありますた。
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↑ ルルドの商店街の路地で JPII にばったり ↑

さてさて、どうなりますことやら。ヂャウ・ハランバン夫人、まもなくローマに参ります。

le 6 mars 2009, Colette
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by ma_cocotte | 2009-03-06 16:42 | 『巡礼』 Rien de special | Comments(10)
隠したところで、隠れたところで、
2009年2月4日付でヴァチカンから同年1月21日付で破門解除されたばかりのリシャアル・ウヰリアムソン司教の私見発言について 前言撤回を求める文が公にされたもの の、その週末までにウヰリアムソン師が微塵も動かなかったことで2月8日日曜の一日、その事実が繰り返しニュウスで流れた後、ぷっつりすっぱり仏蘭西国内の報道各社はこの件についてヴぃるギュウル virgule ( , =カンマ)を打ちました。会社によってはポワン point ( . =ピリオド)を置いたつもりだったのに、2月末の一件 で段落を変えて再びストーリーが始まったのかもしれません。

======十======


週明け、その翌日の2月9日から仏蘭西国内の報道が一斉に流し始めたのはベルギーと国境を接する仏蘭西北部の大都市で39歳になるカトリック司祭がペドフィル pédophile、=幼児性愛で捕まった 事件 と、仏蘭西南部の歴史ある町に住むカトリック大司教がどうも教区公金を自分の旅行費用に常々充てていたことを教区司祭数名によって公に訴えられたというニュウスでした。
* La Croix : Le diocèse d’Avignon en situation de blocage
* Liberté Politique : Avignon : un évêque offensé, une Église blessée
ひとつめのスキャンダアル、39歳の司祭はインターネットを使って少年を探し、13歳になる男子はじめ幼児と言うより青少年に対してやっちゃいけないことをやっちゃったのだそうだ。ふたつめのスキャンダアルにおかれましては大司教側が公に訴えた司祭を役職から外したらしい。報道の中にはヒエラルキアの悪用と教区機能の不全を批判している文章も見られます。
なんだかなー、もー。 ポリポリ
今年2009年はアヴィニヨンに教皇庁が置かれて700年という記念年で、その式典にB16がお出まし!?、ゆっぴい、ゆっぴぃ!な噂が流れはじめただけに、とってもぶっつけスキャンダアルですわね。

これらのニュウスが流れたところで「なぜ教区が内部の不祥事を隠さない。聖職者を守らない。」と声高になる仏蘭西びとはあんまりいないようです。私個人はこの手のカトリック教会内事件が仏蘭西の報道で公にされたところで、健全なライシテ(Laïcité, 1905年に制定された完全政教分離法)と民主共和の表れかな、くらいにしか思えません。私の人生において、カトリックが身内の問題を隠したことで、或る政党を熱烈に支援する小説家に面白おかしく推理小説に仕立てられた件や、いかにも紙の悪い男性をターゲットにした週刊誌にエロい文章で表現された件も既に知っており、隠したことでこんなフィクションがまかり通って、そんな先行して現れたガセを信じる信者を不要に製造するくらいなら、全国紙に掲載され、司法の判断に委ねることの方が結果がどうであれ健全に見えるからです。それに隠してくれた恩に感謝せず、その情けに甘えるヒトがいるのもこの世の常です。
世の中は左右どちらに巻こうが巻き切れるとニュウトラルな報道が流れなくなるようで、近年のお仏蘭西は神聖賢愚帝サルコぢ一世さまに関わる公私については報道規制が狂い始めているし、実際、ミカド(=サルコぢ)自ら報道機関をいくつか掌握しているのも事実だったりします。カトリック関係のスキャンダラスな話題がこうやって公に出るのも実は賢愚帝の思し召しだったりしたらゲンナリですが、こんなのを選んだのも共和国民だから賢愚帝の御世に数年浸かるのも自業自得。批判できる自由があるだけデオ・グラシアスに過ぎない(実際、仏蘭西国内のカトリック教会では選挙中のミサの共同祈願では「カトリック教会のためになる大統領が選ばれますように」「ア~メェン」と祈っていたりした、...Bof )。

======十======


さて、上のカトリックスキャンダアルで思い出したことがいくつか。
まずは昨年秋だったか、民放テレビ局 M6 の 66 Minutes という検証番組で、Le scandale du "frère pédophile" 幼児性愛の修道士 というドキュメントが流れました。おそらく、仏蘭西や国境を接する国々に住む日本びとの中でこの番組をご覧になった方がかなりいらっさるのではないでしょうか。要約 を一読すればわかるとおり、カトリック団体ベアティテュウド共同体 la communauté des Béatitudes に所属するピエール・エチエンヌ修道士 le Frère Pierre-Etienne なる人物が5~11歳の少年に性的暴行を続けたことで2008年6月に告発された事件についての検証です。
この「ベアティテュウド」なる共同体 Communauté des Béatitudes は現在、仏蘭西含め17か国で活動を続けており、1973年、世俗の信者夫妻によって創立。聖俗信者が共同で司牧する団体であり、カリスマティックなる聖霊運動を取り入れもしたので、彼らは charismatique chrétien と位置づけられているようです。結婚した夫婦または家庭が修道生活の真似事をできるンですよ(← 棒読み)。2002年以降この団体は教皇庁の法の下 におりますが、昨年のスキャンダアルをきっかけに現在は教皇庁の監視下 "sous surveillance" par le Vatican にあります。番組ではその教皇庁からの文書も公開されていました。映像においてはある地方の小村にあるこの共同体が管理している聖堂にはもう誰も信者が寄っていない現状、この共同体の会員が現在も妙にクラシックな修道服に身を包んで仏蘭西南部で活動している様子が流れ、続いて少年時代、この団体が経営する寄宿学校で犠牲となった男子が成人した今も心理カウンセラーと自治体の非宗教の立場での指導を受けていることや、召命を聞いてこの共同体の寄宿学校に入ったことで性的暴行を受け、それが原因で自ら命を絶った少年のご両親が今も息子の棺が埋められた場所に墓石を置かずに草木花を植え続けていることとその一方でこの親御さんが教会に行かずとも信仰は捨てていない、捨てられないという吐露が流れました。こんな共同体に決別し成人したところで少年時代のトラウマに苦しむ男性の姿も、息子の召命を喜んでこの共同体に預けたにもかかわらず遺体となって帰宅した息子を思う親御さんも、今も善意だけでこの共同体が当初掲げた信念のために活動を続ける聖俗の人々の姿も、画面を通して見ている側に考える種をたくさん撒いたように思います。現に私も事或るごとにこの番組を思い出すことが多くなりました。

このカトリック団体は第二ヴァチカン公会議後の方針に基づいて結成されたこともあり、こんな事件が発覚すれば第二ヴァチカン公会議を否定する人々からは「それ見たことか」と批判され、「諸宗教から引くことのイスラーム=アヘン」でマルクス万歳な人々からも「あんなことに関わるより我等と一緒に地上天国を作ろうぞ!」とインタアナシオナル L' Internationale を斉唱しつつ喧伝が始まるのも当然でしょう。

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そして、もうひとつ思い出したことは仏蘭西南西部はボルドー郊外にあるサンテロワ Saint Eloi という名のカトリック聖堂のこと。2002年1月に当時、ボルドー市長であったアラン・ジュペ Alain Juppé 氏が確認を怠ってこの聖堂と周辺施設(司祭館など)を例のFSSPX に譲ったことで、仏蘭西司教団がボルドー市とFSSPXに対し訴訟を起こし、2004年4月27日付で裁判所はこの聖堂を司教団に返還することをボルドー市とFSSPXに命じました。この裁判記録はインターネットでも公開されています。
Cour administrative d’appel de Bordeaux, 27 avril 2004, n° 03BX00370, Association Eglise Saint-Eloi
http://www.rajf.org/spip.php?article2619
この裁判で勝訴し、聖堂を奪還した教区は奪還した建造物すべてを教皇庁に渡し、現在、この聖堂は教皇庁直轄になり、FSSPX から追放されたIBP (L'institut du Bon Pasteur, 良き牧者神学校)会員に任されています。
・・・なーんて話は仏蘭西だったら隠しようがない事実で、かのアラン・ジュペ氏がこの聖堂をFSSPXに譲った直後の祝賀会にネオナチがたんまりと集っていたことで 金銭面で不明瞭問題山積 のアラン・ジュペ氏が「極右の教条主義者」を贔屓している Quand Juppé aide les intégristes (fascistes, racistes) という疑いまでかけられたのでした。まあ、ジュペ氏への非難には同情の余地なし。
こんな事実はカト率0.5%の日本國では流れないので、なぜかかように変化してインターネット上で公開されています。cf. http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila072.html
サンテロワ訴訟について両者の言い分がまるで違いますが、このボルドーの件に限ったことではなくFSSPX vs カトリック教会の聖域外での訴訟等はいくつも発生しております。例えばパリのサン・ニコラ・デュ・シャルドネ教会 l'église Saint-Nicolas-du-Chardonnet についてもそう。
今年1月24日にFSSPX5司教の破門解除が世間に公開後、FSSPXはヴァチカン内に敵がいる、深く関連するフランス、スイス、ドイツ司教団に左傾思想を絡めて彼らが全て敵のごとく大批判を続けていますが、花の都お巴里の西隣ナンテール Nanterre 教区が管轄しているHP『電脳主任司祭 Le Cyber Curé 』に掲載された今回の破門解除についてのページ EXCOMMUNICATION ET LEVÉE DE L'EXCOMMUNICATION DES ÉVÊQUES INTÉGRISTES を眺めて見ますと、
なんて明け透けに要領よくまとめられておりますこと。
これまでの経緯も、今回の破門解除でカトリック教会とFSSPXそれぞれの立場も明瞭に簡潔に書かれています。
Ces quatre évêques ne sont donc plus hors de l'Eglise, mais tous les intégristes ne sont pas réintégrés dans l'Eglise.
これら4司教はもはやカトリック教会の外の立場ではない。が、全ての教条主義者が教会内に復権したのではない。

La levée de l'excommunication des évêques intégristes n'a pas changé la situation juridique de la Fraternité Saint Pie X. Elle ne jouit d'aucune reconnaissance canonique dans l'Eglise catholique.
司教方の破門解除されたからと言って聖ピオ十世会の教会法における立場はなんら変わらない。聖ピオ十世会はカトリック教会において宗規にかなった承認を一切享受しない。

Quant aux prêtres de la Fraternité Saint-Pie X, ils sont frappés par une peine de suspense, qui pour l’essentiel leur interdit de célébrer les sacrements (sauf exceptions).
聖ピオ十世会に所属する司祭においては聖職停止の罰が科せられている状態にあり、<例外を除いて>全秘跡を執り行うことを禁じる。
註:この『sauf exceptions 例外を除く』は、前出のとおり4司教が教会の内にいることから、例外とは教皇、教区長からの認証を指す。


La levée de l'excommunication des évêques intégristes n'est pas une réhabilitation, elle constitue le point de départ d'un long chemin qui supposera un dialogue précis.
教条主義である4司教の破門解除は復権、復職を指すのではない。この破門解除は明確な一致を見出すための対話を前提とする長い道程に出るための基点を造ったに過ぎない。
とあります。四司教破門解除は「それだけ」であり、FSSPX会員の活動自由化にまったくつながっていません。そして、この件についての教皇さまの意向 VERS LA PLEINE COMMUNION AVEC L'EGLISE について読み進めますと、ヴァチカンのうちにいる者もれなく敵と決め付けるのは難しいですね。教皇B16 はFSSPXがいずれ第二ヴァチカン公会議の全てと第二ヴァチカン以降の全教皇のカトリックの教導権を承認すること«la pleine reconnaissance du Concile Vatican II et du magistère des Papes Jean XXIII, Paul VI, Jean-Paul Ier, Jean-Paul II et de Benoît XVI» を願っているので、教会の中のみんなたちも教皇さまの意向に従い、それぞれの立場でできることをしているのです。このナンテール教区のHPも「できること」のひとつです。この中学生くらいの学齢あれば理解できる易しい文章の説明を公開するだけでどれだけ教会、FSSPX 双方の誤解、ヲッチャーの偏見を修正できることか。教区のどこが敵なんだ?敵だったらこんなHPなんて作らないでしょう。参考文献にはFSSPX 側が公開しているHPまで紹介しているではありませんか。教会の一致のためには長い道程があるとヴァチカンの中が主張しているのに、早くもそのヴァチカンの中に敵がいると吹聴していること自体、ヴァチカンや教皇さまとの一致を実は阻んでいる表れです。教皇さまの思いを邪魔し、教皇さまを泣かせるなんて、どこが教区を抜いた教皇直結団体なのだろう。抜いたところで、破門解除の喜びをもらって以降、教皇さまをずっと泣かせ続けているぢゃん。

いずれの場合にせよ、きょうび教皇庁も、教皇さまも「隠してナントカしてしまおう。世間に内緒にしよう。」とは考えちゃいないようです。もしカトリックにおいて「隠してナントカしよう」という民意がマジョリティになるなら、将来的には隠し事が大好きな教皇がコンクラーヴェで選出されるでしょうね。で、知らない世俗が詮索と妄想を楽しむようになる。実に時代を逆直滑降であります。そんな方向にいざなわれるのは蟻地獄に落ちるようなもの。天主さまは「私への愛の証のために詮索と妄想が好きな人になりなさい」とはおっしゃっていません...よね。

le 4 mars 2009, Casimir
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by ma_cocotte | 2009-03-04 16:00 | 『?』なKTOりっくん | Comments(6)
少し距離を置いて客観的になってみませんか。 à faire preuve d'"un peu de distance et d'objectivité"
3月第一週目ヴァチカンにて、広報担当官であるフェデリコ・ロンバルディ師から記者団にこんな話があったそう。
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Crédit photo: EPA

Le Vatican appelle à plus d'objectivité sur Williamson 03.03.09 - 19:11
Le porte-parole du Vatican, le père Federico Lombardi, a appelé les journalistes à faire preuve d'"un peu de distance et d'objectivité", évoquant l'affaire de l'évêque intégriste négationniste Richard Williamson.
"Parler de cette crise dans des termes apocalyptiques me semble excessif", déclare le père Lombardi, rappelant que la presse a parlé de débâcle voire de désastre à propos de la levée de l'excommunication de l'évêque intégriste malgré ses propos négationnistes.
"L'année dernière a été un année de grands succès en termes de communication pour le pontificat", estime le père Lombardi, rappelant notamment la visite "splendide" du pape aux Etats-Unis en avril 2008 et celle effectuée en France à l'automne.
"On oublie trop vite ces expériences positives (...) Cela n'est pas juste, mais cela fait malheureusement partie de notre monde comme de celui de la communication", déclare-t-il.
Concernant l'affaire Williamson, "clarifier la situation n'a certes pas été facile (...) Cela n'a pas été la période la plus tranquille, surtout pour la salle de presse du Vatican", reconnaît-il.
Le levée de l'excommunication de l'évêque fin janvier a suscité une énorme polémique.
Le Vatican s'est déclaré vendredi insatisfait des regrets tardifs de l'évêque intégriste mais n'est pas revenu sur sa décision de lever son excommunication.
"Je crois qu'il n'y a pas eu de chambres à gaz (...) Je pense que 200.000 à 300.000 Juifs ont péri dans les camps de concentration mais pas un seul dans les chambres à gaz",
avait déclaré à la télévision suédoise Mgr Williamson, dont les propos ont été diffusés le 22 janvier, au moment même où était officialisée la décision du pape.

ヴァチカンの機関紙 L'Osservatore Romano 紙の主幹であり、イエズス会士でもあるロンバルディ師が例のウヰリアムソン師による私見自論発言について「黙示録のごとき難解な危機 cette crise dans des termes apocalyptiques」だから、ここらで客観的に距離を置いて眺め直してみないか?と記者団に提案したのだそうだ。世の中がウヰリアムソン師にまつわる話題で、ヴァチカンにおいてもっと大切な教皇さまによる外交成果などが押しつぶされてしまうことが問題でもある、と。ウヰリアムソン師に関わる件は「明確にするには簡単な状況ではないけれども clarifier la situation n'a certes pas été facile」、「(ウヰリアムソン師関連事件は、一致の道において)穏やかな基点にはならなかった。Cela n'a pas été la période la plus tranquille」ので、ヴァチカンは金曜(2月27日)に教条主義の司教からの「遅すぎた謝罪」に不満足である旨、宣言した Le Vatican s'est déclaré vendredi insatisfait des regrets tardifs de l'évêque intégriste

この記事の内容で、ロンバルディ師が FSSPXに同情した からこういう勧めを記者団にしたという話に摩り替えられると世の中に分裂を招き兼ねません。FSSPX に同情する教皇さまから「教皇絶対従順」を誓っているロンバルディ師に命じたから動かざるを得なかった、という話にも摩り替えられそうね。(*´Д`)=3 ...Bof
政教徹底分離の立場にある世界中の一般全国紙のスタッフのウヰリアムソン師関連について熱心になる態度より、むしろ注視すべきはウヰリアムソン師の件について感情的かつ独善的に動いてウヰリアムソン師盲目擁護を吹聴しているのはFSSPX とFSSPX を支援する極右系媒体で、電脳および実存での公衆における彼らの私情に訴えて「敵・味方」の立場を第三者に求める態度にハラハラしているのもヴァチカンです。カトリック教会の敵をヴァチカンから追い出す?FSSPX が不満の分子をヴァチカンから追放することで一致が来る?教皇さまは我らのもの?そりゃ、なんかカトリック枠を超えて抜本的に「?」です。なんかテレビゲームみたーい。ロンバルディ師による記者団への勧めはこの世に満遍なく、全てに、平等に喝が入っているのです。例えば、お仏蘭西の Présent プレザンという極右系夕刊紙、ここの記者はヴァチカンの中に招かれていません。この夕刊紙、首都パリのみで月曜から金曜日の夕方のみ見つけられる、カトリックの名を利用している極右紙なんですよね。今年1月24日以降、FSSPX のフェレ総長の独占インタビュウを掲載した唯一の新聞だけど、パリで市内で発売されても全てのお店で見つけられない極右夕刊紙ですよ。( ̄~ ̄;) プレザンのスタッフがロンバルディ師の勧めを受け入れる可能性は限りなくなさそうです。

le 4 mars 2009, Casimir
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by ma_cocotte | 2009-03-04 15:19 | 破門→波紋→和解→破壊 | Comments(0)
...忘れるところだった。
おひなさん。
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ガラス戸棚の隅にほっぽらかしたままなのに、お人形さんのお腰あたりのリリアンがほつれ始めている。
そんなものなのかな。
実家に置いたままのお雛様はどうなってしまっているのだろう。
もう何年も陽の目を見ないのに毛氈は色褪せ、箱の中のお人形さんたちの召し物には虫が付いてしまっただろうか。
私の我侭でかわいそうなこと、気の毒なことをしてしまった。
木組みの壇飾りだったので飾るのも片付けるのも面倒で何年も出さなかったら、或る年になって晩婚の私を気にした母が突然飾ったことがあったっけ。昨年の今頃、母の葬儀をお願いした葬儀屋さんと何度か話す機会があったが、この頃は葬儀屋さんでお仏壇だけでなくお人形の供養を代理してくださることを知った。迷信だろうけれど、一度は愛でたお人形を供養しつつ塵に返すのも日本びとらしい情けあってのことなのかもしれない。
子供の頃、暦の上で春であってもまだどこか寒さを感じるような日に母と二人でお雛様を出したことを思い出す。決まって母が私に話したことは母のお雛様が「こんな壇飾りなんか」ではなく御所造りのお雛様だったこと。その母のお雛様も、母のすぐ下の叔父のための鯉幟も御柱も武者人形も戦争で供出してしまったことだった。戦争のために供出ってお人形がどんな武器に変わったのでしょうか。人形にさえそんな運命があるんだね。虫に食われるのも、戦争に出されるのもどちらもかわいそう。ごめんなさい。

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明日がお雛様だと気が付いて、こうして写真を撮り、久しぶりにおうさのお内裏さんとお雛さんの真っ白いお顔をまじまじと眺めていたら、なぜか虎ノ門の豆大福やら谷中のこごめ大福やら、九段の宝来屋さんに、嗚呼、松島屋、
松 島 屋 ぁ
ときたもんだ。

えええと、可能なひいさん方、わたくしの分までほおばってくださいまし。
しかと頼みましたぞ。

....なんのこっちゃ。

le 3 mars 2009, Guénolé
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by ma_cocotte | 2009-03-03 04:48 | 『春』 Rien de special | Comments(12)