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神の名をみだりに唱えることなかれ。
こんにちは木曜日。
3月第一週の後半に入りました。
先日、ココに書き散らかしましたとおり、今週前半はカトリックヲールドでの修道女が鍵語のスキャンダルでおフランスでは大騒ぎとなり、そして、こんにちは朝一番のニュウスからトップはリヨン大司教であるバルバラン枢機卿に判決がまもなく下る、というもの。そして、お昼手前にはフェイスブックの私のヲールには次々とバルバラン枢機卿におかれましては司祭による性暴行について報告を怠った罪で、執行猶予ありとは言え有罪と知らせが届きました。

午後になって、バルバラン枢機卿がヴァティカンにおわします教皇に辞任願いを届けたとかなんとか。

んで、今週の前半の「司祭による修道女への性被害」と今日から騒ぎになっているバルバラン枢機卿への有罪判決で、共通していることは司祭が青少年、修道女にやたら神の名を出して命令を繰り返しながら行為に至ること。さらに、映画にもなったリヨン大司教区でのペドフィルスキャンダルでは高位聖職者に事を訴えた家族、知人に対してもやはり「神(の恩寵)において」とかなんとか先ず口から出して、目の前で涙にくれる世俗を弱らせ、追い払う。

なんなんだよ、これ?

と、ついうっかりボヤいてしまう私がおり、そのつぶやきと同時に十戒の「汝、紙の名をみだりに唱えることなかれ」の一文が脳のどこかからよみがえったのでした。確か小学4年の時に生まれて初めて暗記しました。だから、「~なかれ」と当時の文のまんま、脳から出てきた。この十戒なるものはモーセが神からいただいた啓示で、ユダヤ教、キリスト教、イスラームで信じられ、大切にされているものです。キリスト教だけぢゃないのだよ。

で、話戻って、カトリックスキャンダールs。
どうにも聖職者がやたら「神」の単語を口から出すことに引っ掛かりを覚えます。「神」の名を出して、行為を「強いる」「命じる」の繰り返しって洗脳の方法のひとつではないかしら?と。でも、そーいや、私が耶蘇女学校に在籍していた当時はシスターがやたら「マリアさまが」と先ずおっしゃってから、あれこれせよ、それが善行よ~♪みたいな流れが慢性していたかも・・・。
もうひとつは今世紀のはじめだったか、南仏でユダヤんやミュジュルマんの方々と交流あったので、彼らが「カトリックはやたら神の名を口にする」と批判しながら、改宗に誘っていたことも思い出しました。今になって彼らの意見に「だよねぇ」と相槌打てる私がいます。ユダヤんも、ミュヂュルマンもその点に気を使っているひとびとは安心で、やたら「アッラーアクバル (神は偉大なり)」とか「エンッシャッラー (神に感謝)」をお口から出すミュジュルマンさんに警戒すること、多いものね。この二つのフレーズ、特に「アッラーアクバル」はイスラーム原理教条主義過激派のお決まり文句だもん。

兎にも角にも、次々と明らかになるカトリックスキャンダルを見聞しながら、正直、胸糞悪い、吐き気をもよおす感覚に襲われている私です。同時に次のスキャンダルの波はいつ、どんな内容なのだろう?と、早けりゃ来週はじめには新しいスキャンダルが明らかになりますね。今年のペースだと。

バルバラン枢機卿の件ですが、以前、どこかにも書き殴ったかもしれませんが、リヨン大司教区の上長として、俗世っぽく言えば部下の性癖を見聞したら、その部下を異動もせず、現職のままと放置したのは明らかにマズいことだと傍観している私の感想です。被害者の家族や知人または小教区のおエラいさんから話があったとして、それをすぐ公言せずとも、加害者と被害者の間に距離を置き、一生会わずに済むような人事も長上さまならできたでしょうに・・・と思うのですが、はい。バルバラン枢機卿の場合は聞いたところでなーんもしない、動かなかったそうで。そりゃ、ゆるされないよ、でしょ。

以上、尻切れトンボに閉めます。


le 8 mars 2019, Jean de Dieu

# by ma_cocotte | 2019-03-08 00:44 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
弥生の長雨 « giboulées de mars »
先週半ばまで連日午後には20度近くまで気温が上がり、それは「五月の陽気」だったそうで、ピレネー地方など最高気温が23度と予想された日もありました。が、2月に「5月の陽気」って、そりゃあ、冬を耐え忍んで春をひたすら待つひとびとにとってはうれしいもので、ココんちも連日、軽装で犬の散歩にウキウキ出てもいました。

でも、やっぱりそれは二月の異常気象であり、弥生三月に入ってまもなく天候は冬に逆戻りし、先の週末などココんちあたりはテンペスト、冬の大嵐でした。一度、その冬の大嵐が静まったものの、この週明け4日の夕方から今にも雷がゴロゴロと鳴りそうな空模様と空気の流れになり、以降、毎日、雨、雨、雨に風。ただでさえ、空き巣被害以降、気持が沈んだままなのに、ココ数日の風雨でいっそうどよ~んです。

今朝、耳にしたのは « giboulées de mars » です。ジブゥレ・ド・マアス、三月の長雨とでも訳しましょうか。
いつだったか、どこかで私がこのジブゥレについて長雨を意味する、とコメントしたら、ジブゥレは氷雨で間違いないと意見をいただいたことがありました。私が初めてこのジブゥレという単語を知ったのは、今の土地、ヌゥヴェル・アキテエヌ地方に引っ越してからで、南仏では聞いたことがありませんでした。なぜ現在の土地で「ジブゥレ」を知ったのか。それはたまたま数か月籍を置いた移民向けの語学校で11月を迎え、連日雨が続いたのです。その時、ポワティエからいらした先生がこの長雨をジブゥレと呼ぶと教えてくださったのでした。そして、今、こうして3月に入り、連日の雨。これをジブゥレと呼ぶのではなく、「de mars 三月の」をジブゥレの後に付けるそうです。


調べてみたら、giboulées de mars に対し、11月の長雨は giboulées en novembre と表すそうです。メモメモメモ

で、今年。
先週にはほうぼうのお庭のアーモンドやアンズ、さくらんぼなどの木が花を咲かせてしまいました。おそらく5月並みの気温が数日続いたことで幹が勘違いしてしまったのでしょう。こういう年の果実はおいしく実るのかしら?

ココんちのサクランボの木は朽ちてしまいましたが、二月の終わりから先ずスイセン、続いてクリスマス・ローズ、ヒヤシンス、ムスカリと次々に大地から顔を出し、花を咲かせています。長雨のせいでうつむきがちになりますが、こういう時は讃美歌の「主にまかせよ」の歌詞を思い出して自ら励まし、春を待つ。ん、そだねー。

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le 7 mars 2019, Félicité



# by ma_cocotte | 2019-03-07 01:33 | 『春』 Rien de special | Comments(0)
お話にならないお話
こんにちは2019年3月6日。
仏蘭西の暦でこの日を見ると Cendres サンドルとあり、これは和訳すると「灰(の水曜日)」というキリスト教につながる儀式を行う日です。この日から日曜を除く40日間、四旬節(←これはカトリック用語で、聖公会では大斎節と呼ぶそう)という節制期間となります。特にこんにち灰の水曜日は西方教会においては断食を行う習慣があるので、前日(つまり、昨日)は仏蘭西だと「Mardi gras マルディ・グラ」、=油脂の火曜日と呼んで、人民は脂で揚げたものを食べ尽くして、翌日の断食に挑む伝統がありました。四半世紀ちょい前まで、仏蘭西ではこのマルディ・グラの日に仮装したお子たちが近隣を周ってお菓子をいただいていましたが、今はもうそれはほぼ真っ白で、誰もが察するとおり、今は10月31日のハロウヰンに替わってしまいました。が、地中海側の市町村では今もこの時季にカルナヴァルを催してもいます。どうか、廃れませんように。

で、昨日。油脂の火曜日の夜、仏蘭西と独逸の共同運営テレビ局ARTE アルテで、こんなドキュメンタリ&調査番組が放映されました。


ヒトが決めた国境を取っ払らった、「カトリック教会」の世界の中であった司祭による修道女への強制性愛についての報告集です。番組は全編97分。今週に入ってから、この番組について話題にするテレビやラジオ番組、雑誌、新聞が多々あり、昨晩の放映が実行されました。

内容は非常に視聴者側の心身苦しくなる・・・これは私の印象ですから、ヨソのひとびとの中には快感を覚えるひともいるのかもしれません。ココんちあたりはアテ(無神論ちゅうか否神論者)がゴロゴロいるので、きょうあたりは飽食しながら高笑いで教会批判すンだろうと容易に想像もつきます。それもまた夜も明けていない現時点ではあたしの妄想w

司祭と修道女が性関係に至るまでの証言についてはほぼ万民のご想像通りのうちで、万事、司祭が神の名を安易に出して「命じる」ことの繰り返しです。番組の中であたしが耳にするなりムっとなったことは妊娠した修道女に向かって相手の司祭が堕胎を「命じた」という点です。これ、堕胎について、ヨソの宗派ではそれぞれ解釈が異なりますが、カトリック教会では瞬時破門であり、堕胎幇助した第三者も破門です。てか、表向き、「我は牧者なり」の司祭なら御身をもって生涯かけての信仰生活の見本を我々に示すことも務めでしょうに。あーた、裏では貞潔も守らず、果ては堕胎命令っていったい。

そこに、神さまはいないよね。

「神の不在」が彼のいる聖堂にも住まう司祭館にも明らかとなります。
今世紀のはじめだったか、我が知人である修道女から「今は司祭、修道者の格好をした悪魔が存在するので、気をつけなさい」と注意されたことを思い出しました。たまたま「悪魔」という存在を認め、日常でその語が飛ぶ環境の修道会だから彼女はそう私におっしゃったけれど、もし私が同様に「悪魔」の語を用いてヨソのカトリック環境で話したり、タイプしたら、あからさまに不快感を私に言ってくるひとびとも現実では多々います。私は一度、これで大失敗をし、「気持ち悪い」など言葉をたくさんもらったので、それ以降、悪魔についてカトリック環境で話す時はTPOをよくよく見、考えるようになりました。今になって思うと、神の万民救済が絶対なら悪魔は存在しませんからね。Bof

兎にも角にも、昨日の午後には仏蘭西のカトリック司教団がこの番組放映について公式見解を発表。犠牲者の悲しみと怒りと我々は共にある、とのこと。ですが、次々と届くこの番組の関連記事には、先日から話題になっている幼児性愛以上に司祭と修道者のスキャンダルについては沈黙が守られていることが「当たり前」とありました。

この番組で告白した方々はかつての事実を「墓場に持って行く」ことを止めた。そう気持が変わったのも、近年の聖職者による青少年についての諸スキャンダルがどんどん明らかになっているという世間の変容を感じ取ったからなのだと拝察します。

この番組の作成者チームは、ヴァティカンが次に取り組むのは修道者への暴行についてだろう、と予言しています。


le 6 mars 2019, Colette






# by ma_cocotte | 2019-03-06 16:08 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
矛先の向きが替わってしまった。
何が?って、黄色いチョッキ運動でピチピチしているひとびとにとっての敵が明らかにマクロン大統領から富裕なユダヤびとびとに代わってしまったのであります。
その黄色いチョッキ運動によるパリでの抗議集会開催も今週末(3月2日&3日)で第16週目に突入。継続しているものの、ココんちのようにヌウヴェルアキテエヌの北部、おそらく仏蘭西共和国内で最もミギが潜んでいるであろうヴァンデ県と目鼻の位置に住んでいる者にとりましては2月最終週からガソリン代がびよーんと値上がりした事実を既に実感しておりまして、黄色いチョッキ運動の過激化が目立ち始めてまもなく政府がガソリン税の値上げを3か月先に延ばすとかなんとかおっさって鎮圧に努めたところで、そんな3か月なんてあっと言う間なのだと改めて実感もしています。

で、話は冒頭に戻り、彼ら、黄色いチョッキ運動と名乗ってピチピチ活動している方々の武器の矛先の的が2月あたりからマクロン大統領ではなく、共和国内に生きるユダヤ系のひとびとにほぼ変わってしまったという印象が強くなりました。先ず目立ったのはパリ市内に点在するユダヤ系の商店に向けての破壊行為で、続いては公共におけるユダヤ関連備品への損壊で、これには個人の墓石にひどい文章だけでなくエスエス、つまりナチスのトレードマークも描いて、墓石を倒すという行いも含まれます。

なんだろねー。墓を荒らす行為って宗教革命直後も金髪碧眼のひとびとがやらかした常套手段ですから、あたしのように共和国内では肌が黄色くて顔が平たいガイジンには「白人が野蛮である」としか見えないのです。宗教革命での言動をまったく反省せず、今、21世紀に入って18年が過ぎても実践してるってどんだけ成長のない人種なんですかねぇ。← ラシスト発言w 
兎に角、昨晩もストラスブールの市井でユダヤ関係モニュメントが悪意をもって見るに堪えない姿と化している映像も私は見ちゃいましたが、正直、こーゆーことを行い、世間に見てもらったところで、どーゆー結果をこんなことを実行する連中は想定してンだろ?と、まるで脳内ですごろくの駒を進めるようにひとつひとつ前に進もうとしても、ゴールが何も見つかりません。

おそらく仏蘭西の地方で親せき一同、そんなに遠くない土地に代々生きている方々がこの黄色いチョッキ運動がきっかけで生まれて初めてパリに上京。凱旋門周辺で抗議運動しつつも通り両脇には地元で見たこともない華やかさを醸し出す店が並び、耳に入ってくることはそれら店舗のオーナーの多くが「ユダヤ」という話。それだけで何と表現してよいかわからない感情が芽生えて、こういう行為を表してしまう・・・っちゅうのは、旧約聖書のカインとアベルの話と似通っていなくもありません。

もうひと昔前になりますが、当時の共和国大統領サルコぢ(=神聖賢愚帝w)がコミュノタリズムを肯定したことがあり、彼の出自が父親は東欧、正確にはハンガリーの移民第一世代で、母親はスファラディのユダヤんだったり、彼の息子がユダヤ系女性と結婚したことでユダヤ教に改宗したこともあるので、世間がサルコぢのこの提案に反発したけれど、現在の現実を目の当たりにすると毎週末、パリで嬉しそうにユダヤ系店舗などを攻撃している金髪碧眼の男女について「もうパリに来るな。お前の巣に籠ってろ」とボヤきたくなる自分と、かつてのサルコぢの提案が共和国の移民難民についてではなく土着の彼らのためにあるのでは?と思い始めてもいます。今となっては税金高騰についての抗議なんて彼らの抗議運動目的の二の次、三の次にしか見えません。「黄色いチョッキ運動」を隠れ蓑に極右(=っちゅうかウヨク)と極左(=政府転覆が目的)が集い、そこに破壊行為で快感を得る趣味を持つひとびとも加わっているのが現状ではないでしょうか。で、悲しいことにこの運動の本来の目的のために動くひとびとにおかれましては「騙されやすい、流されやすいひと」が多いのも悲しむべき現実だと思います。

で、仏蘭西に住むユダヤんについてですが、たまたま私が知っていることは、フランスの国土の、地中海沿岸にはイエス・キリストさんの誕生よりはるか前にすでにユダヤんが移住しており、シナゴーグとそれを囲む集落が点在していたそうです。最初、これについて教わった時は「ウソぉ」と疑いましたが、少し考えれば地中海は内海だから、海を横切らずとも沿岸を歩けば、自ずと移住は紀元前だって可能なのです。キリスト教を中心に見るならば、マグダラのマリアが地中海を船で横切って現在のフランスの土地に着いた後、宣教を始めたという話も仏蘭西ではまことしやかにあるし、パウロは地中海沿岸を歩いて宣教、それはシナゴーグ訪問を兼ねていたので現在のスペイン国内までパウロは宣教したとも伝えられています。ふむ、もしこれが本当だとすると、マグダラのマリアは仏蘭西、マルセイユ近辺から上陸後、北上続けての宣教活動であり、パウロはイタリア方面から地中海沿いのシナゴーグを訪問しながらスペイン国内まで南下したことになります。ひとりは北上、ひとりは南下と、実に効率良く、聖霊降臨の恵みにあずかったひとびとは福音宣教に動いたのですねぇ。
話ズレたような一見ですが、ズレてねーよ。ユダヤんは紀元前から共和国内の土地で既に「生まれては死に」を繰り返していたのに、地方の田舎もんの金髪碧眼がユダヤんをまるで新参者のように邪魔に扱うというのは、無知による過ちとしか言いようがありません。「バカだなあ、アホだなあ」とまるで志らくさんのようにつぶやきつつ、黄色いチョッキ運動の目的が初心に戻り、税金高騰に強く抗議することに集中してくれないかしら?と思う、日曜の朝なのでした。

嫉妬ほど恐ろしい爆薬はないね。


le 3 mars 2019, Guénolé

# by ma_cocotte | 2019-03-03 18:47 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
今度の水曜日から節制するもンね。
できるかなあ? できないだろうなあ・・・。

2019年。早くも第三の月となりました。こんにちで二日目。
昨日、弥生ついたちの朝はいつもの金曜なのでココんちから旧市街向こうの教会聖堂にお昼までおボランティ~ア。責任者のマダムから来週水曜は「灰の水曜」なので、しばらくはお地味な日々を過ごすことになるわね、とお話。ああ、今度の水曜が灰の水曜だと、前日火曜日は「マルディ・グラ、Mardi gras」、油脂の火曜日と来たもんだ。火曜日の買い出しで油で揚げたもんを買い込んで食い尽くすか・・・と目先のことばかりに気を取られ、数分後に新たな思考の波が押し寄せて、四旬節かあ、今年の復活祭は4月の第三日曜(正確には前日土曜の日没後から始まる)で、例年よりかなり遅いご復活なのよねー。だったら、もう暖かくて、庭でドンチャカぐびぐびできるよね・・・と結局、飽食の妄想にたどり着いてしまう自分。その前の節制を忘れンなよー!です。
で、フェイスブックの某所からこんなわかりやすい表が届き、ありがたく思う週末の朝。
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灰の水曜日からご復活までの間、みんなが心がけることの一覧。これはわかりやすい。わかりやすすぎるくん。
今までわからなかったこと、其処此処で疑問をつぶやいても誰からも答えをもらえなかったことがピクトグラムと単純かつ短い英語で記してある。まあ、できることはして、できないことは無理してしない方針で行くことにします。


le 2 mars 2019, Charles le Bon



以下、余談。西方教会ネタなのでもうココでは触れたくないのですが、ちょいと。
先週の半ばだったかヴァティカン本丸でカトリックヲールド内でのペドフィルの件について司教会議が数日に渡ってあり、その会期半ばにオーストラリアのエラい聖職者(かつてヴァティカン上層部のナンバー3だったそう)がそのペドフィルの罪科で御年77歳だけれど実刑だ云々。ああ、この件より前に既にドイツで立派な賞を受賞したフランス映画、その内容はリヨン大司教区内でのペドフィル事件について描いているもので、この映画をフランス共和国内で上映するか否か裁判所判断が下る~という報道もありました。それは確かヴァティカンでの司教会議の2、3日前のことで、結果、裁判所は共和国内上映にGoサインを出しました。
で、これまた思い出したことに、そのヴァティカンでの会議の後半だったか、おフランスで同性愛の話題で主にヴァティカンのエラい聖職者方にアンケート調査したことをまとめた本が出版されることになったと、主だった全国紙が報道し始めて、今週に入り、テレビやラジオでこの本の著者がナマで登場し、結果、宣伝ですかねぇ。

と、以上、2月19日月曜から3月初めまでどんだけカトリック教会がキーワードの高波が次から次にマスコミ方面から押し寄せてます?

でも、ちょいと冷静になると、毎年、四旬節直前からカトリックスキャンダルは次々と明らかになるのも恒例で、例外的に何もなかった年は「ない」ンですわ。これ、まじ、ほんと。で、上にくっつけたわかりやすい四旬節の過ごし方の表の中の、上から三番目にお手手とお手手の間にコインがきら~りのピクトグラムがありますが、これは四旬節中に日ごろお世話になってる教会に何かしらのご寄付を~という勧めでして、なんちゅうか、アンチ・カトリックの万民がこのお金の流れを阻もうと必死こくわけです。21世紀の今、そのお金の流れを食い止める手っ取り早い方法はフェイク ニュウスを世間に知らしめることであります。別に今、21世紀に限らず、今であろうと昔であろうと教会を憎む、疎ましく思うひとびとはそこいら中にゴマンといるし、ほれ、例のシャルリ・エブドの連中もそうです。彼らは毎年、四旬節になるとピチピチするのです。

で、話戻って同性愛についての聖職者スキャンダル本を執筆したひとは仏蘭西びとの男性で、ご自身も同性愛者(と、某テレビ番組に彼がナマでそうおっしゃってた)。見た目、欧州系の方なのでおそらく幼児洗礼を受けたでしょうけれど、ご本人がおっしゃるには12歳でカトリックを棄てたのだとか。ああ、堅信受け終わったところで「ボクはもうミサに行きません」と家族に告白して、ほっぽらかされてそのまんまなのだろうなあ、と私の印象。幼児洗礼者が7歳頃の初聖体、12,3歳で受ける堅信の秘跡を済ませたら、もうこの世の親の義務は果たされたことになり、堅信を受けてカトリック世界での成人となった青少年が何事も自分で祈り、考えて、動くことが求められるのだから、この世の親は神様からあずかった子の意思やら意志を尊重しなければなりません。まあ、これについてはカトリック世界においてはカテキズムのどこかに天主さまは我々の自由意志を第一に尊重するのです、と明言されているのだから、親も堅信終えていっちょまいになった子の自由意志を何より尊重し、糸が切れた凧みたいに目の届かないところまで消えてしまったそいつがいつ目の見えるところに戻ってきても「放蕩息子の帰還」の話を思い出してマネしろよ、というこってす。
だぁかぁらぁ、このスキャンダル本の著者の言い分は教会においては「屁の河童」で、どうぞご自由に、としか言いようがないし、あなたには死の直前に最後の告解という機会もありますからねー、なのです。話を我が地元に持ってくと、80歳過ぎて堅信を希望した、幼児洗礼は受けたけれど共産思想に心酔したおぢいちゃんがいたという話を漏れ聞いたことがあります。年取って教会に背を向けるより、死を前に向き合う人の方が救われてるかもしんない。
このスキャンダル本。私の耳が確かならば、ヴァティカンの高位聖職者含めて50例の同性愛について書かれているそうです。

昨晩はカトリック聖職者に身体を売っているイタリア語を話す男性がボカしてあるとは言え隠し撮りの写真ともどもテレビに登場しましたが、相手が同性だろうが異性だろうが性愛はカトリック聖職者にはイケないことですね。叙階の秘跡での誓約を本人が忘れてしまっているのが大問題。つまり、そこに「神の不在」があるわけです。

ものすごく底辺な話ですが、私個人は高校時代、倫理の授業で「愛」には「エロース、フィリエ、アガペー」の三種あり、それは「性愛、友愛、究極の愛」であり、アガペーのみが神との関係と教わったこともあり、ココ半月のヴァティカンねたは「エロース」の域のみなので、てめーら、裁かれて当然だし、ココ数日のおフランスでのスキャンダル本の話題についても著者や彼におべっか使っているひとびとの脳は「エロース」で儲けようという思考で止まっているので、ま、こんなもんで、ひと昔前の聖俗問答にもならんという印象しか持てませんでした、まる

ま、兎に角「あんたの自由意志を尊重する」で、オシマイ。



# by ma_cocotte | 2019-03-02 17:01 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)