時間がない、時間がない
と、アリスのうさぎさんではありませんが、野暮用あってココんちからパリまで日帰り旅をしてまいりました。

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今回、聖堂訪問はコチラのみ。はい、不思議のおメダイ聖堂です。
いつもでしたら、巡礼者が右往左往と上手に歩を進めることが難しいのに、この日は午後三時半開祭のごミサ直前でしたので、みなさま、このように既にご着席。周囲を見回すと、ロザリオを片手に祈ってらっさる方が多ござあました。


le 13 septembre 2018, Aimé




あ、書き忘れました。
この日帰り旅の午前中お昼近く、セーヌ川に浮かぶ船からロシア正教会のカテドラルをお見上げ申し上げましたよ。ツルッツルでキンキラキンの屋根は本物のたまねぎのようでした。って、お昼前の空腹のせいでそう見えたのだな、うん。

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# by ma_cocotte | 2018-09-13 14:16 | 『旅』 Rien de special | Comments(0)
自分の頭の中の仮説と真理は切ない関係
フェイスブックでつながる知人から読書記録としてこの本を教えられました。

その知人は某耶蘇女学校の宗教科教員なので、読後感想で一例として「平和」を授業でお題にしたとして、多くの人たちは自分が考える「平和」はそこに集う他者が思い描く「平和」と同じだと思ってしまいがちだけれど、実はそれぞれの「平和」は皆違う。だから、授業で教師が「平和」を生徒に教えておしまいではなく、或る程度の定義に導いた後、生徒たちにそれぞれが思い描いた「平和」を言葉にしてもらい、互いに分かち合うことで自分と他者の「平和」の共通点と共通しない点を見出すことがよろしい・・・というようなことを述べておりました。

と、この一個人の読後感想についてだって同意するひともいれば、根本どころか抜本から否定するひともいるでしょうね。私個人はそれが自然だと思うというか信じています。

タイトルにした「自分の頭の中の仮説と真理は切ない関係」については冒頭に紹介した本の見出しから造ったに過ぎませんが、真理についてはココで何度か同じ話題を私から出したことがあります。それは例えば「神はいる」についてココんちの仏人がそう言ったとして私が「えええ?本当?」とつぶやいたとします。すると、彼はこう言います。「いいよ、別にボクが神はいないと否定してもそれ(=神はいる)は何ら変わらぬ事実(=la vérité)だから」と。私は未だこの本を読んでいませんから、果たして筆者の学者先生がココんちの発したところで数秒で消える言の葉と同じ導きをしているのかどうかも存じませんけれど、私はタイトル「自分の頭の中の仮説と真理は切ない関係」の前半である自分の頭の中の仮説ってぇのは多分にそれぞれの成育歴や就労歴によって異なると人生折り返した今では確信に至っていたりもします。

今世紀に入って、仏蘭西に住むようになってから、電脳域で日本語の文章を拾っては読むことを日課にはしていますが、物事の思考の導き方だけでなく美意識など必ずしも話題の提供者と共に頷けることもないし、私のようにこうしてブログを楽しんでコメント交換も続けていると、中には私のコメントでの意見に同意してくださったようで実はそうではなかったということも10年以上前にあり、とてもつらい思いを経験したこともありました。まあ、電脳域ではなく現実の三次元世界でも他者との関わりで価値観やら美意識、金銭感覚など諸々のことで自分の脳内意識と他人様のそれらが違うことも身に染みてわかったというか、これは生涯続くのでしょうね。それがこの世に生きているという現実なのだと私は思うようになりました。

ただ、ここ数年思うことは電脳内の日本語領域を通り過ぎ、垣間見ている限り、誰かが誰かの価値観やスタイルを「それは違う、間違っている」と断定し、ココまではわからなくもないけれど、徹底的に、執拗に叩きのめすかのごとく「あなたは違う、間違っている」と繰り返しながら、自分の意見の同調者を増やそうとしている件が増えているように見ています。

今の私が猛烈に反省している点は「うちのような庶民~」というフレーズで、そのフレーズをきっかけに電脳内で「私も庶民なンですぅ」と知り合ったひとと直に対面したら、その方々は私よりはるかに富裕で、彼らが直で見た私はどンだけド貧民なのだろう?と後になって考えることばかり。この例が何度か続いた時に上に挙げた「平和」ではありませんが「庶民」についてもそれぞれの脳内で思い描く基準もろもろは必ずしも同じではないということにこんな私でもちょびっとは気付けたのでした。それ以降、ブログでもSNSでも私から「うちのような庶民」を口でも手でも表すことは止めました。


ヒトが造った国境、身分を取っ払っても、個々にはそれぞれの成育歴があるし、個々それぞれの死の瞬間まで魂は成育し続けるのですから、みんなが違うのは当然ですし、何を基準にするのかも難しい。自分はフランスに住んでいるから、自分は仏語やら仏文学を学んだから、と他人に決まり事を強いるのも何か違うと私は思うし、そういうことを強いることができるのは公文書においての私利滅却の状態くらいではないかなあと。まあ、こういう私見についても「私はあなたに同意する、しない」に分かれて自然なのです。オトナなンだからTPOによって使い方を調節するのも当然でしょうし。ヒトのノビシロやら自由意志は互いに尊重すっことですわね。天主さまは個人の自由意思を何より尊重するンだよねー(って、カテキズムのどっかに書いてあった)。

ほんと、生きるって難しいですね、はい。


le 3 septembre 2018, Grégoire



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# by ma_cocotte | 2018-09-03 18:38 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
薄くて、軽いし、

旅の友の邪魔にもなりませぬ。
どうにも日常で見聞するカトリック用語と異なる表現を見ると残念に思う私なのでした。
信憑性やら信頼が薄まる。

私個人は十年近く前に再会した中学一年当時の担任シスターから、私が仏蘭西の地方の超ウルトラスーパーど田舎に日本人たったひとり、ぽっつーんでは困ることが多いだろうとこの本をくださったので、今に至るまで頼っています。聖堂内装飾や司祭服、聖職者階位もろもろ、いろいろなカトリック用語が日本語、ラテン語で紹介されているので、ラテン語についてはほとんどがフランス語用語の派生ということもあり、本当に助かっています。(ほぼ)同じことやらものでもカトリックと正教、聖公会では和訳が異なることが多すぎくん。ですので、

お、す、す、め。


le 28 août 2018, Augustin




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# by ma_cocotte | 2018-08-28 17:13 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
ミギもヒダリもわからんぜよ。
9月に野暮用で花の都お巴里に上京することになりましたが、どうしよう? ← イマ、ココで思考停止ちうw

le 27 août 2018, Monique



ヌゥヴェル・アキテエヌ地方最北部ちょい南にあたるココんちあたりは8月末になり、気温が30度近くになったと思えば、翌日には最高気温が20度くらいと10度近い乱高下(とワザと証券用語を使ってみるw)で、いやー、心は兎も角、身体に悪いです。ああ、早く9月になれヴぁ、うぉおおおおお・・・と気温が安定することを祈るばかりです。そして、8月後半になり、急に夜明けが遅くなりました。天気予報を見ていたら、一日に付き3分、日照時間が短くなっているとのこと。だとすると、一か月で90分ですものね。そして、そして、きょう、週明けの月曜日は久しぶりに恵みの雨の一日となりました。雨音が聞こえるくらい午前中に雨が降りました。この夏の異常気象でどこのおうちの庭の芝生も茶色に変色してしまっているので、本当にありがたい降雨です。ではでは。





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# by ma_cocotte | 2018-08-27 20:47 | 『?』なたわ言 | Comments(2)
テレビ婆っつぁまはただただ目を細めるばかり
の週の始まり。

サッカーワールドカップ2018ロシア大会決勝、フランスが20年ぶりに優勝。星二つになりました。


昨日、フランスでは夕方5時から始まった決勝戦。
これまでの私の長い人生、私が応援する何某は必ず敗北するので、私はテレビ試合観戦をせず、テレビのない部屋に閉じこもり、背後から聞こえてくる家人の声でなんとなーく試合運びを妄想することに徹していました。今回のワールドカップ、私が頑として譲らなかった意見は「勝ちたければ必ず、最低でも3点取る」でした。2点先制しても逆転の可能性がありますが、3点先制しても2点差の埋めが可能でも3点に追い付くのはかな~り難しい、奇跡に近いかもしれません。だから、3点。昨日の決勝はフランスが1点先制した時点で私は「はい、目指せ、3点!」。ところが、クロアチアがすぐに1点を取り、試合はニュル(=ゼロ)、振り出しに戻ったのだから、フランスは1+3で四点取らないと我々ヲッチャーは何ら勝利を予感できない、私の脳ではそういうことになります。結果、フランスが4点、クロアチアが2点の2点差で、フランスの勝利。2点差ですから、クロアチアの善戦に敬意を表し、次回4年後のワールドカップでも必ずや決勝リーグにクロアチアの名があるように、と祈りました。

兎にも角にもフランスの「20年ぶりの」優勝です。
20年前の7月、私はパリのモンパルナスにある女子寮のテレビ室でフランスvsブラジルの決勝を観戦していました。私はなんとなーくフランスを応援していましたが、上に書いたとおり、私が応援するすべては負けるのが常だから心底ではブラジルが勝つだろうと思っていたのが正直なところです。同じテレビ室で観戦していた寮生のひとり、トリニダアドトバゴ国籍の女子はブラジルを熱烈に応援していました。当時、同棲していた男性と将来、ブラジルに移住することが彼女の夢、希望だったこともあります。その彼女は20年経った今、トリニダアドトバゴの政府高官。バツいちのシングルマザー。超かっけーですが、今でも底辺でうずくまっている私を気にかけてくれる優しさは20年前と何ら変わらず。
思い返すと、20年前の女子寮のテレビ室で一番はしゃいでいたのが寮の責任者であったシスターで、ヴェールに修道服をお召しでもスキップされたり、翌朝の食堂でもうれしそうにしていましたっけ。今はどうなさっているのだろう。

話戻って20年後。
決勝戦前もテレビでは関連特番しか流れていませんでしたが(ああ、France 2では当然、トゥール・ド・フランス(自転車レース)の生中継が流れていました)、優勝が決まったことでさらに関連特番が延々と放映されていました。パリはシャンゼリゼ通りでの異常な喧騒についての中継を眺めつつ、私は20年前の優勝決定の日をこうして思い出していましたが、手元のタブレットの指を上下させつつ、見てしまったのが、この写真。


フランス共和国の現在の国父であるエマニュエル・マクロン大統領の、ロシアの現場で観戦中のこのポーズです。

若いわ、マクロン・・・

と、口からついこぼれてしまった私。若いわよねぇ、奥さん。マクロンはやっぱりシジューの青年なんですなあ。もうこの時点でわたくし、マクロンについては息子を見るような錯覚に陥りました。そして、試合直後から繰り返される選手たちへの生インタビュウ。はしゃぐ彼らについては「かわいい」と彼らのあどけない様子に私は夏のヴァカンスで目の前で大騒ぎする孫を眺めるおばあちゃんと化しました。こういう感覚、20年前のフランス優勝時には微塵も陥らなかったので、これが最たる私にとっての20年という時の流れなのだと実感しています。

優勝から一夜明けたきょう、16日月曜は夕方にフランスチームがロシアからパリに戻り、シャンゼリゼ通りで優勝凱旋パレードが行われることになっています。チームはその後、大統領府(エリゼ宮殿)で大統領閣下と宴だとか。

んなわけで、きょうも朝からテレビはずぅううううっとこの話題。ニュウス専門チャンネルでもこの話題ばっかり。ということは、フランスというヒトが決めた囲いの中はきょうも平和という証なのだと思います。

私、もっと他のニュウスを知りたいンだけれどなあ・・・・。




le 16 juillet 2018, Carmen




《追 記》


そうそうそう、送信してしまってから思い出した、もうひとつの20年前の今頃のこと。
私のクラスメエトのひとりがクロアチア人の男性で、確かトミスラフという名前。20歳過ぎたばかりであろう彼の夢は将来、スポオツライタアになること。そのためにフランスに、サッカーワールドカップ開催年のパリにやってきたとのこと。彼、今、どこで、どうしているのだろう? 彼の夢がかなっているならば、間違いなく露西亜はモスクワでの決勝戦を直に観戦していたでしょう。おそらくもう彼と私は天国で再会する可能性しか残っていませんが、もし再会できた時はお互い光の玉っころでしょうけれど、2018年7月15日の試合を思い出して光の玉っころなりのハグをしたいです。






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# by ma_cocotte | 2018-07-16 16:29 | 『行け、行くんだ!』 Allez!! | Comments(0)