「返して」とお願いしても「戻ってこない」もの(其の弐)
【英国小史】「返して」とお願いしても「戻ってこない」もの(其の壱) は国と国,旧教と新教(アングリカンを含む),「天上」の最高権力者が絡むお話でした。

こんにちは大英帝國の下界におりてみませう。

エジンバラから南下すること1時間ちょいにダーラム(Durham)という北イングランドの美しい小都市があります。町の中心・小高い丘の上には1132年に完成した大聖堂と1072年に建設されたダーラム城(1832年以降はDurham大学大英帝國大学ランキングで例年第6,7位)が聳えています。

私はなぜかこのダーラムに縁があり(友人二人がこの大学を卒業しています),1999年エジンバラ旅行のついでに北イングランドに南下してダーラム郊外にある友人宅を訪ねました。エジンバラからニューカッスルまで行き,ここから支線に乗り換えて友人の彼が住むSunderland(HONDAの欧州工場がある町)にも寄りました。

1986年には世界遺産にも指定されたこのダーラム大聖堂内には二人の聖人のお墓があります。ひとりは聖カスバート(Saint Cuthbert, 687AD没),もうひとりは聖ベド(Saint Bede,673-735AD没)。カスバートさんは7世紀,ベドさんは8世紀に亡くなった聖人ですが,ダーラム大聖堂はローマンカトリックの大聖堂として12世紀に建てられたものの,16世紀ヘンリー8世の英国国教会設立に伴って現在に至るまで英国国教会のカテドラルであります。でもお墓の中の二人はローマンカトリック(つまりヴァチカン)が列聖した聖人になります。

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← 右も左も聖Bedeさん →
アングロサクソン人。
哲学者でもありベネディクト会修道士だったそうだ。
どおりで右も左もがり勉くん。


今から500年前「天上の人々の争い」に教会が巻き込まれたものの現在に至るまでダーラムの丘の下には「命も惜しいしお上が言うんぢゃな」とアングリカンに改宗したイギリス人もあれば「いや国王といえども離婚はいかん!」とローマン・カトリックの信仰を迫害されても守り通したイギリス人もいるのです。
今もダーラムの町でローマンカトリックの人に出会うと丘を見上げて「建物はアングリカンだけどローマンの聖人二人が聖堂の下で人質になっているのよ」なんてにやりと笑って話されたりします。

「取ったもん勝ち」の英国国教会と「泣くに泣けない」ヴァチカンのお話【其の弐】でした。
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# by ma_cocotte | 2004-11-26 00:43 | 『?』な大英帝國 | Comments(0)
「返して」とお願いしても「戻ってこない」もの(其の壱)
どのくらい昔のことでせう。
今は昔やうやう白くなりにけり。

週刊マーガレットで「七つの黄金郷」という漫画が連載されました。漫画家の山本鈴美香氏が「エースをねらえ!」の連載終了後,次にとりかかったのがこの大作でした。おまけに完結しているのか?いないのか?謎の漫画です。「七つの黄金郷」の舞台は16世紀エリザベスⅠ世統治下のイングランドを中心とするヨーロッパ社会。新教vs旧教の争いを絡めた大ロマンです。

こんにち私が以下に書くことはそのエリザベスⅠ世女王の父上ヘンリー8世の身にふりかかった事件が現在に至るまで引き継がれているという大英帝國小史です。
by the Grace of God of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland and of Her other Realms and Territories, Queen, Head of the Commonwealth, Defender of the Faith
これ(↑)1953年5月28日付『ロンドン官報』3023ページに載った大英帝國女王の正式称号です。日本語に訳すと,
『神の恩寵による大ブリテン島および北部アイルランド連合王国ならびにその他の王領地および領土の女王,コモンウェルス元首,信仰の守護者』
20世紀に入り大英帝國国王の正式称号は1901年,1927年,1947年と既に前世紀100年間で3度,1922年の南アイルランド独立や1947年のインド,パキスタンの独立に伴っての変更でした。

16世紀から現在おそらく未来永劫,大英帝國に国王が存在する限りこの長い称号でほぼ絶対に省かれない2文があります。それは上記で下線が引かれている二語,
by the Grace of God 『神の恩寵による』
Defender of the Faith 『信仰の守護者』
です。
実はこの『信仰の守護者』という「称号」は16世紀にヘンリー8世がルターの教義に反対した「ごほうび」としてローマ教皇レオ10世から授けられたものです。この数年後ヘンリー8世は彼の子供を身ごもった愛人アン・ブリン(エリザベスⅠ世の母)と再婚するためローマン・カトリックと決別しアングリカン・カトリック(Church of England 英国国教会)を創設。おん自らが教皇になりかわって「英国国教(アングリカン)における最高の長」となりました。現エリザベス二世女王に至るまで大英帝國国王は英国国教会の最高位を兼任しています。
というわけで激怒のヴァチカン(ローマ教皇庁)はヴァチカンとの決別を宣言したヘンリー8世に与えた『信仰の守護者』の称号を剥奪することを決定しましたが,対抗してイングランド議会はヘンリー8世が『信仰の守護者』であると確認する法律(ヘンリー8世治世第35年法律第三号)を制定したのです。

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← ヘンリーの八っつぁん
俗にHenry 8世とも呼ばれる。
1491年6月28日生-1547年1月28日没
テューダー朝のイングランド王(在位 1509年4月22日(戴冠は6月24日)-1547年1月28日)、アイルランド王(在位、1541年-1547年1月28日)。
イングランド王ヘンリー7世の次男。
娘二人(メアリィとエリザベス)は歴史に名を残す「女王」となる。(が,はっつぁんがパパだと思うと私ゃ彼女達が気の毒にもなる。エリザベス1世が生涯独身だったのもわかる気がしゅる)そして生涯で6人の王妃を持つという遍歴は他の宗教創始者と肩を並べる。(そんな肩を並べてどうするんぢゃいっ?)
この16世紀の「絶対に返さないよーだっっ」というヴァチカンに対してのイングランドの意地が21世紀の現在に至るまで国王称号に生かされており,なんと大英帝國硬貨のエリザベス女王の肖像に刻印されている「F.D.」の文字は「Faith Defender」の頭文字。
英国国王は『信仰の守護者』である
という大英帝國独自の主張を今も国民いや全世界で英国硬貨を手にする人々に顕示しているわけです。ユーロ導入を拒んだのもFDの文字を失いたくなかったことが深層原因だったりして?


「取ったもん勝ち」の英国国教会と「泣くに泣けない」ヴァチカンのお話【其の壱】でした。

■ちなみにアングリカンとローマンですが■
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# by ma_cocotte | 2004-11-26 00:27 | 『?』な大英帝國 | Comments(52)
Monsieur Révolutionと呼ばれているそうだ。ね,ノエル?
先日,France3で放映の生番組"On ne peut pas plaire à tout le monde"のゲストのひとりがNoël Mamère だった。
彼はBordeaux近くのBègles市市長であり,Gironde県の議員でもあり,フランス「緑の党」党首でもある元ニュースキャスターだ。この経歴を読んだだけで水を飲み込んで血を薄くしたくなるでしょう?テレビに映る彼,かなり人相に「毒」を感じるし,やっぱり元ニュースキャスター,話の押しが上手です。
今年6月5日彼はフランスで初めてゲイ・カップルの市民婚を司式。歴史に名を刻んだ。その直後にフランス政府から法で認められていないホモセクシュアルの結婚は無効であると宣言されてしまった。
昨晩は「移民に地方選挙権を与える運動を始める」と宣言し,司会者に「あなたは現代のMr. Révolution(=革命家)ですね?」なんて呼ばれて・・・「ふっふっふ,おぬしも悪よのぉ」ばりの不適なニヤリ。が,彼には弱みがある。それは前回の大統領選挙でももちろん彼は緑の党から選ばれた大統領候補であった。討論番組好きのフランスは大統領選挙まで連日各テレビ局で候補者討論会が放映され続けたけど,どの番組でも彼に尋ねることは

「緑の党って右派ですか?左派ですか?」

すると不思議なことに彼はいつも「緑の党はエコロジーを重んじ・・・」と切り出すのだけど,すぐに「そりゃ右派だって左派だってエコロジーは重んじるでしょう?」と尋ね返される。その後話をすり返るのも元ニュースキャスターの彼にはオチャノコサイサイでのらりくらり。大統領一次選挙で社会党のジョスパン候補(元首相)が敗れ去りシラク大統領と極右ジャン・マリー・ル・ペン氏の二次選挙となったこともあり,悩むことなくなぜかシラクを応援するはめになった左派に属してしまって現在に至っちゃっています。

兎にも角にも,6月のフランス初ホモ婚については彼の売名行為だと揶揄されることが多い。直後に国会議員選挙が控えていたからだ。昨晩もつっこみ鋭い司会者に「どうして法に定められていないのに認められたのでしょう?」と質問されたら「だってオランダでもベルギーでも・・・」と言った途端,ちょっと変わった雰囲気の女性歌手が椅子から離れて「ここはフランスだよ」と言いながら煙草を吹かし始めちゃった。

いや,常に眉間に縦皺の一見ニヒルなノエルももろにわかる苦笑いとうろたえ。
歯が見えた。
ちょっと滑稽な日曜夜だったわ。
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# by ma_cocotte | 2004-11-25 18:19 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
これさえあれば『プロヴァンス』
オリーヴオイル,にんにく,そしてエルブ・ド・プロヴァンス。
この3つがあれば食卓にプロヴァンス料理を乗せることができます。
ラタトゥイユにも,子羊のローストにも,牛ステーキにも,白身魚のオリーヴオイル焼きにもサラダにも何でもこの3つです。
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写真のオリーヴオイルもエルブ・ド・プロヴァンスもフランスで初めてできたスーパーチェーン E. Leclerc のオリジナル商品。
廉価ですが味は十二分に満足できるものです。

■Herbes de Provence■
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# by ma_cocotte | 2004-11-25 17:39 | Ca etait? | Comments(14)
吐く息が白くなり始めました。
2004年11月25日午前8時45分頃のMarignaneです。
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夜が明けるのが8時過ぎ。
西の窓からベール湖を眺めつつ・・・
隣の室内プールの屋根が真っ白ではありませんか。
ああ,冬を実感。

これから年末まで「きりり」と寒さが厳しくなっていく南仏です。

■ところでこんにち午後1時ですが■
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# by ma_cocotte | 2004-11-25 16:54 | 『?』なたわ言 | Comments(19)