タグ:かとりっく ( 350 ) タグの人気記事
// vendredi saint - chemin de croix //
2018年の聖金曜日--- 十字架の道行
b0070127_15113567.jpg
第12留 イエス、十字架上で息を引き取る、引き取った。↑



le 30 mars 2018, vendredi saint

[PR]
by ma_cocotte | 2018-03-30 23:59 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
この世は儚いものですからパライソの全き幸福を失わぬよう努力なさいますように。
神の御助けにより、この数行をしたためます。パードレたち以下、われヽ二十四名は列の先頭を行く高札に書かれた判決文のように長崎で磔刑を受けるため、ここまでまいりました。わたくしのこと、またミゲル父上のことご心配くださいませんように。パライソ(天国)で、すぐにお会いできることを希望しています。お待ちしています。たとえ、パードレが居なくても臨終には熱心に罪を痛悔し、イエス・キリストの幾多の御恵みを感謝なされば救われます。

この世ははかないものですからパライソのまったき幸福を失わぬよう努力なさいますように。
人からどんな迷惑をかけられても堪え忍び、すべての人に大いなる愛徳を施されますように。

わたくしのふたりの弟マンシオとフェリペを、どうか異教徒の手に渡されぬようご尽力ください。わたくしは母上のことをわれらの主にお願いいたします。母上からわたくしの知っている人々によろしく申し上げてください。罪を痛悔するのを忘れぬよう、再び重ねて申し上げます。なぜなら唯一の重大なことなのですから。アダムは神にそむき罪を犯しましたが、痛悔とあがないによって救われました。 

十二の月二日 安芸の國 三原城にて
以上、日本二十六聖殉教者のひとり聖トマス小崎が京都から長崎に向かう途中、三原城のどこかで母親にあてた手紙です。こんにち2月5日はカトリック教会の典礼暦において日本二十六聖殉教者の記念日とされています。そのため、前日あたりからほうぼうで彼らの生きざまについてのエントリーがあり、私も見聞に励んでおり、この手紙に出会いました。

私個人が日本二十六聖殉教者について知ったのは小学校4年の時の父親参観日に女子パウロ会が臨時書店を校内に開いてくださり、参観後、校舎を出てすぐその書店の前で父が本を買ってくれると私に言ってくれたので数ある本から選んだものが天正の少年使節と日本二十六聖殉教者についての本でした。開いて最初に思ったことは今まで自分が読んだ本の中で最も漢字が多いということ。それでも、父が珍しく本を買ってくれたのだから、と読みました。

彼ら日本二十六聖殉教者は京都から長崎の刑場まで800㎞を徒歩で移動しますが、それには見世物の要素も加わっていたので、途中で耳をそがれたり、冬場だったので素足がみるみるしもやけになり、悪化し、歩くことも難しくなったそうです。確かこの手紙を書いた時、トマス小崎少年は14歳だったと記憶しています。三原には京都を出てから2週間後に入ったそうです。その2週間、彼が何を見、何を聴いたのか。想像する前に「おお、こわ」と思考を止めてしまう自分に情けなくなるばかりですが、私は今のシリア国内に残る善良なひとびとと重なってしまいます。そういう残酷なことを目の当たりにすると、トマス小崎少年の文中にあるように「異教徒になってしまおう」など安楽な道を選んでしまうのもヒトが弱いということなのでしょう。でも、「この世は儚い」ことが絶対的な事実でもあります。この世のすべてはいずれ塵となるわけで。霊魂だけは形を変えることもなく息絶えることもないのさ。

しっかし、私は初老ですのに、今でもこれだけの文章は書けないな。

le 5 février 2018, Louis Ibaraki





[PR]
by ma_cocotte | 2018-02-05 20:59 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
前進あるのみ、うん。

昨年12月の第一日曜日から長年親しまれてきた主祷文の一部が変更となりましたが、今度は主日ミサやロザリオで唱える信仰宣言の仏訳が変更になるとのこと。ラテン語の原文を仏訳すること15年目にしてようやくヴァティカン本丸から認められたそうで。
10年ほど前、私がロオマ巡礼した折にヴァティカンの翻訳の部署で働かれる高位聖職者にお目にかかったことがあります。彼は今も毎週水曜の一般謁見の時、仏語圏担当紹介司祭として壇上で活躍されています。事務所で彼の机の隣チームが日本語訳だそうで、彼曰く、和訳に比べたら仏語訳などそれほど大変ではないとのこと。それでも、先の12月の主祷文や今回のクレド(Credo、=信仰宣言)の変更と、それに要した年月を知ると、いやいや、おフランス語だってかなり訳に苦労されたのでしょう、と拝察いたします。

和訳に関わるみなさま方もどうぞ祈り、がむヴぁってください。


le 24 janvier 2018, Timoteo Giaccardo





[PR]
by ma_cocotte | 2018-01-24 00:13 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
こうしてカトリックで生まれたからにゃ、カトリックで死ぬンだろう。
的な?w

« Comme je suis né catholique, et mourrai catholique »

この台詞は先の土曜に行われたヂャニ・アリデ Johnny Hallyday の葬儀での数ある弔辞の途中で私の耳に届いたものです。別にこれは生前のヂャニの言の葉ではなく、お仏蘭西のそれは壮大で麗しい歴史の中で多くの偉人が口にしたり、書き残したのだそうだ。カトリック家庭に生まれたのでもなく、今後果たしてカトリックとして死ぬかどうかもあやふやである員数外の私でしたが、この一文を耳にすると同時に、なぜか良心が喜び踊る感覚におそわれました。まるで聖母を迎えたエリザベトのように。ヂャニ・アリデの棺は仏蘭西時間の月曜夜にカリブ海に浮かぶサン・バルテレミ島の墓地に埋葬されたのでヂャニについての報道は昨日火曜の夜まで繰り返されました。ですから、こんにち水曜の朝から共和国内は「ほぼ平常運転」に戻るのではないかと期待しています。まぢ、本当に「もう勘弁しちくり」レベルのヂャニアリデ関連ネタの波で、あたしゃ、降参です。というのもですね、月曜の夕方遅く、義母から電話。なんでもヂャニ他界をきっかけに30年も前に離婚した元夫、つまりココんちの仏蘭西びと♂の父親に電話をかけ、二人で平和に語り合ったのだそう。このお二人はまさにヂャニ・アリデとシルヴィ・バルタンと同世代で、彼らの歌をBGMに出会い、恋愛し、結婚し・・・そして、彼らと同じように離婚しての今です。父親は再婚したけれど、母親は再婚しないまま現在に至る。双方とも、ヂャニ他界をきっかけに半世紀近く前のロマンスを思い出してしまったのでしょうねぃ。
はー、そこまでの影響力ですか。
こればかりはガイジンで員数外のあたしにはなんら「分かち合い」できないな・・・と改めて実感しました。

で、土曜のマドレエヌ寺院(なぜ寺院と和訳されているのか存じませんが、ココはヴァティカンにつながるローマ・カトリック教会聖堂のひとつ)でのヂャニの葬儀。マクロン大統領夫妻、オランド前大統領と現在の恋人さん、サルコぢ元大統領と現在の妻であるカルラ・ブル~ニに、現在のフィリプ首相が棺に近い席に並んで座ってらっしゃいました。参列者にはヂャン・レノさんやらキャロル・ブケーさんなど日本でも知られる俳優さんも多々。そして、家族席には亡くなったヂャニ・アリデの最初の妻であるシルヴィ・バルタン、元恋人でヂャニとの間に一女を産んだナタリ・バイェ、そして現在の妻であるレティシアが揃い、それぞれの子供、孫も列席。レティシアと結婚後、養子縁組したヴェトナム人の女児二人ももちろんおりました。おそらく、このお三方だけではなく他の元恋人さんもいらしたのかもしれません。ヂャニ・アリデとレティシアの市民婚を司式したのは当時、ヌイィ市長だったサルコぢ。

こうしてカトリックの聖堂で司祭方が登場してのヂャニ・アリデの葬儀でしたが、ミサではなく、カトリック用語で引っ張ると「みことばの祭儀」のみ。聖書朗読や仏訳を改訂したばかりの主の祈りは唱えても、信仰宣言は唱えず。みことばの祭儀のみだから聖体拝領も無し。聖体拝領がないことに気づいた時にココんちの仏蘭西びと♂は「ユダヤ人が多いから?」とつぶやいていましたが、ヂャン・レノさんや歌手のパトリック・ブリュエルさんはユダヤんなれど、ヂャニ・アリデとレティシアの最初の養女のカトリック洗礼の代父(仏蘭西では洗礼時、本人の性別がなんであれ代父母を選べるし、代父母以外に数名の代父母を選ぶこと、その代父母が異教徒でも可能なので日本のカトリックの習慣と異なります)だったし・・・とこちらの脳を動かしてみると、ああ、もしかして、家族席も政治家さんや芸能人さんのほとんどがカトリック教¨会では「聖体拝領禁止」のお立場だから?と邪推←第八戒に触れまくるw

葬儀のBGMは生前のヂャニ・アリデのコンサートのギタリストたちがエレキではなくアコースティックギタアで次々とヒット曲を弾かれ、ココ数日の追悼番組でうんざりしつつもヂャニ・アリデの歌がそんなに嫌いではない私には好感が持てました。聴いているうちに既に前世紀のことではあるけれど、ダイアナ妃の葬儀礼拝の音楽とどこか重なりを覚えました。ヂャニのヒット曲の合間にクラシックもチェロとピアノ、時には歌唱を交えてありましたし、聖歌隊がイグナチオ・デ・ロヨラのアニマ・クリスティを唄ったのも良かったです。

そうそうそう、葬儀中のどこだったか、カトリックの十字を右手で切るところで、オランド元大統領やマクロン大統領はまったく右手を動かさなかったけれど、オランドさんの恋人さんもマクロン夫人も十字を切ってたよ(笑。翌日だったか、カトリックの葬儀の習慣で式の最後に参列者が棺を聖水棒を持ちつつ十字を切り清めるというものがあるけれど、マクロン大統領がそれをしなかったと報道していました。棺に手を置いただけだったンですと。まあ、そんなマクロンちゃんもヴァティカンと仏蘭西との間の伝統で国家最高権力者に教皇から与えられる勲章はしっかりもらうらしいからね。たいしたもんだと思います。

葬儀をテレビでヲッチしながらつくづく葬儀っちゅうもんはこの世に残された者者の心を慰めるためにあるようにまず思えたし、いやいや、(ヂャニさんの奥様方とお子たちを眺めつつ)ヂャニさんの霊魂は未だ練獄にいるかもしれないからこうしてこの世に残る縁者がヂャニさんの少しでも早い天国入りをこうして祈っているのだと思ったりもしましたが、そうではなく、肺がんと闘い亡くなったヂャニさんは生きながらにして練獄を闘病のうちに経験したのだから既に天国にいるのさ、と想像したり。私だけかもしれませんが、ヂャニ・アリデが今の奥さんレティシアさんと結婚後、ヴェトナムの極貧の環境に生まれた女児を二人引き取り育てていることや、この晩年の数年間は磔刑の十字架の首飾りを常に胸の真ん中の位置に露わに見せていたことなど、ご自分の回心を我々にアピールしていたようにも思えました。放蕩息子のたとえが私のツルツル脳を滑走しました。そして、「カトリックとして生まれ、カトリックとして死ぬ」に至る、と。

ヂャニさんは養女に迎えた二人のカトリック洗礼もしっかり行いました。それを受け付けた教会側もたいしたもんです。私たちの目に見えない、知らない、わからないところで真剣な関りがカトリック教会とヂャニさんの間で続いていたのでしょうね。ヂャニの葬儀で、レティシアさんの首に磔刑の十字架の大きな首飾りがかかっていたけれど、あれはきっとヂャニが生前身に着けていた首飾りだと思いました。あんなに大きな十字架、きょうび高位聖職者が御身につけるくらいで、シスター方の十字架はどんどんちっこくなっているのにね。

ヂャニさんのお葬式、良かったと思いました、まる

RIP


書き忘れそうになりましたが、ヂャニ・アリデの棺が仏蘭西共和国本土からカリブ海のサン・バルテレミ島に移動しましたが、埋葬の前にはサン・バルテレミ島の教会でもう一度葬儀ミサがおこなわれました。二度も見送られるなんて、ヂャニさんって。やっぱ、葬儀っちゅうもんはこの世に残されたひとびとの心を穏やかにするためにあるのかもしれません。


le 13 décembre 2017, Lucie

[PR]
by ma_cocotte | 2017-12-13 18:40 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
我らを試みに引きたまわざれ
土曜の夜、旧市街のおクリスマスエヴェントを冷かす前に夕ミサに参りましたら、入り口でこのような印刷物を頂戴いたしました。
b0070127_17142366.jpg
なんでも、お仏蘭西のカトリック教会ではこの待降節第一主日(2017年12月3日)から主祷文の一部が変更になるので、このような御絵を教区が我々世俗末端にまで行き渡るようにと用意してくださったらしい。変更箇所は写真の下から三行目。2017年12月2日の夕方日没までは Et ne nous soumets pas à la tentation でしたのに、お天道様が隠れて以降は写真にあるがごとく Et ne nous laisse pas entrer en tentation と唱えることになりました。拙訳が正しいかどうかわかりませんが、今までは「私たちを試みに服従させないでください」で、これからは「私たちを試みに入らせないでください」でしょうか。なんかよくわからないけれど、「服従」というのはアタマを使わないので「従順」とは異なる。あんまりカトリックっぽくないという私見です。新しい「試みに入らせないで」ならば自分で入るか、入らないか考える様子が想像できなくもないので、個々の自由意志を何より尊重するカトリックっぽいと思いました。やっぱヒトに生まれたからにゃ、自らの知やら智を善く使うことが天主さんへの御恩返しですからね。

さて、カトリック教会の中ではありますが、こうしてフランス語の主祷文の文面変更は1969年12月29日以降、初めてだそうです。そのせいなのか、昨日12月3日はニュウスでもこの話題が紹介されていました。日本ぢゃ、ありえねぇ。

私、新しい、変更された一行を暗記できるかなあ・・・

日本語の主祷文なんぞ、私は今でも小学生の時に暗記した文章しか唱えられないのでした。こんにちのこのエントリーのタイトルもその当時の主祷文で、口が回らず唱えるのに苦労して、実のところ、漢字やひらがなをどうあてがうのかも知らないまま現在に至っております。高校生の時に習った古文を頼りに文字で表すと、おそらくタイトルのとおりではないかと思うのですが、間違っているかもしンない。ご寛恕のほど。


le 4 décembre 2017, Barbara


[PR]
by ma_cocotte | 2017-12-04 17:33 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
目には見えない、物入り
師走十二月に入ってしまいました。一年、早い。
物騒な報道ばかり見聞するこの頃ですが、霜月の終わりにグリニッヂ標準時計所有の、七つの海を制覇する王国の王位継承権第五位のヘンリー王子さまがエイメリカの女優さんと結婚するという吉報が飛び込みました。ヲソレヲヲクモカシコクモ、祝着至極でござあます(最敬礼)。

で、それについての速報後、少しずつ婚約者である女優さんが再婚であることや王子さまより3歳年上であることを知りました。
速報から二日経って読んではいませんが見た記事がコチラ。

大見出しには「ハリー王子との結婚前に女優メェガン・マルクルは受洗せねばなりません」とある。先ず「この手の話題は日本のペイパアでは話題にならないだろうなあ」と言うこと。で、更に読まずにざーっと見たら、彼女の両親は新教徒で、彼女が7歳の時に離婚。彼女はロサンヂェルスのローマン・カトリックの女子校を卒業しているけれど、彼女自身は洗礼を受けていない。離婚した前夫さんはユダヤ教徒だった、などなどなど。で、大英帝国の国王は英国国教会の最上位なので、メェガンさんはハリー王子との婚姻を前にして英国国教会の洗礼を受けることになりましたとさ。

まあ、ココまでは大英帝国について知るひとびとにとっては「そりは当たり前だのクラッカー」な話題なンですが、この記事であたしなんかの興味を引いたのは、きょうび21世紀に入り16年過ぎた今でも大英帝国の王族はローマ・カトリック教徒と結婚「できない」のだそうだ。1701年制定の法。もし大英帝国の王族がカトリック教徒と結婚したら継承権を放棄せねばならないとのこと。

こんなことを見たら、同時に思い出したのが確かチャアルズ皇太子の今の奥さんであるカミラさんはローマ・カトリック教徒だったことで若かりし頃、互いに惚れてしまったのにケコーンできなかったけれど、この度の再婚時はカミラさんが事前に英国国教会信者になったことで婚姻できたっちゅうこと。一方で、ブレア首相なんぞは奥様が真面目なローマ・カトリック教徒だったことでご自身もカトリックに傾いたけれど在任ちうは改宗せず、退任後にカトリックに改宗したという事実もあり、王族であろうが、平民であろうが、大英帝国というところでのローマ・カトリックってかなり今でも繊細な立場なのだなあ、と改めて思った11月の終わりだったのでした。

とか書くと、大英帝国の中でカトリックって日陰者のようですが、相当量の勢いはなくはありません。19世紀まで同じ人種なのにカトリックを信仰し続けることでひどい差区別を受けていたからですかねぃ。いい加減、大英帝国の王族のヲールドでも1701年の法を改めた方がよろしくありませんか。

東の島国も西の島国もどうにも差区別に絶縁できないまま、時代の波に乗れないままでいるように見えてなりません。

le 1er décembre 2017, Charles de Foucauld
[PR]
by ma_cocotte | 2017-12-01 15:26 | 『?』な大英帝國 | Comments(2)
コレは違う。事実が違う。
神さまお留守の神無月、十月の第二日目、月曜日。
朝一番で寝ぼけ眼のまま、習慣のRSSを使ってのブログスヲッチ。
聖ピオ10世会は2009年に破門を解かれ、」の短文でさぁあああっと目が覚めました。(おいおい、血の気が引いたンだろ?)

ンなわけないだろ、と自らのブログでおさらい開始(・・・の途中でこうしてタイプing、始め)。

こんな零細ブログでも細々と続けていれば、2009年6月18日を最後に中断したままの 破門→波紋→和解→破壊 なんてカテゴリーがある。
私が読み直した限り、2009年1月22日に故マルセル・ルヴェーヴル師個人の破門が解かれたとあるけれど、彼が創立した聖ピオ十世会そのものとその聖俗会員がヴァティカンに認められ、カトリック教会の内となったという事実は今日に至るまで「ない」です。私は「ないです。」という日本語表現が苦手ですが、こればかりは「ないです。」が良いかも、です(苦笑。

その証拠はヒジョーに簡単で、こんな零細ブログで文章にせずとも、永遠の都ロオマから四方八方、世界の果てまでいずこの(ヴァティカンにつながる)司教様方がこの団体を公式に認め、小教区を任せているか。

ない、です。


le 2 octobre 2017, Léger





【書き忘れた。】

そもそも、カトリック教会の秘跡についても、ですけれど、世界の果てまでヴァティカンにつながる司教様方は誰ひとりとして聖ピオ十世会の聖職者に秘跡を授けるお認めを出していません。彼らは教区長からのお認めなしに勝手にミサをささげ、聴罪し、婚姻など諸秘跡に関わっているわけです。だから、何が有効なのかというと、それら秘跡を受けた聖俗信者に与えられた恵みになります。本当は秘跡を受ける側がきちんとヴァティカンにつながる、ヴァティカンの内にいる司祭からすべての秘跡、恵みを受けることが一番、最善、裁量なンですけれど。これも誤読したまま広めている方が多ござあます。





[PR]
by ma_cocotte | 2017-10-02 15:54 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
花の都は別世界


8月15日から二日過ぎて、カトリック専門チャンネルのKTO(カテオと読む)から聖母被昇天の大祝日にパリの司教座聖堂(いわゆるノートルダム・ド・パリ)でささげられたごミサの映像が届きました。流石、流れ石でござあます。

シテ島周辺で聖母行列を行ってからミサに入るので、冒頭、聖堂内はからっぽ。
ビデオでは9分50秒過ぎまで大聖堂前広場での祈祷の様子ですからして、ミサをご覧になりたいのであれば、カーソルを11分頃に合わせると被昇天の聖母の行事にだけお目にかかれるギンギラ銀の聖母子像が聖堂にお入りになるところ。この入祭の聖歌は毎年同じですなあ。でも、感動しちゃう。こんな立派な聖堂も、すばらしい聖歌隊もオルガンも、抹香だってないものね、ココんちあたり。いつか被昇天の日のパリを訪問してみたひ。


ところで、こんにち2017年8月18日。
第一回ワールドユースデイから丸二十年なンですと。
20年前の今日、聖ヨハネ・パウロ二世教皇様がパリにいらっさったのね。

年取るわけだ、自分。



le 18 août 2017, Hélène










[PR]
by ma_cocotte | 2017-08-18 22:46 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
世界の其処此処彼処で
平和を祈念する日が8月15日と言えましょう。
日本國と大韓民国だけぢゃないんだよ。
ヒトが決めた国境を取っ払ったカトリック教゙会におかれまして8月15日は聖母の被昇天の大祝祭日でありまして、ヒトが決めた国境のうちにあるフランス共和国という国ではこの日が「被昇天(の聖母)」の名前を冠したまま国定祭日になっています。なぜかと言うと、「被昇天の聖母」はフランス共和国の筆頭守護聖人だからです。余談、日本國の筆頭守護聖人は「神の母 マリア」なのでカトリックの典礼暦に合わせるとお祝い日は1月1日でごわす。さてさて、お仏蘭西。昨日8月15日は被昇天の聖母の祭日でしたので、宗教離れが年々進められている世間では商店が普通に開店している一方、其処此処彼処に点在するカトリックの教会聖堂ではそれぞれのスタイルで被昇天の聖母のお祝い事を行っておりました。こりについてはお仏蘭西だけでなく、地球のどこであれ、カトリックの環境では何かしら祝賀行事が行われおります。司祭がいらっしゃるところでは必ずごミサ付き(当たり前だのクラッカー)。ココんちあたりでは10近くある教会聖堂でミサが捧げられ、数か所でピクニック(お昼ご飯)を含めた聖母行列と巡礼が実施されました。ココんちあたりは田舎ですから、8月の半ば、ヴァカンスの最中に滞在先のカトちゃん行事に参加するガイジンも多々あり。地元民だけの楽しみではないのですな。善きことかな~。そういう地元民と観光客が交わって聖母被昇天の大祭日を祝うのは田舎だけでなく花の都パリでも同じで、10年未満前だったと記憶していますが、パリのノートルダム(←カトリックヲールドでは司教座聖堂、カテドラル)では前日から聖母を祝すビッグ・エヴェントになっておりやす。こちら ↓ がパリ大司教区の今年度の被昇天祭公式ポスター。

このポスターの行事案内を頼りに検索したら、こんなYouTubeを見つけました。




Vêpres ですから和訳すると夕祷。ポスターに照らし合わせると昨日15日の午後3時45分から始まった(聖務)日課です。けれども、普通の日に行われる夕祷とは祭壇周りもちょと違いますね。流石、パリ大司教区、お金持ちぃ。水色や青を織り込んだ祭服に抹香をふんだんに焚いているなんておいらの地元ぢゃ「見らンねー」です。しかも、私個人は毎年5月に必ず聖母行列を行うガッコで育ったので、こういう荘厳な、知らないひとには「原理的?」と笑われてしまいそうな雰囲気にノスタルヂィを覚えます。まあ、ルルドやファティマ、その他ほうぼうの聖母にまつわる巡礼地に行けば似たような様子を見聞できはしますけれど、花の都のパリでさ、ギンギラ銀の聖母子像が御輿に乗せられ、果てはセーヌ川を船で周するなんて見物してみたいですよ。我が残りの人生の「夢と希望」の事項に加えよう。

話はちょっと難しくなりますが、きょうび、人が決めた国境を取っ払った地球上においては連日、ほうぼうで陰惨なテロ事件が発生しています。だから、世界中で聖母マリアの存在を知っている人たちが聖母にちなんだ祭日に心をひとつにして平和を願って祈ることはとても意味があると思います。聖母を知らないひとなら旧盆でご先祖様に手を合わせて平和を願うでしょう。それくらい、この世の中、なんだか少しずつ平和から遠のいていると想像しても仕方ない現実がパチンコ大当たりのようにチンドンヂャラヂャラですよね・・・。

聖母マリアっておひとはカトリック教¨会だけでなく、正教、プロテスタント諸派、イスラームでも聖典に登場の有名人で、被昇天についてはカトリックだけの解釈になりますが、マリアさまがヂーザっさんのお母さんで、ヂーザっさんはママンからのお話をよく聞き、すぐ実行に移されることは聖書の「カナの結婚」のエピソードでもわかるところです。けど、天国なんて死んでみなけりゃ見えないところですし、この世には「死んだらオシマイ」を信じているひとも数多いるのですからして、誰に祈るとか他人に強いることは喧嘩のもとになりかねない繊細な今日この頃、でも、それぞれ言葉にしなくても平和を祈り、自ら平和を実現できるようにイ動くのは善いことだと私は思っています。


le 16 août 2017, Armel



聖母像や聖体顕示台を御輿に乗せて、それを先頭に聖俗信者が祈ったり唄いながら近隣を周るというのは決して安楽ではなく、私が通っていた学校なんぞ5月の青葉若葉に風薫る季節に聖母行列を行っても、毎年、児童、生徒、学生など誰かしら貧血で倒れたりするのも恒例でした。その学校ではロザリオを唱えながら学園内を一周し、最後にエラい神父様から聖水をもって祝福されてお開きでしたけれど・・・そんなことを年に一回必ず行うのも、学園を運営している修道会がイタリアで創立されたのでイタリアでは大昔っからこの手の行列が行われていたのでしょうね。教¨会用語でロザリオも聖母または聖体行列も信心業やら信心行のひとつでしょうから、決して安楽ではなく、どこか苦痛や不自由が伴うのも仕方ないのかも。なーんて結論づける私は洗脳されているのかもしれません。はっはっは。





[PR]
by ma_cocotte | 2017-08-16 16:11 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
親を思い出す日
こんにち7月26日に仏蘭西で手に入る暦をながめますと、Anne, J などと記されています。これ、正確には Anne Joachim で、つまりカトリック教¨会の世界のラテン語発音だと「アンナ ヨアキム」にあたります。このお二人は聖人ですが、もそっと核に触れますとかの聖母マリアさまのご両親で、アンナが母親、ヨアキムが父親です。ココでも過去のどこかでこのお二人について触れたことがあったと記憶しています。婚姻後、長年子供に恵まれなかったヨアキム&アンナ夫妻が祈りに祈って誕生した赤子が聖母マリア。アンナとヨアキムは赤子が女児だったにも関わらず、祈りが聞き届けられたことを感謝してマリア(幼児名はミリアムだったそうですが)を初子の男子と同じように神殿に連れていき、神に生贄と共に捧げたとのこと。以上、聖書にはひとっことも書いてありませんが、外伝で今に残るお話でありんす。これ ↓ がユダヤ教の神殿でマリアちゃんを捧げるヨアキム・パパのご絵です。聖霊の鳩ぽっぽがマリアちゃんの頭上に。このご絵、赤ん坊のマリアちゃんがあまりにかわいらしくて、私のお気に入りなのです。過去に、ほうぼうに何度も掲載しました。
b0070127_14305643.jpg
仏蘭西共和国内の旧教の教会聖堂を訪問するとたいてい聖堂内のご像の中に母アンナと少女マリアの像があります。アンナがマリアに本を見せている像など見つけやすいかもしれません。きょうび教育ママの見本は聖アンナか、はたまた孟母三遷の聖モニカ(かのアウグスティヌスのおっかさん)あたりなのかも。例えば、こんな聖像(聖堂の外だけどさ。)オトナの女性が聖アンナで、少女が未来の聖母マリアさまです。
b0070127_14541576.jpg

その聖アンナですが共和国内だとブルタアニュ地方の守護聖女で、ブルタアニュ地方にはサンタンヌ・ドレェ Sainte Anne d'Auray という巨大巡礼地が存在します。国境を取っ払って仏蘭西と言うと「ルルドの聖母」の出現があまりに有名ですが、ここサンタンヌ・ドレェは17世紀に聖母マリアさまのママンがご出現し、多くのひとびとの根っからの改心、つまり回心に導いたのです(← 断定)。

私はサンタンヌ・ドレェには2015年の9月7日に行きました。お天気が良い日でしたねぃ。
b0070127_14453165.jpg
ブルタアニュ巡礼の初日でしたし、あたしゃ「ブルタアニュ」のBの字も知らないのでいろいろ不安もありましたが、この巡礼地はブルゴオニュの某超ウルトラ有名巡礼地(ヒントは聖心)とは違い、相当なトラッドに思えました。抹香を焚いて司祭が導かれる聖務日課をしっかり守っているし、敷地内には永久聖体礼拝所もある。司祭だけでなく修道女会の修院も隣接しているので、ガイドを頼むと聖職者、修道者が案内してくださいます。敷地内には地元戦没者の慰霊聖堂やブルタアニュ地方固有の美術品を展示した博物館もあるので、聖堂訪問はしなくてもそちらでおべんきょできることもあるのではないかと思いますた。はい。

この巡礼地の参道のお土産屋さんにもしっかり聖アンヌとマリアさまの、ブルタアニュスタイルの聖像が売っていました。買えば良かった・・・後悔。
b0070127_15023769.jpg

そして、巡礼地内の博物館で見つけた、これまた大昔の、とってーもブルタアニュな聖像。
b0070127_15033493.jpg
この聖像 ↑ 、脳内をほぐして見ないと、気付くまでにちょいと時間がかかることがあります。一番のオトナの本を持つ女性が聖アンナ、母アンナに寄り添う少女が聖母マリア、その少女が抱きかかえる赤子がヂーザスです。おもしろい。

聖母マリアさまの母上に比べ、ヨアキム・パパの存在が薄く思われますが、それもヨアキム・パパの崇敬はかなり後になって始まったのだそうです。でも、聖アンナや聖母についておさらいすればヨアキムに必ず触れますし、不妊に悩んでいたのは洗礼者ヨハネのパパとママンだけではないということも知ることができました。新約聖書によりますと聖母マリアさまはその洗礼者ヨハネのママンであるエリザベトが懐妊してから3か月もの間、エリザベトのお手伝いに出ていますからね。その日々の中でマリアさまはエリザベトに「ほら、私のママンも高齢出産だったでしょう?」と励ましながら話していたのかもしれません。うん。

私の亡き母も難産で私を出産したのだっけ・・・。今日は私が誕生した当時の親についてあれこれ振り返ってみよう。

le 26 juillet 2017, Anne et Joachim



正教会のイコンのようなご絵を見つけた。





[PR]
by ma_cocotte | 2017-07-26 15:12 | 『巡礼』 Rien de special | Comments(0)