人気ブログランキング |
タグ:ココんち ( 187 ) タグの人気記事
8月が過ぎ、9月が来た。
2019年8月が昨日で終わりました。一夜明けたこんにち、ココんちあたりは静かな雨音で夜が明けました。午前10時を周った今も空はどんよりしたままです。

さて、ココんち。
今年の8月は毎週土曜の夕ミサについて、近郊の町村に点在する聖堂群を訪問することにしました。今年の8月の土曜は5回ありましたので、聖堂訪問も五軒。以下、まるで定点観測のような5枚の写真を載せますが、第三週(2019年8月17日)のみ雨空で、他の4週はかなりの晴天となりました。

b0070127_17045690.jpg
↑2019年8月3日↑

b0070127_17054374.jpg
↑2019年8月10日↑

b0070127_17062413.jpg
↑2019年8月17日↑


b0070127_17070702.jpg
↑2019年8月24日↑


b0070127_17075473.jpg
↑2019年8月31日↑


既にココ新天地に引っ越して12年も経ちましたが、いずれの教会聖堂もココんちから車で30分未満の土地に点在しているのに訪問したことがありませんでした。初めて訪問する教会なのでその建造物の歴史も知る喜びでありますが、昨日訪問した教会聖堂が最も新しい建造物ではないかと思われます。他の4聖堂はいずれも中世時代に最初の定礎で、フランス大革命時に世俗化され、その後再びカトリックの聖堂として再建された過去があります。

余談。昨日訪問したカトリック聖堂が建つ村はフランスの歴史においてプロテスタントがマジョリティの土地で知られています。何年か前にある老マダムから偶然、この村でもし一軒家を買うとしたら、必ず庭を確認するように、と注意されたことがあります。なぜならこの村は新教徒が多く住んでいるので、昔は墓地に埋葬が認められず、各家庭の庭に亡くなった家族を埋葬していたからです。新教徒の墓所は独特な建物(石造りの納屋のような感じ)で、ココんちあたりでもほうぼうに崩れた姿で点在してもいます。なぜ崩れているのに処分しないのかと言うと、市町村によっては歴史遺産なので役所の認可をいただかないと崩せないのです。だから、お庭の確認がマストなのです。お庭にお墓があっても、新しい入居者が勝手に姿形中身をかえることができません。

なるほどねぇ。

で、話戻って、8月の教会聖堂訪問。

いずれの聖堂も100名入れば満席、立ち見ありの広さで、たったひとりの神父様が巡回してのごミサであり、雰囲気はどこかの修道院の聖堂や巡礼中の内輪のごミサを連想しました。
夏至が過ぎたとは言え、8月の午後6時過ぎの空はこんなにも明るく、美しいけれど、日々2~3分ずつ日が短くなっているので、こういうイメージの写真を撮れるのも昨日が最後かなあ。そういう意味でも今年の8月のココんちの企画は大正解でした。いろいろと脳とこころに良い刺激をいただけて感謝、感謝です。


le 1er septembre 2019, Gilles















by ma_cocotte | 2019-09-01 17:33 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
遅刻しようか、休もうか。
b0070127_21575063.jpg
昨年11月のはじめに数日に渡ってとても心身が疲弊したことがきっかけとなり、どうにもこのブログに向き合う気になれませんでした。いえ、過去形ではなく現在進行形です。とかなんとかタイプしながら、それでもこんにちまで数回、駄文を送信しているではないか、と苦笑い。

昨年11月の終わりには2005年5月の終わりから共に暮らしていた猫が終末期に入ったこともあり、数週間前の「心身疲弊」にも感謝できました。その愛猫は先月12日に最期の旅に出ました。その頃から、ココんちあたりは連日、30度を超え、こんにちまでに数日は40度近い高温を出しました。気温が34度を超えると皮膚の様子がおかしくなる私はただ今、その後遺症に悩まされてもいます。

今週に入ってから、いくぶん気温が落ち着いたものの、どうも朝から蒸し暑い日が続き、これでは梅雨時の関東とたいして変わらないとぐったり。きょうの朝は気温が上昇する前にココんちの犬の散歩に出ました。農場の畑は一面のヒマワリが咲き始めました。ソフィア・ローレンの映画「ひまわり」のメインテーマってドラマティックだったよねぇ、と脳が動いたものの、思い出せず。

ま、そんなところです。


le 11 juillet 2019, Benoit


by ma_cocotte | 2019-07-11 22:10 | Comments(0)
今度の水曜日から節制するもンね。
できるかなあ? できないだろうなあ・・・。

2019年。早くも第三の月となりました。こんにちで二日目。
昨日、弥生ついたちの朝はいつもの金曜なのでココんちから旧市街向こうの教会聖堂にお昼までおボランティ~ア。責任者のマダムから来週水曜は「灰の水曜」なので、しばらくはお地味な日々を過ごすことになるわね、とお話。ああ、今度の水曜が灰の水曜だと、前日火曜日は「マルディ・グラ、Mardi gras」、油脂の火曜日と来たもんだ。火曜日の買い出しで油で揚げたもんを買い込んで食い尽くすか・・・と目先のことばかりに気を取られ、数分後に新たな思考の波が押し寄せて、四旬節かあ、今年の復活祭は4月の第三日曜(正確には前日土曜の日没後から始まる)で、例年よりかなり遅いご復活なのよねー。だったら、もう暖かくて、庭でドンチャカぐびぐびできるよね・・・と結局、飽食の妄想にたどり着いてしまう自分。その前の節制を忘れンなよー!です。
で、フェイスブックの某所からこんなわかりやすい表が届き、ありがたく思う週末の朝。
b0070127_16090323.jpg

灰の水曜日からご復活までの間、みんなが心がけることの一覧。これはわかりやすい。わかりやすすぎるくん。
今までわからなかったこと、其処此処で疑問をつぶやいても誰からも答えをもらえなかったことがピクトグラムと単純かつ短い英語で記してある。まあ、できることはして、できないことは無理してしない方針で行くことにします。


le 2 mars 2019, Charles le Bon



以下、余談。西方教会ネタなのでもうココでは触れたくないのですが、ちょいと。
先週の半ばだったかヴァティカン本丸でカトリックヲールド内でのペドフィルの件について司教会議が数日に渡ってあり、その会期半ばにオーストラリアのエラい聖職者(かつてヴァティカン上層部のナンバー3だったそう)がそのペドフィルの罪科で御年77歳だけれど実刑だ云々。ああ、この件より前に既にドイツで立派な賞を受賞したフランス映画、その内容はリヨン大司教区内でのペドフィル事件について描いているもので、この映画をフランス共和国内で上映するか否か裁判所判断が下る~という報道もありました。それは確かヴァティカンでの司教会議の2、3日前のことで、結果、裁判所は共和国内上映にGoサインを出しました。
で、これまた思い出したことに、そのヴァティカンでの会議の後半だったか、おフランスで同性愛の話題で主にヴァティカンのエラい聖職者方にアンケート調査したことをまとめた本が出版されることになったと、主だった全国紙が報道し始めて、今週に入り、テレビやラジオでこの本の著者がナマで登場し、結果、宣伝ですかねぇ。

と、以上、2月19日月曜から3月初めまでどんだけカトリック教会がキーワードの高波が次から次にマスコミ方面から押し寄せてます?

でも、ちょいと冷静になると、毎年、四旬節直前からカトリックスキャンダルは次々と明らかになるのも恒例で、例外的に何もなかった年は「ない」ンですわ。これ、まじ、ほんと。で、上にくっつけたわかりやすい四旬節の過ごし方の表の中の、上から三番目にお手手とお手手の間にコインがきら~りのピクトグラムがありますが、これは四旬節中に日ごろお世話になってる教会に何かしらのご寄付を~という勧めでして、なんちゅうか、アンチ・カトリックの万民がこのお金の流れを阻もうと必死こくわけです。21世紀の今、そのお金の流れを食い止める手っ取り早い方法はフェイク ニュウスを世間に知らしめることであります。別に今、21世紀に限らず、今であろうと昔であろうと教会を憎む、疎ましく思うひとびとはそこいら中にゴマンといるし、ほれ、例のシャルリ・エブドの連中もそうです。彼らは毎年、四旬節になるとピチピチするのです。

で、話戻って同性愛についての聖職者スキャンダル本を執筆したひとは仏蘭西びとの男性で、ご自身も同性愛者(と、某テレビ番組に彼がナマでそうおっしゃってた)。見た目、欧州系の方なのでおそらく幼児洗礼を受けたでしょうけれど、ご本人がおっしゃるには12歳でカトリックを棄てたのだとか。ああ、堅信受け終わったところで「ボクはもうミサに行きません」と家族に告白して、ほっぽらかされてそのまんまなのだろうなあ、と私の印象。幼児洗礼者が7歳頃の初聖体、12,3歳で受ける堅信の秘跡を済ませたら、もうこの世の親の義務は果たされたことになり、堅信を受けてカトリック世界での成人となった青少年が何事も自分で祈り、考えて、動くことが求められるのだから、この世の親は神様からあずかった子の意思やら意志を尊重しなければなりません。まあ、これについてはカトリック世界においてはカテキズムのどこかに天主さまは我々の自由意志を第一に尊重するのです、と明言されているのだから、親も堅信終えていっちょまいになった子の自由意志を何より尊重し、糸が切れた凧みたいに目の届かないところまで消えてしまったそいつがいつ目の見えるところに戻ってきても「放蕩息子の帰還」の話を思い出してマネしろよ、というこってす。
だぁかぁらぁ、このスキャンダル本の著者の言い分は教会においては「屁の河童」で、どうぞご自由に、としか言いようがないし、あなたには死の直前に最後の告解という機会もありますからねー、なのです。話を我が地元に持ってくと、80歳過ぎて堅信を希望した、幼児洗礼は受けたけれど共産思想に心酔したおぢいちゃんがいたという話を漏れ聞いたことがあります。年取って教会に背を向けるより、死を前に向き合う人の方が救われてるかもしんない。
このスキャンダル本。私の耳が確かならば、ヴァティカンの高位聖職者含めて50例の同性愛について書かれているそうです。

昨晩はカトリック聖職者に身体を売っているイタリア語を話す男性がボカしてあるとは言え隠し撮りの写真ともどもテレビに登場しましたが、相手が同性だろうが異性だろうが性愛はカトリック聖職者にはイケないことですね。叙階の秘跡での誓約を本人が忘れてしまっているのが大問題。つまり、そこに「神の不在」があるわけです。

ものすごく底辺な話ですが、私個人は高校時代、倫理の授業で「愛」には「エロース、フィリエ、アガペー」の三種あり、それは「性愛、友愛、究極の愛」であり、アガペーのみが神との関係と教わったこともあり、ココ半月のヴァティカンねたは「エロース」の域のみなので、てめーら、裁かれて当然だし、ココ数日のおフランスでのスキャンダル本の話題についても著者や彼におべっか使っているひとびとの脳は「エロース」で儲けようという思考で止まっているので、ま、こんなもんで、ひと昔前の聖俗問答にもならんという印象しか持てませんでした、まる

ま、兎に角「あんたの自由意志を尊重する」で、オシマイ。



by ma_cocotte | 2019-03-02 17:01 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
日に日に落ち込んで行くばかり、
ずるずるずる。

空き巣に遭ってから一か月と五日。
当初は月日が経てば忘れるだろうと軽く捉えていましたが、どっこい、その逆で日が経てば経つほど、表現しようのない深みに落ちていく自らがあります。このまま、あたしゃ、どうなっちゃうンでしょうねぇ。

まあ、なるようになるさ。

le 25 février 2019, Nestor

by ma_cocotte | 2019-02-25 23:20 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
空き巣に遭いました。
2019年1月20日 日曜の午後に、です。
仏蘭西という国では基本、日曜日は「何もできない一日」で、午前中は朝市やパン屋さんが開いていても、午後はほとんどの店舗が完全休業しているのが現実です(ただし、大都市や観光地の商業店舗には開店許可が下りてはいます)。

で、あてくし。
そんなおフランスですから、毎週日曜の午後は犬の散歩時間以外、家の中にいます。
ところが、です。
この2019年1月20日。
ニオール Niort という町の旧市街にある小さな映画館で、昨年のカンヌ映画祭でパルムドールを取った日本映画「万引き家族」を字幕で上映する、と。開演は午後2時だそうなので、私は早めに昼食を取り、ココんちの仏人♂と二人、午後1時半にココんちを出ました。私たちにとって3年ぶりの映画鑑賞で、日曜午後の外出ももちろん今年はじめてです。夫婦二人の遠出は昨年9月のパリ日帰り以来で、大雑把に言えば、去年の9月から買い出し、犬の散歩、医者、教会の1~2時間の外出以外、この日まで「していません」。鑑賞を終えても日曜だからどこのお店も開いていないのでまっすぐ自宅へ。ココんちに帰宅は午後4時半頃。

帰宅し、当たり前ですが玄関から家の中に入る。留守番していたココんちの犬が出迎えてくれました。
いつもどおりです。
家の中も、いつもどおり。
私はコートを脱いで、玄関扉近くにそれを収め、ココんちのこんぴーた部屋へ。なぜなら、そこに私の雑貨があるからです。で、ココんちのこんぴーた部屋も、いつもどおり。

外出時に写真を何枚か撮ったので、こんぴーたに取り込もうとしたところで、背後からココんちの仏人♂の大声が聞こえました。「うわあああ! 猫があああ」と。夫Pの雑貨はこんぴーた部屋対面の寝室にあるので、夫Pは室内着に着替えようと寝室に入ってすぐ、こんな大声を出したのです。私はそれを聞いて、また猫がベッドの上にそそうしたのだとまず想像しました。ところが、です。彼がさらにこう叫んだのです。

「窓が大開き、全開になっている!」

えええええええええ? ココんちの猫が窓を開けた??? それは神業です。私が寝室に飛んで行くと、窓が開いていました。そして、目線をベッドに移すと、私の夏の衣類が散らかっている。これらは枕もとにある小タンスの引き出しに入れていたので、猫が引き出しを開けて、中身を出し、くわえてベッドの上に置いたのか?  んなわけあるわけねー。さらにその衣類を凝視すると、私の亡くなった母の古い宝石ケースが開かれ、裏返しになっていました。

これでもまだ私は半分以上、空き巣にやられたことを理解できませんでした。
恐る恐る宝石ケースを手に取り、裏返して、中身が空っぽ。ようやくココで「空き巣にやられた」と理解できました。

ケースに納められた宝石のうち、金またはプラチナを台にしたダイヤモンド、ルビーの指輪6つが盗まれてしまいました。

ところが、です。
同じケースに納められていた真珠(白、黒)の指輪と白い真珠の連玉の本物のネックレスは「盗んでもらえませんでした」。
そして、ココんちの仏人♂の枕もとの引き出しに入っていた現金も盗まれず。

摩訶不思議です。
ダイヤやルビーと金、プラチナ(今となっては犯人さんが果たしてプラチナと理解しているのか怪しいw)には興味があっても、真珠に犯人はまったく興味がないのね。いちおう、犯人さんが盗まなかった真珠の指輪の台はいずれもプラチナで、その指輪の中には真珠の脇にダイヤをあしらっているものもあります)

腰が抜けそうになるし、そんなことより、問題なのが、こういう状況に直面すると私は声が出なくなります。が、なんとか目の前のココんちの仏人♂に「これは空き巣だ! 警察に電話して!」と声を絞り出しましたが、彼はまだ現実がわかってないというかね。なんだか私に大声をあげた記憶がちらっとまだ脳に残っています。

まあ、それから30分後くらいだったか、3人の警察官(男性二人、女性ひとり)がココんちにやってきて、本当に泥棒であると認めた後、リーダーの警官がどこぞに電話し、我々に「これから鑑識が来ますから、そんぢゃ」と去っていきました。しかも、その鑑識がこれから何分後に来るか、自分たちは知らん、と。その3警官が来た時に私が真珠の首飾りが盗まれなかったとブツを見せたら、即座にその警官が「だってオモチャ」って、ハッキリ言いました。
どわああああああ。こいつ、警官なのに本物の真珠を知らないンだあ!とおいらは内心ヴぃっくり。
この重さ、おめーにはわかるめー、ですよ。しかも、あたしゃ、偽の真珠に見えるアクセサリーは別にまとめて置いているのです。

そして、小一時間もして、外が薄暗くなった頃、鑑識さんがひとりぽっちでココんちにやって来ました。
指紋は見つかりませんでした。

もっともっと、話すことはありますが、今回はココらへんで。

と、締めくくる前に、ひとつだけ。
空き巣は寝室の窓から入り、寝室「だけ」を荒らし、寝室の窓から出て行きました。
たぶん、ですが、私共が帰宅した時、犯人さんは寝室にまだいて、慌てて逃げた可能性があります。(だから、真珠と現金は残っていた・・・?)

b0070127_16202730.jpg
寝室の窓に残っている犯人さんの足跡。実はこのプランターの中央部も彼のかかとの踏み込みでくぼみができています。

b0070127_16215074.jpg
これ ↑ は室内から撮った犯人さんの滑った足跡。
昨日(23日)の朝、ようやく掃除する気になれて、5リットル近い水でまず流したのですが・・・
不思議だ。滑った足跡を洗い流せないのです。なぜ? この写真 ↓ ね。
b0070127_16240858.jpg
まぢ、なぜ? 油脂がこびりついた靴底だったのだろうか?

とりあえず、このエントリーではココまで。(とタイプしたところで、今後、この話題の続きを私が書く気になれるかどうか、ちょっとわかりまへん。ごめんなさい)


以上、もしおフランス共和国内の、地方にお住いの方がこのエントリーをご覧になりましたら、重々、十二分にお気をつけください。こんなこと、私だけで十分です。



le 24 janvier 2019, François la Salle



by ma_cocotte | 2019-01-24 16:27 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(2)
もうすぐ、聖夜・・・って、まだココんちあたりはこれから朝を迎えます。
b0070127_16210094.jpg
師走12月を迎えてからさえない天気のままこんにち24日を迎えてしまいました。悪天候続きでも「晴れたら気分良く散歩に出よう」を心掛けましたけれども、どういうわけか毎週日曜の午後くらいしか傘要らずの日はなく、ココんちの邪横柄王くろヴぃす(いちおう、犬)を連れて旧市街に行くこと二回。待降節の日曜はフアミリィ、家族のためにあるのだなあ、とつくづく思いました。

で、昨日。12月23日。
午後遅くなって、またもニオール旧市街の朝市に。もちろん邪な横柄王くろヴぃすも一緒です。いやあ、お子たちだけでなく犬だらけ。軽く200わんことすれ違いました。ふぅ、疲れた。

b0070127_16203584.jpg
昨日はクリスマス市でアルデッシュからやってきた栗屋さんご夫妻のお店に寄りました。私の記憶が確かならばご夫妻がニオールのクリスマス市に参加して3年目です。毎度、上質の栗を売っているのですが、今年はしばらく前にテレビで今年のアルデッシュ産の栗が豊作であり、しかもかなりの上質と紹介されていたので、このチャンスを逃したらココんちではそう簡単に焼き栗に遭えないので、買うしかありません。長雨続きで午前と午後の温度差があまりなく、冬ですのに生温い陽気の日が続いていたのに、昨日の午後はどこか風も冷たく「冬らしさ」を感じることができました。だから、焼き栗を買い、すぐそばの市営立ち飲みカフェでヴァン・ショを求め、その場で小休止。ちょっと遅めのおやつにしました。大粒でほっくほくの栗と熱した赤ワインのマリアージュが最高、とてもおいしくいただけました。ついでに栗餡をひと瓶、買いました。栗餡と言ってもおフランスのペーストなので、ヴァニラ粒が混ざったものです。買う前に味見したら、すこぶるうんまーい。お店の奥さんの手作りです。

で、こんにちは24日。未だ夜が明けきっていませんが、あたしゃ、これからまずココんちから旧市街を縦切って向こうにある教会に行き、今宵のごミサの下準備。そして、そのまま、外環道路を半周して巨大スーパーに明日の正餐の食材を買いに。午後はあれこれ脳を働かせながら雑用して、午後6時からのごミサにあずかる・・・つもりどすえ。ま、臨機応変だな、うん。

みなさま、どうぞよいクリスマスをお迎えくださいませ。


le 24 décembre 2018, Adèle



by ma_cocotte | 2018-12-24 16:38 | 『冬』 Rien de special | Comments(0)
黄色いチョッキのカッコ悪さ le gilet jaune moche
ココ十日くらい、今週に入ってからはほとんどニュウスを見ていません。というか、見る気がしません。
なぜかと言うと、先週はじめからずっと17日に始まる全国規模の石油価格高騰反対イヴェントの報道がトップニュウスで、今週19日月曜からはそれに続くは毎度、日産のカルロス・ゴーン氏逮捕の報道ばかりだからです。このトップ報道が石油価格高騰反対運動、お次がおカルロス・ゴーンの順番が狂わないまま、週末を迎えることになり、木曜夜あたりから視聴するこちらの心中「あああ、共和国内が平和ってことね」と思うようにもなってはいたのです。

が、しかし、

常にトップニュウスである石油価格高騰反対運動、人呼んで「ジレ・ジョオヌ Gilet jaune」、=黄色いチョッキという名の運動ですが、毎度のことながら規模が大きくなるにつれて、参加者のお祭り騒ぎが過剰になり、暴動と呼んでもいいのではないかと思えるほど公共物の損壊や放火が目立つようになってきました。

b0070127_15415565.jpg
この石油価格高騰反対運動についてなぜ「黄色いチョッキ」と綽名されているのかというと、これ ↑ ね。共和国内では2008年7月1日付で自家用車内にはこの黄色いチョッキを常備する決まりができたのです(確かこのポスターに見える赤い三角立て看板も)。共和国という国ではこのポスターでもわかるとおり、市街を囲む外環道を出たら、外灯の存在しない道路ばかりになります。ですから、そういう道で車の事故、故障に遭ってしまったら、ヒトはこの腰のあたりの白い二本の線が蛍光になっているチョッキを着て行動すれば、真っ暗闇の中で爆走する他車にはねられる確率が低くなるのです。ちなみに、おフランスでは写真のような外環の外の一般道では110km/hで走っていいことになってまふ。中央分離帯がなくて、だよ。

つまり、共和国民で、自動車を使っているひとなら誰もが車内に置いてあるこの黄色いチョッキを着用して、今回の石油高騰について政府に抗議しよう!と誰かが提案したわけです。なぜ「誰か」なのか、というと、この抗議運動のリーダーが「曖昧な存在」で、どこの政党党首でもないし、労働組合のトップでもなく、ウワサではフェイスブックで或る仏人男性が呼びかけたのが始まり・・・という話もあります。

そんな責任者が存在しないこの黄色いチョッキ運動ですが、おそらく政府側にしてみれば想定外の大規模な運動に化けてしまった(としか言いようがないかも)。先週土曜日は各県庁所在地の外環道の出入り箇所に黄色いチョッキを着たひとびとが陣取って交通規制だか交通妨害を実行しており、その行動は土曜の日没前までに終わるのかと思いきや、日曜も、週明けて月曜からもほぼ24時間体制で行われたのです。まあ、決行第三日も過ぎれば、想像できますが、積極的に参加している方々は「ハイになる」。ニュウスで紹介されている彼らの様子も陣取った場所でBBQパーリーでワイワイとどんちゃん騒いでいるようにしか傍目には見えなかったりするのですが、彼ら自身は真剣に反対運動に取り組んでいると信じているのです。

そして、週半ばにはほうぼうで放火や暴動騒ぎが始まり、中には高速道路の料金所をデモ参加者が占拠し、利用者を無料で高速道路内に誘ったり、果ては料金所のボックスから火の手が上がり全焼という現実も。この運動は共和国本土だけでなく7つの海に点在するおフランスの海外領土にも広まったことで、土地によっては参加者が暴徒化し、公共物の損壊や物品の盗みにまで。

まあ、この辺は民衆による「民衆のため」と思い込んだ抗議運動が発生した場合におフランスでは「よくあること」に思えたりしなくもありません。きょうは誰が言い出しっぺかわからないまま、この「黄色いチョッキ」運動に賛同するひとびとが花の都巴里に集結し、抗議集会を開きます。ご想像どおり、責任者が存在しませんから事前に警察に許可なんぞ取っておりまへん。ただ、なんとなく、どんどん参加者が暴徒と化してもいるので、花の都巴里で何が起こってしまうのか・・・あたしだったら今日の、週末の巴里へは行かんぞ。催涙ガスが飛び交いそうな悪寒がするもん。

で、最後に。
ココんちからそんなに遠くないシャラント Charente 県内でも同様の、抗議運動参加者による公道の進路妨害行為が続けられており、週半ばだったか、車の進行を妨害された運転者である婦人が車から出て、「通してください」と懇願したところ、運動参加者から「お前は国へ帰れ!」と大声が多数出たのです。なぜなら、そのご婦人の肌の色がカフェオレ色だったから。オイロッパのひとのように金髪碧眼ぢゃなかったってこと。この様子、France 3のニュウスで一部始終放映されて、肌が黄色くて顔が平たい族のあたしは吐き気を催すほど嫌な、悲しい、いや、どう表していいかわからん気持が心身に走りました。報道の最後にはこの女性と社内にいた配偶者が警察にこの旨、訴えたと結ばれていましたが、なんつーか、ココ数日のカルロス・ゴーン氏逮捕に関しての日本への(主に拘置所の環境や待遇)批判などと混ざりあって、いったいおフランスの民衆って先進してンのか、それとも1789年の大革命当時とたいして変わらんままの停滞国民なのか、わからなくなってもきました。民衆の運動の様子を眺めていると大革命時の第三市民かいな?と思えなくもないし、だったらがムばってほしいと私だって願いもします。だって、共和国の場合、車無しに生活できるのはパリ、リヨン、マルセイユの三大都市や、それらに続くストラスブール、ボルドー、リルの、外環道の中に住居があるひとびとだけぢゃありませんかね? 外環道周辺または外環道より外に住んでいるひとびとは車がなければ生きていけねーよ。そういうひとびとから石油価格を高騰させて税金をふんだくる目論見の大統領閣下とそのお仲間たち。彼らには石油高騰なんてなんら響かない。彼らと違い頭が悪くて、出自不鮮明の貧しい我々自身のせいなのですよね。・・・と、大革命当時と同じ構図が見え隠れしてくるわけさ。

ったく、仏蘭西の偏った中華思想、なんとかならんものかの。

昨日の午前中、教会の雑務を終え、80歳を過ぎたであろう責任者のマダムに退席の挨拶をしたら、正午直前だったこともあり、マダムから「ボナ・ペティ」と一言。その後に「日本人もお昼ご飯を食べるの?」という質問がくっついたのさ。Bof


le 24 novemble 2018, Flora


by ma_cocotte | 2018-11-24 16:22 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(2)
自分の頭の中の仮説と真理は切ない関係
フェイスブックでつながる知人から読書記録としてこの本を教えられました。

その知人は某耶蘇女学校の宗教科教員なので、読後感想で一例として「平和」を授業でお題にしたとして、多くの人たちは自分が考える「平和」はそこに集う他者が思い描く「平和」と同じだと思ってしまいがちだけれど、実はそれぞれの「平和」は皆違う。だから、授業で教師が「平和」を生徒に教えておしまいではなく、或る程度の定義に導いた後、生徒たちにそれぞれが思い描いた「平和」を言葉にしてもらい、互いに分かち合うことで自分と他者の「平和」の共通点と共通しない点を見出すことがよろしい・・・というようなことを述べておりました。

と、この一個人の読後感想についてだって同意するひともいれば、根本どころか抜本から否定するひともいるでしょうね。私個人はそれが自然だと思うというか信じています。

タイトルにした「自分の頭の中の仮説と真理は切ない関係」については冒頭に紹介した本の見出しから造ったに過ぎませんが、真理についてはココで何度か同じ話題を私から出したことがあります。それは例えば「神はいる」についてココんちの仏人がそう言ったとして私が「えええ?本当?」とつぶやいたとします。すると、彼はこう言います。「いいよ、別にボクが神はいないと否定してもそれ(=神はいる)は何ら変わらぬ事実(=la vérité)だから」と。私は未だこの本を読んでいませんから、果たして筆者の学者先生がココんちの発したところで数秒で消える言の葉と同じ導きをしているのかどうかも存じませんけれど、私はタイトル「自分の頭の中の仮説と真理は切ない関係」の前半である自分の頭の中の仮説ってぇのは多分にそれぞれの成育歴や就労歴によって異なると人生折り返した今では確信に至っていたりもします。

今世紀に入って、仏蘭西に住むようになってから、電脳域で日本語の文章を拾っては読むことを日課にはしていますが、物事の思考の導き方だけでなく美意識など必ずしも話題の提供者と共に頷けることもないし、私のようにこうしてブログを楽しんでコメント交換も続けていると、中には私のコメントでの意見に同意してくださったようで実はそうではなかったということも10年以上前にあり、とてもつらい思いを経験したこともありました。まあ、電脳域ではなく現実の三次元世界でも他者との関わりで価値観やら美意識、金銭感覚など諸々のことで自分の脳内意識と他人様のそれらが違うことも身に染みてわかったというか、これは生涯続くのでしょうね。それがこの世に生きているという現実なのだと私は思うようになりました。

ただ、ここ数年思うことは電脳内の日本語領域を通り過ぎ、垣間見ている限り、誰かが誰かの価値観やスタイルを「それは違う、間違っている」と断定し、ココまではわからなくもないけれど、徹底的に、執拗に叩きのめすかのごとく「あなたは違う、間違っている」と繰り返しながら、自分の意見の同調者を増やそうとしている件が増えているように見ています。

今の私が猛烈に反省している点は「うちのような庶民~」というフレーズで、そのフレーズをきっかけに電脳内で「私も庶民なンですぅ」と知り合ったひとと直に対面したら、その方々は私よりはるかに富裕で、彼らが直で見た私はどンだけド貧民なのだろう?と後になって考えることばかり。この例が何度か続いた時に上に挙げた「平和」ではありませんが「庶民」についてもそれぞれの脳内で思い描く基準もろもろは必ずしも同じではないということにこんな私でもちょびっとは気付けたのでした。それ以降、ブログでもSNSでも私から「うちのような庶民」を口でも手でも表すことは止めました。


ヒトが造った国境、身分を取っ払っても、個々にはそれぞれの成育歴があるし、個々それぞれの死の瞬間まで魂は成育し続けるのですから、みんなが違うのは当然ですし、何を基準にするのかも難しい。自分はフランスに住んでいるから、自分は仏語やら仏文学を学んだから、と他人に決まり事を強いるのも何か違うと私は思うし、そういうことを強いることができるのは公文書においての私利滅却の状態くらいではないかなあと。まあ、こういう私見についても「私はあなたに同意する、しない」に分かれて自然なのです。オトナなンだからTPOによって使い方を調節するのも当然でしょうし。ヒトのノビシロやら自由意志は互いに尊重すっことですわね。天主さまは個人の自由意思を何より尊重するンだよねー(って、カテキズムのどっかに書いてあった)。

ほんと、生きるって難しいですね、はい。


le 3 septembre 2018, Grégoire



by ma_cocotte | 2018-09-03 18:38 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
ミギもヒダリもわからんぜよ。
9月に野暮用で花の都お巴里に上京することになりましたが、どうしよう? ← イマ、ココで思考停止ちうw

le 27 août 2018, Monique



ヌゥヴェル・アキテエヌ地方最北部ちょい南にあたるココんちあたりは8月末になり、気温が30度近くになったと思えば、翌日には最高気温が20度くらいと10度近い乱高下(とワザと証券用語を使ってみるw)で、いやー、心は兎も角、身体に悪いです。ああ、早く9月になれヴぁ、うぉおおおおお・・・と気温が安定することを祈るばかりです。そして、8月後半になり、急に夜明けが遅くなりました。天気予報を見ていたら、一日に付き3分、日照時間が短くなっているとのこと。だとすると、一か月で90分ですものね。そして、そして、きょう、週明けの月曜日は久しぶりに恵みの雨の一日となりました。雨音が聞こえるくらい午前中に雨が降りました。この夏の異常気象でどこのおうちの庭の芝生も茶色に変色してしまっているので、本当にありがたい降雨です。ではでは。





by ma_cocotte | 2018-08-27 20:47 | 『?』なたわ言 | Comments(2)
またもや、金曜日。
昨日は理由あって朝からココんちと旧市街の間を数度往復。午前中の野暮用のあと、ココんちに戻り、テレビに火ぃ入れたら、テロがカルカッソンヌ周辺で発生したという報道。
「また、金曜日ですか・・・」
これが、正直な私の最初の一言。いつのまにかテロ慣れしている自分に嫌気がさしますが、毎度、毎度、「イスラム国兵士」と名乗る方々によるテロは金曜日に発生するわけで(と、突然の純くん)。お昼ご飯を慌ただしくかっこんで、再び旧市街のむこうまで外出。午後5時すぎに帰宅し、テレビをつけると、犠牲者は二名から三名に増え、犯人さんは警察により射殺されたとのこと。これまた、毎度のオチですかねぇ。唯一、自爆もせず、射殺もされなかった容疑者さんについて今回の犯人さんは釈放を要求していたのでした。兎にも角にも、善意のひとびとが想定外のできごとで生命を失うということに私は猛烈な怒りやら情けなさを覚えます。うろ覚えですが、イスラームのひとびとにとって金曜日は(聖なる)祈祷日であって、午前中にモスクで礼拝にあずかり、イマム(=イスラームのひとびとを導く立場)の説教を聞き、市井に戻るのです。が、イスラム国兵士さんたちはそーゆー祈祷集会の後、なぜか平和を求めるのではなくヨソの宗教やら生活文化の中に生きるひとびとに攻撃をしかける・・・。こういう面も私のようなヨソ者、部外者には納得いかねー「こころの、思考の進め方」なンですなあ。と、ここまでタイプしたところで思い出してしまった。それは、3週間くらい前でしたか、おフランスの民放テレビ局でシリア国内のイスラム国がシリア政府軍ではなく民間の「民主軍(?だったかな?」に追いつめられていくドキュメンタリー番組を私は見たのでした。正味30分くらい。その民間のグループには銃をスマートに使う女性兵士も多々参加しており、彼女たちは前線で男性に混ざって銃撃戦に参加する一方で、逃亡するイスラム国の男性兵士に見捨てられた女子供のケアにも関わっていました。その「イスラム国兵士」の旦那(←ダンナという表現について私は好きではありませんが、あえてココでは使わせていただきます。)にほっぽらかされた女性たちの多くがシリア人ではなく、北アフリカ(マグレブ諸国ですな)を中心としたアフリカ大陸のイスラム教で育った女性や旧ソヴィエトのチェチェン(ココはイスラム教徒がマジョリティ)、旧ユーゴスラヴィアのコソボ(ココもイスラム教徒が多い)、アルバニアからシリアに「イスラム国兵士の花嫁」としてやって来た・・・表現が悪いですが「出稼ぎさん」なのです。難民キャンプで生活している彼女たちの中には(心の)目が覚めて、母国に戻ることを願っているひともいますが、ココで難問。それは彼女たちの子供なのです。イスラム国は独善解釈の教条原理主義者の集団なので、この国家の女性は働けない、ただただ悪い意味での内助の功をひとつでも多く達成する義務ではなく悪務が押し付けられるので、シリア国内で陥落する前の「イスラム国」内でそれは多くの新しい生命が誕生しました。ですが、その子供たちはシリアの国籍をもらってはいません。はい、現在、幼い子供たちは「無国籍」なのです。だから、母親が母国に戻りたくても子供たちは無国籍ですから母親と一緒にそう簡単には入国できないのです。← ココまで番組で見た自分。目が覚めましたね。ああ、そういう次元をまったく知らずに今日まで来た私、情けないやら恥ずかしいやら。で、無国籍の子供たちの母親にご自分の子供の国籍は?と質問すると彼女たちは口をそろえて「イスラム国です」と返事をします。おそらく、まだ洗脳が心身の方々に残っているので、こんな返答をするのでしょうね。世界規模の、または欧米の主だった慈善団体が彼らの生活や今後の生き方の援助に関わっていますが、そう簡単に取り残された、捨てられたかもしれないオンナコドモを成人女性の母国に戻せない。知れば知るほど多くの問題が山積みになっているのですね。昨日は午前中からカルカッソンヌでテロ事件(犯人さんは三か所移動しながら犯行を繰り返しました)がありましたが、私は旧市街のカトリック教会に寄っても警官ゼロ、憲兵隊ゼロという現実。この町はたいちょぷとでも過信しているンですかねぇ。そして、この週末、土曜の日没からおカトリック教会では枝の主日に始まる聖週間に突入します。明日ではなくその次の日曜日、4月1日が今年の復活祭なンですわ(と、突然の名古屋弁)。連日連夜、いろいろな行事が教会聖堂で行われますが、日一日と心清らかに、おだやかに、より強く平和を求められるひとに私もなれますように。おあとよろしいようで。みんなたち、どうぞよい週末を。よい聖週間をおすごしくださいませ。そんぢゃ。


と、タイプを終えたココで、昨日のテロで人質となった一般市民の身代わりとなった憲兵隊隊員が息を引き取ったとのこと。合掌。


le 24 mars 2018, Oscar Romero





by ma_cocotte | 2018-03-24 15:33 | 『?』なたわ言 | Comments(0)