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テレビ婆っつぁまはただただ目を細めるばかり
の週の始まり。

サッカーワールドカップ2018ロシア大会決勝、フランスが20年ぶりに優勝。星二つになりました。


昨日、フランスでは夕方5時から始まった決勝戦。
これまでの私の長い人生、私が応援する何某は必ず敗北するので、私はテレビ試合観戦をせず、テレビのない部屋に閉じこもり、背後から聞こえてくる家人の声でなんとなーく試合運びを妄想することに徹していました。今回のワールドカップ、私が頑として譲らなかった意見は「勝ちたければ必ず、最低でも3点取る」でした。2点先制しても逆転の可能性がありますが、3点先制しても2点差の埋めが可能でも3点に追い付くのはかな~り難しい、奇跡に近いかもしれません。だから、3点。昨日の決勝はフランスが1点先制した時点で私は「はい、目指せ、3点!」。ところが、クロアチアがすぐに1点を取り、試合はニュル(=ゼロ)、振り出しに戻ったのだから、フランスは1+3で四点取らないと我々ヲッチャーは何ら勝利を予感できない、私の脳ではそういうことになります。結果、フランスが4点、クロアチアが2点の2点差で、フランスの勝利。2点差ですから、クロアチアの善戦に敬意を表し、次回4年後のワールドカップでも必ずや決勝リーグにクロアチアの名があるように、と祈りました。

兎にも角にもフランスの「20年ぶりの」優勝です。
20年前の7月、私はパリのモンパルナスにある女子寮のテレビ室でフランスvsブラジルの決勝を観戦していました。私はなんとなーくフランスを応援していましたが、上に書いたとおり、私が応援するすべては負けるのが常だから心底ではブラジルが勝つだろうと思っていたのが正直なところです。同じテレビ室で観戦していた寮生のひとり、トリニダアドトバゴ国籍の女子はブラジルを熱烈に応援していました。当時、同棲していた男性と将来、ブラジルに移住することが彼女の夢、希望だったこともあります。その彼女は20年経った今、トリニダアドトバゴの政府高官。バツいちのシングルマザー。超かっけーですが、今でも底辺でうずくまっている私を気にかけてくれる優しさは20年前と何ら変わらず。
思い返すと、20年前の女子寮のテレビ室で一番はしゃいでいたのが寮の責任者であったシスターで、ヴェールに修道服をお召しでもスキップされたり、翌朝の食堂でもうれしそうにしていましたっけ。今はどうなさっているのだろう。

話戻って20年後。
決勝戦前もテレビでは関連特番しか流れていませんでしたが(ああ、France 2では当然、トゥール・ド・フランス(自転車レース)の生中継が流れていました)、優勝が決まったことでさらに関連特番が延々と放映されていました。パリはシャンゼリゼ通りでの異常な喧騒についての中継を眺めつつ、私は20年前の優勝決定の日をこうして思い出していましたが、手元のタブレットの指を上下させつつ、見てしまったのが、この写真。


フランス共和国の現在の国父であるエマニュエル・マクロン大統領の、ロシアの現場で観戦中のこのポーズです。

若いわ、マクロン・・・

と、口からついこぼれてしまった私。若いわよねぇ、奥さん。マクロンはやっぱりシジューの青年なんですなあ。もうこの時点でわたくし、マクロンについては息子を見るような錯覚に陥りました。そして、試合直後から繰り返される選手たちへの生インタビュウ。はしゃぐ彼らについては「かわいい」と彼らのあどけない様子に私は夏のヴァカンスで目の前で大騒ぎする孫を眺めるおばあちゃんと化しました。こういう感覚、20年前のフランス優勝時には微塵も陥らなかったので、これが最たる私にとっての20年という時の流れなのだと実感しています。

優勝から一夜明けたきょう、16日月曜は夕方にフランスチームがロシアからパリに戻り、シャンゼリゼ通りで優勝凱旋パレードが行われることになっています。チームはその後、大統領府(エリゼ宮殿)で大統領閣下と宴だとか。

んなわけで、きょうも朝からテレビはずぅううううっとこの話題。ニュウス専門チャンネルでもこの話題ばっかり。ということは、フランスというヒトが決めた囲いの中はきょうも平和という証なのだと思います。

私、もっと他のニュウスを知りたいンだけれどなあ・・・・。




le 16 juillet 2018, Carmen




《追 記》


そうそうそう、送信してしまってから思い出した、もうひとつの20年前の今頃のこと。
私のクラスメエトのひとりがクロアチア人の男性で、確かトミスラフという名前。20歳過ぎたばかりであろう彼の夢は将来、スポオツライタアになること。そのためにフランスに、サッカーワールドカップ開催年のパリにやってきたとのこと。彼、今、どこで、どうしているのだろう? 彼の夢がかなっているならば、間違いなく露西亜はモスクワでの決勝戦を直に観戦していたでしょう。おそらくもう彼と私は天国で再会する可能性しか残っていませんが、もし再会できた時はお互い光の玉っころでしょうけれど、2018年7月15日の試合を思い出して光の玉っころなりのハグをしたいです。






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by ma_cocotte | 2018-07-16 16:29 | 『行け、行くんだ!』 Allez!! | Comments(0)
テレビ婆さんにとってつまらない日
こんにち2018年7月15日があたくし「テレビ婆さん」にとってつっまんなぁあい一日なンであります。
朝、起床してテレビに火ぃ入れたところでどこのチャンネルも、今夕のサッカーワールドカップ決勝の話題です。だから、24時間ニュウス専門チャンネルに換えたら・・・いずれもサッカーワールドカップ決勝の話題。まあ、そういうことはフランスの世の中平和という表れなのだ、と私自身の気持に「どうどうどう」となだめ、言い聞かせて、まもなくお昼。

きょうの朝から目に入るテレビでのこの話題。
ヒジョーに不思議に思うのは、テレビ局がインターネットで拾ったであろう(おそらく)フランス国籍の、齢一桁と思われるお子たちがフランスの国歌(ラ・マルセイェエズ)を嬉々と唄う様子を次々と紹介していることです。子供たちの中にはまるで米国民のように右掌を心の臓あたりに置いて国歌斉唱しています。

式典をまったく行わない、学問だけ教えて道徳は教えないフランスの初等中等教育ですのに、この幼い子供たちはどこで国歌を覚えて、こういう所作で唄いあげるのでしょうね? 素朴な疑問だわあ。

もし、万が一、今宵、フランスが勝利したら、テレビの枠だけでなく、巷の様子が尋常でなくなることはフランスの理だと思われるので、テレビ婆さんはいっそう憂鬱になることでせう。



le 15 juillet 2018, Bonaventure

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by ma_cocotte | 2018-07-15 18:44 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
朕を「マニュ」と呼ぶべからず。
昨夜から三次元やら電脳域の仏語圏で飛び交っているニュウス。


こうしてココでタイプしている今も、背後のテレヴィヂョンからこれと同じビデオの音声が聞こえています。
「さヴぁ、マニュ?」と、フランス語の世界で大統領のファーストネームであるエマニュエル Emmanuel の愛称は「マニュ」、それにタメ口の「サヴァ」を添えた形でマクロン大統領閣下に握手を求めた青年に対し、マクロン大統領がご自分について「マニュ」ではなく「ムッシュウ」または「ムッシュウ・ル・プレジドン」を添えるよう諭したわけで。マクロン大統領がココは公式の場であることもきちんと理由付けしていたことはたいしたもんです。

この様子は中道より左に行けば行くほど、または自らの居場所が三角形の底辺であればあるほど、喧々囂々と「オートリテールだあっ!」とどよどよと騒がれるのも容易に想像がつきます。きょうび、フランス共和国の公教育では「教育」しか行わないので、もし家庭で行儀作法など教えないといつでもどこでも自分の思うがままにここちよく誰に対しても友達に話す時のように接する未成年がほうぼうにいます。

このビデオを見ていて思い出したのは、共和国内のカトリック教会のヲールドで、今では神父様に対してこのビデオと同じく、市井でポピュラーな愛称で呼び、もちろんTuでの会話をし、神父様より年長の世俗が自分はアンタより年上だから敬語で話せ、とかTuを用いて提案してくるのも当たり前だのクラッカーです。私がココ新天地に越してきてすぐ関わった教会で、世俗の老若男女がミシェルという名の神父様に向かって「ミシュウ」と呼んだり、Tuを用いたタメ口でぺらぺらしゃべる様子に私はヴぃっくらこいた過去があります。それまでは世俗は年を取っていようが口がようやく動く年ごろであろうが、神父様や修道者には敬語を用いることが私には「当然、自然」だったからです。たとえ、神父様や修道者が私たちに親しみをこめて話し続けたとしても、こちらからは「です、ます」で会話する。フランス語だったら彼らは私たちにTuを用いても、私たちは必ずVousで会話する感じ。神父様に敬称(Mr. ~ または Pr. ~など)用いずに家庭や友人に対してと同様の関りを平気で神父様に提案する高齢者はたいてい1968学生革命の強い影響を受けて、それ以前のカトリック慣習に「反吐が出る」と背中を向けているし、若い者は無論、公教育では授業を受けることしか知らないし、家庭においては親または祖父母が68世代、またはそれ以降という慣習の中で自然に日々を過ごしているひとびとです。だ、か、ら、1968以前の環境に背を向けなかったひとに育てられたり、学校教育で関わったひとたちは21世紀から17年過ぎた今でも神父様には敬語で話します。これはたとえ家族、親戚であっても、です。自分の息子がもし司祭になると我が家を離れたら、そこで親兄弟姉妹は「縁が切れた」というか「関係が変わった」ことを自覚します。だから、実の親が出家した息子に Vous を用いて話すようになることもかつては「当たり前」でした。そういう環境で育ち、現在は司祭、修道者になった方々が市井の小教区で世俗と関わるようになり、初対面の世俗さんから「私は年上だから、です、ます、であなたは話しなさいね」と言われても、内心で「ボクのパパもママンも今の僕には「です、ます」で話しているのにな(苦笑)」でしょうけれど、そういう環境で育った方はスマアトだし、事を荒立てたくないので「あなたのおっしゃるとおりにします。ムッシュウ、マッダ~ム」とそれは美しい顔で返答されるのでしょう。うへぇw

こういう幼少期の家庭環境が自らの出家を境に変化する様子は日本国内のカトリック家庭でもよくあることで、たまに神父様方の自叙伝や回顧録で知ることもできます。たいていは親御さんが自らに言い聞かせて子を聖域に送る、という葛藤も描かれていて、涙無しでは読めなかったりします。(余談、そういう慣習のせいで、以前は出家した司祭、修道者は親の死に目、葬儀にも出られないという話も飛び交ってはいました。)

市井での大統領閣下とのやりとりやら教会という今では限られた小世界でのこういう慣習や関わり方を否定するひとびとも今の世の中、それはたくさんいるし、今ではそちらの勢いの方がマジョリティになっているかもしれません。

で、マクロン大統領におかれましては、未だシジュウになるかならないかのお年ごろですのに、最近のガ・・・いや、お子たちのこういうやりとりについて数秒であっても短く、簡潔に作法を教えたことになります。きっと、たぶん、おそらく、この話題は今週末くらいまで尾を引いて、風刺した漫画や人形劇が次々とこさえられるのでしょうね。ヒダリの突き当りからミギの突き当りまで飛び交ういろいろな意見を眺めつつ、「今のフランス共和国」をガイジンのあたしは楽しむことにします。



le 19 juin 2018, Jude







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by ma_cocotte | 2018-06-19 15:37 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
2018年のラマダンが始まる日に、
フランス共和国におかれましては2018年のラマダンがこんにち5月16日の日没から始まるとのこと(6月14日の日没をもって今年のラマダンは終了)。
そんな日の日没後、サッカー欧州リーグの決勝戦がおこなわれるわけで。
しかも、決勝にはオリンピック・ド・マルセイユ(Olympique de Marseille, 略してOM)が登場。対戦相手はアトレティコ・マドリッド。万が一、OMが負けようものなら、あああ、マルセイユの夜がそら恐ろしいですし、もしOMが勝利したらそれもまたマルセイユの夜がとてつもなく恐ろしい。

外に出ちゃダメよ。

・・・・ただし、試合はリヨンで行われるのだけれど、1200人を超える警官を配備するのだそう。マルセイユからリヨンに来るOMファンは推定13000人、スペインからは10000人とのこと。あああ、おそろし・・・


le 16 mai 2018, Honoré

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by ma_cocotte | 2018-05-17 01:41 | actualite 現時点の現場から | Comments(0)
コ ノ ゴ ガ ツ
今年、2018年の五月。
仏蘭西の暦におかれましては、国定固定祝祭日が5月1日と8日で、8ひくことの1は7ですから、いずれも火曜日になります。そして国定移動祝祭日が2018年の場合、10日と21日です。5月10日はキリスト昇天祭で復活祭の日曜日から40日後なので毎年必ず日付異なれど木曜日になります。5月21日は聖霊降臨の日曜翌日の月曜日という祭日で、こちらもまた毎年必ず日付が違っても聖霊降臨を祝う日曜日の翌月曜日が祭日になります。

で、今年。
固定祝祭日の1日と8日が火曜日になったことで、日曜と火曜の間の月曜日が就業日、そして火曜と木曜の間の水曜日が就業日、そしてそして、木曜と土日の間の金曜日が就業日と、休・働・休・働・休・働・休・休という日の流れになってしまったのです。となりますと、ココはおフランス。いずれの御時にかココで書き殴った記憶がありますが、共和国民は休みと休みの間に一日だけ就労日があるとその日を休んでしまう方が相当数おり、そうすることを「ポン Pont、=橋」と言い表しているのです。今年の場合、一週間のうち月曜と水曜と金曜が休日にはさまった一日きりの就労日になりますので、ポン、ポン、ポンと3つの橋をかけて8日、いや、先の土曜から数えたら9日の休暇を取っちまうひともいるわけで、まあ、月曜休業の店舗が多数を占める共和国内ではありますが、普段月曜開店のお店でも橋をかけて連休にし、「水曜日からお待ちしておりまーす」とフェイスブックでお知らせちょんまげだったりします。

これもまた、生きている長年の間にたまにやってくる「せらヴぃ」と言われれば、「はい、おっしゃるとおりです」とほほ笑むしかありませんが、しかし。

今年はこの暦の流れにちょいと前、ココで話題にした国鉄とおエールおフランスのストライキが乗っかっているという現実。
毎週、週末前の金曜日と週明けの月曜日の朝になると両社のストライキについての情報が報道で流れます。私にとってはこれらのストライキは他人事ながらムっとなることばかり。以前、どこかに書き散らかしたかもしれませんが、ココんちのように首都や大都市ではなく地方の超ウルトラど零細都市だと、週末だけ自宅に戻り、週明けの早朝に列車に乗り、花の都はパリやら日本語の世界史の教科書に登場するような有名都市に移動し、会社勤務やら学校の寮に戻り週末の帰宅まで過ごす老若男女がかなりいます。ですから、金曜と月曜に国鉄がストライキを決行すると、彼らの移動が難しくなったり、不可能になったりするのです。その証拠に4月の毎月曜、ココんち近くの国鉄駅には列車が一本も通りませんでした。地元紙は「駅が死んだ」と第一面に大見出しを載せたほど。

国鉄の労働者は国家や国父さんである大統領閣下に不満があってストライキ決行しているのに、その犠牲になるのは平民(あたしゃ、国民とは言わないよw)というのはこんなに屁理屈で論破を好む民なのに大いなる矛盾なんぢゃないかと思うンですがねぇ。

そして、おエールおフランスのストライキも先週末だったか現社長が退任したけれども、彼が退任して、もしも社員の給与だか待遇が(彼ら好みに)改善されたとしても、国民どころか世界中の旅人のおエールおフランス離れは加速するばかりだとあたしは想定するンですが。前世紀のように国民が母国のナショナルフラッグの航空会社しか使わないということは21世紀に入って17年も経った今は過去であり、地球を旅することに慣れたひとびとはしっかり脳内で料金とサーヴィス、快適さを考えて航空会社を選び、利用するようになりました。で、現在のエールフランスの価格設定、機内サーヴィスと快適・清潔さはバランスよろしいでしょうか。・・・・私見ですけれど、アンバランス極まりない。私の場合、前世紀の終わりはおエールおフランスの愛用者でしたが、どんどんサーヴィスが悪くなり、最後に乗った時は食事を指定したら馬でも食べないような食物がお盆に乗ってきましてね。それを限りに・・・というか、その後も里帰りのたびに複数の航空会社の提示料金を比較してもおエールおフランスがデラ高い・・・で、機内は汚いし、食事はああだし・・・となるわけで。そーゆーこと(ココ ↑ に書いたのは私が経験したトラブルの中のほんの一部です)を知っているだけに、こうして今、連日、テレビやラジオからAFのストライキやAF労働組合の言い分を見聞しても、なぜだかむなしいわあ、なのでした。

デモやストライキは共和国民平等の権利であることは私も知ってはいるつもりですけれど、それらが暴動にヘンゲしたりするのはまったくもって私には理解不能で、そういう点にぶち当たると私はやっぱりフランスではガイジンなのだとあらためて思い知るのでした、まる


さーて、明日は祭日なので、明日することを今日しなくちゃね。ふぅ。


le 7 mai 2018, Domitille

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by ma_cocotte | 2018-05-07 17:50 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
三角形の底辺から頂点まで浮き上がるのは難しい。
「所変われば、品、替わる」

「替わる」がいいのか、「変わる」がいいのか、よくわかンない。
きょうの朝は一番で電脳域散歩し、立ち寄ったブログのエントリーを拝読してヴぃくーり。
仏蘭西共和国内にお住いの日本人女性であろう方のエントリぃでしたが、その方はおそらくパリにお住まいで、私はパリにはちょっとしか住んだことはなく、南仏はマルセイユのはずれと、ココ10年はヌゥヴェル・アキテエヌ地方北部の超ウルトラスーパーど田舎のショボい零細都市の端に住んでいるのでこんなにも人間交流の在り方が違うのか、いえいえ、そもそも根本どころか抜本的に住まう土地の倫理道徳やら概念がまったく違うンだなあ、と叩きのめされるようによぉおおおくわかりました。おかげさまで、ただ今、午前8時過ぎ。ただでさえ黄色い肌の顔が平たい族である私の重たい瞼がスキっと持ち上がったように思えました。

・・・・で、何が?

ココでの数個前のエントリィのタイトル「階級のない国の、特権階級」と方向違いでのそこはかとなくつながる話とでも申しましょうか。

さてさて。

きょうの朝の、わたくしの電脳域徘徊を終えたところで、私の脳内には「仏蘭西共和国では「何々系フランス人」という表現が建前としてない」と刻まれました。が、もしそうだとすると、私がマルセイユで数年通った職業訓練校での授業で面談のシミュレーションにおいて、必ず私のオリジン(←うまく和訳できないけれど、出自というか祖国というかなあ)はどこそこの国、その国の〇×という都市です、と名乗らなければならないと教えられたことが間違っていたことになります。変だな、確か国営の学校なのに・・・それもひとりの先生ではなく、すべての先生がそれを実行し、教えていました。日常でも南仏だろうが、ヌゥヴェルアキテエヌだろうが、必ずと言っていいほど「あなたはどこの出身ですか?」と質問されます。それは私の語学力に問題があるせいであり、フランス人と同じ何ら訛りのないフランス語を話すひとにそんな質問はしないのでしょう。ああ、そもそも共和国の長期滞在許可証にはしっかり出身国が明記されているので、役所や病院などでその点も含んで質問されることは私には当たり前だったンですが。

それに、高学歴の、どんな肌色、どんな外見の仏蘭西びと(というより、フランス語話者)の間ではかつての仏領インドシナと東アジアの違いを常識で、当たり前に知っていても、この仏蘭西の三角形、ヒエラルシアの底辺に棲むヒトビトというかフランス語を日常で自然に使う者が必ずしも世界地図の右端について知っているとは限りません。毎年夏の終わりに市井のほうぼうで始まる学用品の廉売で世界地図を手に取ったところで極東の、日本が必ずしも描かれているとは限りません。南仏に住んでいた時、近所の白い肌の婦人に私の出身を質問されたので「日本」と返事したら、即座に「独裁国家で大変ね。だからフランスに来たのでしょう。もう大丈夫よ」と言われたことがあり、私から「あのー、日本は中国の一部ではありませんし、欧米の植民地になった過去もありません」と言ったら、まるで「あなたは教養がないから知らないのね」と私がウソついていると判断されたようで、こうなったらラチが開かないw

他にも、以前もココで書き殴ったかもしれませんけれど、マルセイユなど、露天商が「日本製だよ」ととんでもない腕時計を売っており、それを買った北アフリカ出身のひとが、私が日本人と知るなり、大声で日本という国と日本人である私をとことん罵倒するなんてこと、私自身が何度も経験しています。私からすれば、本物の日本製品が露店で販売されることはないし、その商品をひと目見たら偽物だとわかります。でも、彼らは売っている方も買った方も「わからない」、なぜなら両者とも本物の日本製品を見たことも、手に取ったこともないから。← こーんな状況だから、露天商の背後にはマフィアがいることなど警察や憲兵隊、税関は既に知っているわけです。だってさ、中国からフランスまで地続きなんですよ。地中海沿いの高速道路を走ってごらんなさい。どんだけ東ヨーロッパナンバーのトラックとすれ違いますか?

ああ、そうそう、こんなこともあった。
或るおフランスのカトリック教会の高位聖職者の義理の伯母様が日本女性で、その高位聖職者も私が日本人ということであらゆる誤解や偏見からかばってくださっていました。或る巡礼旅行の食事の席で私が「〇×高位聖職者さまの義理の伯母様は日本人なのですよ」と話したら、私の目の前の金髪碧眼のマダムが即答で「そんなことあるわけありません。ああ、あてがわれたのね」と言ってきました。・・・従軍慰安婦ですか・・・? 21世紀に入っても、肌が白いヒトビトの世界ではそういう関係があり、そういう白人の家庭に入った黄色い肌のヒトは隠されるのが普通という判断の基準があるンですかね? もしそうだとするならこの仏蘭西共和国という国は国際においてどんだけ発展途上の国、というか傲慢で成り立っている国なンですかね?

私が今世紀に入って、こうして仏蘭西共和国という国に住んで、感づいていること、知っていることは、肌が黄色くて顔が平たい私たちの配偶者が、欧米の白いひとびとの血しか混ざっていないフランスびとと結婚した場合、その人物の身分や家柄によって配偶者である肌が黄色く顔が平たい私たちをオブラートに包んで扱ってくれるということです。ズケズケと、私がこれまでに経験したことを何ら知らずにフランスで生きていけるということ。私が約10年前にココ新天地に引っ越してすぐ、現地の肌の白いひとびとに会うと、やたら苗字を聞かれ、その苗字に「私は知ってる、私は知らない」と目の前で白いひとびとが論じあうのです。で、もし、地元の有名な一族ならば日本人くるめて「良い扱い&優遇」、信用するけれど、誰も知らないならたとえ仏蘭西そのものの苗字でもその仏蘭西人も配偶者の日本人も彼らの社交グループから「遠のかされる」のです。これ、カトリック教会の中でも実行されていますから。私はもちろん後者の立場です。先週からやたら騒がれている緑の党所属で、大臣経験のあるコリア系フランス国籍の政治家の乱行、暴言については彼が立派な職業の肩書を持つ白い肌のフランス国籍者に養子縁組され育ったことでも数行前に私がタイプした点が見えてきます。白い肌のヒトビトの間ではアフリカだろうがアジアだろうが極貧から乳幼児を養子縁組し「あわれんで育てる」ことが美徳にされているので、この政治家の養親は仲間内では常に賛美されるし、彼本人はオブラートがけされているからひどい言葉をもらうことはない。もし彼らの口に飲まれ、体内に入ったらオブラートが溶けて彼らの本音を知れたかもしれませんが。・・・とココまでタイプして思い出したことですが、私の母の急死が日曜早朝に知らされ、夜が明けてまもなく私はココ地元の教会の主日ミサへ。私の母が亡くなったことを知ったひと(=世俗奉献の「立派な」婦人)が「かわいそうに。なかなか日本に帰れなくて」と私の前で眉を八の字にして話し始めました。黙って聞いていると、私の実家が本当に貧しくて、私はフランスに移住することに成功し、日本の親兄弟姉妹に仕送りをしているらしい・・・私、一人っ子だし、いまだかつて仕送りをしたことがない。そもそも、フランスに長期滞在することになったのもフランス国籍者との結婚がきっかけで、もし彼と離婚したらとっとと私は祖国に戻るだよ、と内心でブツブツブツ。その世俗奉献であることを公にしないマダムが息継ぎしたところでようやく「あの、私の実家は貧しくありません。そもそも、日本は仏領インドシナ諸国の環境と何もかも違います」と言ったら、途端にお顔が「怒り」でいっぱい。ご自分の「憐み」の態度が示せないのがそんな怒りにつながるって、どーよ?とその時の私の正直な思いです。

私個人は南仏だろうがヌゥヴェルアキテエヌだろうが白いヒトビトから優遇されないまま、日々を過ごしています。マルセイユの露店での「日本製品」をつかまされたひとびとのように、誤解と偏見あって日本国籍の私にへし折れるほどの言葉を投げられることも普通にあります。

上流社会でのプロトコルや常識は三角形の底辺にまで必ずしも浸透していない。← こういうあたりですよね。かつてウサマ・ベンラディンがアルカイーダ(=アラビア語で「三角形の底辺」)を結成した理由。このベンラディンについて、ウソか本当か知らないけれど、それこそマルセイユの職業訓練校でクラスメートだったアルジェリア系フランス国籍者が私に教えてくれたことです。彼はテロ行為は決して許されないけれど、上流育ちのベンラディンが気付いた、三角形の底辺に凄むひとびとについての救済はすばらしいことだと私に熱く語ってくれました。私もそう思うけど、救済の手段が明らかに間違っているわけで。

なんちゅうか、フランスという国にはかなり、空気にも土壌にも傲慢がはびこっており、その傲慢に至る思考回路は肌の色に関係なく、フランス共和国の中で生活している環境によって脳に刷り込まれているのではないかしら?と思うこの頃。こうして三角形の底辺に暮らしながら、互いの出身国の生活慣習や料理のレシピを交換しあっている方が私個人は幸せだと思うけれど、そういう様子も三角形の頂点や川の流れの上流では失笑なのだから。自分自身が居心地の良い生活環境、三角形の何階だか、ほうぼうに散らばる水玉模様のどの色、どの大きさだか、をひとりひとりが見つけ、定住するしか心身の平安など実感できないのかもしれません。このエントリィの冒頭に戻るけれど、きょうの朝、私がいくつものフランス関連のブログ記事を読んで「同じ仏蘭西共和国というヒトが決めた国境に囲まれた空と大地の中に住んでいても、私の環境と抜本的に違う」と思うのも当たり前だのクラッカア。どちらが正しい、間違っているではなく、どちらも「事実」。水と油、まったく完全分離しているし、無理にふるって混ぜれば混乱や騒動を招くだけです。棲み分けって大切なのかもしれない。と書くと、サルコぢ支持になっちゃうかあ・・・ヤだな。

上に書いたコリア系フランス国籍の政治家さんが市井でやらかした暴言、乱行についても、彼が育った巣に戻れば彼に「あなたは間違っていない」と慰めるひとがひとりやふたりではない。それがおフランスの現実です。


le 12 avril 2018, Jules



これ ↑ が先週から共和国内で飛び交っているコリア系フランス国籍の政治家さんの乱行暴言についての記事のひとつ。全国紙リベラシオンのものを転載してみました。リベラシオンは中道左派なので彼についてクソ意地悪いことは記事にしないと思うので。で、この件、日本語の新聞記事では未だ見つからないし、彼の名前をカタカナにして検索すると養子縁組による立身出世の美談やら、彼のように泥酔による暴言乱行は彼の祖国では無罪放免というエントリィが散らばっていました。私見だけれど、酔った勢いで口から出た言の葉ってそれこそ日常においてオブラートにくるんで隠している思想や本音ではないでしょうか。だから、私は上に「傲慢」と表したのですが。フランス語でこの事件を追うと、逮捕された彼は今、メアクルパ meaculpa の心境なのですと。meaculpaというのは21世紀になった今は「宗教用語」の枠内かもしれませんが、むか~し、カトリック教会の礼拝の典礼文がラテン語だった時、礼拝のはじまりでmeaculpaを全員で唱えることになっていました。それも3度繰り返して絶妙なタイミングで自らの胸を自分の右手こぶしでドンと叩くのね。意味は「我が過ち」、そう、「私が間違ってました」という表現とでもいいましょうか。ですから、きょうの彼は「反省しています」というこってす。本当にそうならば、もうおなじことをしちゃダメよ、まる


【追 記】

フェイスブックでたった今、見た記事。中道右派の全国紙おル・フィガロさんね。

なんだかな。
事件について自らのアル中による事故と話を持って行くのは、私個人はあまり好きになれないな。
アルコールを飲み過ぎると、自分の脳や心にまったく刻まれていない事柄が口から出るということを彼は言いたいのですかね? ふぅうううん。そうなんだ。



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by ma_cocotte | 2018-04-12 16:43 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
2018年3月23日に、
この日は金曜日で、共和国南東部の小都市カルカッソンヌ近郊でテロ事件がありました。
同日、共和国の花の都パリ11区のアパルトマンで火災が発生し、現場から85歳になる婦人の焼死体が見つかりました。そのご遺体を解剖したところ、なんと11か所もの刃物による刺し傷が見つかったのです。老婦人宅の火事から放火殺人と事件に定められた翌日、婦人の隣人男性が容疑者として連行。その犯行を幇助したとされる住所不定(仏語だとSDF エスデェエフと称される)の男性も逮捕されました。彼らの犯行理由のひとつが明らかにされ、それはこの老婦人が「ユダヤ人だから」でした。

「ユダヤ人」を理由に犯罪行為が実行されることはフランス共和国においては「あってはならない」ことであり、85歳にもなる老婦人がそれを理由に刺殺され、証拠隠しのために家を焼かれ、自らの身体も燃やされたとなると、ほうぼうから同情の声が次々とあがり、共和国ではしばしば行われる「沈黙の行進」がパリ市内で実施されることになりました。

その「沈黙の行進」が実施されるにあたり、在仏ユダヤ民団、CRIF からこの行進に極右政党と極左政党の党首、党員が参加することを拒むと発表がありました。極右政党についてはアウシュヴィッツやらガス室を否定する歴史修正を現党首というより、彼女の父親が89歳になった今も「宣教布教している」故とすぐわかりますが、極左はなんでぇ?と、しばし。ああ、イスラエルを否定し、パレスチナ「のみ」認めるからか・・・と。

ところが、CRIFからこの発表があってまもなく、85歳の婦人のご子息から母の死を悼む気持、反ユダヤ主義について抗議する気持があるならば極右だろうが極左だろうが沈黙の行進に参加してください、と公に勧誘がありました。

なるほどなあ。

息子さんの気持ちを知ってすぐ、こんなツルツル脳持ちの私でもちょと考えてしまいました。

というか、私個人にとってフランスそのものだけでなく、フランスのユダヤん世界についてヨソ者ですが、この一件でCRIFという組織はヒジョーに政治色の濃い組織であり、その反対に殺害された犠牲者の息子さんは「今ドキの宗教者」っぽいなあ、と色分けできた気になっています。

この事件。
85歳になるユダヤ人婦人はそんなにユダヤ教の生活宗旨に従って生きていたわけでもなかったようです。つまり、常にカツラをかぶっているわけでもなけりゃ、ストッキングをはいているわけでもないし、自宅のお台所の流し場が二つあるわけでもない(← わかるひとにしかわからないネタですわなw)。そして、彼女を殺めた隣人がイスラーム・マジョリティの国を祖国とする移民男性であるとなると、彼女の住まいは市井の普通のアパルトマン(もしかしたら団地 HLM かもしれない)と想像つきます。ユダヤんでも上流だったり、宗旨生活において厳しく守っていればいるほど「ヨソ」とは交わらずにユダヤとしての生活ができる住居やカルティエに住むのが常です。かといって、報道では「庶民のユダヤ人女性」と繰り返し紹介されても、その彼女の写真の彼女の手元にはシャネルと思われるバッグ。私にはシャネルはまったく別世界なので、写真に映るバッグの真贋はわからず。でも、シャネルのバッグを持てるとするなら、フランスだったら日本以上に「階級」がはっきり「上」になるわけで。うぅうううん。そうだとするなら、多国籍が混ざる住環境で隣人に限らず何らかの「嫉妬」が芽を出してしまうのは仕方ないのではないか、誤解が生じることもあるだろうな、と私が思うのも、私が員数外だからだと思います。

いずれにせよ、CRIFという団体について私は今度ハスった見方しかできないかもなあ。
でも、犠牲となった女性の息子さんに限らず、人が決めた国境や身分を取っ払って、故人を悼む気持、慰霊する行いを一緒に!と呼びかけられるひとはすばらしいと思います。そう簡単にそうはなれない私ではありますが。


Le 9 avril 2018, Annonciation

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by ma_cocotte | 2018-04-09 16:07 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
階級のない国の、特権階級
フランス国鉄(通称 SNCF)がストライキに入り、こんにちで第三日目。
ストライキ実施予告日程数は3か月なので、まだたった三日しか過ぎていないことになります。

兎に角、フランスの中長距離線について日本国内の列車運行システムとはかなり違うので、ガイジンの私にはよくわからないことだらけです。明らかなのはパリや大都市の国鉄の拠点駅ではそれは大騒ぎのパニックになっていることと、私が住んでいるような地方小都市では国鉄駅に丸一日まったく列車が通過せず、地方紙に「国鉄駅が幽霊駅になった」と一面大見出しが目に入ってもきました。このストライキを実行しているひとびとがフランス国鉄の「労働者」と文字にしていいのか、それとも21世紀の今は「職員」と表した方がいいのか、これもまた日本語使用における注意点と仏語使用のそれが異なるので難しいところです。

今回のスト決行の理由は、国鉄職員本人だけでなく家族にまで及ぶ特権を無くしたり、減らしたりするという改革案を「21世紀の軍神ヂュピタア」であり、その名の通り救世主であるエンマニュエル・マクロン大統領が提案したことだそう。で、この騒動が公になって半月が過ぎ、ストライキが現在進行中の今、その国鉄職員と家族が有する特権についてデマだ!と仏国鉄総裁がテレビで声高に発言したり、「それでも本当w」とほうぼうから国鉄職員さんやらその家族が証言したりと、今となっては傍観者の我々にはどれが真実でどれがウソなのかも判断(できるわけがない、よそ者の員数外にw)。

もしマクロン大統領が国鉄職員について「過剰な」特権をあらため、収益に転換しようと言うのなら、こればかりはアンチおマクロンなわたくしでも「マクたん、たまにはいいこと言うぢゃんねー」とつぶやいてしまうわけで。というのも、もし本当に私の耳や目に届いた「国鉄職員とその家族は運賃全額無料」だったら、それは前近代的というか、なんちゃら帝國時代かよ?とついうっかり脳内に言葉が滑走してしまいます。半世紀近くも前、日本の国鉄で「順法闘争」があったことなど思い出したりもします。同時に、ココ、おフランスって何かと1789年の大革命を自慢する国であることも思い出し、あれは確か三部会という三角形やら、その三角形の底辺にいる平民が第一身分の聖職者や第二身分の貴族と立場が逆転した「美談」ぢゃなかったっけー?と・・・あ、そっか。だから平民にたくさんの特権が与えられて今があるのか・・・んなわけあるめぃ・・・ブツブツブツ。

このストライキではもちろん全国規模の労働組合が動いており、そこには極左政党の幹部が応援に訪れていますが、こんな特権を持つ国鉄職員に同情するキャウサウトーって矛盾してないか?と思いつつも、そーいや、コミュニストの世界には独自の外交制度と身分があり、上級の外交員には想像つかないほどの特権があるっぺな、と大昔、南仏でニフォンキャウサントーの上級党員の子弟とお目にかかったことをこれまた思い出しもしました。欧州留学に、海外に散らばる党員の瀟洒な家屋でのステイに、乗馬やらグルマンディーズな優雅な日々ね。まさにアノ女流小説家が書き残した世界さ。

話があっちゃこっちゃに飛び散りましたが、「特別な権利」が万民に平等に与えられることなんて究極の理想であり、それが長年続けば「当たり前」に化けてしまいます。ココんちあたりでは昨年の半ばに市内を走り廻る公営バスの運賃が無料になりました。誰が乗っても無料。そういうことが身近であったこともあり、私個人は国鉄職員とその家族のみに与えられている優待が「古い」と思えてしまうのかもしれません。

でも、なんだかなあ。
このストライキについて遠めに眺めてみると、この件に限らず、フランス共和国内に住む国民にはなんらかの特権が与えられていて、それぞれがそれに甘えて日々暮らしているようにも思えます。優遇、優待、特権で生活している人、ほうぼうで簡単に釣れるもの。そういう数多もらっている優遇や特権について配偶者であるガイジンに教えないフランス人も相当数いるし。そもそも、国父である大統領閣下には大統領特権なんてもんが存在するし。

なにが「自由 平等 博愛」だよ・・・あん?

本当にこのストライキが3か月も続くのか?
そして、職員が特権を手放さないまま終結するのか?

・・・もしそうならば、フランスって国際においてかなりの発展途上国ですわね。日本と比べるとどうだかわからないけれど、大韓民国より遅れている気がしないでもない。ったく、恥を知れ、です。


le 5 avril 2018, Irène

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by ma_cocotte | 2018-04-05 18:02 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(4)
// vendredi saint - chemin de croix //
2018年の聖金曜日--- 十字架の道行
b0070127_15113567.jpg
第12留 イエス、十字架上で息を引き取る、引き取った。↑



le 30 mars 2018, vendredi saint

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by ma_cocotte | 2018-03-30 23:59 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
聖週間の聖金曜日に。
こんにち、2018年3月30日は西方教会の典礼暦において聖金曜日。午後3時にイエスさまが息を引き取られる日です。ご復活は明日土曜日の日没後。なので、今週はカトリック教¨会では「Semaine Sainte 聖週間」と呼ばれ、連日、教会聖堂でなんだかの儀式が執り行われているという超多忙さなのです。

そんな一年で最も忙しい数日に重なるように、先週金曜日に南仏に近いカルカッソンヌでテロ事件があり、4名の男性が命を落とされました。うち一人は共和国憲兵隊の隊員でしたので、先の水曜にパリのアンヴァリッド(ココの聖ルイ聖堂は共和国軍教区の司教座)の内庭で国葬(これは無宗教ね)が執り行われました。殉職した憲兵隊隊員さんは中佐から大佐に昇級され、おレジオン・ドヌール勲章が与えられました。死と引き換えの昇級やら叙勲って毎度、私の胸中は複雑になります。だって、霊魂はそんなことなどまったくかんけーねーところに行っちゃっているのに、こういうことは遺族や知人、友人への慰めなのかしらねぇ。

で、その国葬から一夜明け、大佐となられたアルノ・ベルトラム Arnauld Beltrame 氏の棺は再びカルカッソンヌに運ばれ、カルカッソンヌにある司教座聖堂で葬儀ミサが執り行われました。(他のテロの犠牲となった市民三名については昨日、地元の聖堂で葬儀ミサがありました)。と、これまた、軍人さんと市民では共に生命を失ってもこんだけ葬儀が違うのね、とおべんきょ。

昨日の、カルカッソンヌでのベルトラム大佐の葬儀ミサのお説教は以下のとおり。

HOMÉLIE DES FUNÉRAILLES
du colonel Arnaud Beltrame (18 avril 1973 - 24 mars 2018)
Jeudi saint, 29 mars 2018. Cathédrale Saint-Michel de Carcassonne1.
En cette cathédrale, en présence de tant de personnalités civiles et militaires, après un hommage national rendu à un héros qui fait l'admiration de tous, et en présence de sa dépouille, il aurait sans doute convenu qu’un évêque prêchât. Mais en ce jour où fierté et douleur habitent nos cœurs, où Espérance et deuil cherchent un chemin de conciliation, tout semble bouleversé. Vous savez ma présence aux côtés du colonel avec sa fiancée et déjà civilement son épouse, il y a cinq jours, à l'hôpital. Nous étions réunis tous les trois comme pour leur mariage que je devais bénir bientôt, et c'est l’ultime onction du sacrement des malades que nous avons célébrée à la place. J'aurais dû prêcher dans deux mois la joie du mariage du colonel Arnaud Beltrame avec Marielle et me voici contraint de dire la gravité de ses funérailles.
Un fils, un frère, un mari, un officier, un Français, un enfant de Dieu, un héros est mort. Son corps est séparé de son âme depuis l'aube du samedi 24 mars. Il fut blessé affreusement par un terroriste vendredi, à l'heure où le Christ offrait sa vie pour nous sur la Croix. Ce corps, chère Marielle, que vous avez aimé et qui vous a chéri, ce corps qui est aujourd'hui honoré du drapeau tricolore ne pourra plus vous prendre dans ses bras. Arnaud ne pourra pas vous demander, le 9 juin prochain, si vous acceptez de devenir son épouse par le sacrement de mariage. Mais cette tragédie, comme le Vendredi Saint que nous allons célébrer demain, n’est pas le fin mot de cette histoire cruelle. Elle se pare déjà des couleurs de l’aube pour conduire Arnaud à la gloire de Pâques, à l’espérance radieuse de la résurrection.
Alors Seigneur, soyez loué pour la force que vous aviez mise en ce cœur d'homme et d'officier. Soyez loué pour don de la foi catholique qui a été pour Arnaud une redécouverte émerveillée. Il avait 36 ans lorsqu’il reçut pour la première fois votre Présence réelle dans la sainte communion et votre don de force dans le sacrement de confirmation. Il n'a jamais caché depuis la joie de sa foi retrouvée. Oh certes, comme nous tous, il a pu faire des erreurs dans sa vie, mais il demandait toujours pardon à ceux qu'il avait pu heurter.
Soyez loué enfin Seigneur de lui avoir permis d’aimer jusqu'à l'extrême (Jn 13, 1). Car « Il n'y a pas de plus grand amour que de donner sa vie pour ses amis » (Jn 15, 13) comme nous l'a appris votre divin Fils Jésus. Le colonel savait le risque qu'il prenait en se livrant comme otage au fanatique. Il l'a fait pour sauver une vie, plusieurs peut-être, et parce que tel était son engagement, de gendarme et de chrétien, allant jusqu’au bout de ses convictions.
Il a offert sa vie pour que s'arrête la mort. La croyance du djihadiste lui ordonnait de tuer. La foi chrétienne d'Arnaud l'invitait à sauver, en offrant sa vie s'il le fallait. Seigneur, vous lui avez donné la grâce de le réaliser exactement une semaine avant la célébration de votre Passion. Vous nous avez livré l'exemple absolu en guérissant nos âmes par vos blessures (cf Is 53, 4-5). Vous avez alors proposé le salut à tous les hommes et aussi à cet assassin. Faites-lui miséricorde, Seigneur. Il ne savait pas la gravité de son geste fanatique. Il pensait même vous plaire en tuant.
Où est Arnaud maintenant : au Ciel, au purgatoire ou, comme le pensent les partisans de son meurtrier, en enfer ? Voici un secret qui n'appartient qu'à Dieu. Son sacrifice l'a certes configuré au Christ, mais prions pour ce héros. Prions aussi pour les autres victimes ; prions même pour leur assassin.
Ma chère Marielle, c'est à vous que je veux maintenant m'adresser. Je sais combien Arnaud vous a aimée. Ce viril soldat, cet officier d'élite était avec vous galant, délicat et prévenant. Il était mûr pour s'engager dans un mariage heureux et indissoluble, fidèle à sa foi catholique. Il avait découvert avec joie Luigi et Maria Beltrame, le premier couple honoré par l’Église comme bienheureux, tels de possibles et lointains cousins. Il s'est préparé au mariage avec un sérieux qui force mon admiration et dont témoigne la superbe déclaration d'intention qu'il m'a envoyée quatre jours avant l'attentat.
L'offrande héroïque et libre de sa vie, les innombrables prières et messes qui sont lancées au Ciel du monde entier pour lui, le sacrement des malades, et la bénédiction à l'article de la mort que j'ai pu lui offrir à l’hôpital, peuvent vous donner l'espérance ferme de son bonheur éternel. Ces dernières prières furent alternées avec vous, alors que vous teniez la main d'Arnaud, scellant à jamais en Dieu, votre amour et la communion de vos âmes.
Alors, écoutez ces mots qu'il aurait pu vous adresser, chère Marielle, et nous dire à tous :
« Ne pleure pas si tu m'aimes ! Si tu savais le don de Dieu et ce que c'est que le Ciel ! Si tu pouvais d'ici, entendre le chant des Anges et me voir au milieu d'eux ! Si tu pouvais voir se dérouler sous tes yeux les horizons et les champs éternels, les sentiers où je marche !
Si, un instant, tu pouvais contempler, comme moi, la Beauté devant laquelle toutes les beautés pâlissent ! Quoi ! tu m'as vu, tu m'as aimé dans le pays des ombres, et tu ne pourrais ni me revoir, ni m'aimer encore dans le pays des immuables réalités ?
Crois-moi, quand la mort viendra briser tes liens comme elle a brisé ceux qui m'enchaînaient, et quand un jour que Dieu connaît et qu'il a fixé, ton âme viendra dans le Ciel où l'a précédée la mienne, ce jour-là, tu reverras celui qui t'aimait et qui t'aime encore, tu en retrouveras les tendresses épurées.
A Dieu ne plaise qu'entrant dans une vie plus heureuse, infidèle aux souvenirs et aux joies de mon autre vie, je sois devenu moins aimant ! Tu me reverras donc, transfiguré dans l'extase et le bonheur, non plus attendant la mort, mais avançant d'instant en instant, avec toi qui me tiendras la main, dans les sentiers nouveaux de la Lumière et de la Vie... Alors, essuie tes larmes et ne pleure plus, si tu m'aimes2. »
Chère Marielle, la fécondité de votre amour se mesure déjà dans les incroyables témoignages venus du monde entier depuis quelques jours, de tous ceux qui ont été émus et fortifiés dans leur foi par le sacrifice d’Arnaud. Voici vos enfants. Bien sûr, en ce jour de larmes, pareille épreuve est infiniment mystérieuse. Mais vous n’êtes pas seule. Dieu pleure avec vous, comme il a pleuré devant le tombeau de Lazare (Cf. Jn 11, 35) !
Et puis, regardez ! Vous êtes entourée par une immense compassion de tout un peuple, unanime à admirer le geste du colonel et à comprendre l'immensité de votre douleur ; une foule gonflée d'espérance dans le message que son sacrifice offre à la France. L'héroïsme est possible. Notre pays en a besoin pour être sauvé de la médiocrité de l'individualisme qui blessait son cœur de gendarme.
C'est à nous tous enfin qu'il s'adresse. Sa quête spirituelle tardive, j'en suis témoin, lui a montré que tout ce qui n'est pas de l’éternité retrouvée est du temps perdu3. Le monde qu'il a quitté privilégie l'urgent sur l'essentiel. Retrouvons comme lui l'urgence de l'essentiel4.
Dans leur maison, bénie le 16 décembre dernier, Arnaud et Marielle avaient réservé une pièce pour en faire un oratoire où ils priaient en couple. Alors je vous en supplie, frères et sœurs, à l’approche de Pâques, veillez dans la prière !
Arnaud, Marielle et moi avions partagé qu'on ne triomphe pas d'une idéologie avec seulement des armes et des ordinateurs. On la terrasse avec des convictions spirituelles. La foi catholique qu'il a redécouverte, les merveilles chrétiennes de l'histoire de France qui le passionnaient, sont le meilleur bouclier contre la folie des croyances assassines qui tuent et veulent tuer encore.
Mais soyons persuadés que ce combat spirituel se gagne avec la charité et non avec la haine. « Au soir de notre vie, nous serons jugés sur l'amour5 » que nous aurons donné ou au contraire sur l'égoïsme, la colère et l'orgueil que nous aurons mis en toutes choses. Alors, puissent les soldats qui risquent leur vie avec courage pour la défense de la France, et nos concitoyens, en ces années troubles de notre histoire, être des instruments de la paix.
Comme Arnaud et avec lui, là où est la haine, mettons l'amour. Là où est l'offense, mettons le pardon. Là où est la discorde, mettons l'union. Là où est l'erreur, mettons la vérité. Là où est le doute, mettons la foi. Là où est le désespoir, mettons l'espérance. Là où sont les ténèbres, mettons la lumière. Là où est la tristesse, mettons la joie.
Que chacun ne cherche pas tant à être consolé qu'à consoler, à être compris qu'à comprendre, à être aimé qu'à aimer. Car c'est en se donnant que l'on reçoit, c'est en s'oubliant qu'on se retrouve soi-même, c'est en pardonnant que l'on obtient le pardon, c'est en mourant que l'on ressuscite à la Vie éternelle6.
Vivons cela, et le sacrifice admirable du colonel Beltrame n'aura pas été un feu de paille émouvant, mais l'étincelle d'une renaissance ; alors la France, qu'il a servie avec passion dans la gendarmerie, cheminera vers la paix. Ainsi soit-il !
Un fils, un frère, un mari, un officier, un Français, un enfant de Dieu, un héros est mort. Son corps est séparé de son âme depuis l'aube du samedi 24 mars. Il fut blessé affreusement par un terroriste vendredi, à l'heure où le Christ offrait sa vie pour nous sur la Croix. Ce corps, chère Marielle, que vous avez aimé et qui vous a chéri, ce corps qui est aujourd'hui honoré du drapeau tricolore ne pourra plus vous prendre dans ses bras. Arnaud ne pourra pas vous demander, le 9 juin prochain, si vous acceptez de devenir son épouse par le sacrement de mariage. Mais cette tragédie, comme le Vendredi Saint que nous allons célébrer demain, n’est pas le fin mot de cette histoire cruelle. Elle se pare déjà des couleurs de l’aube pour conduire Arnaud à la gloire de Pâques, à l’espérance radieuse de la résurrection.
Alors Seigneur, soyez loué pour la force que vous aviez mise en ce cœur d'homme et d'officier. Soyez loué pour don de la foi catholique qui a été pour Arnaud une redécouverte émerveillée. Il avait 36 ans lorsqu’il reçut pour la première fois votre Présence réelle dans la sainte communion et votre don de force dans le sacrement de confirmation. Il n'a jamais caché depuis la joie de sa foi retrouvée. Oh certes, comme nous tous, il a pu faire des erreurs dans sa vie, mais il demandait toujours pardon à ceux qu'il avait pu heurter.
Soyez loué enfin Seigneur de lui avoir permis d’aimer jusqu'à l'extrême (Jn 13, 1). Car « Il n'y a pas de plus grand amour que de donner sa vie pour ses amis » (Jn 15, 13) comme nous l'a appris votre divin Fils Jésus. Le colonel savait le risque qu'il prenait en se livrant comme otage au fanatique. Il l'a fait pour sauver une vie, plusieurs peut-être, et parce que tel était son engagement, de gendarme et de chrétien, allant jusqu’au bout de ses convictions.
Il a offert sa vie pour que s'arrête la mort. La croyance du djihadiste lui ordonnait de tuer. La foi chrétienne d'Arnaud l'invitait à sauver, en offrant sa vie s'il le fallait. Seigneur, vous lui avez donné la grâce de le réaliser exactement une semaine avant la célébration de votre Passion. Vous nous avez livré l'exemple absolu en guérissant nos âmes par vos blessures (cf Is 53, 4-5). Vous avez alors proposé le salut à tous les hommes et aussi à cet assassin. Faites-lui miséricorde, Seigneur. Il ne savait pas la gravité de son geste fanatique. Il pensait même vous plaire en tuant.
Où est Arnaud maintenant : au Ciel, au purgatoire ou, comme le pensent les partisans de son meurtrier, en enfer ? Voici un secret qui n'appartient qu'à Dieu. Son sacrifice l'a certes configuré au Christ, mais prions pour ce héros. Prions aussi pour les autres victimes ; prions même pour leur assassin.
Ma chère Marielle, c'est à vous que je veux maintenant m'adresser. Je sais combien Arnaud vous a aimée. Ce viril soldat, cet officier d'élite était avec vous galant, délicat et prévenant. Il était mûr pour s'engager dans un mariage heureux et indissoluble, fidèle à sa foi catholique. Il avait découvert avec joie Luigi et Maria Beltrame, le premier couple honoré par l’Église comme bienheureux, tels de possibles et lointains cousins. Il s'est préparé au mariage avec un sérieux qui force mon admiration et dont témoigne la superbe déclaration d'intention qu'il m'a envoyée quatre jours avant l'attentat.
L'offrande héroïque et libre de sa vie, les innombrables prières et messes qui sont lancées au Ciel du monde entier pour lui, le sacrement des malades, et la bénédiction à l'article de la mort que j'ai pu lui offrir à l’hôpital, peuvent vous donner l'espérance ferme de son bonheur éternel. Ces dernières prières furent alternées avec vous, alors que vous teniez la main d'Arnaud, scellant à jamais en Dieu, votre amour et la communion de vos âmes.
Alors, écoutez ces mots qu'il aurait pu vous adresser, chère Marielle, et nous dire à tous :
« Ne pleure pas si tu m'aimes ! Si tu savais le don de Dieu et ce que c'est que le Ciel ! Si tu pouvais d'ici, entendre le chant des Anges et me voir au milieu d'eux ! Si tu pouvais voir se dérouler sous tes yeux les horizons et les champs éternels, les sentiers où je marche !
Si, un instant, tu pouvais contempler, comme moi, la Beauté devant laquelle toutes les beautés pâlissent ! Quoi ! tu m'as vu, tu m'as aimé dans le pays des ombres, et tu ne pourrais ni me revoir, ni m'aimer encore dans le pays des immuables réalités ?
Crois-moi, quand la mort viendra briser tes liens comme elle a brisé ceux qui m'enchaînaient, et quand un jour que Dieu connaît et qu'il a fixé, ton âme viendra dans le Ciel où l'a précédée la mienne, ce jour-là, tu reverras celui qui t'aimait et qui t'aime encore, tu en retrouveras les tendresses épurées.
A Dieu ne plaise qu'entrant dans une vie plus heureuse, infidèle aux souvenirs et aux joies de mon autre vie, je sois devenu moins aimant ! Tu me reverras donc, transfiguré dans l'extase et le bonheur, non plus attendant la mort, mais avançant d'instant en instant, avec toi qui me tiendras la main, dans les sentiers nouveaux de la Lumière et de la Vie... Alors, essuie tes larmes et ne pleure plus, si tu m'aimes2. »
Chère Marielle, la fécondité de votre amour se mesure déjà dans les incroyables témoignages venus du monde entier depuis quelques jours, de tous ceux qui ont été émus et fortifiés dans leur foi par le sacrifice d’Arnaud. Voici vos enfants. Bien sûr, en ce jour de larmes, pareille épreuve est infiniment mystérieuse. Mais vous n’êtes pas seule. Dieu pleure avec vous, comme il a pleuré devant le tombeau de Lazare (Cf. Jn 11, 35) !
Et puis, regardez ! Vous êtes entourée par une immense compassion de tout un peuple, unanime à admirer le geste du colonel et à comprendre l'immensité de votre douleur ; une foule gonflée d'espérance dans le message que son sacrifice offre à la France. L'héroïsme est possible. Notre pays en a besoin pour être sauvé de la médiocrité de l'individualisme qui blessait son cœur de gendarme.
C'est à nous tous enfin qu'il s'adresse. Sa quête spirituelle tardive, j'en suis témoin, lui a montré que tout ce qui n'est pas de l’éternité retrouvée est du temps perdu3. Le monde qu'il a quitté privilégie l'urgent sur l'essentiel. Retrouvons comme lui l'urgence de l'essentiel4.
Dans leur maison, bénie le 16 décembre dernier, Arnaud et Marielle avaient réservé une pièce pour en faire un oratoire où ils priaient en couple. Alors je vous en supplie, frères et sœurs, à l’approche de Pâques, veillez dans la prière !
Arnaud, Marielle et moi avions partagé qu'on ne triomphe pas d'une idéologie avec seulement des armes et des ordinateurs. On la terrasse avec des convictions spirituelles. La foi catholique qu'il a redécouverte, les merveilles chrétiennes de l'histoire de France qui le passionnaient, sont le meilleur bouclier contre la folie des croyances assassines qui tuent et veulent tuer encore.
Mais soyons persuadés que ce combat spirituel se gagne avec la charité et non avec la haine. « Au soir de notre vie, nous serons jugés sur l'amour5 » que nous aurons donné ou au contraire sur l'égoïsme, la colère et l'orgueil que nous aurons mis en toutes choses. Alors, puissent les soldats qui risquent leur vie avec courage pour la défense de la France, et nos concitoyens, en ces années troubles de notre histoire, être des instruments de la paix.
Comme Arnaud et avec lui, là où est la haine, mettons l'amour. Là où est l'offense, mettons le pardon. Là où est la discorde, mettons l'union. Là où est l'erreur, mettons la vérité. Là où est le doute, mettons la foi. Là où est le désespoir, mettons l'espérance. Là où sont les ténèbres, mettons la lumière. Là où est la tristesse, mettons la joie.
Que chacun ne cherche pas tant à être consolé qu'à consoler, à être compris qu'à comprendre, à être aimé qu'à aimer. Car c'est en se donnant que l'on reçoit, c'est en s'oubliant qu'on se retrouve soi-même, c'est en pardonnant que l'on obtient le pardon, c'est en mourant que l'on ressuscite à la Vie éternelle6.
Vivons cela, et le sacrifice admirable du colonel Beltrame n'aura pas été un feu de paille émouvant, mais l'étincelle d'une renaissance ; alors la France, qu'il a servie avec passion dans la gendarmerie, cheminera vers la paix. Ainsi soit-il !

帰天したアルノ・ベルトラム大佐のカトリック信仰については、きょうび21世紀のフランスでは「わかるひとにしかわからないネタ」ですし、まして極東の異教国である日本国ではこの話題に文字数を浪費する気はまるでない(失笑)。ですから、報道の波にはなかなか乗らないポイントですが、おロマンチック好きなフランスでは彼が今年6月9日に結婚することになっていたということは政教分離がしっかりしているテレビ局や新聞でも紹介されました。

この今年6月9日の彼の「結婚」は重箱の隅を突っつくと、日本人にはわかりにくいネタになりますが、宗教婚であり、彼は既に市民婚を終え、同居している奥様がいらっしゃる。その奥様と今年6月に故郷にある教会でカトリックでいう「婚姻の秘跡」にあずかることになっており、今は奥様と二人、勤務地近くにお住いの神父様と共に婚姻準備をしていたとのこと。そのこともあり、テロ直後、病院に運ばれてからアルノ・ベルトラム隊員の病床には奥様と神父様(お名前はJean-Baptiste、=洗礼者ヨハネ)がつきっきりで、まずは病者の塗油の秘跡を行い、続いて婚姻の秘跡を神父様が与えられました。そして、テロの翌日、土曜の朝5時半頃、アルノ・ベルトラム隊員の霊魂は天に帰られました。



なんだか、ぢぃいいいん。

このアルノ・ベルトラムさん、45歳。
カトリックの信仰と向き合ってたった10年。
理由はわからないけれど、カトリックの生活宗旨を守る夫妻の子として生まれながらも、アルノさんはまったくカトリックによる共和国教育と同時進行の要理教育を受けずに成人し、イラクやアフガニスタンへの海外派兵を経験したことをきっかけに35歳になってカトリック教会の門扉を叩いたそうです。だから、普通、幼児洗礼だったら7歳くらいであずかる初聖体式に35歳であずかり、この時、同時に堅信の秘跡にもあずかったという話もある。へぇ、そうなるとココんちの仏人♂と信仰歴が似通っていたりします。ココんちの仏人♂は幼児洗礼のみで、両親の離婚が原因でまったく教会での要理に参加せず成人。30歳を過ぎて、アルことをきっかけにカトリック教会にしぶしぶ行くようになり、堅信を受けなければならないハメに。その時に教区から洗礼証明書提出を請求され、親から聞かされていた自分が受洗した教会に証明書発行を願い、取り寄せたら、そこには堅信より先に受けていなければならない初聖体の秘跡にあずかったという記録がない。だから、堅信式で同時に初聖体式にもあずかったのでした。普通なら所属教会の主任司祭にいただく初聖体も、こういう事情だと司教様から初めてのご聖体をいただけるというおいしさがあるの。アルノさんの初聖体の背景もおそらく似通った事情でしょうね。

と、ココまでタイプしたところで、こんな話はカトリックの信者さんやらカトリックのガッコに通い、周囲にいる信者のクラスメートの口から洩れない限り、「よくわかんない話」であります。

弱者の身代わりになっての殉教となると、日本にもゆかりある聖マキシミリアノ・コルベ師のアウシュヴィッツ収容所での帰天と重なり、このアルノ・ベルトラム氏の殉職直後からコルベ師とリンク付けした話題が電脳域を飛び交ってもいました。ベルトラムさんは事件があったスーパーのレジの女性の身代わりになったそうです。カルカッソンヌから1000㎞以上離れたブルタアニュの小村に住むベルトラムさんの母上が「彼は自分の職務のミッションを果たしたのです」とおっしゃったことがとても印象に残りました。

で、きょうは聖金曜日。
まもなくココんちあたりは午前9時。
イエスさまの裁判が始まる時間です。

この一週間、イエスさまのご復活に至るまでの話と同時進行でいろいろあり、考えさせられてばかりいますが、これも私にとって偶然、苦痛であっても、天においては必然であり、あらゆることに意味連関を成しているのです。キリッ

実はもひとつネタがあるけれど、そりはユダヤん方面なのでまた別に、そのうち。



le 30 mars 2018, vendredi saint



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by ma_cocotte | 2018-03-30 15:34 | actualite 現時点の現場から | Comments(0)