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コ ノ ゴ ガ ツ
今年、2018年の五月。
仏蘭西の暦におかれましては、国定固定祝祭日が5月1日と8日で、8ひくことの1は7ですから、いずれも火曜日になります。そして国定移動祝祭日が2018年の場合、10日と21日です。5月10日はキリスト昇天祭で復活祭の日曜日から40日後なので毎年必ず日付異なれど木曜日になります。5月21日は聖霊降臨の日曜翌日の月曜日という祭日で、こちらもまた毎年必ず日付が違っても聖霊降臨を祝う日曜日の翌月曜日が祭日になります。

で、今年。
固定祝祭日の1日と8日が火曜日になったことで、日曜と火曜の間の月曜日が就業日、そして火曜と木曜の間の水曜日が就業日、そしてそして、木曜と土日の間の金曜日が就業日と、休・働・休・働・休・働・休・休という日の流れになってしまったのです。となりますと、ココはおフランス。いずれの御時にかココで書き殴った記憶がありますが、共和国民は休みと休みの間に一日だけ就労日があるとその日を休んでしまう方が相当数おり、そうすることを「ポン Pont、=橋」と言い表しているのです。今年の場合、一週間のうち月曜と水曜と金曜が休日にはさまった一日きりの就労日になりますので、ポン、ポン、ポンと3つの橋をかけて8日、いや、先の土曜から数えたら9日の休暇を取っちまうひともいるわけで、まあ、月曜休業の店舗が多数を占める共和国内ではありますが、普段月曜開店のお店でも橋をかけて連休にし、「水曜日からお待ちしておりまーす」とフェイスブックでお知らせちょんまげだったりします。

これもまた、生きている長年の間にたまにやってくる「せらヴぃ」と言われれば、「はい、おっしゃるとおりです」とほほ笑むしかありませんが、しかし。

今年はこの暦の流れにちょいと前、ココで話題にした国鉄とおエールおフランスのストライキが乗っかっているという現実。
毎週、週末前の金曜日と週明けの月曜日の朝になると両社のストライキについての情報が報道で流れます。私にとってはこれらのストライキは他人事ながらムっとなることばかり。以前、どこかに書き散らかしたかもしれませんが、ココんちのように首都や大都市ではなく地方の超ウルトラど零細都市だと、週末だけ自宅に戻り、週明けの早朝に列車に乗り、花の都はパリやら日本語の世界史の教科書に登場するような有名都市に移動し、会社勤務やら学校の寮に戻り週末の帰宅まで過ごす老若男女がかなりいます。ですから、金曜と月曜に国鉄がストライキを決行すると、彼らの移動が難しくなったり、不可能になったりするのです。その証拠に4月の毎月曜、ココんち近くの国鉄駅には列車が一本も通りませんでした。地元紙は「駅が死んだ」と第一面に大見出しを載せたほど。

国鉄の労働者は国家や国父さんである大統領閣下に不満があってストライキ決行しているのに、その犠牲になるのは平民(あたしゃ、国民とは言わないよw)というのはこんなに屁理屈で論破を好む民なのに大いなる矛盾なんぢゃないかと思うンですがねぇ。

そして、おエールおフランスのストライキも先週末だったか現社長が退任したけれども、彼が退任して、もしも社員の給与だか待遇が(彼ら好みに)改善されたとしても、国民どころか世界中の旅人のおエールおフランス離れは加速するばかりだとあたしは想定するンですが。前世紀のように国民が母国のナショナルフラッグの航空会社しか使わないということは21世紀に入って17年も経った今は過去であり、地球を旅することに慣れたひとびとはしっかり脳内で料金とサーヴィス、快適さを考えて航空会社を選び、利用するようになりました。で、現在のエールフランスの価格設定、機内サーヴィスと快適・清潔さはバランスよろしいでしょうか。・・・・私見ですけれど、アンバランス極まりない。私の場合、前世紀の終わりはおエールおフランスの愛用者でしたが、どんどんサーヴィスが悪くなり、最後に乗った時は食事を指定したら馬でも食べないような食物がお盆に乗ってきましてね。それを限りに・・・というか、その後も里帰りのたびに複数の航空会社の提示料金を比較してもおエールおフランスがデラ高い・・・で、機内は汚いし、食事はああだし・・・となるわけで。そーゆーこと(ココ ↑ に書いたのは私が経験したトラブルの中のほんの一部です)を知っているだけに、こうして今、連日、テレビやラジオからAFのストライキやAF労働組合の言い分を見聞しても、なぜだかむなしいわあ、なのでした。

デモやストライキは共和国民平等の権利であることは私も知ってはいるつもりですけれど、それらが暴動にヘンゲしたりするのはまったくもって私には理解不能で、そういう点にぶち当たると私はやっぱりフランスではガイジンなのだとあらためて思い知るのでした、まる


さーて、明日は祭日なので、明日することを今日しなくちゃね。ふぅ。


le 7 mai 2018, Domitille

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by ma_cocotte | 2018-05-07 17:50 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
私は信じます。
昨日は午後遅く、ココんちの遠くの方からやたら「I believe~」「I believe~」と聞こえてくるので、背中でその繰り返しを聴いていた私はどこかの番組でキング牧師の特集でも放映されているのかなあ・・・と先ず思い、しばらくして声色がキング牧師とは異なるので「ああ、ケネディの演説か・・・」と想像しました。が、その数分過ぎてもまだ遠くから「I bilieve~」「I believe~」と聞こえてくるので、「しっつこい番組だなあ」と思い始めてしまったあたりで、英語でも米語でもない訛りとどっかで聞いたことがある声色で「・・・・あ、マクロンぢゃーん」と気づきました。サルコぢが大統領に選ばれてまもなく、やたらケネディ家とケネディ大統領を意識していたこと、未だ私の記憶から消えないままですが、
マクロンよ、お前もか?
ですわねぇ。でも、共和党がマヂョリティの今のエイメリカでケネディ大統領の演説に妙に似通った運び方ってどうなのかなあ?と私は思いますが、今回のマクロン大統領の米国訪問英語がしゃべれて、英語が通じていることでチビっ子マクロンくんが妙に御機嫌に見えるのも私の心の中のバイアスのせいであることははっきり。仏語だろうが英語だろうがマクロン大統領の話のテンポは好きになれないワタクシです。



もひとつ、今回のマクロン大統領というかマクロン夫妻の米国訪問で気になったのが、マクロン夫人がやたらマクロン大統領と手をつなごうとすることで、トランp大統領夫人メラニアさんがトランpさんとは手をつながず美しい立ち姿であったことが際立ち、私にはメラニアさんが美しいというより独立したかっこいい女性に見えてしまいました。凛としているというかね。マクロン夫人は「あなた無しでは生きられないわ」と、なよなよしているように見えてしまった・・・。こういう印象についてどちらに好感持つかもヒトそれぞれでしょうけれどね、まる


le 26 avril 2018, Riquier




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by ma_cocotte | 2018-04-26 20:04 | 黙れ、小童!マクロンろん | Comments(0)
三角形の底辺から頂点まで浮き上がるのは難しい。
「所変われば、品、替わる」

「替わる」がいいのか、「変わる」がいいのか、よくわかンない。
きょうの朝は一番で電脳域散歩し、立ち寄ったブログのエントリーを拝読してヴぃくーり。
仏蘭西共和国内にお住いの日本人女性であろう方のエントリぃでしたが、その方はおそらくパリにお住まいで、私はパリにはちょっとしか住んだことはなく、南仏はマルセイユのはずれと、ココ10年はヌゥヴェル・アキテエヌ地方北部の超ウルトラスーパーど田舎のショボい零細都市の端に住んでいるのでこんなにも人間交流の在り方が違うのか、いえいえ、そもそも根本どころか抜本的に住まう土地の倫理道徳やら概念がまったく違うンだなあ、と叩きのめされるようによぉおおおくわかりました。おかげさまで、ただ今、午前8時過ぎ。ただでさえ黄色い肌の顔が平たい族である私の重たい瞼がスキっと持ち上がったように思えました。

・・・・で、何が?

ココでの数個前のエントリィのタイトル「階級のない国の、特権階級」と方向違いでのそこはかとなくつながる話とでも申しましょうか。

さてさて。

きょうの朝の、わたくしの電脳域徘徊を終えたところで、私の脳内には「仏蘭西共和国では「何々系フランス人」という表現が建前としてない」と刻まれました。が、もしそうだとすると、私がマルセイユで数年通った職業訓練校での授業で面談のシミュレーションにおいて、必ず私のオリジン(←うまく和訳できないけれど、出自というか祖国というかなあ)はどこそこの国、その国の〇×という都市です、と名乗らなければならないと教えられたことが間違っていたことになります。変だな、確か国営の学校なのに・・・それもひとりの先生ではなく、すべての先生がそれを実行し、教えていました。日常でも南仏だろうが、ヌゥヴェルアキテエヌだろうが、必ずと言っていいほど「あなたはどこの出身ですか?」と質問されます。それは私の語学力に問題があるせいであり、フランス人と同じ何ら訛りのないフランス語を話すひとにそんな質問はしないのでしょう。ああ、そもそも共和国の長期滞在許可証にはしっかり出身国が明記されているので、役所や病院などでその点も含んで質問されることは私には当たり前だったンですが。

それに、高学歴の、どんな肌色、どんな外見の仏蘭西びと(というより、フランス語話者)の間ではかつての仏領インドシナと東アジアの違いを常識で、当たり前に知っていても、この仏蘭西の三角形、ヒエラルシアの底辺に棲むヒトビトというかフランス語を日常で自然に使う者が必ずしも世界地図の右端について知っているとは限りません。毎年夏の終わりに市井のほうぼうで始まる学用品の廉売で世界地図を手に取ったところで極東の、日本が必ずしも描かれているとは限りません。南仏に住んでいた時、近所の白い肌の婦人に私の出身を質問されたので「日本」と返事したら、即座に「独裁国家で大変ね。だからフランスに来たのでしょう。もう大丈夫よ」と言われたことがあり、私から「あのー、日本は中国の一部ではありませんし、欧米の植民地になった過去もありません」と言ったら、まるで「あなたは教養がないから知らないのね」と私がウソついていると判断されたようで、こうなったらラチが開かないw

他にも、以前もココで書き殴ったかもしれませんけれど、マルセイユなど、露天商が「日本製だよ」ととんでもない腕時計を売っており、それを買った北アフリカ出身のひとが、私が日本人と知るなり、大声で日本という国と日本人である私をとことん罵倒するなんてこと、私自身が何度も経験しています。私からすれば、本物の日本製品が露店で販売されることはないし、その商品をひと目見たら偽物だとわかります。でも、彼らは売っている方も買った方も「わからない」、なぜなら両者とも本物の日本製品を見たことも、手に取ったこともないから。← こーんな状況だから、露天商の背後にはマフィアがいることなど警察や憲兵隊、税関は既に知っているわけです。だってさ、中国からフランスまで地続きなんですよ。地中海沿いの高速道路を走ってごらんなさい。どんだけ東ヨーロッパナンバーのトラックとすれ違いますか?

ああ、そうそう、こんなこともあった。
或るおフランスのカトリック教会の高位聖職者の義理の伯母様が日本女性で、その高位聖職者も私が日本人ということであらゆる誤解や偏見からかばってくださっていました。或る巡礼旅行の食事の席で私が「〇×高位聖職者さまの義理の伯母様は日本人なのですよ」と話したら、私の目の前の金髪碧眼のマダムが即答で「そんなことあるわけありません。ああ、あてがわれたのね」と言ってきました。・・・従軍慰安婦ですか・・・? 21世紀に入っても、肌が白いヒトビトの世界ではそういう関係があり、そういう白人の家庭に入った黄色い肌のヒトは隠されるのが普通という判断の基準があるンですかね? もしそうだとするならこの仏蘭西共和国という国は国際においてどんだけ発展途上の国、というか傲慢で成り立っている国なンですかね?

私が今世紀に入って、こうして仏蘭西共和国という国に住んで、感づいていること、知っていることは、肌が黄色くて顔が平たい私たちの配偶者が、欧米の白いひとびとの血しか混ざっていないフランスびとと結婚した場合、その人物の身分や家柄によって配偶者である肌が黄色く顔が平たい私たちをオブラートに包んで扱ってくれるということです。ズケズケと、私がこれまでに経験したことを何ら知らずにフランスで生きていけるということ。私が約10年前にココ新天地に引っ越してすぐ、現地の肌の白いひとびとに会うと、やたら苗字を聞かれ、その苗字に「私は知ってる、私は知らない」と目の前で白いひとびとが論じあうのです。で、もし、地元の有名な一族ならば日本人くるめて「良い扱い&優遇」、信用するけれど、誰も知らないならたとえ仏蘭西そのものの苗字でもその仏蘭西人も配偶者の日本人も彼らの社交グループから「遠のかされる」のです。これ、カトリック教会の中でも実行されていますから。私はもちろん後者の立場です。先週からやたら騒がれている緑の党所属で、大臣経験のあるコリア系フランス国籍の政治家の乱行、暴言については彼が立派な職業の肩書を持つ白い肌のフランス国籍者に養子縁組され育ったことでも数行前に私がタイプした点が見えてきます。白い肌のヒトビトの間ではアフリカだろうがアジアだろうが極貧から乳幼児を養子縁組し「あわれんで育てる」ことが美徳にされているので、この政治家の養親は仲間内では常に賛美されるし、彼本人はオブラートがけされているからひどい言葉をもらうことはない。もし彼らの口に飲まれ、体内に入ったらオブラートが溶けて彼らの本音を知れたかもしれませんが。・・・とココまでタイプして思い出したことですが、私の母の急死が日曜早朝に知らされ、夜が明けてまもなく私はココ地元の教会の主日ミサへ。私の母が亡くなったことを知ったひと(=世俗奉献の「立派な」婦人)が「かわいそうに。なかなか日本に帰れなくて」と私の前で眉を八の字にして話し始めました。黙って聞いていると、私の実家が本当に貧しくて、私はフランスに移住することに成功し、日本の親兄弟姉妹に仕送りをしているらしい・・・私、一人っ子だし、いまだかつて仕送りをしたことがない。そもそも、フランスに長期滞在することになったのもフランス国籍者との結婚がきっかけで、もし彼と離婚したらとっとと私は祖国に戻るだよ、と内心でブツブツブツ。その世俗奉献であることを公にしないマダムが息継ぎしたところでようやく「あの、私の実家は貧しくありません。そもそも、日本は仏領インドシナ諸国の環境と何もかも違います」と言ったら、途端にお顔が「怒り」でいっぱい。ご自分の「憐み」の態度が示せないのがそんな怒りにつながるって、どーよ?とその時の私の正直な思いです。

私個人は南仏だろうがヌゥヴェルアキテエヌだろうが白いヒトビトから優遇されないまま、日々を過ごしています。マルセイユの露店での「日本製品」をつかまされたひとびとのように、誤解と偏見あって日本国籍の私にへし折れるほどの言葉を投げられることも普通にあります。

上流社会でのプロトコルや常識は三角形の底辺にまで必ずしも浸透していない。← こういうあたりですよね。かつてウサマ・ベンラディンがアルカイーダ(=アラビア語で「三角形の底辺」)を結成した理由。このベンラディンについて、ウソか本当か知らないけれど、それこそマルセイユの職業訓練校でクラスメートだったアルジェリア系フランス国籍者が私に教えてくれたことです。彼はテロ行為は決して許されないけれど、上流育ちのベンラディンが気付いた、三角形の底辺に凄むひとびとについての救済はすばらしいことだと私に熱く語ってくれました。私もそう思うけど、救済の手段が明らかに間違っているわけで。

なんちゅうか、フランスという国にはかなり、空気にも土壌にも傲慢がはびこっており、その傲慢に至る思考回路は肌の色に関係なく、フランス共和国の中で生活している環境によって脳に刷り込まれているのではないかしら?と思うこの頃。こうして三角形の底辺に暮らしながら、互いの出身国の生活慣習や料理のレシピを交換しあっている方が私個人は幸せだと思うけれど、そういう様子も三角形の頂点や川の流れの上流では失笑なのだから。自分自身が居心地の良い生活環境、三角形の何階だか、ほうぼうに散らばる水玉模様のどの色、どの大きさだか、をひとりひとりが見つけ、定住するしか心身の平安など実感できないのかもしれません。このエントリィの冒頭に戻るけれど、きょうの朝、私がいくつものフランス関連のブログ記事を読んで「同じ仏蘭西共和国というヒトが決めた国境に囲まれた空と大地の中に住んでいても、私の環境と抜本的に違う」と思うのも当たり前だのクラッカア。どちらが正しい、間違っているではなく、どちらも「事実」。水と油、まったく完全分離しているし、無理にふるって混ぜれば混乱や騒動を招くだけです。棲み分けって大切なのかもしれない。と書くと、サルコぢ支持になっちゃうかあ・・・ヤだな。

上に書いたコリア系フランス国籍の政治家さんが市井でやらかした暴言、乱行についても、彼が育った巣に戻れば彼に「あなたは間違っていない」と慰めるひとがひとりやふたりではない。それがおフランスの現実です。


le 12 avril 2018, Jules



これ ↑ が先週から共和国内で飛び交っているコリア系フランス国籍の政治家さんの乱行暴言についての記事のひとつ。全国紙リベラシオンのものを転載してみました。リベラシオンは中道左派なので彼についてクソ意地悪いことは記事にしないと思うので。で、この件、日本語の新聞記事では未だ見つからないし、彼の名前をカタカナにして検索すると養子縁組による立身出世の美談やら、彼のように泥酔による暴言乱行は彼の祖国では無罪放免というエントリィが散らばっていました。私見だけれど、酔った勢いで口から出た言の葉ってそれこそ日常においてオブラートにくるんで隠している思想や本音ではないでしょうか。だから、私は上に「傲慢」と表したのですが。フランス語でこの事件を追うと、逮捕された彼は今、メアクルパ meaculpa の心境なのですと。meaculpaというのは21世紀になった今は「宗教用語」の枠内かもしれませんが、むか~し、カトリック教会の礼拝の典礼文がラテン語だった時、礼拝のはじまりでmeaculpaを全員で唱えることになっていました。それも3度繰り返して絶妙なタイミングで自らの胸を自分の右手こぶしでドンと叩くのね。意味は「我が過ち」、そう、「私が間違ってました」という表現とでもいいましょうか。ですから、きょうの彼は「反省しています」というこってす。本当にそうならば、もうおなじことをしちゃダメよ、まる


【追 記】

フェイスブックでたった今、見た記事。中道右派の全国紙おル・フィガロさんね。

なんだかな。
事件について自らのアル中による事故と話を持って行くのは、私個人はあまり好きになれないな。
アルコールを飲み過ぎると、自分の脳や心にまったく刻まれていない事柄が口から出るということを彼は言いたいのですかね? ふぅうううん。そうなんだ。



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by ma_cocotte | 2018-04-12 16:43 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
2018年3月23日に、
この日は金曜日で、共和国南東部の小都市カルカッソンヌ近郊でテロ事件がありました。
同日、共和国の花の都パリ11区のアパルトマンで火災が発生し、現場から85歳になる婦人の焼死体が見つかりました。そのご遺体を解剖したところ、なんと11か所もの刃物による刺し傷が見つかったのです。老婦人宅の火事から放火殺人と事件に定められた翌日、婦人の隣人男性が容疑者として連行。その犯行を幇助したとされる住所不定(仏語だとSDF エスデェエフと称される)の男性も逮捕されました。彼らの犯行理由のひとつが明らかにされ、それはこの老婦人が「ユダヤ人だから」でした。

「ユダヤ人」を理由に犯罪行為が実行されることはフランス共和国においては「あってはならない」ことであり、85歳にもなる老婦人がそれを理由に刺殺され、証拠隠しのために家を焼かれ、自らの身体も燃やされたとなると、ほうぼうから同情の声が次々とあがり、共和国ではしばしば行われる「沈黙の行進」がパリ市内で実施されることになりました。

その「沈黙の行進」が実施されるにあたり、在仏ユダヤ民団、CRIF からこの行進に極右政党と極左政党の党首、党員が参加することを拒むと発表がありました。極右政党についてはアウシュヴィッツやらガス室を否定する歴史修正を現党首というより、彼女の父親が89歳になった今も「宣教布教している」故とすぐわかりますが、極左はなんでぇ?と、しばし。ああ、イスラエルを否定し、パレスチナ「のみ」認めるからか・・・と。

ところが、CRIFからこの発表があってまもなく、85歳の婦人のご子息から母の死を悼む気持、反ユダヤ主義について抗議する気持があるならば極右だろうが極左だろうが沈黙の行進に参加してください、と公に勧誘がありました。

なるほどなあ。

息子さんの気持ちを知ってすぐ、こんなツルツル脳持ちの私でもちょと考えてしまいました。

というか、私個人にとってフランスそのものだけでなく、フランスのユダヤん世界についてヨソ者ですが、この一件でCRIFという組織はヒジョーに政治色の濃い組織であり、その反対に殺害された犠牲者の息子さんは「今ドキの宗教者」っぽいなあ、と色分けできた気になっています。

この事件。
85歳になるユダヤ人婦人はそんなにユダヤ教の生活宗旨に従って生きていたわけでもなかったようです。つまり、常にカツラをかぶっているわけでもなけりゃ、ストッキングをはいているわけでもないし、自宅のお台所の流し場が二つあるわけでもない(← わかるひとにしかわからないネタですわなw)。そして、彼女を殺めた隣人がイスラーム・マジョリティの国を祖国とする移民男性であるとなると、彼女の住まいは市井の普通のアパルトマン(もしかしたら団地 HLM かもしれない)と想像つきます。ユダヤんでも上流だったり、宗旨生活において厳しく守っていればいるほど「ヨソ」とは交わらずにユダヤとしての生活ができる住居やカルティエに住むのが常です。かといって、報道では「庶民のユダヤ人女性」と繰り返し紹介されても、その彼女の写真の彼女の手元にはシャネルと思われるバッグ。私にはシャネルはまったく別世界なので、写真に映るバッグの真贋はわからず。でも、シャネルのバッグを持てるとするなら、フランスだったら日本以上に「階級」がはっきり「上」になるわけで。うぅうううん。そうだとするなら、多国籍が混ざる住環境で隣人に限らず何らかの「嫉妬」が芽を出してしまうのは仕方ないのではないか、誤解が生じることもあるだろうな、と私が思うのも、私が員数外だからだと思います。

いずれにせよ、CRIFという団体について私は今度ハスった見方しかできないかもなあ。
でも、犠牲となった女性の息子さんに限らず、人が決めた国境や身分を取っ払って、故人を悼む気持、慰霊する行いを一緒に!と呼びかけられるひとはすばらしいと思います。そう簡単にそうはなれない私ではありますが。


Le 9 avril 2018, Annonciation

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by ma_cocotte | 2018-04-09 16:07 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
聖週間の聖金曜日に。
こんにち、2018年3月30日は西方教会の典礼暦において聖金曜日。午後3時にイエスさまが息を引き取られる日です。ご復活は明日土曜日の日没後。なので、今週はカトリック教¨会では「Semaine Sainte 聖週間」と呼ばれ、連日、教会聖堂でなんだかの儀式が執り行われているという超多忙さなのです。

そんな一年で最も忙しい数日に重なるように、先週金曜日に南仏に近いカルカッソンヌでテロ事件があり、4名の男性が命を落とされました。うち一人は共和国憲兵隊の隊員でしたので、先の水曜にパリのアンヴァリッド(ココの聖ルイ聖堂は共和国軍教区の司教座)の内庭で国葬(これは無宗教ね)が執り行われました。殉職した憲兵隊隊員さんは中佐から大佐に昇級され、おレジオン・ドヌール勲章が与えられました。死と引き換えの昇級やら叙勲って毎度、私の胸中は複雑になります。だって、霊魂はそんなことなどまったくかんけーねーところに行っちゃっているのに、こういうことは遺族や知人、友人への慰めなのかしらねぇ。

で、その国葬から一夜明け、大佐となられたアルノ・ベルトラム Arnauld Beltrame 氏の棺は再びカルカッソンヌに運ばれ、カルカッソンヌにある司教座聖堂で葬儀ミサが執り行われました。(他のテロの犠牲となった市民三名については昨日、地元の聖堂で葬儀ミサがありました)。と、これまた、軍人さんと市民では共に生命を失ってもこんだけ葬儀が違うのね、とおべんきょ。

昨日の、カルカッソンヌでのベルトラム大佐の葬儀ミサのお説教は以下のとおり。

HOMÉLIE DES FUNÉRAILLES
du colonel Arnaud Beltrame (18 avril 1973 - 24 mars 2018)
Jeudi saint, 29 mars 2018. Cathédrale Saint-Michel de Carcassonne1.
En cette cathédrale, en présence de tant de personnalités civiles et militaires, après un hommage national rendu à un héros qui fait l'admiration de tous, et en présence de sa dépouille, il aurait sans doute convenu qu’un évêque prêchât. Mais en ce jour où fierté et douleur habitent nos cœurs, où Espérance et deuil cherchent un chemin de conciliation, tout semble bouleversé. Vous savez ma présence aux côtés du colonel avec sa fiancée et déjà civilement son épouse, il y a cinq jours, à l'hôpital. Nous étions réunis tous les trois comme pour leur mariage que je devais bénir bientôt, et c'est l’ultime onction du sacrement des malades que nous avons célébrée à la place. J'aurais dû prêcher dans deux mois la joie du mariage du colonel Arnaud Beltrame avec Marielle et me voici contraint de dire la gravité de ses funérailles.
Un fils, un frère, un mari, un officier, un Français, un enfant de Dieu, un héros est mort. Son corps est séparé de son âme depuis l'aube du samedi 24 mars. Il fut blessé affreusement par un terroriste vendredi, à l'heure où le Christ offrait sa vie pour nous sur la Croix. Ce corps, chère Marielle, que vous avez aimé et qui vous a chéri, ce corps qui est aujourd'hui honoré du drapeau tricolore ne pourra plus vous prendre dans ses bras. Arnaud ne pourra pas vous demander, le 9 juin prochain, si vous acceptez de devenir son épouse par le sacrement de mariage. Mais cette tragédie, comme le Vendredi Saint que nous allons célébrer demain, n’est pas le fin mot de cette histoire cruelle. Elle se pare déjà des couleurs de l’aube pour conduire Arnaud à la gloire de Pâques, à l’espérance radieuse de la résurrection.
Alors Seigneur, soyez loué pour la force que vous aviez mise en ce cœur d'homme et d'officier. Soyez loué pour don de la foi catholique qui a été pour Arnaud une redécouverte émerveillée. Il avait 36 ans lorsqu’il reçut pour la première fois votre Présence réelle dans la sainte communion et votre don de force dans le sacrement de confirmation. Il n'a jamais caché depuis la joie de sa foi retrouvée. Oh certes, comme nous tous, il a pu faire des erreurs dans sa vie, mais il demandait toujours pardon à ceux qu'il avait pu heurter.
Soyez loué enfin Seigneur de lui avoir permis d’aimer jusqu'à l'extrême (Jn 13, 1). Car « Il n'y a pas de plus grand amour que de donner sa vie pour ses amis » (Jn 15, 13) comme nous l'a appris votre divin Fils Jésus. Le colonel savait le risque qu'il prenait en se livrant comme otage au fanatique. Il l'a fait pour sauver une vie, plusieurs peut-être, et parce que tel était son engagement, de gendarme et de chrétien, allant jusqu’au bout de ses convictions.
Il a offert sa vie pour que s'arrête la mort. La croyance du djihadiste lui ordonnait de tuer. La foi chrétienne d'Arnaud l'invitait à sauver, en offrant sa vie s'il le fallait. Seigneur, vous lui avez donné la grâce de le réaliser exactement une semaine avant la célébration de votre Passion. Vous nous avez livré l'exemple absolu en guérissant nos âmes par vos blessures (cf Is 53, 4-5). Vous avez alors proposé le salut à tous les hommes et aussi à cet assassin. Faites-lui miséricorde, Seigneur. Il ne savait pas la gravité de son geste fanatique. Il pensait même vous plaire en tuant.
Où est Arnaud maintenant : au Ciel, au purgatoire ou, comme le pensent les partisans de son meurtrier, en enfer ? Voici un secret qui n'appartient qu'à Dieu. Son sacrifice l'a certes configuré au Christ, mais prions pour ce héros. Prions aussi pour les autres victimes ; prions même pour leur assassin.
Ma chère Marielle, c'est à vous que je veux maintenant m'adresser. Je sais combien Arnaud vous a aimée. Ce viril soldat, cet officier d'élite était avec vous galant, délicat et prévenant. Il était mûr pour s'engager dans un mariage heureux et indissoluble, fidèle à sa foi catholique. Il avait découvert avec joie Luigi et Maria Beltrame, le premier couple honoré par l’Église comme bienheureux, tels de possibles et lointains cousins. Il s'est préparé au mariage avec un sérieux qui force mon admiration et dont témoigne la superbe déclaration d'intention qu'il m'a envoyée quatre jours avant l'attentat.
L'offrande héroïque et libre de sa vie, les innombrables prières et messes qui sont lancées au Ciel du monde entier pour lui, le sacrement des malades, et la bénédiction à l'article de la mort que j'ai pu lui offrir à l’hôpital, peuvent vous donner l'espérance ferme de son bonheur éternel. Ces dernières prières furent alternées avec vous, alors que vous teniez la main d'Arnaud, scellant à jamais en Dieu, votre amour et la communion de vos âmes.
Alors, écoutez ces mots qu'il aurait pu vous adresser, chère Marielle, et nous dire à tous :
« Ne pleure pas si tu m'aimes ! Si tu savais le don de Dieu et ce que c'est que le Ciel ! Si tu pouvais d'ici, entendre le chant des Anges et me voir au milieu d'eux ! Si tu pouvais voir se dérouler sous tes yeux les horizons et les champs éternels, les sentiers où je marche !
Si, un instant, tu pouvais contempler, comme moi, la Beauté devant laquelle toutes les beautés pâlissent ! Quoi ! tu m'as vu, tu m'as aimé dans le pays des ombres, et tu ne pourrais ni me revoir, ni m'aimer encore dans le pays des immuables réalités ?
Crois-moi, quand la mort viendra briser tes liens comme elle a brisé ceux qui m'enchaînaient, et quand un jour que Dieu connaît et qu'il a fixé, ton âme viendra dans le Ciel où l'a précédée la mienne, ce jour-là, tu reverras celui qui t'aimait et qui t'aime encore, tu en retrouveras les tendresses épurées.
A Dieu ne plaise qu'entrant dans une vie plus heureuse, infidèle aux souvenirs et aux joies de mon autre vie, je sois devenu moins aimant ! Tu me reverras donc, transfiguré dans l'extase et le bonheur, non plus attendant la mort, mais avançant d'instant en instant, avec toi qui me tiendras la main, dans les sentiers nouveaux de la Lumière et de la Vie... Alors, essuie tes larmes et ne pleure plus, si tu m'aimes2. »
Chère Marielle, la fécondité de votre amour se mesure déjà dans les incroyables témoignages venus du monde entier depuis quelques jours, de tous ceux qui ont été émus et fortifiés dans leur foi par le sacrifice d’Arnaud. Voici vos enfants. Bien sûr, en ce jour de larmes, pareille épreuve est infiniment mystérieuse. Mais vous n’êtes pas seule. Dieu pleure avec vous, comme il a pleuré devant le tombeau de Lazare (Cf. Jn 11, 35) !
Et puis, regardez ! Vous êtes entourée par une immense compassion de tout un peuple, unanime à admirer le geste du colonel et à comprendre l'immensité de votre douleur ; une foule gonflée d'espérance dans le message que son sacrifice offre à la France. L'héroïsme est possible. Notre pays en a besoin pour être sauvé de la médiocrité de l'individualisme qui blessait son cœur de gendarme.
C'est à nous tous enfin qu'il s'adresse. Sa quête spirituelle tardive, j'en suis témoin, lui a montré que tout ce qui n'est pas de l’éternité retrouvée est du temps perdu3. Le monde qu'il a quitté privilégie l'urgent sur l'essentiel. Retrouvons comme lui l'urgence de l'essentiel4.
Dans leur maison, bénie le 16 décembre dernier, Arnaud et Marielle avaient réservé une pièce pour en faire un oratoire où ils priaient en couple. Alors je vous en supplie, frères et sœurs, à l’approche de Pâques, veillez dans la prière !
Arnaud, Marielle et moi avions partagé qu'on ne triomphe pas d'une idéologie avec seulement des armes et des ordinateurs. On la terrasse avec des convictions spirituelles. La foi catholique qu'il a redécouverte, les merveilles chrétiennes de l'histoire de France qui le passionnaient, sont le meilleur bouclier contre la folie des croyances assassines qui tuent et veulent tuer encore.
Mais soyons persuadés que ce combat spirituel se gagne avec la charité et non avec la haine. « Au soir de notre vie, nous serons jugés sur l'amour5 » que nous aurons donné ou au contraire sur l'égoïsme, la colère et l'orgueil que nous aurons mis en toutes choses. Alors, puissent les soldats qui risquent leur vie avec courage pour la défense de la France, et nos concitoyens, en ces années troubles de notre histoire, être des instruments de la paix.
Comme Arnaud et avec lui, là où est la haine, mettons l'amour. Là où est l'offense, mettons le pardon. Là où est la discorde, mettons l'union. Là où est l'erreur, mettons la vérité. Là où est le doute, mettons la foi. Là où est le désespoir, mettons l'espérance. Là où sont les ténèbres, mettons la lumière. Là où est la tristesse, mettons la joie.
Que chacun ne cherche pas tant à être consolé qu'à consoler, à être compris qu'à comprendre, à être aimé qu'à aimer. Car c'est en se donnant que l'on reçoit, c'est en s'oubliant qu'on se retrouve soi-même, c'est en pardonnant que l'on obtient le pardon, c'est en mourant que l'on ressuscite à la Vie éternelle6.
Vivons cela, et le sacrifice admirable du colonel Beltrame n'aura pas été un feu de paille émouvant, mais l'étincelle d'une renaissance ; alors la France, qu'il a servie avec passion dans la gendarmerie, cheminera vers la paix. Ainsi soit-il !
Un fils, un frère, un mari, un officier, un Français, un enfant de Dieu, un héros est mort. Son corps est séparé de son âme depuis l'aube du samedi 24 mars. Il fut blessé affreusement par un terroriste vendredi, à l'heure où le Christ offrait sa vie pour nous sur la Croix. Ce corps, chère Marielle, que vous avez aimé et qui vous a chéri, ce corps qui est aujourd'hui honoré du drapeau tricolore ne pourra plus vous prendre dans ses bras. Arnaud ne pourra pas vous demander, le 9 juin prochain, si vous acceptez de devenir son épouse par le sacrement de mariage. Mais cette tragédie, comme le Vendredi Saint que nous allons célébrer demain, n’est pas le fin mot de cette histoire cruelle. Elle se pare déjà des couleurs de l’aube pour conduire Arnaud à la gloire de Pâques, à l’espérance radieuse de la résurrection.
Alors Seigneur, soyez loué pour la force que vous aviez mise en ce cœur d'homme et d'officier. Soyez loué pour don de la foi catholique qui a été pour Arnaud une redécouverte émerveillée. Il avait 36 ans lorsqu’il reçut pour la première fois votre Présence réelle dans la sainte communion et votre don de force dans le sacrement de confirmation. Il n'a jamais caché depuis la joie de sa foi retrouvée. Oh certes, comme nous tous, il a pu faire des erreurs dans sa vie, mais il demandait toujours pardon à ceux qu'il avait pu heurter.
Soyez loué enfin Seigneur de lui avoir permis d’aimer jusqu'à l'extrême (Jn 13, 1). Car « Il n'y a pas de plus grand amour que de donner sa vie pour ses amis » (Jn 15, 13) comme nous l'a appris votre divin Fils Jésus. Le colonel savait le risque qu'il prenait en se livrant comme otage au fanatique. Il l'a fait pour sauver une vie, plusieurs peut-être, et parce que tel était son engagement, de gendarme et de chrétien, allant jusqu’au bout de ses convictions.
Il a offert sa vie pour que s'arrête la mort. La croyance du djihadiste lui ordonnait de tuer. La foi chrétienne d'Arnaud l'invitait à sauver, en offrant sa vie s'il le fallait. Seigneur, vous lui avez donné la grâce de le réaliser exactement une semaine avant la célébration de votre Passion. Vous nous avez livré l'exemple absolu en guérissant nos âmes par vos blessures (cf Is 53, 4-5). Vous avez alors proposé le salut à tous les hommes et aussi à cet assassin. Faites-lui miséricorde, Seigneur. Il ne savait pas la gravité de son geste fanatique. Il pensait même vous plaire en tuant.
Où est Arnaud maintenant : au Ciel, au purgatoire ou, comme le pensent les partisans de son meurtrier, en enfer ? Voici un secret qui n'appartient qu'à Dieu. Son sacrifice l'a certes configuré au Christ, mais prions pour ce héros. Prions aussi pour les autres victimes ; prions même pour leur assassin.
Ma chère Marielle, c'est à vous que je veux maintenant m'adresser. Je sais combien Arnaud vous a aimée. Ce viril soldat, cet officier d'élite était avec vous galant, délicat et prévenant. Il était mûr pour s'engager dans un mariage heureux et indissoluble, fidèle à sa foi catholique. Il avait découvert avec joie Luigi et Maria Beltrame, le premier couple honoré par l’Église comme bienheureux, tels de possibles et lointains cousins. Il s'est préparé au mariage avec un sérieux qui force mon admiration et dont témoigne la superbe déclaration d'intention qu'il m'a envoyée quatre jours avant l'attentat.
L'offrande héroïque et libre de sa vie, les innombrables prières et messes qui sont lancées au Ciel du monde entier pour lui, le sacrement des malades, et la bénédiction à l'article de la mort que j'ai pu lui offrir à l’hôpital, peuvent vous donner l'espérance ferme de son bonheur éternel. Ces dernières prières furent alternées avec vous, alors que vous teniez la main d'Arnaud, scellant à jamais en Dieu, votre amour et la communion de vos âmes.
Alors, écoutez ces mots qu'il aurait pu vous adresser, chère Marielle, et nous dire à tous :
« Ne pleure pas si tu m'aimes ! Si tu savais le don de Dieu et ce que c'est que le Ciel ! Si tu pouvais d'ici, entendre le chant des Anges et me voir au milieu d'eux ! Si tu pouvais voir se dérouler sous tes yeux les horizons et les champs éternels, les sentiers où je marche !
Si, un instant, tu pouvais contempler, comme moi, la Beauté devant laquelle toutes les beautés pâlissent ! Quoi ! tu m'as vu, tu m'as aimé dans le pays des ombres, et tu ne pourrais ni me revoir, ni m'aimer encore dans le pays des immuables réalités ?
Crois-moi, quand la mort viendra briser tes liens comme elle a brisé ceux qui m'enchaînaient, et quand un jour que Dieu connaît et qu'il a fixé, ton âme viendra dans le Ciel où l'a précédée la mienne, ce jour-là, tu reverras celui qui t'aimait et qui t'aime encore, tu en retrouveras les tendresses épurées.
A Dieu ne plaise qu'entrant dans une vie plus heureuse, infidèle aux souvenirs et aux joies de mon autre vie, je sois devenu moins aimant ! Tu me reverras donc, transfiguré dans l'extase et le bonheur, non plus attendant la mort, mais avançant d'instant en instant, avec toi qui me tiendras la main, dans les sentiers nouveaux de la Lumière et de la Vie... Alors, essuie tes larmes et ne pleure plus, si tu m'aimes2. »
Chère Marielle, la fécondité de votre amour se mesure déjà dans les incroyables témoignages venus du monde entier depuis quelques jours, de tous ceux qui ont été émus et fortifiés dans leur foi par le sacrifice d’Arnaud. Voici vos enfants. Bien sûr, en ce jour de larmes, pareille épreuve est infiniment mystérieuse. Mais vous n’êtes pas seule. Dieu pleure avec vous, comme il a pleuré devant le tombeau de Lazare (Cf. Jn 11, 35) !
Et puis, regardez ! Vous êtes entourée par une immense compassion de tout un peuple, unanime à admirer le geste du colonel et à comprendre l'immensité de votre douleur ; une foule gonflée d'espérance dans le message que son sacrifice offre à la France. L'héroïsme est possible. Notre pays en a besoin pour être sauvé de la médiocrité de l'individualisme qui blessait son cœur de gendarme.
C'est à nous tous enfin qu'il s'adresse. Sa quête spirituelle tardive, j'en suis témoin, lui a montré que tout ce qui n'est pas de l’éternité retrouvée est du temps perdu3. Le monde qu'il a quitté privilégie l'urgent sur l'essentiel. Retrouvons comme lui l'urgence de l'essentiel4.
Dans leur maison, bénie le 16 décembre dernier, Arnaud et Marielle avaient réservé une pièce pour en faire un oratoire où ils priaient en couple. Alors je vous en supplie, frères et sœurs, à l’approche de Pâques, veillez dans la prière !
Arnaud, Marielle et moi avions partagé qu'on ne triomphe pas d'une idéologie avec seulement des armes et des ordinateurs. On la terrasse avec des convictions spirituelles. La foi catholique qu'il a redécouverte, les merveilles chrétiennes de l'histoire de France qui le passionnaient, sont le meilleur bouclier contre la folie des croyances assassines qui tuent et veulent tuer encore.
Mais soyons persuadés que ce combat spirituel se gagne avec la charité et non avec la haine. « Au soir de notre vie, nous serons jugés sur l'amour5 » que nous aurons donné ou au contraire sur l'égoïsme, la colère et l'orgueil que nous aurons mis en toutes choses. Alors, puissent les soldats qui risquent leur vie avec courage pour la défense de la France, et nos concitoyens, en ces années troubles de notre histoire, être des instruments de la paix.
Comme Arnaud et avec lui, là où est la haine, mettons l'amour. Là où est l'offense, mettons le pardon. Là où est la discorde, mettons l'union. Là où est l'erreur, mettons la vérité. Là où est le doute, mettons la foi. Là où est le désespoir, mettons l'espérance. Là où sont les ténèbres, mettons la lumière. Là où est la tristesse, mettons la joie.
Que chacun ne cherche pas tant à être consolé qu'à consoler, à être compris qu'à comprendre, à être aimé qu'à aimer. Car c'est en se donnant que l'on reçoit, c'est en s'oubliant qu'on se retrouve soi-même, c'est en pardonnant que l'on obtient le pardon, c'est en mourant que l'on ressuscite à la Vie éternelle6.
Vivons cela, et le sacrifice admirable du colonel Beltrame n'aura pas été un feu de paille émouvant, mais l'étincelle d'une renaissance ; alors la France, qu'il a servie avec passion dans la gendarmerie, cheminera vers la paix. Ainsi soit-il !

帰天したアルノ・ベルトラム大佐のカトリック信仰については、きょうび21世紀のフランスでは「わかるひとにしかわからないネタ」ですし、まして極東の異教国である日本国ではこの話題に文字数を浪費する気はまるでない(失笑)。ですから、報道の波にはなかなか乗らないポイントですが、おロマンチック好きなフランスでは彼が今年6月9日に結婚することになっていたということは政教分離がしっかりしているテレビ局や新聞でも紹介されました。

この今年6月9日の彼の「結婚」は重箱の隅を突っつくと、日本人にはわかりにくいネタになりますが、宗教婚であり、彼は既に市民婚を終え、同居している奥様がいらっしゃる。その奥様と今年6月に故郷にある教会でカトリックでいう「婚姻の秘跡」にあずかることになっており、今は奥様と二人、勤務地近くにお住いの神父様と共に婚姻準備をしていたとのこと。そのこともあり、テロ直後、病院に運ばれてからアルノ・ベルトラム隊員の病床には奥様と神父様(お名前はJean-Baptiste、=洗礼者ヨハネ)がつきっきりで、まずは病者の塗油の秘跡を行い、続いて婚姻の秘跡を神父様が与えられました。そして、テロの翌日、土曜の朝5時半頃、アルノ・ベルトラム隊員の霊魂は天に帰られました。



なんだか、ぢぃいいいん。

このアルノ・ベルトラムさん、45歳。
カトリックの信仰と向き合ってたった10年。
理由はわからないけれど、カトリックの生活宗旨を守る夫妻の子として生まれながらも、アルノさんはまったくカトリックによる共和国教育と同時進行の要理教育を受けずに成人し、イラクやアフガニスタンへの海外派兵を経験したことをきっかけに35歳になってカトリック教会の門扉を叩いたそうです。だから、普通、幼児洗礼だったら7歳くらいであずかる初聖体式に35歳であずかり、この時、同時に堅信の秘跡にもあずかったという話もある。へぇ、そうなるとココんちの仏人♂と信仰歴が似通っていたりします。ココんちの仏人♂は幼児洗礼のみで、両親の離婚が原因でまったく教会での要理に参加せず成人。30歳を過ぎて、アルことをきっかけにカトリック教会にしぶしぶ行くようになり、堅信を受けなければならないハメに。その時に教区から洗礼証明書提出を請求され、親から聞かされていた自分が受洗した教会に証明書発行を願い、取り寄せたら、そこには堅信より先に受けていなければならない初聖体の秘跡にあずかったという記録がない。だから、堅信式で同時に初聖体式にもあずかったのでした。普通なら所属教会の主任司祭にいただく初聖体も、こういう事情だと司教様から初めてのご聖体をいただけるというおいしさがあるの。アルノさんの初聖体の背景もおそらく似通った事情でしょうね。

と、ココまでタイプしたところで、こんな話はカトリックの信者さんやらカトリックのガッコに通い、周囲にいる信者のクラスメートの口から洩れない限り、「よくわかんない話」であります。

弱者の身代わりになっての殉教となると、日本にもゆかりある聖マキシミリアノ・コルベ師のアウシュヴィッツ収容所での帰天と重なり、このアルノ・ベルトラム氏の殉職直後からコルベ師とリンク付けした話題が電脳域を飛び交ってもいました。ベルトラムさんは事件があったスーパーのレジの女性の身代わりになったそうです。カルカッソンヌから1000㎞以上離れたブルタアニュの小村に住むベルトラムさんの母上が「彼は自分の職務のミッションを果たしたのです」とおっしゃったことがとても印象に残りました。

で、きょうは聖金曜日。
まもなくココんちあたりは午前9時。
イエスさまの裁判が始まる時間です。

この一週間、イエスさまのご復活に至るまでの話と同時進行でいろいろあり、考えさせられてばかりいますが、これも私にとって偶然、苦痛であっても、天においては必然であり、あらゆることに意味連関を成しているのです。キリッ

実はもひとつネタがあるけれど、そりはユダヤん方面なのでまた別に、そのうち。



le 30 mars 2018, vendredi saint



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by ma_cocotte | 2018-03-30 15:34 | actualite 現時点の現場から | Comments(0)
ダメな人間ほど誰かを見下したくなる。
それがボクだ。
以上、今日の「越路吹雪物語」より。なんだかなあ。とてもタイムリィな台詞なので耳に入ると同時にドキリとしました。こんなことも私には偶然であっても、天においては必然であり、今の私に気づきを与えることを天主さまが許可したのでしょう。

ココ一週間、ヨソ様のブログでの炎上をきっかけに、というか、その炎上より前からうすうす気付いていたことだけれど、或るブログ主さんが発信するエントリー全てから伝わってくるものが異常なほど自己中心、自己賛美であり、一方でその方が他人を文章に乗せると必ず先ずは欠点を紹介し、ご自分との出会いを境に他人様が良く向上したということばかり。「なんだか、このひと、様子がおかしいぞ」と感づいてまもなくの炎上。炎上に気づいてすぐ両者の言い分を見ましたが(読んだ、と言えるかどうかわからない。何せあたしには読解力がない。だから「見た」)、一方はあるコメント交換がきっかけでブログ主さんからブロックされたこととそれについての私見がエントリーされており、私が「様子がおかしいのでは?」と感づいた件の方は昨日まで一日に2~3本のエントリーを繰り返しており、その内容はいずれも一方のエントリーを見たひとが気付く「それについての反論」であり「私は間違っていない、ポワンっ」なのでした。ブロックされちゃった方は半日もしないうちにその事実について触れたエントリーを消去してしまい、いつものエントリー送信に戻っていました。

私のような傍観者かつ員数外には、この ↑ 炎上とそれについての感想を半日掲載後に消去、気持新たにいつもどおりのエントリーに戻った方に安心を覚えますが、延々と自分はなんら間違っていないと相手の言い分の端々に触れてはアグレッシヴにブログ更新している方に不安を覚えます。一般論と言えないかもしれませんが、自分の計画や意向に反する方が現れて「ブロック」の行いに出るのは自分を安心させる手段に過ぎません。ご自分の心身が疲弊している表れです。だから、アグレッシヴな内容をいくら公開しても、傍観者にはブログ主さんの不安定さがどんどん見えてくるわけです。炎上があって後、一方がアグレッシヴになってからのエントリーのひとつひとつのロジックが崩壊するのも特徴なので、読み手は「何が言いたいのかわからない」と距離を置くのも毎度です。なんだかなあ。「一方聞いて沙汰するな」だから勝敗なんぞ傍観者が付けてはならないので「安心」と「不安」で表現してはみたけれど。アグレッシヴさん、気の毒と言うか、あわれと言うか。こちらも下手にRSSリーダーを利用しているのでブログ更新があればチェックするので一週間経っても日に2、3回のブログ更新で「私は正しい」を繰り返すオップレスに降参したところできょうの朝のRSSチェックでようやくそのブログの更新が止まっていたのでホっとしてまもなく、ドラマ「越路吹雪物語」での表題に挙げたこの台詞。・・・実に見事な時系列でありんす。

流石、天主さま、なんでもご存知、全知全能w
ヒトが何より恐れるのは自らが傲慢になることです。
自分の傲慢に気づけないひとほど気の毒で滑稽な存在はありません。
「主よ、あわれみたまえ」でがんす。
ですが、ヒトが傲慢に陥るのはあまりに容易いことも事実。
何より、誰よりも、私、傲慢について気を付けましょう。

さーて、きょうもはれやかに過ごすぞ。
明日の午後、灰をかぶって四旬節に入るだで。

・・・と、こんにち、マルディ・グラ Mardi gras。脂の火曜日です。明日は灰の水曜日、Les Cendres。明日の「灰の水曜日」を境に復活祭(今年は4月1日)まで節制するので、前日の今日は油脂たっぷりの食事をとる習慣が「ありました」。過去形にしておくわね。私もドーナツを買おうかな。鳥のから揚げもいいね。

le 13 février 2018, Mardi gras




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by ma_cocotte | 2018-02-13 17:01 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
この世は儚いものですからパライソの全き幸福を失わぬよう努力なさいますように。
神の御助けにより、この数行をしたためます。パードレたち以下、われヽ二十四名は列の先頭を行く高札に書かれた判決文のように長崎で磔刑を受けるため、ここまでまいりました。わたくしのこと、またミゲル父上のことご心配くださいませんように。パライソ(天国)で、すぐにお会いできることを希望しています。お待ちしています。たとえ、パードレが居なくても臨終には熱心に罪を痛悔し、イエス・キリストの幾多の御恵みを感謝なされば救われます。

この世ははかないものですからパライソのまったき幸福を失わぬよう努力なさいますように。
人からどんな迷惑をかけられても堪え忍び、すべての人に大いなる愛徳を施されますように。

わたくしのふたりの弟マンシオとフェリペを、どうか異教徒の手に渡されぬようご尽力ください。わたくしは母上のことをわれらの主にお願いいたします。母上からわたくしの知っている人々によろしく申し上げてください。罪を痛悔するのを忘れぬよう、再び重ねて申し上げます。なぜなら唯一の重大なことなのですから。アダムは神にそむき罪を犯しましたが、痛悔とあがないによって救われました。 

十二の月二日 安芸の國 三原城にて
以上、日本二十六聖殉教者のひとり聖トマス小崎が京都から長崎に向かう途中、三原城のどこかで母親にあてた手紙です。こんにち2月5日はカトリック教会の典礼暦において日本二十六聖殉教者の記念日とされています。そのため、前日あたりからほうぼうで彼らの生きざまについてのエントリーがあり、私も見聞に励んでおり、この手紙に出会いました。

私個人が日本二十六聖殉教者について知ったのは小学校4年の時の父親参観日に女子パウロ会が臨時書店を校内に開いてくださり、参観後、校舎を出てすぐその書店の前で父が本を買ってくれると私に言ってくれたので数ある本から選んだものが天正の少年使節と日本二十六聖殉教者についての本でした。開いて最初に思ったことは今まで自分が読んだ本の中で最も漢字が多いということ。それでも、父が珍しく本を買ってくれたのだから、と読みました。

彼ら日本二十六聖殉教者は京都から長崎の刑場まで800㎞を徒歩で移動しますが、それには見世物の要素も加わっていたので、途中で耳をそがれたり、冬場だったので素足がみるみるしもやけになり、悪化し、歩くことも難しくなったそうです。確かこの手紙を書いた時、トマス小崎少年は14歳だったと記憶しています。三原には京都を出てから2週間後に入ったそうです。その2週間、彼が何を見、何を聴いたのか。想像する前に「おお、こわ」と思考を止めてしまう自分に情けなくなるばかりですが、私は今のシリア国内に残る善良なひとびとと重なってしまいます。そういう残酷なことを目の当たりにすると、トマス小崎少年の文中にあるように「異教徒になってしまおう」など安楽な道を選んでしまうのもヒトが弱いということなのでしょう。でも、「この世は儚い」ことが絶対的な事実でもあります。この世のすべてはいずれ塵となるわけで。霊魂だけは形を変えることもなく息絶えることもないのさ。

しっかし、私は初老ですのに、今でもこれだけの文章は書けないな。

le 5 février 2018, Louis Ibaraki





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by ma_cocotte | 2018-02-05 20:59 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
立つ鳥跡を濁さず、そして黙って巣に帰り、
庭に穴を掘り、「王様の耳はロバの耳ぃ」と叫ぶのであった・・・・。昨日の午後はちょっとツラい経験をしました。事の始まりは先の土曜の夕ミサ。一年半ほど前、席が近くなったことをきっかけにごミサ前にあいさつするようになったマダムからご自宅でのお茶に誘われました。その土曜の夕ミサに集う常連さんの中でもそのマダムは品も話し方も装いもよその方々とは違い、私は勝手に「マダム・ヂェットセット」と綽名していました。彼女から渡されたご自宅の住所はココんちから旧市街を挟んで向こうにある運河沿いの邸宅です。教会聖堂のごミサでの環境だからマダムは日本でも仏蘭西でも「どこの馬の骨?」である私をご自宅にいざなってしまったのでした。もし教会ではなく市井でしたら、たとえ隣席であっても彼女は私を完璧に無視ですのに、聖堂内で知り合ってしまったからこんなことになってしまいました。本当に申し訳ないことです。昨日の午後はあいにくの雨になってしまいましたが、私は事前にお誘いを断る勇気が持てないままマダムのご自宅にお邪魔してしまいました。そこには土曜の夕ミサに必ずあずかってらっしゃるマダムもいらっしゃいました。彼女もまた、装いもお話の仕方も雰囲気もそんぢょそこらから飛びぬけてらっしゃる。お茶の時間はほぼ三時間に及び、その三時間の話題は私にとって別世界のことばかりでよくわかりませんでした。フランス語の聞き取りだけでもハンデなのに、お話の中身もまったくなんら共通点が見つかりません。お開きの頃には小雨がしっかりした雨になりました。お礼の御挨拶はしましたが、私が発する仏蘭西語が彼女たちに通じたかどうか、私にはわかりません。でも、「立つ鳥、後を濁さず」を心して行えた・・・かも、私の常識がそうであっても、彼女たちの常識では「ありえない」かもしれません。私にはわかりません。ただひとつ、三時間の間になんとなくわかったことは彼女たちはココんちあたりで有名な日本人女性と私を間違えたのかな?ということ。私はその日本人女性ではありませんので、共通の話題もまったくなく、本当に申し訳ないことになりました。私としては跡を濁さずに、まとまった雨の降る中、無事帰宅しましたが、いただいた美味しいお茶もお菓子も胃の中で上手におさまってくれたのかどうかもわからないくらい、胃がキリキリとしました。白髪も増えたかもしれません。子供ならまだしも、成人にとって別世界に長居は禁物だし、お互いのために、というかこういう状況で傷つくのは「馬の骨」側が常ですから、自分の心身のために気をつけねばとあらためて思いました。聡明なマダム方ですから、もう私に声をかけることもないでしょう。ほ。昨日の午後のお茶については「いい夢、見たぜ」です。さあてと、台所に行こう。ココんちあたりは昨日から一夜明け、今日は青空が広がりました。観ろよ、青い空、白い雲、そのうちなんとかなるだろう!です。le 1er février 2018, Brigitte de Kildare
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by ma_cocotte | 2018-02-01 18:19 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
お天道様は未だ岩戸の向こうに。
昨年暮れの冬至を過ぎて、ココんちあたりでは日に一分くらいずつ日が伸びており、日中がむしゃらに何かをして周囲が見えなくなっているミーでも、17時頃になるとふと外の明るさに気づいて「あらま」と日の入りが遅くなっていることを知るのでした。日の入りが明らかに遅くなってはいても、夜明けは相変わらず午前8時を周ってから。午後8時ぴったりだと未だ外は真っ暗です。

睦月一月も残り八日となりましたが、ココんちあたりは相変わらずの悪天候で、お天道様を拝んだ日数は前回と同じく三日。三日と言っても丸一日陽光うららかだったのではなく、太陽が現れても良くて一時間ほどで太陽は厚い雲に覆われてしまい、不気味な強風が吹く繰り返しです。こんにちも仕事に向かう車のタイヤが水をはねる音が私の耳に届いています。きょうも雨かあ、ああ、ヤんなっちゃう。

冬の嵐が立て続けに上陸したことで、昨日あたりから共和国の各地で水害が発生しています。今朝の報道を見たら、フランス共和国内のロオヌ川以外の大河川が通る県のほとんどに増水や洪水の注意報が出ていました。ロオヌ川は土地の高低差が激しく急なので地中海までの流れが快調なのかなあ。花の都巴里はセエヌ川の増水はかなり不気味に増え続けています。

今朝はテレビに火ぃ入れたところで画面真っ黒。
地域再編成したせいなのか、ヌゥヴェル・アキテエヌ地方の周波数だか何やらが抜本的に変更されたらしい。
初期化やら再設定はわれわれが行わなければならないので夜明け前から憂鬱になります。ああ、理系脳が欲しい・・・・

そして、てんてるだいじんさん(←水谷豊っぽく、どうかひとつ)、もういいかげん、岩戸からお出ましくださいな。
強風の音を何日も耳にしていると、魂奪われるような錯覚を覚えます。南仏時代のミストラルで鍛えられてはいるのに、久しぶりのこの感覚。降参。←ようやく我が傲慢に気づく。


le 23 janvier 2018, Satoko Kitahara


しっかし、ココんちあたりは連日の強風雨。そして、昨日は日本各地で大雪。瑠璃色の地球全体どーなっちゃってるのでしょうね。雪は止んでからが深刻です。どうぞおみ足元には重々気を付けてくださいませ。




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by ma_cocotte | 2018-01-23 16:05 | 『冬』 Rien de special | Comments(0)
斯様になれれば、
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2018年も明けて、早や18日。
ココんちの庭の片隅の日陰に今年もニオイスミレが咲き始めました。
何年か前に農道の際に咲くニオイスミレをほぢくり、持ち帰り、庭のほうぼうに置いた記憶がありますが、根をはり、こうして毎年花を咲かせるようになったのはなぜか朝日が数時間当たれば儲けもんのような場所に置いたニオイスミレです。それだけ強いのだから、できればもうすこし匍匐してくれぬものかと願ってはおりますが、それもニオイスミレさん次第というほっぽらかしです。ココ新天地に住むようになって、野に生きる草木花に惹かれるようになりました。ニオイスミレもそう。そして、スイカズラ。心身の根っこが彼らのように強くありたいものです。

で、ココんちあたり。
2018年に入り18日が過ぎて、太陽を拝めた日は三日ほど。
他の15日はかなりの風雨で、きょうの朝もまた風が泣くほどの強さで、雨も混ざっています。
心がかなり強靭でも、流石にこの悪天候には負けそうになります。
天照大神さんはどこにお隠れなンざましょ。お出ましくだされぇえええ。

きょうの午後は外出しなけれヴぁならないので、その数時間だけでも、風雨よ、止まってくださいな。



le 18 janvier 2018, Prisca




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by ma_cocotte | 2018-01-18 15:40 | 『冬』 Rien de special | Comments(0)