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聖 徳 太 子 の 壱 万 円 札
新しいテレビがココんちに来たので、少しずつココんちにあるDVDをおさらいしています。きょうは天気も悪く、うすら寒いので映画鑑賞にはもってこいの日となり、先ほど「続・三丁目の夕日」を観ました。東京タワーができてまもなくの東京、おそらく東京タワーの位置と大きさからして港区の愛宕山あたりが舞台で、私が知らない私の両親の青春時代を連想しつつ、この映画を楽しむことにしています。
映画が始まって10分ほどしたところで、画面に大きく、聖徳太子のピン札が50枚、いえ、帯でとじられたままの壱万円の新券が出てきました。
それを見た途端、一年少し前、私の実家で母の遺品を整理している時に、母の箪笥のひきだしからしっかりとしぼりの和布にくるまれた硬い板に挟まれた聖徳太子の壱万円札、伊藤博文の千円札のピン札(新券)が数枚出て来たことを思い出しました。けど、それをどこにしまったのか思い出せなくて、頭を抱える”神山悟”状態になっている私。

なぜ聖徳太子や伊藤博文の古いお札が新しいまま出て来たのか。調べてみるとこれら紙幣は1984年以前のものです。久しぶりに見た旧紙幣が大きく見えたこと。

遺品を片付けているうちに薄黒く汚れた指先で触れることが躊躇われるほどきれいな旧紙幣でしたが、そういえば母が生前、いつ何が起こるかわからないので新券は必ず数枚家に置いておくように、と私に教えてくれたことを思い出しました。ご慶事についてですね。母はもういないのに、偶然にも箪笥のひきだしから出て来たピン札で内助の功というか日本女性の日常における細やかな心がけのようなものを思い出させられ、そういう習慣を忘れていた自分が恥ずかしくなりました。誰もいない母の寝室で情けなさにうなだれていたら、母がそっと私の肩に手を乗せてくれたような気もしましたが。

仏蘭西という国は日本國とは紙の価値も違えば、お金の扱い方も違います。これだけクレジット・カードやカルトブルー Carte Bleue、=クレジットカードのようなものだけれど暗証番号を打ったとほぼ同時に引き落としになるカードが浸透してもまだ小切手の習慣がしっかり残っており、日本のようなお年玉でもお札ではなく小切手であることもあります。紙も日本より貴重品ということもあるし、日本人はじめとする東アジア人が持つ独特の「かわいい」という感性が仏蘭西びとにはあまりないため、見た目が愛らしく美しいポチ袋のようなものも見つけることが難しく、簡単に手に入るものでもありません。冠婚葬祭も上流階級ならば兎も角、仏蘭西の庶民においてはどんどん簡略しており、特に葬儀における喪服の習慣はなきに等しいです。そんな環境に長くいると、自分は生きているから新しいことを吸収するかわりに先に覚えたことを忘れてしまいがちになり、時にうっかり日本女性としての善き習慣を脳内ハードディスクのゴミ箱に入れてしまっています。昨年の春、偶然、見つけた聖徳太子の新券でがさつな自分を恥じ入ったにも関わらず、それから一年再び忘れかけたところでこうして映画を観て同じことを思い起こし、また反省。そしてまたすぐに忘れてしまうのかしら?老いていく自分自身との付き合いもハードであります。

le 27 avril 2009, Zita

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昨年春の帰省時に、実家から持ち帰った地元新聞販売所が一昨年末に配ったカレンダー。暦としてのお役目終了後、もし日本國にいたならゴミ箱に捨ててしまっただろうけれど、カレンダーの真ん中に印刷された切り絵が描く日本の情景を捨てるには惜しく、額縁屋さんに持参し、額縁棒を選んで、額に入れてもらいました。夏祭りの絵は私が幼い頃、大叔母に浴衣を着せてもらい、祖母と一緒に行った観音さまの盆踊りを思い出します。他の絵は母の幼い頃を重ねています。昭和9年生まれの母は洋装で学校に通っていたので、この絵は大正時代あたりの光景なのかしらん?
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by ma_cocotte | 2009-04-27 23:50 | 『?』なたわ言 | Comments(9)
イ ツ モ 、ア ナ タ ヲ 、ミ テ イ マ ス 。
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ワ タ シ モ 、

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ワ タ シ ノ 母 モ 、 

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ワ タ シ ノ 父 も 、

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ワ タ シ モ 、

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ワ タ シ モ 。


そして、天使も。
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だ か ら 、ボ ク は、コ コ で、 ア ナ タ を、待 っ て る 。

そこから先、手をつないだボクたちは「ワタシ」が待つさらなる天空に行くンだよ。
光になって、高く、たかーく。


======十======

上の写真はすべてイタリアはローマ市内の教会や聖堂のドームです。
ローマで撮った写真をおさらいし、ドームの写真を集めたら、ショートストーリーができちゃった。そんなお話が作れるのも、建築物が与えた空間に信仰を乗せて表現した遺産があるからこそ。聖堂に足を踏み入れて「きれい」「美しい」という最初の印象から先は広く眺めるもよし、更に深く何かを読み取れたならば、
Deo gratias 神に感謝
ああ、こうして並べるとどの聖堂ドームも美しいこと。天空に描かれたものに見守られ、彼らから天に誘われる(いざなわれる)錯覚を覚えるのも、母の胎にいるかのように包み込まれての安心を感じられるのも、無味無色の窓からさす自然光が温かく、その温かみさえ神からの私たちへの贈り物と悟れます。美しい地球に生命をもらえたことに感謝して、本当に天に戻る日まで生き抜こうではあーりませんか。

一方、仏蘭西の教会聖堂にはドームと言っても中世以降、四半円ドームの天井が多く、ローマのような半円ドームの空間を持つ教会聖堂にはあまり(私は)出会っていません。仏蘭西の場合、丸い天井からの語りかけはないけれど前後左右からステンドグラスに描かれた諸聖人の視線を感じるとでも申しましょうか。彼ら諸聖人の視線は時に厳しくもあり、そのまま告解室へ・・・というのは1968年以前の仏蘭西の其処此処彼処で見かけられた日常だったのかも。

仏蘭西であれ、羅馬であれ、聖堂内の空間を思い切り使って信仰が表現されてはいるけれども、表現の形の違いはあっても、両者に共通するのは床かもしれません。意識せずに踏みつけている聖堂の床も、注意してみると聖人や司祭、世俗代表(=王侯)の墓石と気付いてドキリとすることはよくあることですが、床面に笑顔の天使も神さんもまずいません。地は善意の人が平和を作るためにあるけど、地面の下は知らんわ 031.gif 全ての善意が塵に戻るためにある?

ローマで天井の美しさに漠然と感動し、蛍光灯脳を持つ私がそのドームの絵画からの語りかけに気付くまで数日かかり、今になって写真を撮り忘れた聖堂の数を数えては後悔ばかり
・・・してらんねーので、また、行くよーん060.gif071.gif060.gif
ベネデット、待ってろよーっ! なんであります。
ウワァァーーーー。゜(゜´Д`゜)゜。ーーーーン!!! 泣くな、ヴぁっきゃろー。
ベネさまをお見上げ申し上げられなかったのも、天からの思し召し。
ま・ここっとよ、甘えるな、また щ(゚Д゚)щ カッモ~ン と・・・天下の教皇さまが釣り餌にされたとしても、神さまの釣りに関われるなんてみんなが幸せ。と、独善発想の究極をゆく。のでした、まる

そんな、ココ ↓ はヴぁちかんのサン・ピエトロの主聖堂の祭壇から見上げた天空。
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初代教皇ペトロのお墓の上、教皇さまが司式される祭壇の真上にあり、お墓も祭壇もドームの形と窓から入る自然光を持って包み込まれているような錯覚を覚えますが、天蓋の頂点は遠い、本当に遠い。高すぎます。そっくり返ってこうして天を仰いだところで、威圧を覚えるのか、天に招かれていると思うのかも、各自の心の在り方次第なのかもしれません。ローマ教皇というカトリックの最長上である方ならば天は近いでしょうに、天は遠い。
今の教皇ベネディクト16世はしばしば「おそれるな」という言葉を用いられます。昨年9月に来仏された時は連日、教皇さまが「N'ayez pas peur おそれるな」を繰り返されたのでその後しばらく流行語のように良くも悪くも使われておりました。
ここで、「おそれるな。N'ayez pas peur」という言葉に触れますが、Peur プール というフランス語を日本語に訳すと「恐れ」であって「畏れ」ではありません。漢字と二種のかなを持つ日本語は便利であり不便であり、それゆえ時にヒトを介して都合よくあしらわれてしまう欠点があり、ひらがなで「おそれるな」と書けば、イントネーションも関東ならば同じで、その音を聞いた人々の思いのままに漢字変換すれば、「恐れるな」「畏れるな」「怖れるな」「懼れるな」と4つも表現でき、どれも意味が異なります。教皇さまはヒトとヒトとの間の誤解や困難について「恐れるな、怖れるな」と私たちにおっしゃっているけれど、その際、神さまといつも一緒だから「懼れるな(=心配するな)」と、ヒトが作り出した目に見えるもの、目に見えないものに怖じ気ている私たちを勇気付けてくださっています。でも、この世の目に見えるカトリックワールドで最長上にいらっしゃる教皇さまが毎週金曜日には告解をし、アンジェラスにしてもウルビ・エ・オルビにしてもバルコニーから私たちの前に姿を現す前に数十分に渡ってお祈りしてから窓辺に向かわれると漏れ伺ってしまうと、教皇さまは神のみを畏れ敬っているからこそ、世界に散らばる万の羊の長として続けてらっしゃるのだと気付かされます。

ところが、畏敬の念をヒトとヒトとの横の関係に置き換え、その互いの思いが強くなってしまうと、いつのまにか神と私の二者=縦の関係が薄れてしまい、横の関係に畏怖の念が生じたりしませんか?敬い畏れるのと、怖くて畏れるのはまったく違う心境です。

深いよね、かとりっくぅ。
たかが天井画で深い思考と祈りにいざなわれるのも、信仰そのものが描かれているからなのかも。

le 24 avril 2009, Fidèle ← 偶然にも Fidèle は「信仰に忠実な人」という意です。
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by ma_cocotte | 2009-04-24 18:59 | 『巡礼』 Rien de special | Comments(7)
なにやら10,000km東から悪魔の笛の音が、
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↑ ポワチエの司教座聖堂のヂャンヌ・ダルク ↑

先月3月6日に
今日は初金、こちらでは、十字架の道行、ロザリオ、ベネディクション、ミサ、初金の祈り、と続きます。
ま・ここっとさんとご家族のためにもお祈りしましょう。美しい写真のブログは、時々拝見させていただきます。ではまた。 at 2009-03-06 04:59
では、良い四旬節をお過ごしくださいね。at 2009-03-06 08:18
とコメント欄に書き残し、これを最後に四旬節の黙想に入られたのかと思いきや、この論客さんはヨソの掲示板やらブログでは別のハンドルネームで大活躍中です。以下、この方の四旬節中の過ごし方のゴクゴク一部です。ヘソで茶ぁわかしつつご笑覧くださいませ。

上のコメントをクリックするとこの論客さんによる最後のコメントをいただいた拙エントリーに飛びますが、3月6日午前1時38分まで太平洋岸の北関東からコメントを送信続けた方が2時間と27分後の午前4時5分に再びコメント送信を開始しているのに、同じIPアドレスを持つ方がヨソの掲示板でこのようなお話をされています。
「信徒に認められた正当な批判」を「悪口雑言」であるかのように、読者に思わせようと必死な方も、そちらの勢力の方なのか、あるいは、何がしかの原因で現実認識の判断力に欠けている方なのだと思います。彼は、引用する2つのカテキズムのすべてを読まず、都合のいい箇所のみ何度もはりつけるこの行為も、繰り返されれば、洗脳に近い効果を生みだすようにも思います。(素直な方にとっては…)▼彼と同じ方法で、『教会法』『指針』『典礼規則』『カテキズム』に書かれている司教に対する厳しい決まりを、繰り返し貼り付けることは可能ですが、彼に関してはこれまでの書き込みからまともに相手をしないことに決めたのでしません。
忙しい人間がまともに相手をしているとそのしつこさの病的な面に、振り回され、エネルギーを吸い取られる危険があると感じるからです。
( ̄□ ̄;)エ? ちょっとおまいさん? 3月6日の午前1時38分から4時5分までどのようにこの方が過ごされたか知ったこっちゃないですけれど、他人サマにこんなこと ↑ を言える立場ですか?全部、特に強調した部分なんて自ら拙ブログで使った手口ぢゃござーませんか?振り回してエネルギーを吸い取ろうと必死だったのは、あ、な、た 、こんなコメントを優等生のごとく常連の論客宛に書かれた「あなた」です。それとも同じIPから別人がコメントを送信しているのでしょうか? ← と、3月6日時点で私は仮定し、聖域にお住まいの方々が共同で一台のコンピュータを触っているのかとも拝察しましたし、そのような共同生活をされる方々だからこそ一昔前までは世俗が踏み入れることのなかった祭壇の向こう側の立場を拙ブログで延々と披露されたのかと思いきや、なんとヨソの掲示板やらブログでこの方はしっかり女性の言葉で生き生きとコメントを残されていました。HNによって性別も変えてらっしゃるのかもしれませんけれど、それは Only God knows 。しっか~も、同じIPアドレスの方が新しい教会内作法を否定するFSSPX についてまで肯定的にヨソのブログでは語ってらっしゃる。本当にこの方が女性でFSSPXの精神に従う方だったら、祭壇上の典礼書の中身の話題など口も手も慎むはずで、カトリックとして矛盾だらけのことを電脳域で遊んでいることになります。拙ブログでこの方は威厳ある司祭ゴッコを楽しまれ、3月6日以降、コメントを残さずとも拙ブログをしっかりご覧になっているのに、ヨソの掲示板には4月12日付で、
聖週間に教皇様によってささげられた典礼のビデオをご存じの方はお教えください。
仏のKTOテレビか、Gloriaテレビあたりにないかなと思うのですが…。
おシラジラしいこんなコメントを書けるのですねぇ。ここ↑ まで書けるなら、自分で最後まで調べろよ、おい。拙ブログでは4月9日付のエントリーでKTO での聖週間ビデオ一覧のURLをズバリ掲載しておりますし、3月7日3月30日 と2度ほどこの方について触れていることでヒト芝居を打たれたか。3月5日、6日の二日間でアクセス数2000っていったい?30日から31日にかけても1000を軽く越えています。ご苦労なこってすけれど、それでも私は太平洋に面する北関東に足向けて寝ることができます。一座の誰が書いた台本か知ったこっちゃありませんが へたくそ 過ぎます。せめてコメントに KTO や Gloria のHP名を書かなければバレないだろうに、こういう三文芝居を披露することで「私などPC音痴でHPもブログも作れないのですが」という自己主張の証明が成り立つことになるという妙。

以上のこと、ヒトとヒトとの間ではどーでもいいのです。こんなことをされたところでヒトによっては喜んで騙され続けることを選びます。でも、こんなことをするヒトと神という二者の関係はどーでしょう?ぜひともご本人から回答をいただきたいものです。だって、こんなことをするヒトがやたら軽々しく「神」やら「カトリック」の名を出して他人を貶めたり、裁いたり、批判しています。拙ブログにおいてもヨソの掲示板やブログにしてもこの方はまるで司祭のごときカトリック知識を披露していますが、上に書いたようなことを世間に、それも国境のない電脳域でお披露目したら、いくら知識があってもカトリック信仰においてはやかましいドラはたまたゼロです。なぜなら、この方の行いも心の動きも神さまはご存知だからです。そんなことを立派なカトリックなら重々知っているのに知らないふりをしているのなら 031.gif ですし、これほど電脳上のほうぼうでお仲間内の賛美の言葉で褒め称えられながら世俗平信者であろうご本人がカトリックの名を出して他者を裁いたり、知識披露を延々と止められないのは告解で赦してもらっては繰り返しているか、逆に告解できない事情がご本人にあるから続けられるのでしょう。字も読めない子供だってカトリック幼稚園に通うならぜったいしないことを公でこの方は率先して続けているのです。神に対して恥の気持なんてまるでありません。
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↑ 1429年3月から4月にかけてヂャンヌがポワチエに滞在したことを記念する碑 ↑

傍観者であればあるほど「ヒト⇔神」の関係は露見するものです。十戒のうちいくつに反していることか。電脳域であれ他人サマからはこの方のカトリック知識に賛美の言葉が塗ったくられています。まさに、「そこに神がいない世界」の証明です。他人を貶めたり裁けたりするお立場には見えませんが、貶めたり裁けたりできるのも「そこに神がいない」証明です。ご自分でこの遊びを否定するならばどこぞからいただいたミッションでありましょうけれど、ご自身においては止められない快楽の域にに入ってしまっているのでしょうねぇ。
あなたの良心はどこ?
とてもぢゃないけど、良心の声に従っている方の言動には見えません。良心の声も聞けないヒトによるカトリック知識披露くらい気持悪いものはありません。← ということを一番よくご存知なのもご本人です。この方はいつまでこんなことを続けるのでしょう? 031.gif が心から離れるまで、です。020.gif
みんなたち、この方のヲッチン’を続けましょう。

le 17 avril 2009, Anicet


第八戒に反する罪には、いつわり、そしり、ざんげん、邪推、その他不正に秘密を探ること、あるいはこれを洩らすことなどがあります。
そしり とは理由なくひとの欠点やあやまちを言い表すことです。
ざんげん とは無実の罪をひとに負わせることです。
邪推 とは十分な証拠がないのにひとに罪があると信じることです。
真実を知る権利を持たないひと質問に対して、重要な理由のある場合、あいまいな返事をする のは いつわりになりません。
聖であろうと俗であろうと真実を知る権利を持たないヒトは
立場をわきまえるのが、カトリック。
第八戒「汝、偽証するなかれ」には ひとの名誉を尊重し、秘密を守ることも属している はずなんですが、第八戒について「そんなの知らんかったー」と詮索と妄想のお披露目遊びを続ける I am real Catholic. か。どこがカトリックなんだろう?...Bof

さて、このエントリーでアクセス数は伸びますでしょーか。「伸びる」にスーパーひとしくん
↑ 抑揚なしでどうかひとつ ↑


十 備 忘 録 十
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by ma_cocotte | 2009-04-17 21:05 | 『?』なたわ言 | Comments(9)
聖金曜日の夜だからこそ明らかにしたい
のだそうで、2009年4月10日、典礼暦では聖金曜日の深夜近くに国営放送France 3 の Comme un vendredi という番組で、仏蘭西国内で妻帯を隠しているカトリック司祭についてのドキュメンタリー Le reportage : « Le curé se marie » が流れました。
COMME UN VENDREDI
http://programmes.france3.fr/comme-un-vendredi/index-fr.php?page=video&id_article=764
司会者はサミュエル Samuel Etienne 、さ、みゅ、え、る ね、サミュエル。ゲストはアクセル・カーン Axel Kahn 、エル el つきの K で始まるカーン 。サミュエルの苗字がエチエンヌってぇのがうっかりニヤリとしてしまいます。エチエンヌ Etienne はユダヤ人の歴史を引き合いにしながら「神殿偏重に陥っている」とユダヤ教を批判したため、石打ちの刑に処せられた聖ステファノのことですからね。そのサミュエルさんが冒頭で「聖金曜日だからこの話題」とカトリック司祭の究極の罪科に触れると宣言しました。
2000年の恨みは聖金曜日にはらすってかあ?
年に一度、キリスト教を批判をする絶好の機会は聖金曜日にございます。キリスト教徒ならばこの聖金曜日にどんなことを他者から仕掛けられても耐え忍ぶのみですからあ。

この番組放映に先駆けて、同日の昼間に私の耳に入った番組予告では、なんと! 仏蘭西国内の教区司祭の20%が妻帯を秘密にして聖職に関わっているんですと。・・・_| ̄|○  呆れましたねぇ。立場をわきまえずについうっかり脳に浮かんだ言葉は
とっとと辞めれ。ヽ(`Д´)ノ
隠れているンだか隠されているンだか司祭のナイショの相手もどーかしてるというか、彼ら二人がどーかしてるから「秘密を通す」んですよ。これがまさに、ロジック。二人の間に良心がない。ついこないだもこの場でボヤきましたが、自身の快楽についてヒトの間で隠せるという横に広い意識が強くなりすぎてしまうと、なぜか縦の二者、神と自分の関係が失せて行きます。自分自身にとってヒトに対しての内緒が通されていることで安心しながら大胆になるのも、傍観している縦のつながりを維持しているヒトには見抜けてしまったりします。
あー、不思議だなー。ほんとーにふしぎだ。(抑揚なしの一本調子)
「アタシが尊敬している立派で敬虔な主任神父さまがそんなことするはずない」という、この世に生きる人々を神輿に乗せた人間はこのような台詞を吐くのも世の常であります。慇懃無礼な美辞麗句の凡人に神輿に乗せられたまま笑みを浮かべている司祭というのもこれまた傍観している縦のつながりが維持されているヒトビトから見れば異様な光景です。

ちなみに Le curé ル・キュレは日本語に訳すと『主任司祭』です。助任司祭はヴィケール le vicaire というまったく別の単語になります。イタリア語のドン Don にあたるのはフランス語ではラベ l'abbé ですね。教区教会で司牧にあたる司祭に平等につけられる敬称がラベです(ただし、修道司祭の世界では大修道院長につける敬称になります)。キリスト教の中でもカトリックならば本当はエラければエラいほどへりくだるのではないでしょうか。世俗からの慇懃無礼な言葉の数々で反り返ってお腹がどんどん前に突き出るのではなく、エラければエラいほど、前に屈む。アシジの聖フランシスコの足甲に接吻した教皇イノセント三世のように ↓



聖金曜日の深夜に放送されたこの番組に登場したカトリック司祭レオン Léon さんですけれど、この番組だけでなくこれまで数度、テレビ各局の「カトリック司祭の秘密」を暴露する番組に現れた方です。ビデオの中にも23年間隠し続けた愛妻マルガ Marga さんとの市民婚の様子が流れますが、それにしてもマルガさんって
なーんて美しい方なんでしょっっ。
ま、お決まりですわよね、フィクションだろうがノンフィクションだろうが 妙に美しすぎる 男女が登場するのはこの手のスキャンダールに必須アイテムざます。無論、現在のレオン氏は聖職停止ですが、ご本人は隠し事を公にし、こうして市民婚を挙げたことで心の平安を得、家庭は円満、ご自身は聖職を離れて世俗での就労を始めました。
« Le curé se marie » ou comment persiste l’un des derniers grands tabous de l’église catholique. En quoi le sacerdoce et le vœu de chasteté pèsent-t-ils sur les vocations ? Luc Lagun–Bouchet, à travers plusieurs témoignages, nous raconte le combat contre l’hypocrisie, la double vie de ceux qui ont eu une compagne, parfois pendant de longues années, toujours dans le secret, même si la hiérarchie n’était pas sans savoir… Gros plan sur l’histoire de Léon et Marga qui, après 23 ans de vie cachée, se sont mariés à la mairie de Vic-en-Bigorre. Il y avait là les « ouailles » de l’ancien curé désormais retourné à la vie civile.
ま、よろしいんぢゃありませんか?良心の声を無視した隠し事を続けていることに個の問題があります。この世の平和もまずは個人が平和を実感しないと。自分が不幸なのに他人に平和を求めているくらい、傍観している者が気味悪く見える光景もありませんから。23年も隠し続けたことに「おら、ヴぃっくり щ(゚Д゚)щ 」だったりしますけれど。悪魔の長居が長すぎ。悪魔さんにとってレオンさんが提供した住まいの居心地がさぞかし良かったのでせう。Bof

こうして普通のテレビ番組で表向きは精錬潔癖の立派なカトリック司祭が裏ではこんな悪事を働いているのは彼のせい?誰のせい?組織のせい?と視聴者に疑いの種が蒔かれるのも、本人が奉公している団体の法に従わず隠し事をしているからです。部外者から告発されてもしょーがないよ。┐(-д-`;)┌
隠し事をしている仏蘭西国内の2割の神父さま、イエズスさまの復活と共にご自分が
改心して回心したら?
ったく、2割の「二面司祭」のせいでゲンナリな聖土曜日を迎えてしまっただよ。嘘つき。もし幸せのうちに奉献できず後ろめたい行動を選ぶのなら、自分が幸せに奉献できる環境を祈って見出すのが羊に見本を示す羊飼いの生活態度ぢゃないのかしら。

le 11 avril 2009, Stanislas

*番組は一方的告発ではなく、仏蘭西司教団広報担当司祭が登場し、この件を含め、FSSPXのウィリアムソン師発言、教皇のアフリカでの発言について見解を述べておりますので、決してアンバランスな主張番組にではありませんので、あしからず。
Invité en réaction au reportage : Mgr Bernard Podvin
Porte-parole de la Conférence des Evêques de France
Il réagira à la question du mariage des prêtres, à la crise des vocations et au malaise des catholiques après les prises de position de Benoît XVI, notamment sur le Sida et le préservatif, la polémique autour de l’excommunication d’une petite brésilienne et les propos négationnistes de l’évêque anglais, Williamson.

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by ma_cocotte | 2009-04-11 17:08 | 『?』なKTOりっくん | Comments(2)
おくれなかったことでの呵責
昨日の朝、映画「おくりびと」のDVDがココんちに届きました。



おくりびと [DVD]


海外に在住する日本びと向けのネット通信販売からこのDVDの予約販売の知らせを受け、この映画がエイメリカのアカデミー外国語映画賞を獲得した直後だったこともあり予約しました。先週火曜日に発送完了のメールが届き、同じ週の土曜日には手元に届くのですから私たちが住む地球は本当に便利になったものです。

映画の予告編も見、あらすじも読み、電脳上での噂話も見聞しての予約でしたが、いざDVDが入った日本製の頑丈な封筒を手にしたら封を開けるのに気持が躊躇ってしまい、土曜日の夕方になってようやく封を開ける気持になれました。

想像していたより淡々とした映画でした。物語というよりは医学部に例えるなら症例報告の列挙のように思えました。ひとつひとつの症例、いえ、納棺の形とその例に登場する人物の感情表現は「こんなことあるだろうな」と観ているこちらも冷静に判断したりもしていました。
主人公にとって初めての症例、ではなくて「納棺の例」ですが、死後2週間が過ぎた独居老人の遺体に関わる例で、主人公の心身が五感で他人の死を知ってしまったことで、主人公の心身がどのように反応するかが美しくリアルに表現されていたように思いました。我が身に振り返って思い出したのが、某医大に奉職した数日後に上司から病理から解剖の電話を受け取ったら、解剖室に行き、ヒトの脳、上腕三等筋、肝臓などをいただき、研究室にて肝臓の血抜きを行うという仕事を命じられた時のことです。その命令を聞いた時の私の顔はおそらく主人公が就職先の上司から仕事内容を聞いて悟った瞬間の表情と似たようなものだったかもしれません。私は上司からの命令を断りました。すると上司がこの映画の主人公の上司と同様、
慣れればなんともないよ。
と私に言ったんですね。この上司ではないけれど、他の医師からは病理解剖の際、最初のメスのひと入れでヒトの血液は天井にまで届くほどまだ飛ぶことを教えられたことも未だ忘れられません。もし私が上司に反発することなく魚屋さんで見かけるクラッシュアイスを敷き詰めた発泡スチロールの箱を持って病理室に行ったとしたら、この映画の主人公が初仕事に挑んだ時のようなうろたえや失態を私は間違いなくしました。なんせ遠足のバスの中で誰かがもどしただけで、私の五感はすぐさま反応して顔色が変わってしまうほどですから。毎度そういう現実に出っくわすたびにその場に鏡はないから自分で分からないまま、私の顔色に気付いた他人がすぐいたわってくれたりする...私もヨソサマにそういう様子を認めたら手を差し伸べる。やっぱりヒトはひとりで生きるのは難しいのかも。

映画を観続けているうちに昨年春の、2月27日午後3時から実家で行われた母の「納棺の儀」なるものを思い出してしまいました。納棺の儀が始まる一時間前に葬祭センターの方が二人の女性を連れて来ました。映画を観てわかったことはこの女性ふたりがまさに納棺師だったことです。母の場合、納棺の儀が始まるまではドアを閉め、納棺師お二人と母だけで着替えを行い、リンゴの保護ネットを母の頭部から取り、髪型を整えてもくださいました。パジャマを着ていた母が寝たきりになる前に通院の際に好んで着ていた洋服に着替え、儀式を始める直前に母の三面鏡のひきだしに入っていたディオールの口紅を母の唇に乗せました。私のせいで母は4日もの間、巨大なドライアイスを両肩に乗せていたので、映画のように美しく固く握られた両手をはずすことができなかったのでしょうか。母の服は背面にはさみを入れて着せられた形になりました。母がいつか私の結婚式で着ようと決めていた色留袖が仕付け糸が通ったまま、母の寝室の枕元に置かれていたこともあり、この着物を母が長年のへそくりをはたいて作ったことも知っていましたが、一度も袖を通すことの無かったこの色留袖をそのまま棺に納めました。一昔前ならば故人の愛用のものを「あの世でも探さないように、困らないように」と棺に納められたのに、近年の火葬においては棺の中に納められるものも限りがあるようです。金属や革製品が納められないことで、なんとも中途半端な装いで母を天に送ってしまったことは今も胸中複雑になったりします。
納棺の儀が始まり、その場に集まった身内が清水を含んだコットンで母の身体を軽く拭きますが、コチコチに固まった母の指と、まだ生きているかのようにモチっとした母のふくらはぎの感触は今も覚えています。お化粧はしたけれど母が常にコンプレックスを持っていた短く薄い睫もそのままで、マスカラを乗せたらいいのかしら?と内心で不謹慎にもクスリと笑いつつ思ったりもしましたが、元気だった頃の母がマスカラを使っていたこともなかったので自然の睫のままの母の方が「私の母」ですね。今となっては骨しか残っていませんから「あれで良かった」と残された者は自分に言い聞かせるしかないのです。

納棺の儀を実家で終えてすぐ、母の棺は通夜と葬儀を行う葬祭センターに移動になりました。母の肉体が二度とこの家には戻ってくることはないということをわかっていてもつらかった。通夜の際も、葬儀の際も、母の身支度を整え棺に納めてくださった女性二人を見つけることはできませんでした。あの時は「あの二人はどこからやってきてどこに去ったのだろう?」と不思議にも思いました。この映画を観るまで、あのお二人は密室でカチカチになった母とプロレスのように戦っていたのではないかと私は想像していました。もし「おくりびと」の主人公のように優美に見えるほどの無駄のない動きで準備してくださったのだとしたら母が一番喜んでいることでしょう。母しか知らないのですから。通夜や葬儀の際、母に対面してくださった方々から母が美人さんと褒めていただけたり、幼馴染の方々からは子供の頃と代わらない母の表情があってうれしいという言葉もいただきました。でも、通夜のお清めが終わって棺の中の母を見たら、おでこあたりにあざのような斑点ができ、口が少し開き始めていました。翌日、お葬式を終えた後は斑点が更に増え、口元から見える歯の数が一本増えていました。既に脳を献体しているので母の死をわかりきっているはずの自分なのに、顔の様子が変わったことでこの肉体に既に魂がないこと、否が応でも母の死をいっそう具体的に私は知ることになりました。

DVD「おくりびと」を観ているうちにこうして一年と一ヶ月ほど前の母との別れが妙にリアルに思い出されてしまい、もしかしたらこの映画は今の私が観るにはまだちょっと早すぎたかな、とも映画半ばで後悔するような思いを感じ始めましたが、結局途中でDVDを止めることもなく最後まで観てしまいました。映画の中の数々の症例において主人公の反応も、遺族の反応も、私自身が身内を見送ったからこそ自分が経験したことにあてはまることを冷静に摘み取れたのかもしれません。母を送る前の私だったら恐怖感が先になり、観る勇気さえ持てず、もし鑑賞したところで感想もまるで違っていたと確信しています。

火葬場で母を待っている間、お坊様といろいろお話しました。浄土宗のお坊さまでしたが、どこかカトリックの神父さまのようと申しましょうか、これまでご自分が関わったお葬式での失敗とそれについてどうご自分が反省して変わろうとしているのか面白おかしく話して下さるのです。が、拝聴していてもその失敗談を伺ったところでお坊様を軽蔑する気持にはまったくなれませんでした。志を持って増上寺にあるお坊様になるための学校に通い、お葬式に携わるようになっても最初は恐くてしようがなかったそうです。でも、或る時、ヒトの死ほど荘厳なものはなく、その荘厳に携われる自分の役目に誇りを持てるようになったそうです。そう思えるようになったのも先輩にあたる方々と亡くなられた方とそのご家族あってのことです、と。拝聴しているこちらも母の死がなければ出会えない人々に多く会うことができました。この方々と関わったことで私の知らない世界を知り、私の中の死生観がかなり大きく修正されつつあります。「~されつつある」と書くのは今も私は葛藤している最中で死を喜んで受け入れられるほどの悟りにまだ至っていないからです。

映画の中で私が一番どきりとした瞬間は、主人公が納棺師という仕事に巡り会ったことはそれまで身内の死に関わることがなく、実母でさえ自分は看取ることも葬儀にも参列せず骨壷になった母と対面したことでの因果応報ではないか、と主人公による淡々とした語りが流れた時でした。私にも思い当たる節があります。主人公は祖父母の死は幼少期で記憶がないと語っていましたが、私も母の死まで身内や友人、同僚の死に深く関わったことがほとんどなく、母方の祖父、父方の祖母、母の大叔父の葬儀で親戚として参列したことしかありません。そして兄弟姉妹のいない私がこうして海外に住んでいることについて父母からどれほど叱られたことか。父からの恨み節は現在進行形であります。私の現状を話したところでヨソサマからたびたびいただく「一人っ子なのによくおうちの方が許したわね」という言葉も私にはハツを一突きする刃だったりします。私は日本に生まれ育った日本人だから因果応報という言葉は聞く度にドキリとします。両親の思いに従わずに我を貫いて海外にこうして住んでいることも良心の葛藤やら呵責を感じることは日常お茶飯事です。母との間については既に結果を見たことで、これからの私にどんな運命が待っているのかわかりません。もし因果応報があるなら私の残りの人生もいっそう波乱万丈でありましょう。他人さまから見たらネガティヴな、因果応報と呼べる私の運命であろうと、自分に与えられた運命はたとえ自分にとって不満であったり恐ろしくあっても、背を見せずに向き合い、考え、できることならまずはやってみるしかないのでしょう。

仏蘭西はきょうから La semaine sainte (聖週間)と呼ばれる週に入り、この日曜日はRameaux らも、=枝の主日というお祭り日で、イエズスさまがエルサレムに入城したことを省みる日なのだそうです。この祝日には教会で聖水で祝別した枝を配るので、午前中に旧市街に出ると多くのヒトが青々とした枝を持ち歩く姿が目立ちました。この枝は自宅に飾り、これまで飾ってあった枝はココんちあたりでは土に埋め塵に戻します(ゴミ箱に捨てることは厳禁なんですと)。
枝の主日の前日に「おくりびと」のDVDが届き鑑賞したことで、きょうの午後、古い枝を土に埋める際、何か厳かな思いが心に広がりました。「おくり枝」ですね。この世の生きとし生けるものは全て、いずれ塵に戻るのです。

le 5 avril 2009, Rameaux
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by ma_cocotte | 2009-04-05 15:51 | 『?』なたわ言 | Comments(11)
ネ + 申 = ネ申、神という字とそっくりだけれど神ぢゃない。でも、実は同じ意味だったりして。
日本語は便利だなあ、と思いました。(・_・)
でも、アルファベットや表音文字の組み合わせで言葉を表現する国は大変なんだとわかりました。最近のマレーシアでこんなことがあったようです。

「アラー」の使用禁止、残り4地方でも
3月11日8時33分配信 NNA

 「アラー」をはじめイスラム教徒にとって神聖な言葉の非イスラム系出版物への使用を禁じる措置に、残っていた4つの州も近く従うもようだ。▼国営ベルナマ通信によると、この措置はもともと、カトリック系週刊誌「ヘラルド」がアラーの言葉を掲載したことに端を発し、アブドラ首相の宗教顧問を務めるアブドラ・ジン博士が、イスラム教への敬意を高める目的で提唱した。イスラム教の教義解釈などを行う全国ファトワ評議会が使用禁止を決定し、10の州が公示していた。▼残るペナン、サバ、サラワク各州と連邦直轄領の4地方は、最高権限者であるスルタンがいないことから、ほかの州のスルタンで構成されるマレー統治者会議が示した規定に従う形となったようだ。▼禁止対象となる言葉は、「アラー(神)」、「ソラト(祈り)」、「カアバ(聖地、聖殿)」、「バイトゥラー(神の家)」の4つ。




前々からマレーシアという国は一神教の異教、つまりユダヤんやクリスちあんのヒトには生きるのが難しい国だと聞いてはいましたが、イスラーム教徒なら使える単語も異教徒だと使ってはならないようですね。以下のような、上よりもそっと詳しい記事も見つけました。

マレーシア、カトリック紙の「アラー」使用やはり禁止か
2009年03月02日NNA
CJC=東京】イスラム教徒が国民の多数派を占めるマレーシアで、政府は、イスラム教関係以外のメディアが「アラー」という言葉の使用を禁じていた。その後、制限事項を撤廃するなど出版規制が改定された。▼カトリック教会の英字紙『ヘラルド』紙のローレンス・アンドリュー編集長は、発行許可更新の際に制限が付けられなかった、として使用したことが問題となった。アブドゥラ・ジン首相府相(宗教問題担当)は2008年1月4日、イスラム教徒以外が「アラー」という言葉を使用することは、許可更新後も引き続き禁止であり編集長の発言は誤解に過ぎない、と語った。さらに国内治安省(内務省)が2月、「イスラム関係者のみ使用できる表現」とし、禁止を命令した。アンドリュー編集長は「イスラム関係者以外の者にも使用が認められる」と主張。撤回を求めて裁判で争う方針を表明した。▼政府側は、「アラーという表現を使用する権利の問題は裁判になじまない」と主張したが、ラオ・ビーラン判事は、裁判で争われるべき権利として同年5月5日、クアラルンプールで政府側の請求を退け、提訴を認めると判示した。▼『ヘラルド』紙はこの1年以上、イスラム教関係組織やメディアの批判キャンペーンの対象になって来た。原理主義の影響が強まっていることにもよるが、政教分離型の憲法の下で、実際の司法レベルではイスラム教の影響が強いことも影響している。▼政府は積極的に問題解決に当たるというよりも、穏やかな解決法を探ろうとしていた模様。▼保安相が2月16日、「アラー」の使用禁止を命令、裁判に訴える、と官報に掲載した後で、内務省は、キリスト教出版物は奥付または表紙に「キリスト教徒のみの出版物」と表記すれば、「アラー」の表記が許される、との指示を発した。▼『ヘラルド』紙とクアラルンプール大司教区の提訴に対する第1回審理が27日に行われる直前の措置だった。同紙側は不十分ながら前進だ、と評価していた。▼しかしシェド・ハミド・アルバル内相は28日、「官報掲載までに誤りがあったと思う。事態を徹底調査しなければならない」とメディアに語った。使用禁止は裁判所の最終判断が出るまでは有効だ、と述べている。



もしかしてマレーシアという国ではイスラム教徒に「キリスト教徒のみの出版物」を買う自由もないのでしょうか。イスラム教徒がキリスト教徒のみの出版物の中の「アラー Allah」という単語でイスラームがイスラームにおける神と混同してしまうことを恐れているとしても、それは内輪の教育の問題でしょうに。異教の解釈を知ってこそ、イスラーム命になると予想することさえ恐れているのだとしたら、大英帝國育ちのウッサマさまの前例があるから?
上の記事について調べてみたところ、マレーシアで販売されているカトリック週刊誌ヘラルド The Catholic Herald はマレーシア国内で約14,000部発行しており、読者数は約850,000人。英語、マレーシア・バハサ語、タミル語、中国語の4か国語で印刷されているのだそうです。私個人はその昔、「神」という単語をアラビア語にすれば「アッラー」なのだと習いましたが、マレーシアのようにこの単語を使える資格がイスラームでなければならないとなると、異教徒は神をどう訳せばよいのでしょうか。日本語の新聞だったら、このように命じられたらとりあえずカタカナの ネ の半角と、その右隣に漢字の「申」を置けば ネ申 となり、漢字の「神」に見えなくもないし、神の字が横広がりなので
こいつぁ春から縁起がええわい、七福神 v(^▽^)v
と、その場を丸く収めることもできなくもありませんが、広い世の中、そんな文字遊びができるのは日本國くらい、そんなオチで丸く収められるのはウマシカま・ここっつぁんのまわりくらいです。

21世紀に入って9年も過ぎれば個人の宗旨を尊重しての政教分離は当たり前だと思うのはまだ早いようで、イスラームのような政治も宗教も生活も包括した宗教で原理化が進んで、他宗教との区別が好まれるようになるといずれ差別が生じかねません。マレーシアにはそんな香りが漂い始めているかも。ただし、このヘラルド紙の使用言語にアラビア語がないのになぜ「アッラー Allah」という単語を用いた文章が掲載されたのでしょう。もしかしたら記事の内容に問題があるのかもしれませんね。

変な話、「神 Allah」という単語を使いたいだけなら改宗すりゃあ使えるンですよね。
( ̄□ ̄;)ア? そゆこと?
信教による使用言語制限なんて宣教妨害でしょうけれど、寄留先の異教国でこう決められちゃあ、異教のガイジンは「出るのも自由、いるなら守れ」でしょう。
上の記事を眺めれば、マレーシアには「全国ファトワ協議会」なるものもあるようです。ドキドキ。この3月8日は「女性の日」で、仏蘭西でもテレビ画面にこの日にちなんでの映像が流れましたが、その中に火傷による損傷で顔の皮膚がつれたままの女性たちによるデモ行進の様子がありました。仏蘭西ではたまにイスラームを信じる移民の間で、男性からのプロポーズを断った女性が男性から火を放たれて火達磨になってしまったというニュウスが流れたりしますが、まさかデモ行進できるほどの犠牲者がいるとは思いませんでした。現状を甘く見すぎていた私、猛反省です。

マレーシアがイスラームにおける理想平和国家をより早く実現するためには、マレーシアから異教を排除してしまうのが手っ取り早く簡単な方法でしょう。改宗を求めたところで異教徒が受け入れるかどうかは世界の歴史を振り返ればわかること。
でも、山を登らず、山の裾を周っても辿り着く終点は同じなら、息を切らして汗をかき、時には杖を突いて山の頂上に辿り着き下界を見渡せば裾野に広がる神が創造した自然の美しさも、ヒトが創造した諸々の美も醜も一つの身体にある二つの目に入ってきます。そして山頂から裾野を舐めて遠方に目を移せば大海が見えることもあれば、地球が丸いこともわかります。でも、同じ山の向こうにある終点を目指すにしても裾野を周る道を選べば汗もかかず疲労も少なく到達できても、その道を選んだ者は道路際の様子しか知ることができません。同じ終点に向かうとしても、自分ならどちらの道を選ぶでしょう?苦労をしても山を登り、頂上から世界を知り、下山して、人々に自分が見たこの世の素晴らしさを話せた方が良いのではないでしょうか。

マレーシアという国が国民に世界を知ってもらっては困るなんて思っていなければいいですけれど。世界を知ったところでイスラームを棄教するような国民ではあるまい。え?そうなの?ユダヤの律法もイスラームの啓典のうちのひとつですが、神の語を使うことがイスラム教の敬意の表れであり、イスラム教徒でなければ神の語を使ってはならないとは十戒にはないのにね。「神の名をむやみに呼ぶなかれ」は全知全能の神を知るこの世の万民への言葉でありましょうに。これからのマレーシアはどういう国になっていくのでしょう。こういう形での浄化、多民族の結束を進めるのでしょうか。仏蘭西でも神聖賢愚帝サルコぢ一世がしばしば口にされるナシオナリズム Nationalisme やらコミュノタリズム communautarisme の問題点につながらなくもない話題かもしれません。

le 11 mars 2009, Rosine
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by ma_cocotte | 2009-03-11 16:07 | 『?』なミュぢゅるマン | Comments(0)
だったら、興味がないわ。 "Non, ça m'intéresse pas."
旅行説明会 の後、会場 ↓ 内の回廊で簡単な茶話会が催されました。
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茶会が始まってまもなく、立食とは言えお菓子や飲み物が並ぶテーブルを囲む環の外にいたココんちの♂♀にまるで旧知のごとき顔で突進してきた老夫妻がありました。挨拶の握手をしながらわかったことは、ココんちと同市内(とは言っても旧市街を挟んで向こう側)に住むご夫妻であること。でしたが、なぜ集会中に自己紹介をしたわけでもなく、40人もの参加者がいたのに私たち二人が同じ市内に住む男女に間違いないとお二人は判断したのでしょう?こちらが質問するよりも前にご夫君から、一ヶ月ほど前に届いた参加者名簿から同じ郵便番号であるココんちの♂♀を見つけ、夫人(つまり、私)の名前が異教徒のガイジンであるし、ご自分の息子が養子に迎えたコレアン Coréen、=朝鮮びとの名前と似ているのでアジアびとに間違いないと予想し、会場を見渡せばアジアんがひとりしかいなかったからこうして挨拶できたのだ、とおっしゃる。聞けば養子となった坊やの名前の語尾が「-ko」で終わるだけの共通点でしたが。

その集会の翌週になってココんちの二人の結婚を司式してくださった神父さまにお目にかかったら、私たちがこの集会に行ったことを既にご存知でした。日曜日にこの老夫妻から既に報告があったのだそう。私から「ムッシュウの息子さんがコレアンの坊やを養子にされたそうで?」と神父さまに話したところ、ムッシュウには二人の息子がおり、もうひとりはリギュヂェ Ligugé の僧院の修道士だと教えてくださった。す、すっぐぉおおい。息子さんがベネディクターン!そして更に、マダムは血液の癌であるらしいとのこと。ムッシュウからこの2月11日に夫妻でルルド巡礼に行き、この集会の前日に帰宅したと伺ったことを思い出しました。なんだか後光が差しちゃってるご夫妻だと思いました。

で、思い出したことがありました。
まだ南仏に住んでいた頃、ココんちの仏蘭西びと♂がバス停で突然知らない女性に声をかけられ「あなたといつも一緒にいる女性はどこの出身です?」と質問されたそうです。彼が「日本人です。」と返事をすると、その女性はすかさず「...あ、なら、いいわ。私、日本人には興味がないから」と言ったそうです。なんでも彼女は養子縁組を考えており、できればヴェトナムびとを希望しているので、もし私がヴェトナム人だったら何かのきっかけになると思い、いつもアジア女である私と歩いているココんちの仏蘭西びと♂に私の出自を質問したのだそうです。それを聞いた私は仏蘭西びとにとって養子縁組の感覚とはまるでペットを選ぶ感覚なのかとふと思ってしまいました。
確かに養子を家庭に迎えれば自治体から養育補助金が支給されるし、その制度を悪用しているヒトもいることを私も知ってはいます。そして、もしカトリック教会での婚姻を共和国民が望んだ場合、結婚準備講座の中で子供に恵まれない夫婦には世の中で幸せを知らない子供を引き取ることも召命だと教えられたりもします。日本國のカトリック教会の結婚準備講座にあずかったとして、養子縁組までの指導を果たしてしているかどうか、どうでしょう?ただし、養子を迎えるにしても、女性が閉経を自覚するその日まで子作りに励むこと!とココんちの二人の婚姻準備指導をなさったイタリア、いや、ローマびとシスターは眼光鋭くしておっしゃりもしました。いやはや、それではまるでユダヤん超正統派ではございませんか。

さて、今も今も或るところにヂャニ・アリデ Johnny Hallyday という翁王がおりまして、先週末あたりから再び愛妃 レティシア Laeticia さまとご一緒に 眼鏡のCM でテレビ画面にやたら登場あそばされるようになりやした。少し前にココんちで愛読しているテレポッシュ(Télépoche, =テレビ番組予告雑誌)にレティシア妃のインタヴュウが掲載されており、そこには2009年のうちにもうひとりヴェトナムから子供を引き取りたい、と書いてありました。「もうひとり」と言うのも、既に二人は2004年11月にヴェトナムから生後3か月の女児を養子に迎え、ヂャド Jade と名付けて共に住んでいます。詳細はこちら → この子の運命。
偶然、タイムリィにも、写真雑誌パリ・マッチ Paris Match 3月5日号の表紙にヂャニ・アリデ翁王ご一家のご近影が掲載されました。
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Photo : Paris Match/Gérard Giaume@Paris Match du 5 mars 2009

あれぇ?アジアんな子供が二人いる。
なんとヂャニ・アリデ翁王と同妃のおふたりは昨年12月にヂャド Jade 姫(写真右)と一緒にヴェトナム国内の孤児院におみ足を運び、この女児を引き取られたのだそうです。現在生後7か月で、名前はヂョイ Joy。英語の Joy 、仏蘭西語の joie、日本語ならば「喜び」ちゃんでしょうか。このたび、Paris Match 紙を通してヂョイ姫の初お披露目 となりました。なんだよ、レティシアったら既に引き取ってたんぢゃんか・・・。

共和国内で町をぶらりと歩けば、一目で血のつながりがない親子であるとわかる家族がかなりいます。この子達がどのようなルートで仏蘭西びと家庭の養子になったのかは存じませんが、以前より今は幸せなのでしょうか。アリデさんちのお子たちは物資では恵まれ過ぎていることは誰もが知っているけれど。同じ屋根の下に住まない立場の者が詮索してはならないことですが、養子を引き取った家庭は自分たちが気に入った外見のペットとして甘やかすのではなく、いずれ彼らが独立して自分が家長として良い家庭を築いていけるようひとつの人格として心身を育てていただきたいですね。

仏蘭西共和国内では3月に入ってから、やたら「ろモパランタリテ L’homoparentalité」という単語を見聞するようになりました。同棲する同性二人に親権を法的に許すかどうかという問題のようです。お仏蘭西では両親の離婚後、現状で約30000人の子供が片親と恋愛関係にある同性の成人と共に生活しているそうです。・・・私ゃ、この現状を知りませんでした。共和国内の町をぶらり歩いても同性の両親と一緒の子供という家族形態を見た記憶がございません。これから段階的に同棲する同性二人が養子を迎えることが仏蘭西では問題ない方向に向かうように政府は計画していくらしいです。ホモセクシュアルの婚姻の認可より先に「家族計画」を認めることとなる?この「ろモパランタリテ L’homoparentalité」については今しばらく動向を見守りたい深刻な御題でございまふ。テレビ討論に登場されるホモセクシュアルの方々は養子を引き取ったところで何も深刻ではないとおっさってるけれどね。そうなのかなあ?もんのすごーく深刻だと私は思うよ。私がもし子供だったら両親が同じ性だったら悩むだろうけれど、子供が物心つく前から家族として生活を始めるのだったらそれが当たり前だから「なんら深刻な問題ではない」という考えなのかしらん?うぅうううん。

le 9 mars 2009, Françoise Romaine
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by ma_cocotte | 2009-03-09 16:54 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(2)
飛び入りして後片付けもしないで去れるとは、
こんにち、そのやふなことをあそばしますとは、オソレオオクモカシコクモ(ココで最敬礼)、どちらの親王さま、姫宮さまであらせられますでせう?

ココ数日、ご自分が知っていること
①2008.1.13.のシスティナ礼拝堂でのミサは、「パウロ6世の名で公布されたローマ・ミサ典礼書」が使用されていること
②教皇様の朝ミサも、同じ典礼書が使用されていること
③メアクルパを「集う者全員」で声をそろえて唱えるのは、「パウロ6世のミサ」においてだということ
を拙ブログに自ら持ち込み、エントリーとは話がそれる方向に持っていく大量のコメントを残し、こちらの質問には何ら答えず消えた方がいらっしゃいます。HNが 匿名 とおっしゃる方で、拙ブログスペースを貸してくださっているエキサイトブログ社から提供されているIPアドレス表示を元に調べましたら、他の掲示板等では別の名前で活躍されている方とまったく同じIPアドレスであるということまでわかったことをまず申し上げておきます。ついでに、数日にわたり 心のともしび運動 HPから御文を拙ブログに無断転載を送信し続けている方とは別人です。

さて、匿名さんが拙ブログのコメント欄に初めてコメントを下さいましたのは、2009年2月25日でした。元は鍵コメントでしたが、今回のこのエントリーのポイントになる部分は別の色に反転いたします。匿名さんが引用した私のコメントについてはにします。
Commented by 匿名 at 2009-02-25 23:39 x
at 2009-02-25 21:05の記述
>そして教皇さまが毎朝7時に小聖堂であげている背面ミサも、毎年1月にシスティナで行われる幼児洗礼式での背面ミサも第一ヴァチカン公会議以前の背面ミサで、イタリア語の典礼文です。
ま・ここっとさん、これだけは訂正してください
これは、まぎれもないノヴス・オルド(パウロ6世の新しいミサ)です。
ノヴス・オルドを背面祭壇であげておられるのです。
〝第一ヴァチカン公会議以前の背面ミサ〟??
〝FSSPXが言う聖伝のミサが誕生する以前の典礼〟??
これは、違います。式文を見て、所作を見れば明らかです。
是非、ビデオをご覧ください。イタリア語のノヴス・オルドの典礼文とどこが違いましたか?1990年代に、典礼秘跡省が、ノヴス・オルドを背面祭壇であげる方が良いこともあると、文書で出していることは、ご存じですね。
こうして初舞台を踏まれた匿名さんが9日後の3月6日になって私宛にこんな問いを別の拙エントリーのコメント欄にお書きあそばされました。
Commented by 匿名 at 2009-03-06 04:16 x
15
ま・ここっと様
>匿名さんが1970年以降のパウロ6世ミサ=ローマ典礼と限定してしまうと
★?????どこで、限定したでしょうか?????
(後略)


Commented by 匿名 at 2009-03-06 00:05 x
ま・ここっと様
2009-03-05 16:08の私に対するコメント
>匿名さんは典礼を信じているのですね。
>どうしてもPaul VI ミサを分断されて生み出された典礼と主張したいのでしょ?

??なぜ、そういえるのですか??
??そんなことどこにも書いていませんよ。??

以上、鍵コメントを悪く用いている一例になりますか。今一度、匿名さんご本人が初めて拙ブログにコメントを残された時のコメント ↑ に戻ってみましょう。匿名さんは
まぎれもないノヴス・オルド(パウロ6世の新しいミサ)
これは、違います
これだけは訂正してください
とご自分でタイプしたコメントを送信、2009年2月25日23時39分付でこちらが着信しています。次に、匿名さんが初送信で引用した私のコメントをご覧ください。
>そして教皇さまが毎朝7時に小聖堂であげている背面ミサも、毎年1月にシスティナで行われる幼児洗礼式での背面ミサも第一ヴァチカン公会議以前の背面ミサで イタリア語の典礼文です。
私は「第一ヴァチカン公会議以前の背面ミサ」と「イタリア語の典礼文」の間に句点( 、 )を使っており、教皇さまがイタリア語で典礼文を唱えているところまでしか私は触れていませんし、それ以上の内容について私は何も書いていません。
典礼文の中身について話題を変えたのは明らかに匿名さんです。
その後も匿名さんは私のコメントを読まずに見てキーワードで反応するだけになり、最終的に以下のようなやり取りになりました。
Commented by ma_cocotte at 2009-03-06 05:35 x
★ 匿名さま、何度も同じ文章をおそれいります。
それでもトリエントミサ以前の典礼様式なんですよ。
教皇さまの司式ミサは戻りすぎだったのです。
どうして典礼文にのみばかりこだわりますか?
たとえ典礼文が1970年の改訂版だとしても元は1570年以前のものを
改めたもの
であり、2008年1月13日の典礼様式は1570年以前に
基づくもの
です。
この拙文 ↑ に対し、匿名さんから以下の返答が送信されました。
Commented by 匿名 at 2009-03-06 08:18 x
ま・ここっと様
(繰り返しですが)
>それでもトリエントミサ以前の典礼様式なんですよ。
★「トリエントミサ以前から続いてきた様式」とは、
司祭が背面祭壇の方を向いて=会衆に背を向けて
ミサをささげること、を指しています。
司祭の向き(立つ姿勢、祈る方向)が、
「トリエントミサ以前から続いてきた様式」なのです。
そして、使われているローマ・ミサ典礼書は、
「パウロ6世によって公布されたローマミサ典礼書」なのです。
¢( ・_・) エェエエト?
このエントリーの冒頭に戻ると匿名さんが引き合いに出したあてくしの拙文
>そして教皇さまが毎朝7時に小聖堂であげている背面ミサも、毎年1月にシスティナで行われる幼児洗礼式での背面ミサも第一ヴァチカン公会議以前の背面ミサで、イタリア語の典礼文です。
何か、どこか、間違っていますか?
結果として今回のやり取りを振り返ると9日間にも渡ってインネンつけられたような嫌な気分になります。しかも、匿名さんは最後のコメントで「では、良い四旬節をお過ごしくださいね。」で
あ ば よ っ っ !
これ、電脳界で言うところの釣り?それともヨソのステージで踊り疲れて、イイ汗かいての退散ですか?床に落ちた脂や汗水を拭くのは私の仕事だと? 
b0070127_23384464.jpg
↑ 14世紀に作られた手書によるローマ典礼書  Missel Romain


何度も匿名さんとのコメントのやりとりで「パウロ6世が定めた典礼文」について拘って書き続けられる理由を尋ねましたが、まったく返答がありませんでした。いったい何が匿名さんの目的だったのでしょうか?ご本人が
Commented by 匿名 at 2009-03-06 04:59 x
私の目的は〝事実の確認のみ〟です。
それ以上でも、それ以下でもありません。
とコメントを残してらっさいますが、私は2月26日の段階で匿名さんに、
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 00:36 x
私はL'Osservatore Romano 紙の記事で、その説明を読みましたが
違うのですか。訂正を私が貴殿の指摘のみで勝手にしていいものでしょうか?
と書きましたし、その後も
Commented by ma_cocotte at 2009-03-05 17:20 x
★ 匿名さま、
selon la manière antique attestée universellement dans
tout l’univers chrétien (jusqu’aux prétendues réformes
de Martin Luther qui a voulu célébrer sa cène face au peuple).

・・・・_| ̄|○  まー、いいや。
匿名さんとOR紙で話し合ってください。
等等、私は何度も繰り返しています。が、こんな返答も匿名さんからいただきました。
Commented by 匿名 at 2009-03-06 01:10 x

ま・ここっと様
>匿名さんとOR紙で話し合ってください。
そんな必要はありません。
なんぢゃあ、こりゃあ??確認しないのぉ? 
きょうのきょうまで匿名さんのIPアドレスのみがわかっても、匿名さんの性別もわからなければ、匿名さんがカトリック聖職者なのか、キリスト教神学者なのか、カトリックに関わる修道者なのか、神学生なのか、還俗者なのか、世俗なのか、世俗でも末席なのか、教導資格があるのか、典礼委員長や教会役員に選出されるほどの立場なのか、それともFSSPXのミサに通う方なのか、カトリックとFSSPXの両股かけなのか、私もこの場に集う読者も何も匿名さんについてわからないまま、私がこの電脳上の公衆で
そうですね、
あなたがおっしゃることは正しいです。
と返答できるでしょうか?しかも典礼書の内容、中身については私の独断で正誤判断できるレベルではありませんよ。匿名さんから私に「典礼書の厚さでわかるでしょう?イタリア語の典礼を耳にすればパウロ6世ミサの典礼文だってわかるでしょう?」とまで圧されたけれど、
わかるわけないぢゃん。(*´Д`)=3
おそらく匿名さんは祭壇の向こうに立つことのない私に、祭壇の向こうについての私の知識における正誤を確認して、公衆に知らしめたかっただけだったんだよねぇ。カト的空回りとはこのこと。
言い返せるのなら、舞台の小道具のように分厚い典礼書の中身が真っ白の紙でも祭壇の手前の立場の私には構いません。メアクルパを唱える時に3度胸をたたくのはパウロ6世ミサのみの所作であっても、教皇庁や世間がウヰリアムソン師の件で使用している Mea Culpa という単語の意味はなんら変わりません。辞書で Mea Culpa を引いたとしても「Mea =私の、Culpa=過ち」であって「Mea Culpa : 胸を3回叩く動作」なんて書いてありません。いつ、どこで教皇庁がウヰリアムソン師に典礼所作と典礼文丸暗記という課題を達成すれば無罪放免にするなんて公布し、それを世間の一般全国紙が取り上げて騒いだのでしょう?ご自分の知識を拙ブログで披露することに懸命になり、元の話からご自分の語りたい話題に摩り替えるのもここまで来るといかがなものか・・・つうか、そんなことをしたい匿名さんの目的は何でしょう?
...これで、もし匿名さんが世俗の女性でしたら?
_| ̄|○  なんておそろしい。四旬節だからこんなことがアリエルなのねん。

ここで、各新聞が教皇さまの背面ミサがトリエント典礼ではないことを証明するのに懸命だった理由が何であるか触れてみましょう。

2007年7月7日のモツ・プロプリオについてカトリック新聞紙上で、某カトリック修道会の日本人修道司祭の説明文が掲載された内容を私も友人を通じて拝読することができました。が、その内容は仏蘭西国内の報道で流れた背景とまったく違いました。カトリック新聞の記事には「トリエントのミサが認められるのは『聖ピオ十世会』のような人たちのためです。」(原文のまま)とありましたが、そんな理由は欧州では微塵も流れませんでした。だって、2007年7月7日以前に教区はじめ教区長から認可がおりた複数の修道会聖堂でトリエントミサは絶え間なくあげられていたのですから。
欧州の大地で語られた2007年モツ・プロプリオ発布の経緯は第二次世界大戦終了から63年が過ぎ、背面ミサが目に入っただけで、グレゴリオ聖歌が耳に届いただけでトラウマに苦しむユダヤ人世代の多くがこの世を去ったこと、教皇JPIIが異教の方々に謝罪の行脚を続けられたことの結果としてトリエントのミサをおこなう条件を緩やかにできると見計らったこその実現であるということでした。この裏事情説明が報道で流れたのは2007年はじめで、モツ・プロプリオ公布の半年近く前です。終戦後まもなく欧州各国に帰還したユダヤ系の方々がいろいろと訴訟を起こす際に、トリエントミサなどを絡めて賠償を求めることも続いていたのです。「ちらりと見聞するだけで意識を失う」等。つまり典礼文の内容なんて異教徒には関係ないのです。背面ミサの様子を目にしただけで発症する心身の苦しみをカトリック教徒はわかっているのか?ということが社会問題だったのです。だから、教皇さまが2008年1月13日にシスティナ礼拝堂で背面のミサをあげた時に欧州の一般全国紙が丁寧に説明したのは、教皇さまがあげた背面ミサはトリエントミサではないということなのです。一方で1970年以降に生まれた人々には対面でなく背面のミサなのにトリエントミサではないとなると「そのミサは何というミサ?」となるし、FSSPXとこの団体の支持者が背面ミサであっても典礼が「第二ヴァチカン公会議以降に作られたパウロ6世ミサ」だから「伝統でもなければ、聖伝でもない」と噂を飛ばす可能性が高いので「教皇さまがあげた背面ミサがローマ典礼であり、この典礼は1570年以前は背面かつ現地語だったのだ」と各紙が説明しているのです。
ま、ユダヤ租界もなければ、日系ユダヤ人もユダヤ系日本人もいない日本國にはまったく関係ありませんね。はい。
欧州における第二次大戦終結は1944年5月8日、第二ヴァチカン公会議開催は1962年10月11日。嘘か真か、この18年と5か月3日の間、宗教を越えて世界の平和を考えたからこそローマ典礼がパウロ6世ミサという名で400年ぶりに陽の目を見たとも語られていたりします。果たしてパウロ6世ミサの制定は「ユダヤ人のせい」でしょうか?近代史を涼やかに振り返ればカトリックが第二次大戦以前のように自我を張れない事情があるとしか見えないし、報道で流れたように背面ミサを垣間見ただけでスイッチが入ってしまう方々が21世紀に入りほとんどが帰天していること、JPIIが在位中に先頭になって続けられた償いあってこそトリエントミサの認可手順が緩和されたという事情は私個人はわからなくもありません。もし第二次世界大戦なんかなかったらトリエントミサはずっと堂々と続けられていたかもしれません。
今年に入ってからのFSSPX 関連の話で、教皇さまが4司教破門解除は教会一致までの長い道程の中での一基点をひとつ置いたに過ぎないとおっしゃっていること、本当にそうだと思います。起点ではなく基点です。

拙ブログなんかで自己知識の披露に懸命だった匿名さんより、OR紙や一般全国紙の編集者の方がよっぽどカトリック教会にも、異教徒にも、一般社会にも気遣った記事を提供しています。どうやら「自己の平和」と「自己の満足」は必ずしも同じではありません。
自己が不満足になると予想しても、
世の平和のためにできることを個人がする
今回の件で身に沁みてよくわかりました、まる

le 7 mars 2009, Félicité
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by ma_cocotte | 2009-03-07 17:18 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
...忘れるところだった。
おひなさん。
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ガラス戸棚の隅にほっぽらかしたままなのに、お人形さんのお腰あたりのリリアンがほつれ始めている。
そんなものなのかな。
実家に置いたままのお雛様はどうなってしまっているのだろう。
もう何年も陽の目を見ないのに毛氈は色褪せ、箱の中のお人形さんたちの召し物には虫が付いてしまっただろうか。
私の我侭でかわいそうなこと、気の毒なことをしてしまった。
木組みの壇飾りだったので飾るのも片付けるのも面倒で何年も出さなかったら、或る年になって晩婚の私を気にした母が突然飾ったことがあったっけ。昨年の今頃、母の葬儀をお願いした葬儀屋さんと何度か話す機会があったが、この頃は葬儀屋さんでお仏壇だけでなくお人形の供養を代理してくださることを知った。迷信だろうけれど、一度は愛でたお人形を供養しつつ塵に返すのも日本びとらしい情けあってのことなのかもしれない。
子供の頃、暦の上で春であってもまだどこか寒さを感じるような日に母と二人でお雛様を出したことを思い出す。決まって母が私に話したことは母のお雛様が「こんな壇飾りなんか」ではなく御所造りのお雛様だったこと。その母のお雛様も、母のすぐ下の叔父のための鯉幟も御柱も武者人形も戦争で供出してしまったことだった。戦争のために供出ってお人形がどんな武器に変わったのでしょうか。人形にさえそんな運命があるんだね。虫に食われるのも、戦争に出されるのもどちらもかわいそう。ごめんなさい。

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明日がお雛様だと気が付いて、こうして写真を撮り、久しぶりにおうさのお内裏さんとお雛さんの真っ白いお顔をまじまじと眺めていたら、なぜか虎ノ門の豆大福やら谷中のこごめ大福やら、九段の宝来屋さんに、嗚呼、松島屋、
松 島 屋 ぁ
ときたもんだ。

えええと、可能なひいさん方、わたくしの分までほおばってくださいまし。
しかと頼みましたぞ。

....なんのこっちゃ。

le 3 mars 2009, Guénolé
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by ma_cocotte | 2009-03-03 04:48 | 『春』 Rien de special | Comments(12)
この一年、生きてこれた、生きていられた。
2月24日になってしまいました。
きょうは私が生まれてはじめて迎える私の母の祥月命日です。
本当なら一周忌で帰宅するのでしょうけれど、母の場合、私の父方の実家の墓所工事を昨夏行ったこともあり、納骨が9月の彼岸に行われ、その際、お寺さんの承諾の下、一周忌の法要も共に済ませていただいたのでした。

この一年、私は生まれてはじめて母無しに生きました。
なんとはなしに母からすぐお迎えが来ちゃうンぢゃないかな、と内心思っていました。でも、来ませんでしたね。天国で退屈な思いをしていないのか、天国から眺める一人娘の生き様があまりに面白いのか。
既に私は実家を出て10年になり、昨年2008年2月24日まで母と一年以上会わなかったことは数度あります。でも、間に海や川があっても同じ地球の上、大地でつながったどこかに母が「いる」、母の「存在」を確信できる、たとえ母が言葉さえ思うように発せず、経管栄養だけで生きているだけの「存在」でも娘にとっての母は心のビタミン、栄養でありました。そりゃそうですよね、自分がこの世に飛び出るまでの毎日、母から栄養をもらって既に育てられていたのですから。でも、その母を今はいくら地球を何周まわったところ見つけられません。お墓の下に母の存在の証となる燃えカスが収まっていることはわかっちゃいます。でも、その存在の中にあった魂までが燃えて昇華してしまったとは私には思えません。母の存在と言う栄養剤を欠いても、私がこうして今も母から呼ばれることもなく生きているのは、母の死を通してヒトがこの世に生かされていることを何とはなく悟ったからかもしれません。

母無しのこの一年、母を亡くしただけでなく私にも喜怒哀苦楽いろいろありました。でも、私が自ら「すぐ死にたい」と思うことはありませんでした。昨年2度の帰国で、複数の友人、知人から「人生はこの世ですべてが終わり、死の後は無なのだ」という考えも聞きました。それならそれで、私が今生きている地球は美しい星なのでできるだけ長くこの世に生きて愛でたいと、我が身に纏わり着く世知辛いことは横に置いて素直にそう思うのです。

子供がいない私だからこんな風に思えるのでしょうか。母が亡くなったところで、子供がいれば「いつ呼ばれても、ま、いっか?」なんて微塵も思わず、「これからはこの子のために生きよう」と自分の立場を置換できますか。ただ、「いつ呼ばれてもいいや」と内心思いつつも、その日を迎えるためにはそれなりの物心両方の準備がいるようにも思えるので「今すぐ呼ばれちゃうのはちょと困るかも」と私の心が死に対してもぢもぢしていたりもしています。そんな自分の心の中の葛藤が面白くもあります。
生きぃているから悩むんだ。
掌を太陽に透かして見れば、真っ赤に流れるボクの血潮~♪
これからの私の余生は死ぬための準備をするためにあるのかなあ、擦り傷をおえば赤い血が出る私の手もその準備のために必要なんだね、たぶん。どうせ塵に戻るんだから、親からもらったこの身体を使わなくっちゃ。

この一年、母の死を通してたくさんたくさん学んだこと、知ったことがあり、私にとってのきょう2月24日は一周忌というより一周愛です。母が「親が死なないとわからないことがある」と、私と口論になるたびに言っていましたが、それはきっと、何より愛ですね。一年経って母の愛、友からの愛、私が受け止められないほどいただいていることを実感しています。このいただいたたくさんの愛を私も分けていきましょう。
数日前、田口芳五郎 という方が生前に残されたこんな言葉を見つけました。
私が今日あるのは、母の祈りです。
ああ、ああ、本当にそうです。私もそう。
母が毎朝晩かかさずお仏壇に手を合わせていたことを思い出しました。

le 24 février 2009, Isabelle
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by ma_cocotte | 2009-02-24 18:56 | 『?』なたわ言 | Comments(11)